地下の花
その光景はソウの目を奪った。
花だ。
目の前の、小さな庭くらいの花壇に、薄黄色の花が広がっていた。
一瞬、ここが地下という推測が誤りだったのかと考える。だが、光源となる太陽は存在せず、花々を照らす明かりは天井に付いた魔力の宿った球体であった。
それまでの前提条件を考えるまでもなく、それの正体は分かる。
『シャルトリューズ』だ。
この地下の空間では『シャルトリューズ草』が花を咲かせている。
「来たかね。忌々しいバーテンダー君」
その声は、部屋の奥から聞こえてきた。
部屋、いや空間と呼んだ方がいいだろう。大きなプールほど広さがある空間。高さも先程の通路に比べて相当あり、十メートル近くはありそうだ。
その真ん中にバランは立っていた。足元には半径四メートル程のあからさまな魔法陣。
服装のローブはそのままだが、手に大きな杖を持っている。それが彼の戦闘着であることは推測できた。
ソウ達との距離は、およそ十五メートルといったところだろう。
「……バラン。この花はなんだ?」
だが、最初にソウの口から出たのは、そのシャルトリューズに対する疑問だった。
「ふむ、シャルトリューズ以外に見えるのかね?」
「どうしてここにある?」
「『人間魔石理論』を作ったのは、君達バーテンダーの方なんじゃないのかね?」
「……てめえが、黒幕か」
バランは手に持った杖を、コツコツと地面に付け、言った。
「それは違う」
ソウが注意深く動向を見守る中、バランは少し鬱陶しげに声を出した。
「私は依頼された側だよ。『シャルトリューズ』の秘密を解き明かすことを。私は交換条件を出して承諾した。だから少し研究してあげたに過ぎない」
「この花は?」
「言われた通りに『噂』を流したら、彼らが文字通り運んできたのさ。『肥料』をね」
「てめぇ!」
ソウは声を荒げる。だが決して短気に向かって行くことはしない。
そのときに、大人しく話を聞いていたティストルが、鋭い声でバランに尋ねる。
「何故ですか? バラン先生」
「ん? なにがだね、グレイスノア君」
「なぜ『先生』が『生徒』を犠牲にするような真似を?」
ティストルに尋ねられて、バランは少しだけ驚いたように目を丸くする。
「犠牲とは心外だね。僕は彼女らを殺してなどいない。実験に必要な魔力を抜いたら、記憶を消して解放してあげている」
「だからって! こんな非人道的な実験が、許されていいはずがありません!」
ティストルは叫んだ。
ソウも概ねはティストルに同意だった。『命』を奪っていないバランの行いが、『実験』としては『まだ優しい』ほうだとも感じていたが。
だが、バランは彼女の言い分を理解できないとでも言うように、告げた。
「噂を知らないのかね? ここに運ばれてくる人間は『魔力の成長』を安易に『薬草』に頼ろうという連中だ。向上心もなければ、才能もない連中なのだよ」
「だから、なんなんですか? たとえそうだとしても、なんの免罪符にもなりません。彼らはあなたが導くべき『生徒』に間違いはないはずです」
ティストルの憤りに、バランは首を振った。
「そんな人間はこの魔道院に相応しくない。要らない人間──ただの『クズ』だ」
はっきりと、バランは告げる。
ティストルは尊敬していた教師の発言に衝撃を受け、閉口した。
「おい、てめえ」
そこで言葉を引き継いだのは、ソウである。
「なんだね? 同じように才能の無い『クズ』のバーテンダー君」
「てめえは才能があったところで『クズ』に違いねえぜ」
「ふん。所詮バーテンダーには、選ばれた魔術師である私達を理解はできまい」
「理解したくもねえ」
ソウはゆっくりと、体に力をみなぎらせて行く。
相手の足元の謎は未だに解けないが、ここで話していても時間の無駄だ。
「さて、グレイスノア君。君もいい加減『クズ』にまとわりつかれるのも迷惑だろう。もう一度言う。君は早く周りの連中など忘れて、修行に専念したまえ。君は、この世界に必要な才能の持ち主なのだから」
バランは硬質な顔に、それでも穏やかな笑みを浮かべていった。
それまで目を伏せ、押し黙っていたティストルは、ぼそりと言った。
「……せぇ……ゲ」
「……ん? いまなんと」
「『うるせぇ陰険ハゲ』って言ったんです」
「なっ」
ティストルは顔を上げ、敵意のみなぎる目でバランを睨んだ。
「あなたの言うことは理解できません。私に分かるのは、あなたが『行方不明事件』に絡んでいた『悪者』ということだけです。だからあなたは、私の『敵』です。陰険ハゲ」
ティストルの隣で、クククとソウが笑いを漏らす。
言われたバランは、怒りで顔を真っ赤にした後に、告げる。
「やはり、バーテンダーなどと一緒に居て君も毒されてしまったようだね。仕方ない、この男を排除した暁には、私が『魔法』で再教育をしてあげよう。人の上に立つ者として、相応しい人間になれるようにね」
「お断りです!」
ティストルが叫び、それが合図になった。
ソウ、ティストル、バランの三人は、そこから一斉に動き出す。
ソウは少女の叫びの直後には、走り出していた。
相手の詠唱がどの程度かかるのかは分からないが、少なくとも接近しないことには話にならない。
《風の魔素よ。変化を司る精霊よ》
《火の魔素よ。破壊を司る精霊よ》
一つはソウの前方右斜めから。
一つはソウの後方右斜めから。
少女と男。二人分の詠唱の声が空間に響いた。
様子を見るかのように、お互いが初級の魔法だ。だが、好都合。初級魔法ならば最悪、避けられないことはない。
バランは迫るソウをちらりと窺っただけで、すぐに詠唱へと戻る。
《求めるは渦。吹きすさべ、風神の道標》
《求めるは渦。燃え尽きよ、炎王の腕》
詠唱はすぐに第二小節を終え、互いの杖に強力な力を宿す。
バランはソウには目もくれず、ティストルへとその力を向けた。
彼女を傷付けるつもりは無いのだろうが、それでも秘められた魔力は本物だ。
対するティストルも、全力をひしひしと感じる。
「《ウィンド・ストーム》」
「《ファイア・ストーム》」
風の渦と炎の渦。二つの力がお互いの中間地点でぶつかりあった。
それはカクテルでいうところの【ジン・トニック】と【ラム・トニック】のぶつかり合いと相似していた。
そしてその力は、互いを喰い合うようにぶつかり合い、呑み込み合い、殺し合う。
その勝負は互角。だが他属性の力がぶつかり合うとそれだけで済まないことも多い。
特に火と風だ。それらはお互いを強化しあう関係であり、お互いを喰いながら大きくなった余波が、ソウの斜め後方から襲い掛かる。
強烈な炎熱と火花が、ソウを背中から呑み込んだ。
ソウは息を止め、その力に抗わずに飛んだ。
「なっ!?」
バランの驚愕の声が、ソウの前方より飛来する。
ソウの体は、強化された身体能力と熱波を持って数メートルを軽く飛翔する。
やや斜めに浮いたその身は、バランと残り数メートルの所まで距離を詰めた。
「……シッ」
止めていた息を短く吐き、ソウはバランへと迫ろうと一歩踏み出し、
魔法陣を踏んだ。
「……ふっ」
バランの蔑むような笑みが、ソウの視界に映った。
ソウが足を付いた場所付近の魔法陣が淡く光る。
ゾクリと、悪寒が走る。
次の瞬間には、ソウは自身の感覚だけを信じて即座に反転。力を向ける方角を強引に逸らした。
その直後、ソウが今まで立っていた場所から、容赦のない炎の槍が突き出した。
凄まじい炎熱を放つそれは、ソウの体をかすりながら空間を貫き、消えた。
「今のを避けるか。猿め」
ソウは冷や汗が噴き出すのを感じる。
ちらりと魔法陣を見やる。大小さまざまな模様、円や文字などが刻まれている。先程炎の槍を生んだ模様は消えたようだ。
その効果の一端が見えた気がした。
この模様一つ一つが、バランが展開している魔法なのだ。
恐らく、これがバランの秘奥。長い準備時間をかけて作られる『魔法の結界』だ。
「理解したか。ならば死ね」
言うが早いか、バランは杖でととん、と魔法陣を突く。
すると、突かれた部分が二カ所、淡く光る。
来る、と感じたソウは即座に距離を取りつつ、反撃をする。
ソウは腰からすばやくナイフを抜き取り、バランめがけて投げた。
バランの目が、微かに驚愕を浮かべていた。だが、それが確認できたのも一瞬だ。
次の瞬間には、魔法陣から二つの魔法が現れる。
炎の球体と、風の渦。
流石にこれは、避け切れない。
そう、避けることはできない。
「《ストリーム・エア》!」
詠唱は聞こえなかった。
だが、遠くでティストルが次の魔法の準備をしているのははっきりと知っていた。
彼女の内より生み出された風の魔力が、ソウの目の前まで迫っていた魔法を逸らした。
ソウの良く使う手で、風と炎を同時に撃って指向性を付けるというものがある。ティストルの撃った魔法の風は、軌道がぶつかり合う形ではなかったので、魔法が混ざり合って横へと逸れる結果になったのだ。
「小癪な」
「お前こそ」
魔法が消え、姿を現したバラン。ソウの投げたナイフは、バランへと命中する寸前で光の壁のようなものに阻まれていた。
ソウは一度距離を取り直す。速攻は失敗だった。
「てめえをやるには、その目障りな魔法陣を全部消し飛ばす必要があるみたいだな」
「ふん、理解したところでなんだと言うのかね」
「勝ち方が分かる戦いに、負ける道理はねぇ」
ソウの目から見ても、魔法陣に描かれた魔法の量は膨大だ。
だが、無限ではない。
ましてや、防御魔法に限れば、大した数はないだろう。
「持久戦と行こうぜ」
「それには及ばん。すぐに消し飛ばしてやろう」
ニヤリと笑むソウと、ジロリと睨むバラン。
遠くでは、少女の詠唱する揺れるような声が聞こえていた。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
遅れてしまって大変申し訳ありません……
次の日曜日の更新は、十二時からになります。
なんとしてでも時間厳守で参ります。
※0126 誤字修正しました。