感情の置き場所
「ん?」
バランへと繋がる魔力線を追う最中、ソウは目の前に何かの存在を感じ、立ち止まる。
暗闇の中にぼんやりと、棒状の物体の姿があった。
「杖か?」
「あ、それは、私の」
その存在が判明し、ティストルはすぐにそちらへと駆け出した。
罠の気配は感じなかったので、ソウもその姿を見守る。
ティストルは杖を拾い上げ、大事そうに優しく撫でた。
「良かった……母の形見なんです」
「その杖が、か?」
「はい」
言われてソウは、ティストルの持っている杖に注目した。
それほど高価な物ではないだろう。だが、質は良い。小振りで細く、それでいて装飾を付ける余地が多い。ティストルはよく腰に下げているようだが、突いて歩くには少しだけ短いか。
どこかで見たような気もするし、気のせいかもしれない。その程度のありふれたデザインに思える。
はたしてそれが、ティストルの母が持っていたものなのだと言う。
「そういえば、両親はもう亡くなったんだってな」
「……ええ。父は物心付いたときには居なく、母も五年前……十一の時に病で」
母、という単語が出たとき、ティストルの表情が強張るのをソウは見逃さなかった。
「……五年前」
「はい。世間は『神機簒奪事件』の影響で、大騒ぎだったかと」
その事件の名を聞く度に、ソウの胸中は複雑な気持ちになった。
だが、その些細な変化にティストルは気づくこともなく、話を進める。
「事件を解決してくださった『蒼龍』さんが居なければ、私は母の最期を看取ることもできなかったでしょう。あの事件が解決されなければ、王都そのものがなくなったとも聞きますし。そしたら、私もこの世に居ないはずです」
「…………」
ソウは知らず、拳を握りしめていた。
「母は、流行の病にかかり、病状を回復させることなく、伏しました」
その無言をティストルはどう捉えたのか。
泣くような笑うような、曖昧な表情を浮かべたまま言葉を重ねる。ここで吐き出さないと、もう二度と楽にはなれないとでも言うように。
「母を殺したのは、私なんです」
ティストルはやけにはっきりと言った。
「……どうしてだ? お前の母親は、流行の病にかかったんだろ?」
「私は、母にとっての何だったんでしょう。重荷だったんだと、思うんです」
それまで淡々とした声音だった筈なのに。
ティストルの声に、僅かな震えが混じり出した。
「母は常に私のことを気にかけていました。でも私は、母の為に何かをしてあげられたことが無かった。常に母に頼り、母に縋り、母に助けられ、一人ではなにもできなかった。あまつさえ、母の為にと薬を探したことで母に迷惑をかけ、病を進める結果さえ生んだ」
それがきっと、ティストルの一つの答えなのだ。
彼女が頑なに人に頼らないでいた、理由。
彼女が他人のために動くことをよしとする、理由。
「私はきっと、一人で何もできなかった自分を、今でも否定したいんだと思います」
不意に、ティストルの声が詰まった。
吐き出すべき言葉が上手くでてこなくて、嗚咽に変わりかけていた。
「……誰にも頼らずに生きて行ける力が欲しいんです。誰かのために生きる自分になりたかったんです。本当は全部分かっています。どれだけ自分に責任を押し付けても、どれだけ他人のために生きても──母は帰ってこないなんてことは」
ティストルがソウへと心情を吐き出すのは、二回目だった。
だが、今回はより根本的な部分であるのは、明らかであった。
ティストルはふとしたことで吐き出し始めた感情に、振り回されていた。それは何故なのか、ソウには分からない。
この直前に、何か彼女を揺さぶることがあったと、推測するしかない。
だが、そこを考えたところで、ソウに言えることなど、たかが知れている。
「分かってるって言うなら、俺が言うことなんて何もない」
「……そうですよね。ごめんなさい、変なことを──いたっ」
ソウにデコピンをされて、ティストルは尚更に涙目になった。
「だが、お前が迷ったときに、俺なりの意見を言うくらいならできる」
「……意見、ですか?」
額をさすりながらティストルが尋ねる。
その薄暗い空間で、ソウの顔は、空間と同じように暗く笑んでいた。
「俺はできない事も、できない人間も否定しない。それは当たり前にあることだ。俺が否定したいのは、できないって諦めて、努力をしないことだ」
「……私は」
「一人ではできないことを認めず、一人でやろうとするのも、努力をしないのと同じだ」
そう言ったあとに、ソウが今度はグリグリとティストルの頭を撫でた。
それは力が強すぎて、ティストルの金髪をぐちゃぐちゃに乱す。
「お前はもう人に頼っても良いって知ったはずだ。お前に頼られて文句を言った奴が一人でも居たか? ティスタが一人になるのを嬉しがる友人が居たか?」
「……居ませんでした」
「人に頼るのと、依存するのは違う。協力するのと、利用するのは違う。尽くすのと、使われるのは違う。理屈と感情が合わないなんて当たり前だ。母親のことで納得できないってんなら、納得できる落としどころを探しつづけろ」
それはティストルに向けていながら、ソウ自身に言い聞かせている言葉だった。
頭で分かっていても、心が納得できないことなんていくらでもある。
正しくても、進みたくない道なんて、いくらでもあるのだから。
ソウは半ばの自嘲も含みながら、ティストルへと告げる。
「バランあたりに何を言われたのかは知らないが、だから何だ。言い返してやれよ。『うるせえ陰険ハゲ』ってな」
「は、ハゲてはいないのでは?」
「大丈夫だ。俺は人をハゲにするのは得意だからな」
ソウは親指をぐっと突き出し力説した。
そのあまりにも強引な手法に、ティストルは心の重みが少し取れた気分だった。
それから、ティストルは少しだけ自分のことをソウに話した。
今までも二人きりになることは何度かあったが、ここまで近い距離にいたことはない。
心も、これほど開いたことはない。
だが、それだけではない。
心に吹き溜まった、緊張、恐れ、不安、そういったモヤモヤを吐き出そうとしているのだと、ソウは思った。
それをするのが、きっと彼女は酷く下手くそだったのだから。
「さて、お喋りも良いが、そろそろ覚悟を決めるところだぞ」
ティストルのモヤモヤが落ち着いた頃合いに、ソウが切り出した。
それまでと雰囲気を一転させたソウに、ティストルはごくりとつばを飲んだ。
「正直言えば、俺はお前を連れて行きたくない。だが、ここはすでに相手のテリトリーでもある。危険があるなら、なるべく近いほうが守りやすいからな」
「……あくまでも、守る、ですか」
「……ああ」
ティストルはその言葉に、一度、杖を強く握りしめる。
そして、ソウの目をはっきりと見つめて言った。
「ソウさん。私からもお願いがあります。どうか、私を戦わせてください」
「なに?」
「いえ、最初からずっと思っていました。私は、守られたいわけじゃないんです」
薄暗い通路の中。ティストルの目には、はっきりとした決意が浮かんでいた。
「私はもう、何もできない自分ではいたくないんです。その為にこれまで修行をしてきたんです。ソウさんも、私の力は知っていますよね? だったら、私も戦力に加えてください。私が、戦いたいんです」
ソウは少し悩む。
「良いのか? 相手は曲がりなりにもお前んとこの教師だぞ? 遊びじゃないんだ。最悪、相手を『殺す』必要だって、出るかもしれない」
「……覚悟の上です」
ここで何を言ってもティストルに引き下がる気配はなかった。
「……戦闘経験は?」
「魔道院で手習い程度なら」
「……まあ、無いよりはましか。分かった、協力してくれ」
ソウはしぶしぶと彼女の提案を受け入れる。もっとも、積極的に戦力に加えていいのなら、それはありがたい申し出でもあった。
ソウは一度だけ見たティストルの攻撃を思い出す。あれくらいの精度を出せるなら、役に立たないということはないだろう。
「繰り返すが、相手のテリトリーに殴り込むのは得策じゃない。どんな罠があるかも分からない。だが、今確実な方法はこれしかない。だから言っておく。危なくなったら、俺を犠牲にしてでも勝て。俺がやれと言ったら、躊躇わずにやれ」
だが、そこでも最後に一線を引く。
ソウは覚悟している。これが勝ち目の薄い作戦かもしれないと。
「そんなこと、出来るわけが──」
「出来る出来ないじゃない。やるかやられるかなんだ。そこで迷うなら、初めから自分を守ることだけを考えてろ」
「……っ」
ソウの言葉に、いくばくか逡巡を滲ませるティストル。
「……わかりました。何があっても、勝ちます」
「それでいい。万が一、な」
ソウは小さく繰り返す。それが起きないようにするのが、自分の仕事だと言い聞かせるように。
「踏み込む前に聞きたいこともある。バランってのはどんな奴なんだ?」
そして、戦闘の前に軽く尋ねるソウ。
だが、それも当然のことだ。
自分が調べた情報と、協力者の情報にすれ違いがあっては困る。
「バラン先生は、二属性魔術師にして、魔法薬学と魔法生物学の博士です。通常は一つの属性しか扱えないと言われる『最上級魔法』を『ジーニ』と『サラム』の二つの属性で扱え、また、魔法生物系の研究でも第一線で活躍できる知識を持っているそうです」
「おうおう、あの若さでそれか。さすが、才能に拘る奴は違うな」
皮肉混じりだが、それはソウの素直な賞賛でもあった。
ソウの知っている魔術師の中でも、バランはなかなかに若い。その時点で『二属性』を扱えるというだけで、天才と呼ぶに相応しい才能があることの証左でもある。
自分が調べた情報と、ほとんど違いがないことにソウは安心した。
「ついでにティスタ。お前はどうなんだ? どのくらいの魔法を扱える?」
「……私は──」
「謙遜は抜きにしろ。命を張るときに嘘を吐く奴は、敵と一緒だ」
「…………」
ソウの鋭い指摘に、ティストルは『まだまだ』と言いかけた自分を止めた。
そして、魔道院の友人達にも明かしていない、本当の実力を告げた。
「『ジーニ』なら『最上級魔法』は扱えます。ほかの属性でも『中級魔法』程度ならば、だいたい全てを」
「詠唱時間は?」
「『ジーニ』ならば、バラン先生にも負けるつもりはありません。ですが、他の属性であれば、バラン先生の足元にも及ばないでしょう」
「だいたい分かった」
ソウは、ティストルの実力をそれほど過信してはいない。
だが、彼女は言った。『ジーニ』ならば、バランにも負けないと。
ということは、少なくともバランの『風魔法』は封じたと信じてもいいだろう。
「充分だ。他の属性はいい。ティスタはとにかく『ジーニ』でバランと撃ち合うつもりでいろ。それだけで、俺が動ける時間が増える」
ソウの頭の中に、仮想魔術師との戦闘がシミュレーションされる。
魔法の撃ち合いを考慮に入れつつ、決め手は違う。
「ティスタ。簡単な作戦を教えておくぞ」
「は、はい」
ティスタが聞く態勢に入るのを待って、ソウは短く言った。
「俺は罠や伏兵を警戒しつつバランに近づく。お前はそれを援護しろ。んで、一撃の射程範囲まで近づいたら、俺が速攻をかけて無力化する」
「……つまり、私はソウさんの援護に全力を注げば良いんですね?」
「ああ。その通りだ」
決して説明をものぐさしたわけではなく、そうとしか言えないのだ。
何故ならば、戦う段階になってはじめて状況が分かることも多い。
今できることは、何が起きてもいいように心構えを正しておくことくらいなのだから。
「さて、近いぞ。あの扉の奥だ」
ソウは手元に伸びる魔力線を見て確信した。
入り組んだ薄暗い通路の終点。重厚な木製の扉が鉱石の淡い光に照らされている。
ここまで少し歩いたが、体力の消耗はほぼない。体調は万全だ。
「この魔法は基本的には相手には見えないんだが、噂通りの男なら恐らく気づいている。扉を開けたら、即作戦開始だ。時間を稼いで状況を確認したらすぐ行動に移る」
「……交渉で終わる可能性は、無いでしょうか」
「億に一つくらいはあるかもしれない。無くても気にしない。それだけだ。少なくとも俺なら、話してる間に少しでも近づくほうが良いと思うがな」
ソウの貪欲なまでの合理性は『手段を選ばない』ということでもある。だが、言い換えればそれは同様に『相手の先を行く』ということでもある。
相手の想像する展開を超えたところに、常に勝利はあるのだから。
ソウは一呼吸の間に【グラスホッパー】を発動させ、準備を整えた後に言った。
「覚悟はいいか?」
「はい」
そして、ソウは静かに扉を開いた。
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本日、二回更新予定の一回目です。
次は二十四時頃に更新予定です。
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※0229 誤字修正しました。