一瞬の決断
「どういうつもりかね? 仮面卿」
ツヅリの理解が追いつかないまま、事態だけが進む。
目の前で恐ろしい魔力を放ったはずのバランは、その顔をひくつかせて少年の後ろを睨んでいる。
その先には、ツヅリが一度だけ会ったことのある、仮面の男が控えていた。
「それはこちらのセリフだよ。先程の威力……この子が死んだらどうするつもりだい?」
「ふん。バーテンダーの一人や二人、どうってことはない」
「そこが間違いだよ」
仮面の男の柔らかな声音。
だが、次の瞬間には威圧が膨れ上がり、その場の空気を支配した。
「なっ」
バランは凍り付き、何も言えなくなって佇んでいる。仮面の男はコツコツとツヅリ達へと近づいてくる。
「君は気づいていないかもしれないが。僕達にしてみれば、この少女二人は等価値だ」
いったい何を言って?
ツヅリは男達の台詞を聞きながら、意識の半分は思考に、もう半分は戦闘準備へと当てていた。
静かに、だが確実に状況は動いている。
仮面の男と、バランにどんな繋がりがあるのかは知らないが、今なら──
「おっと、テイラの女。俺は別にお前の味方じゃないんだぜ?」
ツヅリの思考を先読みしたかのように、赤毛の少年がツヅリへと銃を向けた。
「……あなたは」
「アスク・レピアスだ。お前にも言わないとフェアじゃないからな」
赤毛の少年は、呆気ないほど素直に名乗る。
その言葉の繋ぎに、ツヅリも名乗り返す。
「……私は、ツヅリ・シラユリよ」
「ま、知ってる。よろしくな」
よろしくと言いながら、その態度は欠片もよろしそうではない。
赤毛の少年は、ちらりと仮面の男へと向く。
その所作に隙はない。
「師匠。さっさと話を終わらせてくれ」
「うん。といっても話すことなどないけれどね」
仮面の男は、先程までの威圧を解いて、穏やかにバランへと語る。
「さてバラン先生。君の目的は『ティストル・グレイスノア』だけだろう? 僕らが手を出したのはあくまで、この少女に危害を加えようとしたからさ。そうでなければ、邪魔はしないよ」
仮面の男は、ちろりとツヅリを見る。
「だから、君も大人しくしているといい」
ゾクリ。
全身にナメクジが這ったような不快感が、ツヅリの神経を走った。
顔は良く見えないのに、その仮面の奥の瞳が、怪しげに笑っている。
まるで、ツヅリを通して、誰かを見ているような、違和感。
「私は、お師匠以外の言葉を聞く気はありません」
ツヅリは気丈に言って見せた。
その言葉に、仮面の男は動じず、赤毛の少年──アスクは口笛を吹いた。
「おいおい、お前自分の立場分かってるのか? この状況で何ができるよ?」
アスクの馬鹿にしたような言葉に、ツヅリは余裕のない笑みを返した。
そんなことは言われなくても分かっている。
背後に庇ったティストルは、未だにどこか頼りなく目をさまよわせている。
せめて杖が手にあれば違うかもしれないのに。とツヅリは心で悪態をつく。
ソウとリナリアは、まだ姿を見せない。
そんな状況で、できること。
「──なら、できる」
「あ?」
「時間稼ぎなら、できる」
ツヅリが言ってみせる。
その言葉に、アスクは目を丸くし、そして笑った。
「ははは! お前おもしろいな。おいバランのおっさん! 時間を稼がれる前にさっさと行動した方が良さそうだぞ!」
アスクの声に、未だに固まっていたバランが弾かれたように動き出す。
バランがすぐに迫ってきて、咄嗟にツヅリは銃を向けようとする。
だが、こめかみに銃のひやりとした感触を感じ、動きを止めた。
目の前では、バランに手を掴まれたティストルが、いやいやと抵抗している。
「どうした? 何もできないじゃねぇか?」
少年の声。
それに、ツヅリは静かに答えた。
「いいえ。これからだよ。あなたの、足止め」
「あ?」
直後、真っ先に動いたのは仮面の男だった。
彼は赤毛の少年を庇うように、瞬時に体を射線上へと滑り込ませる。
赤毛の少年は咄嗟のことに視線を、師のほうへと向ける。
そして、その先。
遥か遠く。
暗闇に紛れ、森に潜み、じっと様子を窺っていた銀髪の少女の唇。
見える筈もない、その動き。
音はなくとも、それは、こう動いた。
「【ハーベイ・ウォールバンガー】」
それは、射程を超長化した特別製。
その白銀の弾丸は、射線上へと割り込んできた仮面の男の右腕に直撃した。
──────
最初から、フィアールカはその場に居た。
今日は一応最後の別れということで、途中までは皆と同行していた。
だが、魔道院到着直前になって、やはり止めた、と一人引き返したのだ。
そして帰ったように見せかけて、暗い森に潜み、ツヅリ達を見守っていた。
「だって。ソウ様に『何かあるかも』って言われたら、ねぇ?」
ソウは、もしも何かがあったとき、最後の手段としてフィアールカを待機させた。
そして、それは彼女にとって嬉しいことでもあった。
ソウに頼られていることが、フィアールカの心を否応無く昂らせた。
だから彼女は待った。
ツヅリが絶体絶命のピンチになっても、じっと耐えた。
なぜならば、そこに走り込んで行く大物の姿が見えていたから。
彼らがツヅリを助けようとしているのは明白だったから。
そんな彼らに、存在を悟られるのは得策ではなかった。
「そう、そうね。ツヅリさんには、後で謝る必要があるかしら。それよりも今は……」
銀髪の少女は楽しそうに笑み、そして次弾を込める。
状況はまだ解決してはいない。
場所が割れては、二度目は難しい。
静かに森を移動しつつ、フィアールカは相手を見据える。
そして驚愕した。
今日一番の大当たりが、水の泡と化そうとしていたのだから。
──────
パキパキと音を立てて凍り付いていく、仮面の男の腕。
だが、ツヅリは既にその場から意識を切り替えている。
自分に突きつけられていたアスクの銃を弾き、ティストルとバランの方へと向かう。
だが、一歩だけ遅かった。
バランはティストルを羽交い締めにして、じりじりとツヅリから距離を取っている。
「はは、何がなんだか。まあいい。グレイスノア君は確保した。仕方ない。教育が必要だからね」
「は、放して!」
ティストルが抵抗するが、バランはおかしな表情を浮かべたまま、目を見開いている。
どこか、理知的であったはずのいつもの姿が、偽りのように感じられた。
「時間稼ぎは、失敗だったみてぇだな?」
そして、ツヅリの背後からは、再び少年の声が聞こえた。
ツヅリはそちらを向いて驚愕する。
アスクが銃を構えていることに、ではない。
仮面の男の、凍結が止まっていることにだ。
【ハーベイ・ウォールバンガー】は、体の一点にでも当たれば、そこから全身へと凍結が進んで行き、相手の動きを停止させる魔法である。
だが、仮面の男はなんと、自分の腕そのものに小さな【キューバ・リブレ】──炎の壁を発生させて【ハーベイ・ウォールバンガー】の侵食を防いでいるのだ。
当たれば必勝のはずの魔法を、常識外の方法で対処していた。
「バラン。後は任せるぞ」
その声には普段の余裕は感じられない。右手はすでに凍り付いているし、満足に銃を撃つことも今はできまい。
恐らく、魔法を使ったのは弟子のアスク。だが、助かるためとはいえ、そんな『綱渡り』を躊躇無く弟子にさせるとは。普通の神経ではない。
そして先程の言葉から察すると、仮面の男のダメージはそれなりにあり、これ以上首を突っ込むつもりは無さそうだ。
その想像を肯定するように、二人は即座に、その場から離脱していった。
そして場は、振り出しの人数へと戻る。
フィアールカはまだ遠い。この状況で満足に動けるのはツヅリのみである。
「ふん。役立たずどもめ」
バランは、即座に場を離れていく仮面の男たちへと悪態をつく。
ツヅリが自由になったと見て、腕の中のティストルは一層強くもがいた。
「バラン! ティスタを放して!」
ツヅリは銃を構えたまま、バランに向かって言い放った。
しかしバランは、ツヅリなど眼中に入れず、静かにティストルへと言う。
「いい加減にしたまえ。手荒なマネはしたくないが、腕の一本くらいは良いのだよ?」
「……っ」
その脅しに、ティストルの体が強張る。
それは同時に、ツヅリの動きも阻害した。
迂闊に動いてティストルに危害が加えられるのを恐れたのだ。
「くふふ。まったく、野蛮なバーテンダー共め。ええい、知らん。私は貴様らなど知らん。さあグレイスノア君。君を研究室に案内しようじゃないか」
それから、バランは静かに詠唱を始めた。
《古の魔素よ。万物に宿りし精霊よ》
それが、四属性に属さない魔法だということは、ツヅリにもすぐに分かった。
だが読めない。相手が何をしようとしているのかが、分からない。
それが読めないと、相手をどう止めればいいのかが理解できない。
《我、現世の狭間に降り、たゆたう箱舟の漕ぎ手を見ゆ》
「っ!」
理解はできない。だが、そこでツヅリは行動を起こすことに決めた。
相手の出方が分からずとも、このまま見過ごすことだけはできない。
最悪、ティストルを傷付けることになったとしても。
「奪われてしまうよりは、いい!」
ツヅリは気合いと共に、そこで駆け出そうとする。
その肩を、一本の腕が引き倒した。
「待たせたな。お前は下がれ」
その声が聞こえたのは束の間だった。
《素は天に、天は地に、そして我を、求める場所へと誘わん》
「しゃらくせえぇえええええええええ!」
それは一瞬の出来事だった。
バランの詠唱が終わる刹那、突っ込んで行ったソウが強引にティストルを奪い返す。
その直後、魔法は発動した。
眩い光の柱が三人を包み込み、その光が消えた後。
「……お師匠?」
その場には、誰の姿も残っていなかった。
後ろから、自分に向かってくる足音がいくつかだけ、ツヅリの耳に届いていた。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
すみません。昨日はちょっと色々あって家に帰れませんでした。
※0119 誤字修正しました。