複数の選択肢
「……これ、どういうこと?」
不覚にもツヅリがその状態に気づいたのは、すでに囲まれた後だった。
視界を白い霧が覆っていて、周りの人影の行動のおかしさに最後まで気づかなかった。
そして気づいたときには、大通りを行き交っていた人影とはあまりに様子の違う影が、六つほど自分たちを取り囲んでいたのだ。
彼らは揃いのフードを被り、白い霧の中にぼんやりと黒く浮かんでいた。
ツヅリは警戒の色を瞳に宿す。
先に言葉を出したのは、囲んでいた影のうちの一人だった。
「……ティストル・グレイスノアだな。来て貰うぞ」
じり、と男が一歩近づく。
だが、下がろうにも四方を囲まれていて、逃げ場が無い。
「……あなた方は、誘拐犯ですか?」
ティストルが、先日の夜と同じように尋ねる。
「……君には関係ないことだ」
答えは相変わらずにつれないものだった。
「……ティスタ」
ツヅリは正面の男からティストルを庇うように前に出ながら、小声で言う。
「……【ギムレット】みたいな……じゃなくて、この場から広がるような風は起こせる?」
ティストルはツヅリの質問に、小さく頷いた。
それを確認し、ツヅリは更に続ける。
「……時間はどれくらいかかる?」
「……ある方法を使えば、一瞬で」
「……分かった。じゃあ、合図したらやって。それまで目を瞑ってて」
ツヅリが言ったと同時、目の前に来ていた男がスラリと銃を抜いた。
ツヅリとティストルがこそこそと何かを話しているのを訝しみ、尋ねる。
「何を喋っている?」
男が臨戦態勢に入ると、周りにいる残り五人もそれぞれの武器を構えた。
銃を持つものが多いが、二人は棒状の得物を抜いている。その二人だけが気がかりだ。
「答えろ。何を話していた」
「それは、ですねぇ」
ツヅリは余裕の無い笑みを浮かべつつ、頭の中に自身の行動をシミュレートする。
大丈夫だ。と、自分に言い聞かせる。
相手が命を奪うつもりが無いのなら、そこまで緊張する必要も、ない。
「えっと、その、ですねぇ」
タイミングを測るようにツヅリが吃音を重ねると、焦れたように男が叫ぶ。
「……早く言え!」
「ひっ」
ツヅリは、その言葉に怯えて身を縮こまらせる。
という演技をした。
「……!?」
誘拐犯は、ごく自然な動作で腰から銃と銃弾を引き抜いたツヅリに驚愕し、反応が遅れる。その致命的なロスは、散々ソウにしごかれてきたツヅリにとっては、あまりにも大きいものだった。
ツヅリは銃のシリンダーに目一杯の『テイラ弾』を詰め込み、叫んだ。
「『テイラ』!」
銃に大量に込められた土の魔力が、ツヅリの乱暴な魔力の活性に従って弾ける。
それらは宙空に放たれて、目の高さに細かな粒子を撒き散らした。
その土煙が、誘拐犯たちの視界を奪う。そしてすぐに周囲の霧と溶け合って、泥のように誘拐犯たちの目元にこびりついた。
「この、ふざけやがって!」
誘拐犯が激昂し、強引に目元を拭うと距離を詰めようと向かってくる。銃ではなく棒を持った男二人は、特に速い。ツヅリに次弾を装填するような時間を与えない。
だが、狙い通りだ。土煙は本命ではない。大量に放たれた土の魔力の一部は、霧と反応して固まり、頭上に小粒の土礫を大量に浮かび上がらせた。
それらはツヅリ達を綺麗に避けるように地面に引っ張られていき、ツヅリ達と誘拐犯の間の空間に礫の壁を作る。
「放って!」
ツヅリが叫ぶのに合わせて、即座にティストルは魔法を詠じた。
「《スプレッド・ウィンド》!」
静かに握っていた杖から、一つだけ緑色の魔石が弾け飛び、それは成る。
ティストルを中心とした魔法は、周囲へと勢いよく放たれ、綺麗に礫の壁を弾いた。
結果、四方八方へと散った土礫の散弾が、誘拐犯達へと襲い掛かる。
「ぐぁ!」
「うぉ!」
「きゃ!」
誘拐犯達が口々に悲鳴を上げる。ツヅリは即座にティストルの手を引いて走った。
包囲網の一人に狙いを定め、足を払う。
「なぁ!?」
男を上手く転倒させて道を切り開くと、ツヅリはそこから脱兎のごとく駆け出した。
逃げる時に少し迷ったが、大通りではなく小路を選ぶ。少人数の自分たちのほうが、狭い道を進むのに若干有利だと判断したからだ。それに、なりふり構わない誘拐犯達が、通行人に危害を加える可能性も無視はできない。
「逃がすな!」
怯んだ状態からすぐに回復した男達が追いかけてこようとする。
ツヅリは一度振り向いて立ち止まり、そのポーチから新たな銃弾を取り出した。男達の向かってくる速度は速いが、間に合わないことはない。
「略式! 『テイラ』『シロップ1』『オレンジアップ』!」
銃弾を込め、略式で宣言を済ませる。超高速で送られた魔力が、銃の中で空腹な獣のように唸った。
追ってこようとしていた誘拐犯は、ツヅリからの魔法を恐れて立ち止まる。急に止まろうとした結果、先頭から数人がもつれて倒れ込んだ。
「【アンバサダー】!」
駄目押しとばかりにツヅリは黄色い光弾を放った。
それは誘拐犯達の目の前の地面に着弾し、道を塞ぐような岩の柱が突き出した。
「逃げよう!」
足止めが上手く成功したと見て、ツヅリはまたティストルの手を引く。
「クソ! 基本属性『ウォッタ45ml』──」
後ろからカクテルの宣言が聞こえてきたので、慌てて脇道に逸れる。
少しだけ距離を稼ぐことはできるが、突破されるのも時間の問題だろう。
少し距離を取ってから、二人は人気のない路地でようやく足を止めた。
「このまま、逃げるんですか?」
動きにくそうなローブを着たティストルが息を荒くしつつ、同じく肩で息をしているツヅリに不安そうに尋ねる。
「……そうしたいのは、山々なんだけど、厳しいかも」
「それは何故です?」
ツヅリはそれに、少し恥ずかしそうに言う。
「……私、方向音痴なんだよぉ」
ツヅリはキョロキョロと周りを見る。
闇雲に走ったため、すでに場所がどこだか分からなくなっている。
フィアールカが発生させていた霧もすでに消えているため、ソウ達に見つけて貰うのも時間がかかるだろう。
出ている太陽からおおよその方角は分かるが、それにしたって大通りに出られる確証はない。
そして相手は、この道を知り尽くしていると考えて行動を取るべきなのだ。
「だからといって、このままここに留まっていては見つかるのも時間の問題ですが」
「分かってる……」
ツヅリは、冷静に相手の力を分析してみた。師の言っていたように、それなりに腕の立つバーテンダーが六人。
だが今は恐らく、何手かに分かれて探しているはずだ。
つまり、現状なら各個撃破も可能ということではないだろうか。
「……いやいや、そんな上手く倒せる相手じゃないでしょ。少なくとも、正攻法では……」
ツヅリの見立てでは、一対一ならギリギリ勝ちの目がある。しかし、複数ではまるで勝機はないと思えた。
「……勝つ方法はあるんですか?」
「そりゃ、場合によっては。相手が背中を向けて五秒待ってくれるとかね」
冗談のつもりでツヅリは言ったが、それは本心でもあった。
その条件が揃えば『勝てる』という確信はあった。
だが、当然それは現実的ではない。
ツヅリがうんうんと唸っていると、ティストルが厳しい顔を浮かべたまま、ツヅリの思いも依らない提案をした。
「……では、私が囮になりましょう」
唐突な声に、ツヅリは一瞬反応が出来なかった。
「な、なに言ってるの? あいつらの狙いはティスタなんだよ?」
「だからこそでしょう。私が出れば、彼らの気を引くことができます。それだけで五秒は無理でも、背中を向けさせることくらいなら、出来るはずです」
毅然とした態度を崩さず、ティストルは宣言した。
ツヅリも流石に閉口し、何も言えなくなる。確かにティストルの言う通り、狙われている張本人であるのだからこれ以上気を引ける相手はいない。
「危険、でしょうか? どうやら彼らは、私の命までは取るつもりはないようですが」
「……それは、そう、みたいだけど」
誘拐犯たちの挙動をみれば、どうにもティストルを殺そうとしているわけではない。
それにティストルさえ確保できたら、恐らく相手はツヅリなど気にもしないだろう。
(……最悪、ティスタが捕らわれても、取り戻せれば……いや)
ツヅリは頭を回しはじめる。自分やティストルの実力だけでなく、身柄そのものを考慮に入れた作戦。最終的に目的が達せられれば、それで文句は誰も言わない。
そして、相手の裏をかくような作戦には、多少の危険は付きものだ。ティストルは殺されないのなら、彼女の安全確保の優先順位は、下がる。
「……そうか。試してみる価値はあるかも」
ツヅリはうんうんと頷き、ティストルの顔をじっと見つめた。
「ティスタ。良い作戦を思いついたから、乗ってくれる?」
「もちろんです」
「ありがとう。じゃ、その前に準備をさせてね」
ティストルの即答にツヅリは素直に謝意を述べ、準備を始めることにした。
腰から銃を抜き、ポーチから銃弾を取り出す。取り出したのは『テイラ』を初めとした四種類の弾丸だ。
特に『テイラ』弾は、通常のものよりも色鮮やかな、特別製だ。
「ツヅリさんは『テイラ』属性を得意としているんですか?」
「え? あ、あー。そうか、そう見えるよね」
ティストルが今まで見てきたツヅリの使用属性は、全てが土──『テイラ』属性だった。傍から見れば、彼女がテイラを得意としていると考えるのは妥当だろう。
「私、一番『テイラ』が苦手なんだよね」
「ぇ? ではなぜ先程から『テイラ』を?」
その疑問も当然だ。ティストルは『瑠璃色の空』に護衛を頼んでから、バーテンダーのこともある程度勉強した。そして学んだことがある。
バーテンダーはその場に合わせて臨機応変に属性を使い分ける。
それは、一つの属性を極めることに人生を費やす、魔術師とは真逆の考え方だ。
であるならば、わざわざ苦手な属性に拘る必要はないと思えた。自身の得意な属性でもその場を切り抜ける方法は探せるはずだ。
「……まぁ、もの凄く簡単に言えば、バーテンダーを極めたいから?」
「……『テイラ』を扱うことが、極めることに繋がるというんですか?」
「『常に複数の選択肢を用意し、最善を選ぶ』っていうのが、バーテンダーの理想なんだ。でも、苦手だからって『テイラ』を避けてたら、『最善』なんて選べないでしょ?」
それもお師匠の受け売りだけどね、とツヅリは繋げた。
「だから、『楽な代替案』じゃなくて『可能な最善案』を常に模索しないといけない。そしてさっきの状況だったら、それがたまたま『テイラ』だった。そういうこと」
囲まれた際も、足止めの際も、そこに複数の選択肢はあった。
だが、逃げるという前提で考えたとき、最善手がたまたま『テイラ』だっただけだ。
ここで戦うことになると考えていたら、また結果は変わったかもしれない。
「っと、話は後で。無事にここを切り抜けたら、続きを話そう?」
無駄話が過ぎたと、ツヅリは慌ててカクテルの準備を再開した。ポーチから出して時間の経ってしまった弾丸を入れ替えて、同じものをもう一度取り出す。
それらをシリンダーに込め、宣言する。
「基本属性『テイラ30ml』、付加属性『クレームドミントグリーン15ml』『ライム15ml』『アイス』、系統『シェイク』」
宣言を済ませ、ツヅリはシェイクの姿勢へと入る。
手首を滑らかに、音は軽やかに、中で弾ける魔力をより美しく。
ここ数ヶ月。ツヅリはギリギリの状態でシェイクをする機会が何度かあった。その時は必死で覚えていないが、後になってみれば、必ず自分は成長していた。
より早く、より上手く、より効率良く。
そして成長し続けてきたツヅリは、扱うのを苦手としていた『テイラ』属性のシェイクにまで、手を伸ばしていた。
ゆっくりと丁寧にシェイクを終えれば、今か今かと発動を待つ音がする。
「それは?」
ティストルは出来あがったと思しき魔法に興味を持って尋ねる。
だが、ツヅリはその質問にはあえて答えずに、その銃口を、ティストルへと向けた。
「え?」
急に銃を向けられ、戸惑いの声しか発せられないティストルに、ツヅリは躊躇い無く引き金を引いた。
「【モッキンバード】」
銃口から放たれた黄色い光弾は、遮るものもなくティストルへと吸い込まれた。
「たぶん、これが最善だと思うから」
ツヅリは静かな声で言った。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
あけましておめでとうございます。
すごく中途半端な所で止まっていました、すみません。
今日からまた一日おきで三章完結まで行く予定です。
よろしくお願いします。
※0107 表現を少し修正しました。