責任の所在
ちょっと長くなりました……
「収穫は、ナシですね」
ツヅリのぼんやりとした一言。
一通り通学路を探ってみたところで、既に日は落ちていた。夕闇よりもなお暗い空が世界を覆いかけていて、もうすぐ完全に夜が訪れる時間だ。
結論としては、その日一日の調査ではめぼしいものは何も見つからなかった。ツヅリとティストルは消沈した顔でソウ達と合流した。
ソウ達からしても、二人を付け狙っているような怪しい人影は見つからずじまいだ。
「……申し訳ありません」
ツヅリに続いて、ティストルも沈んだ顔で言う。
「ていっ」
「いたっ!」
ソウから少し強めのデコピンを食らって、ティストルは声をあげた。
「だからなぁ、その謝る癖を止めろ。一日二日で進展があるなんて思っちゃいねぇよ」
「ですが」
ティストルは少し食い下がった。そもそも、彼女が今日やった事と言えば、ツヅリと一緒に街を満喫しただけなのだ。
雑貨を見たり、本を眺めたり、洋服を愛でたり、屋台で買い食いをしたり。
調査とは到底思えないことに、時間を費やしてしまった。
終わってみれば、それがとても申し訳なく、ティストルの心にのしかかっていた。
そのティストルの苦い表情を半眼で見つめ、ソウはふと軽い口調で尋ねた。
「じゃあ質問するが、今日は楽しかったか?」
「はい?」
ソウの突飛な質問に、ティストルは首を傾げた。
「お前の今の気持ちは置いといて、今日は楽しかったかと聞いたんだ」
「それは……」
ティストルはもう一度、今日の自分を思い返してみる。
罪悪感を抜きにしてみれば。いや、むしろ罪悪感を感じているということ事態が、自分が今日を楽しんでしまっていた証とも思えた。
「……確かに、今日は、その、楽しかったです」
「ほんと! 良かった!」
ティストルの言葉に、少し不安そうに見つめていたツヅリが声をあげて詰め寄った。
それに少し動揺しながら、ティストルは頷く。
「う、うん。私はこういう風に誰かとその、遊んだりとか、無かったですから。だから、とても楽しかった、と思います」
「私もだよー! 良かった。本当は迷惑なんじゃって心配しててさ」
「そんなわけ! ただ、その、慣れてなかっただけで」
ティストルが照れて下を向く。その様子にほっとしたツヅリは、そこでようやくソウに見られていると気づいた。
「……あ、お師匠、話の腰折ってすみません」
「……いや、まあいいさ」
ソウはふっと息を吐いて、ティストルへ言葉を続けた。
「まぁ、今日楽しかったなら良い」
「……何故ですか? 調査のことを忘れて……時間を無駄にしてしまったのに……」
「そういう目線で見ないと、見えてこないものもあるからな」
「!」
ソウの言葉に、ティストルははっとした表情を浮かべてツヅリを見た。その一言は、調査中にツヅリが言ったことを思い出させた。
『目の前のことしか見えなくなっていると、必ず大切なものを見落とすって』
ツヅリは少し得意気に、ピースサインを返す。
その様子に、傍観を決め込んでいたフィアールカが口を挟んだ。
「惜しむらくは、私が蚊帳の外で、お二人だけで楽しんでいた点でしょうか」
その、ほんの少し拗ねたような言葉に、ツヅリは苦笑いを浮かべて言った。
「あはは、じゃあこれが終わったら、フィアも一緒に、遊ぶ?」
「是非お願いしますね」
「うん、約束するよ」
これが終わったら。
つまりはこの事件が解決したら。
自然と先を見据えたツヅリの一言は、自然とその場の空気に溶けていった。
「今日はこの辺りにしておく。フィアとツヅリは先に帰れ。俺はティスタを送っていくから」
「えぇ? なんでお師匠一人でなんですか?」
ソウの言葉に、ツヅリが露骨に反応し、訝しげに目を細めた。
今日一日、ティストルと仲良くしていたツヅリは、そこで自分が外される理由が分からなかった。
「暗くなる前に家に帰れって言ってんだよ。今お前が帰らないと、その後にお前まで送ってかないといけなくなるだろ」
そのもっともらしい言い分に、ツヅリは何も言い返せなくなった。
少し前だったら、ソウはそんなことを気にもかけていなかった。酔っぱらった師が大通りまでしか送ってくれないこともざらだった。
だが、誘拐事件が起こっている今だからか、ソウは最近、ツヅリの一人歩きに変に気を掛けるきらいがあるのだ。
まるで、ツヅリが何かに巻き込まれるのを恐れているかのように。
「……分かりましたけど、ティスタに何か変なことしたら、絶対に許しませんからね」
「しねえよバカ」
「女は襲う方が得意とか言ってた人は信用なりません」
「成人過ぎてんのに、ことあるごとにお漏らしする奴のが信用ならねぇけどな」
「さ、最近はしてませんから!!」
ソウの冷めた目つきに、ついかっとなって反論してから、ツヅリは顔を真っ赤にした。
周りをキョロキョロと見てみるが、フィアールカは意味ありげに微笑み、ティストルは不器用に目を逸らしている。
「してない! 本当にしてないからね!」
「ああ、ここ三ヶ月はな」
「三ヶ月前にしたみたいな含みを持たせるのはやめてください!」
しかし、ツヅリにはその言葉がまったく否定できない。なぜならば、魔獣との戦いにて命の危険を感じて絶望したときに、無意識に失禁した事実があるからだ。
目をグルグルと回しながら、必死に否定を重ねるツヅリの肩を、ポンとフィアールカは優しく叩く。
「いいのよツヅリさん。あなたのような可愛らしい少女の失禁には、一定の需要が」
「嬉しくないよ! というか求められても困りますから!」
ツヅリは半泣きになってソウを睨んだ。
「もう知りません! お師匠のアホ! バカ! 変態! また明日!」
その捨て台詞を残して、ツヅリは駆け出す。
「おう、また明日な」
ソウはその背中にのんびりと手を振って、残っているフィアールカにそっと寄る。
そして、ティストルには聞こえないよう、小声でフィアールカに頼んだ。
「じゃあフィア。適当にフォローしといてくれ」
「まったく。ツヅリさんを遠ざけるつもりなら、もっとやりようがあるでしょうに」
「トドメ刺したやつに言われたくねぇよ」
フィアールカはふわりと舞うように、ソウとティストルの前に出ると、可憐に礼をして別れの言葉を告げた。
「それでは、私も失礼します」
そして振り返り、ツヅリを追いかけるように少し足早に去っていった。
「……じゃあ、帰るか」
「え、ええ」
残されたティストルは、ソウと二人きりという状況に少し緊張する。対するソウはピンと人差し指を伸ばして、楽しげに言った。
「言い忘れてたが、デコピンルールは継続だからな」
「……気を付けます」
ティストルは、おでこを隠すようにしながら、少し怯えた目で答えた。
「あの、ソウさん」
ポツポツと取り付けられた街灯が、道を照らしはじめる暗い道。
いつとは言わぬ会話の切れ目で、か弱い光のような声でティストルがソウに尋ねる。
「ん?」
「本当に良かったのですか? あんなことで、何か手がかりが見つかるのですか?」
「さあな。見つかるかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
「そんな無責任な!」
ソウの適当な返事に、ティストルは少し苛立ち声を上げた。
「手がかりが何もないんだぜ? あてもなく、誘拐犯を探そうなんて時間の無駄だ」
だから魔術師の自然な目線でもって、街を見て周り、ついでに楽しんだほうが有意義な時間の使い方だ。
ソウの意見はそんなところだが、ティストルはそれを少し違う風に捉えた。
「……あなたも、私のやっていることが、無駄だと思うのですか?」
その声は、震えていた。
所在のない、どうしようもない心細さが、節々から感じられた。
否定されるのが怖い、だが、否定されるに決まっている。
ソウが何を言うでもなく、すでに少女のそんな気持ちが見透かせるようだった。
「……素の俺が答えるのと、バーテンダーの俺が答えるの、どっちがいい?」
「……できれば、忌憚の無い意見で」
「じゃあ言わせて貰うが、無駄に決まってんだろ」
ソウは断言した。その言葉を正面から受けて、ティストルは表情を消した。
「……やはり、そうですか」
「ああ。行動を起こしてる張本人である、お前が無駄だと思ってんだからな」
「え」
ソウの物言いが想定とは違う方向に逸れて、ティストルは驚き立ち止まる。
少女に合わせてソウも足を止め、戸惑う彼女へ言った。
「お前、魔道院でなんか言われてるんだろ? そんな無駄なことはやめて、早く修行に戻れとか、そういうこと」
「…………」
「やっぱりか」
ソウは今日の夕刻に出会った教師のことを思い出す。彼はどう見てもティストルの行動を歓迎してはいなかった。止めさせたがっていた。
そして、そうである人間が他にも大勢いることは想像するまでもない。
もともとそういう方向性でまとまりかけていた所で、強引にこの少女が調査を続行しているのだから。
「素直な良い子でいたいなら、そうすればいい。お利口さんだったら分かりきってることだぞ。自分以外の誰かが解決してくれるなんて」
「……そうです。それは、分かっています」
「それなのに行動を起こしたのはお前だろ。そのお前が迷ってんだったら、その行動の正当性はどうなる? そんな奴に聞かれたら、無駄って答えるしかないだろ」
ソウはため息混じりに言い切った。
「……その言い方ではまるで、私の気持ち次第、と言っているような気がします」
「そう言ってる。何故なら俺は雇われだからな。最悪、俺たちより先に誰かが誘拐犯を見つけたって良いと思ってる。俺の任務はあくまで『補佐』と『護衛』だ」
「私の無事が、あなたの一番だと、言いたいのですね」
ソウはその言葉に頷く。
少女は、その反応に鈍く笑った。まだ色々と思う所があるのは分かった。
ソウは自分からも質問をしてみることにした。
「じゃあ逆に聞くが、ティスタはなんでこの調査を続けている?」
「……以前にもお話しましたが、一度引き受けたことを完遂するのは義務として──」
「それならなんで、最初に調査なんて始めたんだよ?」
ソウは少女の動機を知りたかった。
少女がそうまでして自分を追い込んで、悩みながらも調査を続ける理由はなんなのか。
ティストルは声を潜めて、静かに答えた。
「……友人達が困っていたんです。魔道院側からは注意程度ですが、家の方からははっきりと外出を制限されていると。厳しい門限が科せられて満足に遊ぶこともできないと。それならば、彼女達の為に事件を解決してあげたい。そう思ったんです」
ソウは続きを待ったが、少女の動機はそれで終わりのようだった。
その答えは、ソウにはとても気に入らなかった。
「なるほど。どうりで頑なな割には芯がぶれてるわけだ。その理由に『お前』は関係ないんだからな」
言われるまでもなく、それはティストルにも分かっていたことだった。
「ですが、何かおかしいですか? 人が困っているなら、それをなんとかしたいと思うことは間違っているんですか?」
「間違っちゃいないさ。ただし、それほど正しくもないだろうがな」
「どうしてですか!」
やんわりとした否定に、思わずティストルは声を上げていた。
「他人のために何かをしたいと思うのは変ですか!? あなたもやはり、こんな事件は忘れて魔法の修行をすればいいと? それが魔術師のあり方だと言うのですか?」
少女は犬歯をむき出しにする勢いで捲し立てた。
ソウは涼しい顔で少女を見て、それから言う。
「人のためとか言い訳すんなよ。頑なになって周りに尽くすのは美徳だけどな、そのうちそれだけじゃいられなくなるぞ」
言い訳。
ティストルはソウの言葉がひどく胸につかえた。
「どういう、意味ですか?」
「周りに尽くすのが当たり前の人間は、そのうち周りに使われるのが当たり前の人間になるんだよ。そうなったとき、お前は責任が取れるのか?」
「……責任もなにも、それが私の生きる道なら私は受け入れ──」
「お前のことじゃねーよ。他人に押し付けるのに疑問を持たなくなっちまった周りの人間の、責任を取れんのかって言ってんだよ」
ソウの目には、怒りにも似た、どこか暗い感情が見えた。
ティストルは初めて、ソウがいったい何に苛立っているのか、気づいた気がした。
鈍器で頭を殴られた気分だった。
人のため、という行動が、人の害になる可能性など、それまで頭になかった。
「お前が進んで人のために行動する、これは間違いなんかじゃない。だけどな、他人がやるべき事までお前がやっちまったら、それは違うだろ」
「…………確かに、そう、ですね」
「もし、それで自分がやるべき事すら誰かに押し付ける人間になっちまったら、お前の行動は間違いだった、ってことになる。分かるな?」
「…………」
ティストルははっきりと消沈していた。
自分の今までの行いを、たかが数分で否定された。
心の内は決して穏やかではなく、さりとてどこかに吐き出せるほど荒れてもいない。
ただ、黒くて重い塊が腹の中に沈んでいるようだった。
「……さっき聞いたな。今日は楽しかったか? って」
「え?」
ソウは不意に優しげな声でティストルに語りかけた。
「それでお前は楽しかったって言った。そうだな?」
「……はい」
「それが、お前が行動を起こすべき動機だ」
「……はい?」
途端に話題が転がった気がして、ティストルは目を丸くする。しかしソウは、その少女の困惑を楽しむように、にやりと笑みを浮かべていった。
「今日の楽しさが、周りの連中が欲しいもので、お前が守りたいものだ。そして、それが奪われているのが現状だ。魔道院側はそんなの知ったことじゃない。なぜなら奴らは優秀な魔導士が出来ればそれで良いんだからな」
魔道院側を悪し様に語りながら、ソウは少し目線をティストルに近づけた。
「しかし、ティストル・グレイスノアは思うわけだ。この楽しさを分かってくれない魔道院に任せてはおけない。私は自分のため、そしてちょっとは他人のために、この状態をなんとかしてみせる。ほら、シンプルになった」
「そんな自分勝手な……」
「動機なんてそんなもんだ。そして、そのほうが真っ直ぐで、やりやすい」
にっかりと人好きのする笑みを浮かべ、ソウはティストルの目を見つめた。
その目には戸惑いのほかに、希望のような前向きさが瞬いていた。
「……ソウさんは、そのつもりで今日?」
「さてな」
「……そうですね。あなたはきっと、そういう人なんですね」
ティストルの顔からは、今日一日わだかまっていた緊張が溶け出していた。
ソウはそれに満足げに頷き、言った。
「それで、お前がやるべきこと、ヒントを出しておいてやろうか?」
「……はい。お願いします」
「お前の友人どもを使え。別に危険な目に合わせなくて良いから情報を集めさせろ。困ってる連中に発破をかけとけ。てめえも動けってな」
その後にソウはテキパキと、具体的な指示を出していく。知りたい情報、気になるところ、直接接触できるティストルにこそ、やって欲しい様々。
それらを聞いて熱心に頷いていたティストルは、ふと弱気に言った。
「……でも、私にできるでしょうか?」
「できる。だからやれ」
「うっ」
ソウは手の形をデコピンのそれにして、陰険に目を細めた。
「最悪、色仕掛けでもなんでも使え。お前のその無駄にデカい乳でも押し付けりゃ、男なんてなんでも言う事聞くぞ」
「!?」
唐突なセクハラを受けて、ティストルは胸を押さえながらバッと距離を取った。
目を丸くして、顔を真っ赤にして、それでも嫌悪よりは戸惑いの表情を浮かべている。
その初心な反応に、ソウは面白そうに笑った。
「だはは! そうなりたくないなら真面目にやることだな。そうだ、ここ何日で情報を得られなかったら、バツとしてその胸揉むからな。今決めた」
ティストルはさらに後ずさり、怯えた目で縋るように言った。
「わ、私も少しだけ分かってきましたよ。じょ、冗談ですよね?」
「冗談になるかどうかは、お前次第だ。分かったな?」
ティストルはぶんぶんと首を縦に振る。その必死さにソウはまた笑いを堪え切れない。ティストルは、自分が存分にからかわれていたのだと気づいた。
羞恥に顔を俯け、うぅ、とくぐもった声を出すティストル。
ソウはうむ、と頷いてにこりとした笑みを浮かべ、ティストルに近寄る。
そして、彼女の頭をポンポンと軽く叩いて、言った。
「じゃ、頑張れ」
その動作に、ティストルは覚えがあった。
「……これって、なんでしたっけ、おまじないですよね?」
ソウは少し考えて、誘拐犯に襲われたときの話だと思い至った。
「ん? そうそう、不安を吹き飛ばすおまじないだ」
「……そうでしたっけ?」
「違ったか? まあいい、頭が軽くなるだろ?」
ソウの適当な行動に少し眉をひそめるティストル。
だが、ソウの言うように、そのおまじないに励まされている気が確かにしたのだった。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
少し遅くなりました。
あともう少ししたら、ようやくカクテルの出番が来るかと思います。
広い心でお待ちいただけると幸いです。
※0119 誤字修正しました。