『瑠璃色の空』への依頼
誘拐犯扱いから数日後のことである。
ソウが『瑠璃色の空』本部のソファに座ってダラダラとしていると、
「お師匠! どうしうことおだうあ!?」
来客対応のために玄関へと向かっていたはずのツヅリが、戻ってくるなり言葉もままならない勢いでソウに食って掛かった。
「落ち着け、言葉になってない」
「ど、どういうことですか!」
「なにが?」
「お師匠と一晩を過ごしたって方が、責任をとって欲しいとか来てるんですけど!」
「……………………は?」
ソウはたっぷりと時間をかけ、その一言だけを呟いたあとにさっと顔を蒼くした。
そして、コツコツと額を叩いた後に、ぼそりと言う。
「……そうだ……記憶にないから帰ってもらえ」
「このクズ! 良いから来て下さい!」
ツヅリは上気した頭で精一杯感情を抑えながら、ソウを玄関まで引き摺っていく。
「待てツヅリ。相手はどんな女だ? 金髪か? 色白か? あ、それとも──」
「心当たりあるんなら、なおの事早く来て下さいこのゴミクズ!」
抵抗もむなしくズルズルと玄関までやってきた二人。
その場にいた少女を見て、ソウはガクッと肩を落とした。
「…………なんだ、お前かティスタ」
「え、はい。そうですが……いけなかったですか?」
ソウのあまりの脱力ぶりに、ティストルはきょとんと目をしばたたかせた。
「『責任とれ』とか、誰に習った?」
「えっとリナリア先生にです。大体の男は飛び出してくるだろうと」
「……へー。エキセントリックな先生だな」
邪気のない笑みを浮かべて答えたティストル。ソウはその場には居ない女に対して、恨めしい目を浮かべつつ唸った。
「ってなに和やかに話してるんですか! お師匠ちゃんと事情を説明してください!」
自分が置いてけぼりになっているその状況に、ツヅリが吠えた。
それからツヅリとティストルは、お互いに軽く自己紹介をした。
ティストルとソウの間になんら『問題』が無かったと聞いたとき、ツヅリは大袈裟なほどに安堵の息を吐いていた。
そして話題は、ティストルがなぜ『瑠璃色の空』を訪れたのかへと移る。
「ということは、正式な魔道院側からの要請ってことか」
「はい。リナリア先生が掛け合ってくれたのもあったようで」
「……そうか」
ティストルが姿を見せたのは、直接、依頼に関する挨拶をしたかったかららしい。
あの一件について、彼女はリナリアに相談した。その後に、リナリアの力添えもあって上にかけあった結果、より深刻な問題として魔道院側も処理することに決まったらしい。
それでティストルの役目も終わりと考えた魔道院側だったのだが、彼女は手を引くのを拒否した。一度引き受けた役目を降りるつもりはないと。
彼女の強硬な態度とは裏腹に、魔道院側はあまり学徒を危険に晒したくないと考えたのだろう。危険を理由になんとかティストルを退かせようとした。
そこに口を出したのも、また、リナリアであったらしい。
彼女は、ティストルに護衛を付けて彼女に自由に行動をさせてみたら良いと提案した。それでティストルに危害が及ばないのなら、と魔道院側もしぶしぶ了承した形だという。
その護衛役として白羽の矢が立ったのが、『瑠璃色の空』ということだった。
「……お師匠。『学徒行方不明事件』とか、私そもそも初耳なんですが」
「そうだな。こういう時に初動が遅れると致命的だから、常日頃から情報は集めとけっていう教訓だな」
「……はぁ」
師の説明不足には素直に文句を言うツヅリだが、今回ばかりは何も言えなかった。
「しかし、魔道院がよくバーテンダーに協力を要請したな。バーテンダー嫌いの巣窟みたいな所だろうに」
「そうですか? 会ってもいないのに相手を嫌う理由は無いと思いますが」
「……ティスタ。お前よく天然とか言われるだろ」
「え、はい。よくご存知ですね。全然そんなこと無いと思うのですが」
皮肉で言ってみたソウに対して、ティストルは無邪気に返答してみせた。
「それでお前、本当に調査を続けるつもりか?」
「当然そのつもりです」
「……はっきり言えば、ウチ程度じゃあ、力不足だぞ」
先日の誘拐犯達の実力を思い出しながらソウは断言した。
「お前がどう報告したのか知らないが、あの実力の六人ってのは相当だ。うちみたいな駆け出しのBランクには荷が重い」
ソウは正しく相手の実力を鑑みて断言した。
それくらいあの六人は実力があった。こちらが先に気づいて準備をしていたから逃走も容易かったが、強硬に実力行使をされていたらその限りではない。
そうでなくとも『瑠璃色の空』には人員が足りてない。この依頼の報酬がどの程度かは分からないが、労力と結果が見合わない可能性も高い。
「正式な書類が届いたとしても、恐らくウチでは無理って結論になるだろう」
「……そうですか」
ソウの率直な意見に、ティストルは分かりやす過ぎるほどに肩を落とした。
状況を最も理解していないツヅリだが、それを見て思わずソウに言った。
「お師匠。なにもそんな決めつけなくても……何か方法が」
「無いとは言い切らない」
「だったら!」
「だが、常道じゃ無理なのは変わらない。そんな困難な依頼は俺じゃなく、アサリナの方が通さないだろう」
アサリナの名前が出て、ツヅリも言葉に詰まった。
『瑠璃色の空』におけるアサリナは、実質的に依頼の窓口だ。このバーテンダー協会の実力を熟知しているのは彼女であるし、能力の及ばない依頼を受けることはそうそうない。
また、情報の不足などで誤った依頼を受けることがあっても、常に人員の安全を考えて撤退するだけの決断力もある。
『瑠璃色の空』が短時間で実力を付けていった要因に、彼女の判断力はかかせない。
ソウが思ったことは、アサリナが思わないはずはないのだ。
「だからティスタ。護衛を頼むならせめて──」
ソウがきっぱりと断ろうとしたときだった。
『瑠璃色の空』の玄関をバタンと勢い良く開けた人物が、ドタドタとソウ達の居るリビングへと走ってきた。
そして、バタンと扉を開け放つ。眼鏡をかけたつり目の女性がそこに佇んでいた。
彼女こそが、先程まで話題に出ていた『瑠璃色の空』の秘書兼総務、アサリナである。
だが、なぜそこにいるのかが分からない。ソウの記憶が正しければ、フリージアとクフェアの散歩に『無理やり』付いていったはずなのだが。
「ソウ! ちょっと詳しく聞かせてもらうわよ! この護衛任務について!」
彼女はどこから持ってきたのか、魔道院の判子の入った質の良さそうな書類を手にソウに詰め寄ってくる。
ソウは理解した。散歩のついでにバーテンダー協会総合支部にでも顔を出し、護衛任務のことを耳に入れたのだろう。
「あー、それがいろいろあってだな」
「じゃあ簡単な説明でいいから!」
考える時間を許さぬアサリアの剣幕に、少し怯みながら、ソウも覚悟を決める。
アサリナは『どんな安請け合いをしたら、こんなふざけた任務に名指しされるのか』と、怒鳴るのだろう。ソウがしたのは、それに毅然と言い返す覚悟だ。
アサリナは興奮で顔を真っ赤にしながら言った。
「どうやって、こんな破格の条件の護衛任務を取ってきたの!?」
「その護衛任務は手違いで──は? 破格?」
ソウの想定とアサリナの言葉が食い違い、思わず間抜けな声を出してしまった。
だが、それだけおかしなことだ。アサリナが護衛任務の面倒さと、それに反比例する報酬のしょぼさを知らないはずがない。
「なに言ってんだ? たかが一人の女生徒の護衛任務だぞ? 銀貨十枚も貰えれば良い方の木っ端任務──」
「この依頼の報酬は金貨二十枚なのよ!?」
「はぁああああああああああああ!?」
思わずソウは書類をひったくって、その条文に目を通した。
『ティストル・グレイスノアの調査の補助、及び身辺の警護を依頼します。くれぐれも彼女に危害が及ぶことのないように』
要約すると、本当にそれだけしか書いていない。
だが、差出人というか、依頼の名義が少し気になった。
シャルト魔道院から、ではない。魔道院の最高魔導士である『アフェランドラ・スクアロサ』個人から、ということになっているのだ。
ソウはもしやと思ってティストルに尋ねた。
「ティスタ。お前、シャルト魔道院の最高魔導士と懇意なのか?」
「は、はい。母の代からお世話になっていたようで、アフェランドラ様には良くして貰っていますが」
それでソウはこの一連の流れに合点がいった。
どうにもシャルト魔道院側がティストルに甘すぎると思っていたのだが、なんのことはない。トップの人間が甘かっただけなのだ。
会ったこともないが、このアフェランドラという人物はそれなりに懐も広いらしい。
バーテンダーへの協力も気にせず、むしろ破格の報酬を提示するくらいなのだから。
「ソウ。まさか断るなんて言わないわよね?」
ソウの思考の間隔を読むようなタイミングで、アサリナが血走った目で言った。
「待て。冷静になれ。実はこの依頼には穴があるんだ。その敵になる連中がちょっとワケ有りでな。ウチの人員で護衛するには能力が……」
「金貨二十枚なのよ? 多少の無茶は承知の上。アンタが死に物狂いでやればどうにかなるでしょ?」
「俺をなんだと思ってんだ? 良いから落ち着け。まずゆっくりと『瑠璃色の空』の状況を思い出せ」
「ええ良く知っているわ。Bランクになってからずっと金欠続きなの。誰かがクフェアを拾ってきたりして更に加速しているの。こんな大口を逃すわけにはいかないの」
アサリナの目は相変わらず血走っている。それでいて、その瞳に狂気など宿っていない。本気で言っているのだ。『瑠璃色の空』の財政は、ヤバいと。
その資金不足に少しの心当たりがあるソウは、うっと喉を詰まらせる。
ソウは以前、任務に必要だとして『瑠璃色の空』の名義で、馬鹿に高い『偽剣・龍殺し』を購入した。
経費で落ちなかった。
ドラゴンの撃退は、公には『練金の泉』の手柄ということになっていて、『瑠璃色の空』の立場は、あくまでも情報提供者ということになっている。
『瑠璃色の空』は『偽剣・龍殺し』が必要だったとは認められずに、むしろその用途を怪しまれる形になった。アサリナももちろん訝しんでいる。
事情説明のためにアサリナがかけずり回り、ようやく落ち着いた頃合いなのだ。
ここ一ヶ月はアサリナの不在ゆえ、町民からの軽い仕事ばかり請け負っていた。資金はゆるやかに下降の一途を辿っていたりもしたのだ。
「だから、受けるわよね? 誰のせいか分かってるものね? 命に代えても任務を遂行してくれるわよね?」
がしっと肩を掴み、ぐいっと顔を寄せ、アサリナはソウに言う。その瞳には金貨しか見えていない。
ソウはその勢いに負けそうになるが、それでも残った理性で言った。
「冗談じゃねぇぞ。割に──は合うかもしれないが俺の疲労が割に合わない」
「『瑠璃色の空』のためには死ねないっていうの!?」
「死ねるわけあるかボケ!」
フーフーと息を吐きつつ、ソウとアサリナは睨み合う。
その二人のやり取りの勢いを見て、ツヅリは我関せずと少し距離を取る。
「がたがた言わないで、さっさと覚悟を決めなさいよ!」
「なんで受ける前提なんだよ? だいたい、本当に人手不足なんだ。お前は知らないかもしれないが、敵は相当に手練なんだ。それこそSランクくらいの人間の手でも借りないと、とてもじゃないが回らな──」
なんとかアサリナを説得しようというときだった。
まるで見計らったようなタイミングで、リリリと音がした。
『コールビジョン』という、遠距離連絡用の『機械』の受信音だ。
ソウは嫌な予感がした。
自分の口走った言葉が気がかりだった。
『それこそSランクくらいの人間の手でも借りないと』
ソウは周囲を見る。
ツヅリあたりは、同じ可能性を考えているようだった。
ソウは、なおも鳴り続けているベルの音に向かって歩いていく。
恐る恐る受信ボタンを押した。
『ごきげんよう。ソウ様。あなたのフィアです』
画面の向こう側。恐ろしく整った容姿の美少女の笑顔がそこにはあった。
「ようフィア。まるで見ていたかのようなタイミングだな。流石だ」
『うふふ? お褒めに預かり光栄です』
きょとんとしつつも、少し嬉しそうに笑みを浮かべる銀髪の美少女。
だが、知っている人間は知っている。
彼女こそがSランク協会『練金の泉』に所属する、若き天才。
【氷結姫】──フィアールア・サフィーナだということを。
※1215 誤字修正しました。