裏路地の戦い
魔法に詠唱は付きものだ。
それは決して格好付けではないし、無視できるものでもない。
魔法を発動させるのに必要なものの一つは、想像力だ。イメージと言ってもいい。
魔力という無形の力の塊に明確な姿を与えるため、魔術師は呪文を唱え、魔力を捏ね、形を定義する。より強く、より大きく、そしてより正確に。
詠唱とは魔法の完成形をイメージするための手段の一つ。
自分の口からでる言葉をキーとして、魔法をより意識するためのものだ。
バーテンダーといえどそれは例外ではない。バーテンダーは魔法に自身の魔力をほとんど使わない代わりに、正確なイメージと繊細なコントロールが必要不可欠である。
材料を活性化させるために必要な、起爆剤となる魔力をどれだけ正確に送れるか。
送った魔力によって活性化した材料を、どれだけ効率よく混ぜ合わせるか。
その完成形を確としてイメージするために、バーテンダーは『宣言』する。
弾丸に込められた力の『量』と、その混ぜ方──『系統』を言葉で頭に送る。
そのレシピに従う限り、完成度の違いはあれどバーテンダーは同じ魔法を扱える。
その画一化こそが、カクテルが汎用的であり、スタンダードレシピがある理由だ。
ただし、バーテンダーの作るカクテルに詠唱が存在しないわけではない。
宣言よりも正確に、湧き起こる力をイメージすることのできる言葉。
材料も系統も体の隅々までしみついたカクテルにのみ許される言葉。
一つのカクテルを極め、自身が作れる最高傑作に行き着いたとき。
その『魔法』は、切り札としてバーテンダーと運命を共にすることになる。
「はぁー。まじでどこにもねぇー」
落胆の色を隠そうともせず、ソウは顔をしかめる。
ストックの屋敷を出てから、彼は目についた店という店に片っ端から入っていた。
明日の準備。それなのに、どうしても見つからないものがあった。
見つからないとしても、彼自身が困るほどではない。今まで積んできた経験が、あらゆる問題に対する次善策を用意してくれる。
だが、最善策が取れないというのは、気持ちの良いものでもない。
バーテンダー協会の総合支部に顔を出せば、ヒントの一つでも見つかるだろうか、と。
ソウは足の向きを変え人気のない路地に入る。ショートカットでもするかのように。
「……っとに、めんどくせー」
口から出てきたのは、とても真面目なバーテンダーとは思えない言葉だ。
しかし当然だろう。もともと、ソウはこの依頼にそこまで乗り気ではなかった。
というより、ソウは基本的にどんな依頼にも乗り気ではないのだ。
「たかだが十人程度の協会の、窓際は辛いねぇ」
まるで家族のような付き合いである協会本部を思い出して、ひとりごちるソウ。
現在この王国で──いや、この世界において大きな力を持っているのは三つのバーテンダー協会だ。
一つは、『賢者の意思』
魔術の開発と研究によって神秘へ至ることを目的とする、最も歴史ある協会。
一つは、『練金の泉』
カクテルとバーテンダーを利用した金儲けを目的とする、最も巨大な協会。
一つは、『翼の魔術師団』
学校を作って広く技術を普及し、民の力になることを目的とする、最も人気ある協会。
それぞれがゆうに千を越すバーテンダーを懐に抱える、超巨大組織だ。
基本的にこの三つの協会が頂点に君臨し、その下に大小さまざまな協会があるのだが、ソウの所属するバーテンダー協会は、はっきり言って弱小もいいところだった。
「ほんと貧乏暇無しっての? ちょっとの暇さえあれば有能なつもりの秘書モドキが仕事を見つけてきやがる。それも最近は、足手まといみたいな弟子まで強引に付けられて、こんなど田舎で山の中の調査と来たもんだ。ブラックも良いところよ?」
ソウは、ツヅリが今ここに居たら激怒したであろう言葉を平然と零す。
だが、それで唐突に立ち止まると、振り向きながら激しい敵意を放った。
「なぁ、オタクらもそう思わない?」
「ッ……!」
暗がりからはっきりと、動揺が届く。
「ストーカーまで付いてくるなんて、どんな迷惑サービスだよ。聞いてねえっつの」
獰猛な笑みを軽薄な顔に張り付けながら、ソウは油断無く腰の銃に手を当てた。
「お話する気があんなら出てきてくんない? そこのお二人さん」
「…………」
数までを正確に把握されていることを知って、暗がりに溶けていた二人の男は姿を表した。男達は双方が暗色のマントを羽織り、黒い覆面をしている。といってもそれだけで昼間の暗闇に紛れられるわけがない。魔法を使っていたのだ。
特殊魔法【チャーリー・チャップリン】。
自身の気配を周りに悟らせないという効果の、それなりに高度なカクテルだ。
「……どうして気付いた?」
だからこそ、男達はソウに呼びかけられ、驚愕した。
この特殊な魔法は暗殺にこそ適している、対人用の魔法だ。それが、たかが弱小バーテンダー協会から派遣された程度の男に、見破られる筈がなかった。
「その魔法さぁ、気配消え過ぎなんだよ。例えば暗闇の中に、ぽっかりと闇があったらおかしいに決まってんだろ?」
「……なるほど」
覆面で口元は見えないが、確かに男達は薄く笑った。
そのまま彼我の距離は五メートルあるかないかで、話は続く。
「……単刀直入に言う。大人しくこの地を去れ。それならば命は取らない」
「ほーん。優しいじゃん。なんで?」
「……答える義理はない」
男達は一方的に言葉を切った後、マントの中から銃を取り出した。
ソウは冷静に、その動きの滑らかさを、男達の装備を観察する。
(カートリッジ、オレンジか)
それだけで相手の扱う魔法が完全に分かるわけではない。だが、一つの目安になる。
シリンダーの中の弾丸を頭に描きながら、ソウは二人に尋ねた。
「……ところでだ。あんたらは俺たちを狙っているのか、それともこの町を狙っているのか。そのくらいは教えてくれてもいいんじゃないか?」
「……知っても仕方のないことだ」
「それがそうでもないんだな」
常と変わらぬ軽口から出た言葉は、僅かに襲撃者たちの興味を引いた。
続きを促すような視線に、ソウは続ける。
「だって俺たち。まぁ、俺と弟子だが──この二人の目的は、知ってんだろ?」
「……ああ」
「ということは当然。俺たちが目的を果たしたらさっさとこの町を出て行くことも知っているよな?」
初耳だったのか、肯定の返事はない。ソウは頭の中で状況を整理しながら続ける。
「だから、もしあんたらがこの町を狙っていて、あの屋敷に何かしかけるつもりで俺たちが邪魔だってんなら……仕事が終わるまで待っててくれてもいいだろ? 俺は何も言わないし、あんたらの邪魔をするつもりもない。だから見逃してくれ」
「…………」
(まあ、そんなわけないだろうがな)
自分で言っておきながら、ソウはその可能性など欠片も考えていなかった。
この二人がソウとツヅリを狙っているのは明白だ。田舎町の一役人を暗殺する理由なんてそうそう無いだろうし、理由があったとしてもこれから機会はいくらでもある。
ソウが提案するまでもなく、二人が去るのを待った後で機会を窺うのが最善。屋敷に密告される危険がある関係者に、わざわざ接触する必要性は皆無だ。
当然そんなことは男達も分かっていて、だからこそ、言葉の意味を計りかねていた。
しかし、そうやって男達を迷わせること自体が、ソウの狙いであった。
ソウのやりたいことは、ただの時間稼ぎなのだから。
「……まあいい」
結局答えは見つからなかったようで、男達は今一度、突きつけた銃に力を込めた。
二人の意見が固まったのは見て分かったが、ソウはあえて挑発した。
「見逃してくれるのか?」
男二人は、返事の代わりに、口を開いた。
《《水獣の唄──》》
ボソリと呟かれた言葉は、一瞬だけソウの虚を突く。
眼の前の二人が、同時に『詠唱』によってカクテルを発動させようとしたのだ。
だが、瞬時に頭の中を切り替えた。焦る事無く自身のポーチから、銃弾とオレンジのカートリッジを取り出し、装填しながら叫ぶ。
「略式!」
その言葉は、ソウの頭の中を特殊な戦闘モードへと変更させる意識の鍵だ。
誰もが理解出来る『宣言』ではなく、自分にしか理解出来ない形式でレシピの『宣言』を行う、という意識の変換。
男二人はそれに構わず、詠唱を続けた。
《《──呼びかけ、応じ、破砕せよ》》
「『ウォッタ』『オレンジアップ』」
魔法の準備が終わったのは、ほぼ同時だった。
ソウの略式は、定式化のようなものだ。決められた順番、決められた記号、決められた材料で宣言することで、頭の中に通常の宣言と同じレシピを流し込む。
その式に当てはまるカクテルである限り、宣言の時間を限りなく短縮できる。
それこそ、簡単なカクテルであれば、後出しでも早さで負けることはない。
男達はソウの魔法発動の速度に目を張るが、所詮はそれまでと考えた。
いくら早くても邪魔はされない。完成した段階で二人分と一人分、どちらが強力であるかは自明の理だ。そう判断した。
男達は淡々と、ソウは少し早口で叫びながら、最後の宣言を行った。
《《【スクリュードライバー】》》
「【スクリュードライバー】!」
男達二人の魔法と、ソウの魔法は同時に発動した。
三本の銃から水の魔力が弾け、相手めがけて銃弾のごとき水色の礫が飛ぶ。
まず男二人の魔法が混ざり合い、より巨大な塊へと変貌を遂げた。
続いて、ソウと男達、それぞれの大小の塊が空中でぶつかり合った。
男達は、自分らの魔法が小さな塊を呑み込んで、眼の前の男へと襲い掛かると予想した。
だが、その予想はものの見事に打ち砕かれる。
ぶつかりあった二つの水の塊は、お互いを食い合うかのように一瞬肥大化し、その場で綺麗に四散して消え去った。
「なっ!?」
暗殺者達は、呆気に取られその様子を呆然と見る。それが致命的な時間のロスを生んだと気付いたのは、眼の前に居るソウが次弾を装填している姿を見たときだった。
男達の間抜け面を見つつ、ソウは凄まじい集中力で次の行動に出ている。
薬莢を取り除き、次弾を装填。込めるは『テイラ』『アイス』そして『シロップ』。オレンジのカートリッジは取り除かず、次のカクテルに流用する。
ソウの動きを見て、男達もほとんど遅れずに次の行動を開始した。
さっきは二人横列で並んでいたが、咄嗟に前と後ろ、縦列に並び替える。そして二人それぞれが、違う次弾を装填しはじめた。
その取り出された弾丸を、ソウは観察する。弾頭が見えれば『カクテル』が分かる。
手前の男。『ウォッタ』『アイス』のみ。狙うのはまた【スクリュードライバー】だ。
奥の男は、急いでオレンジのカートリッジを取り外す。すかさず出したのは、『テイラ』『ライム』『コアントロー』そして『アイス』。
範囲指定攻撃魔法。なおかつ、威力を意識した『シェイク』のカクテル。材料が足りないが、恐らく【マルガリータ】だ。
ソウは瞬時にそう判断した。
カクテルにも普通の魔法と大魔法のような区分がある。
すなわち、系統『ビルド』と系統『シェイク』。
『ビルド』は魔力を活性化した時点で発動する『基本魔法』だ。
一方の『シェイク』は混ざりにくい性質を持った魔力故に活性化だけでは足らない。だから己の手で物理的に混ぜ合わせる必要がある。時間のかかる『大魔法』というわけだ。
そして『ビルド』の魔法では『シェイク』の魔法に威力では敵わない。
それがカクテルの常識であった。
男達もまた瞬時に判断した。もしかしたらビルドではまた互角かもしれない、と。
故に、前の男が『ビルド』の魔法で牽制。さらにその身を盾とする。
後ろの男は『シェイク』の魔法でとどめ。前が崩れても確実にしとめる。
普通に考えれば、命すら省みないその行動は瞬時の判断でできるものではない。
長年の信頼関係と、徹底した合理主義が生み出した最適解だった。
ソウは二人の行動からそこまで相手の思考を読み切ると、その直後、男達へ向かって走り出していた。
《はっ! 水獣の唄──》
その突飛な行動は、手前の男の目にはソウの自暴自棄にしか映らなかった。
なぜならば、バーテンダーはカクテルの発動に極度の集中を要する。
送り込む魔力の量は、カクテルの完成度に直結し、多過ぎても少な過ぎてもカクテルは失敗する。少量の魔力で発動できるからこそ、カクテルに必要な魔力の操作は繊細だ。
動いていては普通、カクテルを作ることなど出来ないのだ。
そう、普通ならば。
「『テイラ』『シロップ1』『オレンジアップ』」
しかしソウは、その常識を覆すように、走りながら『宣言』を開始した。
暗殺者達はそれがハッタリだとしか考えない。先ほどの高速発動は驚かされたが、動きながら『宣言』ができる人間など──。
男の思考が追いつく前に、ソウの持つ銃が鈍く唸った。
ありえないはずの光景は、先ほどまで勝利を確信していた男達の詠唱を、思わず中断させる効果すらあった。それはほんの僅かな、致命的なタイムロス。
ソウの接近を、肉薄する距離まで許す程度の時間だった。
《っ! 呼びかけ、応じ、破砕せよ──》
「遅せえよ」
慌てて詠唱を再開した男の銃を、ソウは勢いのまま蹴り上げた。銃は空中へ舞い上がり、男の目がそちらに逸れる。その一瞬の隙を見逃さず、ソウは男の足を払い転倒させた。
そのまま男の腹を踏みつけて動きを止め、次の瞬間にはもう一人に狙いを定めていた。
「!?」
既に宣言を終え、シェイクの中ほどまで来ていた男だが、
「【アンバサダー】!」
動けないが故に、ソウの銃から放たれたカクテルに対応することは出来なかった。
放たれた土色の光弾は、ソウの狙い通りに男の足元に着弾。次の瞬間、男の立つ地面から巨大な岩の柱が飛び出した。柱は正確に男の銃を弾き、勢いを少しだけ緩めて、そのまま顎を打ち抜いた。その衝撃は、男の意識を刈り取るには充分だった。
それを確認した後、ソウは宙から落ちてくる銃を掴みとり、
「チェックメイトだ」
倒れている男の頭へと突きつけた。
先ほど男は、魔力の活性化は終えていた。
ソウが【スクリュードライバー】と唱えるだけで、男はこの世を去ることになる。
勝敗が決した瞬間だった。
ここまで読んで下さってありがとうございます。
この作品は、目安として毎日二十時に更新したいと思っています。
※0914 誤字修正しました。
※0915 誤字修正しました。