予期せぬ顔
「ここまでで、大丈夫です」
それから三十分ほど歩いて、シャルト魔道院の門の前でティストルは言った。
道は少し前から自然の中に切り開いたような様相に変わっており、魔道院前に至ってはぐるりと取り巻いた外周の更に外側は畑か森だ。
シャルト魔道院は、その広大な敷地を巨大な壁で覆っている。そこから見ただけでは、僅かに突き出している建物の上部や、塔程度しか見えるものはない。
そして目の前には堂々とした鉄製の門。どう見ても現在の時間では入り口とは呼べないだろう。
「閉まっているようだが、大丈夫か?」
「はい。ここではなく、少し行ったところに当直の先生が居る扉がありまして。事情を話せば入れて貰える筈です」
ティストルは外周の片方の道を指し示す。まだ何も見えてはいないが、言うのならばそうなのだろう。
「じゃあそこまで送る。どうせ乗りかかった船だからな」
「そんな、申しわ──迷惑では?」
「気にすんな」
少女が謝ろうとして、即座に言葉を言い換えたのに面白いものを感じつつ、ソウは強引に押し切った。
ちなみに、ここに至るまでにティストルがデコピンを食らった回数は十四回である。
「しかし、当直の先生ってことは、腕利きの魔術師なのか?」
「そうですね。人によって差はありますが、やはり先生方は一流の魔術師かと」
「ほー」
それは嫌な事を聞いた。と、ソウは頭の中だけで愚痴った。
単純に、魔術師とバーテンダーは仲が悪い。というより、魔術師のほうが強くバーテンダーを敵視している傾向にある。
魔術師はその才能でもって魔法を扱う人々だ。才能もないのに魔法を扱おうと志すバーテンダーを見下していることが多いのだ。
バーテンダーの素行が悪かったり、育ちが悪かったりするのもその一因であろう。
そういう意味では、バーテンダーにまったく色眼鏡をかけないティストルのほうが珍しいのだ。
「あ、でも今日はついてます。当直は確か、新任のリナリア先生ですので」
ソウの物思いを知らず、ティストルが少し弾んだ声で言った。
「どうしてだ?」
「生徒に甘い方なので、もしかしたら軽いお咎めで済む……かもしれないです」
「そいつは良い先生だな」
色々と咎められる毎日を送っているソウなので、そこは素直に共感した。
程なくして、正面にあった豪奢な門とは違う、小さくて質素な門が姿を見せた。
仄かに明かりが灯っており、壁をくりぬいたような受付の中に一人の女性が座っている。
年齢は二十代前半くらいだろう。赤みがかったブラウンの髪を短く後ろで縛り、眠たそうに頬杖をついている。年齢よりも若く見られるタイプに見えた。
ソウはその女性の顔を良く見ようとして目を細め、そして足が止まった。
「どうしたんですか?」
急に立ち止まったソウにティストルが声をかける。
「な、なんでもない。もう大丈夫だ。ここからは一人で行け」
「……? 確かに見咎められると面倒ですね」
「ああ、じゃあな、良い夢を」
ソウが小さく手を振ると、ティストルは少し不思議そうにしながらも素直に従った。
ティストルが先生のところまで歩いていく。ソウは静かに、声が聞こえるギリギリの場所にしゃがみ込んで身を潜める。
ややあって、ティストルと先生の会話が聞こえてきた。
「……こんばんは、リナリア先生」
「こんばんはティスタちゃん。どうしたのこんな時間に? 悪い男にひっかかった?」
「い、いえ。そういうわけでは」
「そうなの。まあ良いわ。暗いからすぐに入ってちょうだいね」
「は、はい。え、お咎めは?」
「良いの良いの。たまには息抜きも必要でしょうし、女の子に罪はないの」
「あ、ありがとうございます!」
「ふふ。それに先生、ちょっとあそこの陰に隠れてる『男』に用があるから」
話題に出された瞬間、ソウの背中に冷や汗がどっと吹き出した。
この瞬間に逃げるかどうか、選択を迷う。
だが、一時凌ぎにしかならないと判断して、ソウはその場で待つことにした。
ガチャリ。キィー。バタン。
扉の鍵が開き、そして閉まる音が聞こえる。
ソウが待っていると、ひたりひたりと近づいてくる気配があった。
「あら。こんな所に怪しい男がいますね。通報しましょうか」
「やめてくれ。なんだよ怒ってんのか、リナリア先生とやら」
月明かりが照らす夜空をバックに、嬉しいような、怒っているような、そんな複雑な表情を浮かべている女性を見上げた。
「生きていたなら、なんで連絡の一つも寄越さないんです? ソウ」
「いろいろあったんだよ、リナ」
リナと親しげに声をかけるソウ。
その声を受けて、リナリアはぐっと拳を握りしめ、言う。
「私にも、いろいろあるんですけど、一発殴られてくれます?」
「なんでだよ」
「五年も女を待たせといて、お咎めなしで済むと思ってるんですか?」
「さっきはお咎めなしで通してただろ」
「男は別です」
そう言って、リナリアは握りしめた拳をソウに向かって振り下ろした。
それはソウの胸に力無くぶつかり、へなりと彼女の体を震わせる。
「……本当に、生きてたなら、なんで。馬鹿」
「もう俺は『ソウヤ・クガイ』じゃない。ノコノコと帰れないだろ」
「知りません。そんな肩書きなんて、気にする性格じゃないくせに。クズ」
「悪かったよ。お前もいつの間に魔術師なんてなったんだ?」
「副業です。アホ」
「さっきから口が悪いなお前」
ソウが呆れると、リナリアはふいっと唇を尖らせた。
「五年も経てば、色々変わるんです。知ってるでしょう?」
「ああ、随分色々変わってるよ。王都も、状況もな」
ソウがふいにその顔に影を落とす。
かつて『英雄』と祭り上げられた男、『ソウヤ・クガイ』。
その【ダイキリ】は七つの蒼い火龍を呼び出すと言われ、『蒼龍』の異名を持つ。
だが、少数の人間は知っている。
その異名には連なるもう一つの名前があったのだということを。
「消されたんだな。『蒼龍』と並び称されていた『飛龍』の存在は」
ソウが寂しげに言うと、リナリアは言い難そうに喉を詰まらせた。
「だから。あなたも一緒に、いつまでも消えているつもりなんですか? 罪を犯したまま死んだ『飛龍』のために」
「……違うさ。俺は好きで消えたんだ」
二人はそれきり、黙る。
言いたいことはあっても、お互いにそれを言葉に上手く変換できない。
何より、お互いの立場の違いを理解しているからこそ、下手なことは言えないでいた。
「一つだけ聞かせてくれ」
再び口火を切ったのはソウだった。
「なんです?」
「ここで起きてる『学徒行方不明事件』。お前らはなんか噛んでるのか?」
「……基本的には、ノータッチです」
その返答に少しの安堵を得て、ソウは言う。
「じゃあ、お前がここに居るのは別の目的か」
「…………」
「答えなくてもいい。俺は部外者だからな」
シャルト魔道院。そこには様々な秘密がある。
その中でも最も大きい秘密。『シャルトリューズ草』の秘話。
想像には難くないところだった。
リナリアは先程までの親しみを浮かべた表情を改めて、キリっとした目つきで言った。
「分かっていると思いますが、私とあなたは初対面です。以前からの知り合いでもなければ、お互いの秘密など何も知らないんです。そういうことで、良いですよ?」
「頼まれなくてもそうするさ。初めましてだな」
二人は頷きあい、曖昧に笑う。
そして、空気を改めてリナリアが先手をうった。
「初めまして、この院で教師をしているリナリア・ダイヤモンドと言います。今夜は我が院の生徒を助けて下さったみたいで感謝します」
「ソウ・ユウギリだ。なに気にするな。バーテンダー協会『瑠璃色の空』は、いつでも人助けに余念がないんだ」
改めて初対面になった二人は、社交辞令のような挨拶を交わし合った。
「それでは、夜も更けているのでお気を付けてお帰りくださいね。ユウギリさん」
「そちらこそ、なるべく早く寝るといい。夜更かしは肌に悪いそうだからな」
言って、ソウはリナリアに背を向けた。
そして、振り返らなかった。
一度振り向いてしまうと、寂しそうなリナリアの顔を振り払える気がしなかった。
※1215 誤字修正しました。