魔法使いと魔砲使い
「ソウさん。はやくはやく!」
「ちょっと待ってくれ」
フリージアは、夕暮れの街を少し先導しながら、振り向いてソウを呼んだ。
人通りの多くない道。少女の可憐な容姿は簡単に見失えるものではない。
その手には、クフェアの首と繋がっている紐がしっかりと握られている。
フリージアがソウとツヅリを呼びに来た理由とは、つまりクフェアの散歩だった。
クフェアを飼うということになって、一番に決めなければいけなかったのは、その世話を誰がするのかということだ。
順当に考えれば拾ってきたソウとツヅリということになるのだが、二人はいつ本部を留守にするのかわからない。
ということで手を上げたのがフリージアであった。
彼女はその立場から『瑠璃色の空』の本部を離れることはほとんど無い。それに雑用の一つにクフェアの世話が加わるだけと、自ら進んで仕事を受けたがったのだ。
同じソウに連れられてきた者同士気があったのか、フリージアは瞬く間にクフェアと仲良くなった。クフェアという名前自体もフリージアが付けたものである。
危なっかしいところは周りの人間が積極的にカバーするということで話はまとまり、フリージアは正式にクフェアの面倒を見ることになったのだった。
「しかし、散歩なんて必要なのか?」
少し早歩きでフリージアに追いついたソウが、クフェアを見ながらこぼした。
「え? でもアサリナさんは絶対にやらないとダメって言ってたけど?」
「まぁ、普通はそうなんだろうが……」
ソウは説明するわけにもいかずに歯切れの悪い言葉を返す。
前述したとおり、クフェアは犬の姿をしているが龍なのである。
餌は犬と同じく生肉などで十分だと思われるが、こういった習性──散歩などまで忠実にする必要はないはずだ。
とは思うのだが、嬉しそうに散歩に繰り出しているクフェアを思うと、別に嫌がってはいないのだろう。
あまり深いことは考えず、好きにやらせてみるのがいいのかもしれない。
ソウが考えていると、目の前でフリージアが「わわ」と軽い困惑の声をあげる。
「どうした?」
「えと、クフェアがこっちに行きたい、みたい」
見てみると、普段は大人しいはずの子犬が、今日はやけにグイグイと脇道に逸れようと試みている。
「どうしたクフェア? 美味いもんでもあるのか?」
ソウがおどけて尋ねてみるが、クフェアは脇目も振らず、そちらへと強い力で歩きだした。
そして子犬とは思えない(事実犬ではない)力で、手綱を握っているはずのフリージアを引きずって路地に入っていこうとする。
「わ、わわ! クフェア! だめだって!」
慌てて踏ん張るフリージアだが、少女の力よりもいくらか子犬の力が上であった。
「頑張れー」
「ソウさん見てないで助けてよぉ!」
ソウがその様子を面白そうに眺めていると、フリージアは縋るように協力を求める。
もう少し眺めているか迷ったソウだが、あまり子犬に好き勝手させると躾に良くないらしいので、フリージアに加勢することにした。
フリージアの手綱を持った手を握り、クフェアの力に対抗する。
「も、もっと強く引っ張っ……」
「こうか?」
フリージアの要望に応えて、より強く手を引く。
二人掛かりの力に負けたクフェアは、じりじりとこちらに引き戻される。
「よっ、負けるな『瑠璃色』の嬢ちゃん!」
「あらあら、仲良いわね二人とも」
「ツヅリちゃんが見たら羨ましがるぞソウちゃん!」
それはいいのだが、周りの微笑ましいものを見る目が恥ずかしくなるソウだった。
(バーテンダーってこういうのだったか?)
ソウが好む好まざるに関わらず。『瑠璃色の空』はバーテンダー総合協会を通さずに地域の依頼に応えることが多かった。
ご近所の評判を良くしておいて損はない。という判断からなのだろうが、どうにもご近所の目が近すぎる気がしてならない。
「たく!」
それが妙に恥ずかしくて、ソウはやや強引にフリージアの手を引いた。
「あっ」
そのせいで、フリージアは少しバランスを崩してソウの体に倒れ込む。
咄嗟にソウはフリージアの体を抱きかかえるように支えた。
「わ、悪い。大丈夫かリー?」
少女の華奢な体を抱きながらソウが尋ねる。
だが、フリージアは体を硬直させたあとに、固い声で言う。
「──っ! だ、大丈夫! 大丈夫だから!」
そしてソウの腕の中から逃れようともがいた。
「こらリー。暴れたらクフェアに逃げられるぞ」
「う、うー」
ソウに説得されつつ、衆人環視の中で抱き締められているのを恥ずかしそうにするフリージア。そしてそれを周囲が微笑ましく見ていたところ。
ソウの体に、急激な危険信号が走った。
ソウの意識は自動的に戦闘へと切り替わり、敵意の差した方角を鋭く見つめた。
まだ年端のいかない、十代後半に足を踏み入れたくらいの少女がそこにいた。
服装はどこか修道士を思わせる、黒く地味なミッション系のローブ。それに似つかわしくない、大きめの胸部。薄く緑がかった金色の髪を一本に縛り、鋭い目つきでこちらを睨んでいる。
少女は手に持っている宝石の付いた杖をこちらに向け、詠じた。
《っ! 求めるは渦。吹きすさべ、風神の道標》
ソウの頭の中で、アラームが鳴り響く。
それがどんなモノであるのか、ソウは知っていた。
カクテルではない、古から伝わる『魔法』。
上手く制御できる熟練者ならともかく、少女くらいの年齢の人間が放とうものなら大惨事にも繋がりかねない『魔の力』だ。
ソウはフリージアを庇うようにしながら、既に抜いていた腰の銃へと弾丸を込める。
属性は風。上手く相殺できなければ──周りが危険にさらされる。
ほとんど無意識で弾丸を銃へと込め、決して焦ることなく、されど急いで宣言する。
「略式──『ジーニ』『カットライム』『トニックアップ』」
宣言の直後に、無理やり呼び起こされた魔力が唸り声をあげた。
『略式』とは、通常の宣言ではなく、特定の言葉と決められた順番で宣言することで、カクテルの宣言を極限まで短くする技法。
ソウであれば、後だしであろうと、相手の魔法に間に合わせることができる。
その動きを見た少女は、より強い意志でもってソウを睨んだ。
その一撃で確実にソウを仕留めるという気概が、表情から滲んでいた。
少女は、叫ぶ。
それに対して、ソウは静かに告げた。
「《ウィンド・ストーム》!」
「【ジン・トニック】」
そしてその場に、二つの風が起こった。
銃と杖。二つの魔法具からそれぞれほぼ同質の力が湧き上がる。
衝撃を伴う空気の渦、そしてその中を舞い踊る風の刃。
まともに食らえば、相手を行動不能にするのは容易い暴風のぶつかり合いが、その場の音を奪い、激しく散った。
(こいつ、そこそこやるな)
相手の攻撃を見て、ソウは評価を定める。
先程の攻撃は、どう見てもソウ一人を限定的に狙ったものだった。周りを巻き込むような未熟さは欠片もなく、力を一点へと集中させていた。
年齢で判断するべきではない。間違いなく、腕の立つ魔術師だ。
ソウは相手を鋭く睨みながら、銃を構える。
対する少女も、杖を強く握り込みながら、ソウを睨んでいる。
そして、二人がお互いの出るタイミングを見計らっているところで──
「な、なにやってんだいあんたぁ!」
その沈黙の睨み合いを崩すような、女性の大声が響き渡った。
「で、お前は誘拐犯を追っていて、俺をソレだと思ったわけか」
「ほ、本当に申し訳ありませんでした!」
少女は腰が折れそうなほどにペコペコと頭を下げて、ソウとフリージアへ謝る。
周りにはもう見学しているものもなく、少女と事情を知っている様子の中年女性だけが残っていた。
「困ってるなら『瑠璃色の空』を紹介しようかと思ったんだけど、まさかねぇ」
「ほ、本当に申し訳ありません! 本当に!」
「あらま、いやいや、別に嫌みを言ったんじゃないんだよ?」
女性のぼやきにもいちいち生真面目に頭を下げる少女。
先程の鋭い眼光と、現在のしゅんとした表情が上手く結びつかず、ソウは大いに毒気を抜かれていた。
「あー。まぁ俺たちもそんなに気にしてないから、もう謝んな」
「は、はい。申し訳ありません」
「……だからなぁ」
「す、すみません!」
「…………」
「…………はい」
ようやくソウの言いたいことが伝わったようで、少女はその一言で言葉を切った。
「よし」
ソウはふっと疲れた笑みを浮かべながら、少女に答える。
「いきなり襲ってきたのは許す。謝られてるしな」
「よ、宜しいのですか? 我ながら、何を要求されてもおかしくはないほどのご迷惑をおかけしたと」
ソウの寛大な言葉に、恐縮そうに肩を狭める少女。
控えめなその態度を見て、ソウは少し前に初対面した少女をふと思い出した。
「そうやって謝ってるだけ偉いさ。世の中には人間なんて軽く殺せる狼を二十も差し向けた後に、笑顔で自己紹介してくる奴だっているしな」
「……えっと、それは冗談ですよね?」
「だと良いよな。俺もそう思う」
ソウはとある少女の幻影を振り払って、目の前の少女に言った。
「そんで俺は聞いての通り『瑠璃色の空』所属バーテンダーのソウだ。んで、こっちの女の子はフリージア。同じく『瑠璃色の空』の仲間だ」
「は、はじめまして。フ、フリージアです」
軽く自己紹介をするソウ。ソウに促されたフリージアも、初対面の相手に明らかに緊張しながら自己紹介をした。
金髪の少女も少しだけ落ち着きを取り戻したのか、礼儀正しく挨拶を返した。
「失礼しました。私はティストル・グレイスノアと言います。気軽にティスタとお呼びください。ソウさん。フリージアさん」
その所作にどことなく気品のようなものを感じて、ソウはこぼす。
「その制服……シャルト魔道院では礼儀作法なんかも教えるのか?」
「はい。奉仕と勉強、そして修行が主な日課ですから」
問われたティストルは、笑みを浮かべながら肯定した。
実際、魔術師というものはバーテンダーとそういった所で違っている。
バーテンダーには実力至上主義のようなきらいがある。多少性格に問題があろうと、仕事をこなせるだけの能力があれば重宝される。
一方の魔術師はそうもいかない。
魔術師はバーテンダーよりも圧倒的に数が少ない。魔術師となるには先天的な魔法の才能が必要不可欠なのだ。そして魔術師の大部分は王国の専門機関に所属する。そうでなくとも国の息のかかった仕事をすることが多い。
国の看板を背負って活動することが多いために、実力もさることながら、その性格的な面でも好ましいことが求められる。
故に、魔術師たちの教育機関となる魔道院は国により運営され、魔法の素質を持った子供たちが集められる。
そこで切磋琢磨を促しながら、国の名に恥じない魔術師を育成しているのだ。
協会に所属し、師に付いて学ぶことの多いバーテンダーとは違う。
「それで、ティスタは俺たちに協力を要請するのか?」
ソウは、あまり気乗りせず、一応の決まり事として尋ねた。
問われたティスタは、逡巡する素振りのあとに小さく首を振った。
「その、ここまでご迷惑をおかけして、のこのこ頼むというのは……」
「別に気にしてないっての」
「ですが……」
少女の歯切れの悪い言葉に、ソウはいささかの引っかかりを感じた。
いきなり人違いで襲い掛かった相手に今更頼れない──そういう気持ちも分からなくはない。だが、それ以上にティスタの態度には『人に頼るのは悪い事』とでも思っているような遠慮が見られた。
だが、そんな態度を見て取った所で、所詮は赤の他人だ。
相手が求めないというなら、無理に応えることもない。
「一つ助言だ。良い育ちをしているお子さんなら、こんな下町にあまり顔出しはしないと思うぞ。もっとお上品な都市部とかを探ってみたらどうだ?」
ソウは軽い言葉だけを少女に与えることにした。
「あ、はい。参考に致します」
「固いっつの。そういうときはありがとうだろ」
「は、はい。申しわけ──」
「…………」
「あ、ありがとうございます」
「おう、どういたしまして」
それきりの応対だけで、少女はぺこりと頭を下げると足早に離れていった。
「あらまぁ、危ないことがないと良いけどねぇ」
中年女性がぼそりと漏らした言葉だけが、夕暮れの闇に溶けて消える。
「ソウさん。良いの?」
「ま、本人が良いって言うんだからな」
フリージアが少し心配そうに言うが、ソウはもう一度その答えを自分に言い聞かせる。
いつの間にかクフェアは大人しくなっているのだった。
※1027 誤字修正しました。