系統『ステア』
「というわけで、新しいことを教えてやろうと思うんだが」
少しの間を開けたところで、仕切り直しとソウが口を開く。
「……ツヅリ。『ステア』ってなんのことか分かるな?」
「はい。えっと『かき混ぜる』っていう意味ですよね?」
ツヅリの答えにソウは頷いた。
「そうだ。カクテルを作るときにはほとんど必ず入る動作だな。通常の『ビルド』や、ジュース類でアップする『シェイク』なんかでは確実だ」
ステアというのは、飲み物のカクテルを作成する際に最も基本となる動作の一つだ。
カクテルを作ると言っても、大きく分解すれば要素は二つしかない。
材料を計って注ぐこと。それを、混ぜること。
それは『銃』においても同じである。
材料を計る部分が『弾薬化』や『魔力の充填』に取って代わり、かき混ぜる部分が『魔力の活性化』などに変わっている。
「お前に今まで教えてきた系統は、『ビルド』と『シェイク』だったな。今回は新しく『ステア』って系統を教えてやる」
「……それってステアするだけってことですか?『ビルド』と一緒で」
ツヅリは首を傾げる。その説明だけを聞くと『ビルド』との違いがないように思えた。
基本的に、系統『ビルド』もステアするだけで作られるカクテルなのだ。なぜ、それと分けるようにわざわざ『ステア』という系統が存在するのだろうか。
「『ビルド』とは違って、『ステア』のカクテルには『アイシング』という動作が入る。ステアで作るショートカクテルなんだが……まあ、一回見たほうが早いな」
ソウはそこで言葉を切り、腰に戻していた『銃』を再び抜いた。
そしてポーチから、二つの弾丸を取り出した。
水色の弾丸と、氷色の弾丸だ。
「あれ、お師匠。ベースは?」
「良いから見てろ」
ソウはツヅリの疑問を後回しにして、その二つを装填。
即座に宣言を開始した。
「基本属性『(ヴォイド)』、付加属性『ウォーター』『アイス』、系統『アイシング』」
そう宣言し、ソウは器用に銃をくるりと二回転ほどさせる。
それが終わると、地面に向けてその弾丸を放った。
瞬間。その場が急激な変化を起こす。
だが、実際に何が起こった、とは言い辛い。
あえて言えば、場が澄んだ。
魔力が整い、より『カクテル』を扱いやすい空間へと瞬間的に変化したようにツヅリには思えた。
そこでソウの動きは止まらない。急いで銃のシリンダーを開き、薬莢を排出。その後に再び数種類の弾薬を込める。
「基本属性『ジーニ45ml』、付加属性『ドライ・ベルモット15ml』『アンゴスチュラ・ビターズ1dash』、系統『ステア』、ガーニッシュ『オリーブ』、スクウィズ『レモンピール』」
常に比べても長い宣言だ。
だがそれをよどみなく言い切って、ソウは再び、銃をくるりと数度回す。
そして銃口を何もない空間に向け、放った。
「【マティーニ】」
その瞬間、その場に轟音が、落ちた。
目に映るのは光。
それも太陽のような優しさも、炎のような荒々しさもない。
雷の、刺すような攻撃的な光だった。
それは地下にも関わらず、凄まじい威力で天井から舞い降り、地面を焦がした。
しゅーと煙が立ち、もうもうとした雰囲気だけがその場に残っていた。
「ツヅリ。何が起こったのか分かったか?」
ソウは試すようにツヅリへと声をかける。
だが、ツヅリはまるで始めてカクテルを見た子供のように大口を開けていた。
「えっと、すごかったです」
「そこじゃない。作業のほうだ」
「へ? あ、えっと、二回宣言してましたね」
ツヅリは先程の光景を思い浮かべてみるが、特に異質なのはそこだ。
他にも、シェイクほど時間をかけてはいないが、クルクルと銃を回していたのも印象に残っている。
ソウはそれらを説明するように、一つずつ言う。
「前に教えたよな? カクテルの付加属性に『アイス』を加える意味」
「あ、はい。えっと確か『魔力の活性化』の補助ですよね?」
「そうだ。バーテンダーのポーチと一緒で、『アイス』も魔力の活性を促進させて『魔法』の完成度を高める役割を持っている」
それはツヅリが『カクテル』を習い始めて、すぐに尋ねた疑問であった。
なぜ、銃に魔力を持たない『氷』を入れる必要があるのか、と。
それに対してソウが言ったのが、先程の答えだった。
最初は理解ができなかったが、飲み物としてのカクテルを作っている時になんとなく理解したこともある。
魔力の活性化は、液体を冷やすという作業に似ているのだと。
「だが『ステア』のカクテルは、困ったことに『アイス』と一緒にしてやるとすぐに機嫌を損ねちまうんだ。魔力の活性化は進むが、同様に威力の減退が凄まじい」
「他の系統で、必要以上の『アイス』を使ったときみたいにですか?」
「ああ。だから『ステア』では、その作業を分けてやるんだ。『アイス』と『ウォーター』で周囲を活性化しやすい空間にする作業、『アイシング』を行ってな」
師の最初の行動の意味が分かった。
普段は『銃』の内部で行っている『アイス』による活性化を、外へと向けていたのだ。
周囲の空気が一瞬澄んだように思えたのは、魔法の為の空間が作られたからだ。
ツヅリの理解が進んでいると見て、ソウは簡潔にまとめる。
「ま、あんま難しく考えるな。普段は一回でやっている作業を二回にわけて行う。そうやって発動するのが『ステア』の系統。ってことで覚えておくといい」
色々と細かい説明があって頭がこんがらがりそうだったツヅリだが、簡単に考えることにした。
二回宣言する、新しい系統の魔法だと。
そう理解したところで、ソウの行動にもう一つ不可解な点があったと思い出した。
「わかりました。でもお師匠、他にも銃をクルクル回してましたよね? なんでです?」
ソウは質問され、説明するか迷った素振りを見せたが、言った。
「あれは時短の工夫だ。『アイシング』で作った『場』は、時間と共に消えていくからな。シェイクほど激しくはやらないが、少し刺激を与えて活性化を速めた。慣れないうちにやるとミスるから気にしなくていいぞ」
「はぁ」
さらりととても高度なことを言われた気がしたツヅリだった。
「じゃあ、練習すっか。【マティーニ】はちょっと難しいから……【ダイキリ】を『ステア』で作ってみろ」
「え、できるんですか?」
「ああ、慣れれば『シェイク』とはまた違った美味さになるぞ」
「……いや、飲み物の話じゃなくて」
師の唐突な言葉に呆れながら、ツヅリは銃を握り直した。
「訓練終わった?」
コンコンというノックの後に、ひょこりと顔を出した少女が、尋ねた。
少女の名前はフリージア。年齢は十二、三で細い体型をしている。だが、この『瑠璃色の空』に拾われて以降、少しずつ体型は標準に戻り、体の成長もしていた。
「ん? もうそんな時間か」
少女が顔を出した理由を察して、ソウが壁にかけてある時計を見る。昼過ぎくらいにツヅリとここに入ったはずだが、既に夕刻になっていた。
「よし。じゃあツヅリ。今日はここまで」
「……はぁーい」
ソウが声をかけると、真剣な表情を浮かべていたツヅリは、どっと疲れた様子でその場に座り込んだ。
課題の乱発から始まって、先程まで『アイシング』をずっと繰り返していた。魔石の弾丸を使わない『銃』の発動でも、少量ながら自身の魔力をはっきりと消耗する。
何時間もずっとであれば、流石に疲労で倒れ込みもするというものだ。
「俺は行くけど、お前はどうする?」
「……いえ、やめときます。ちょっと疲れました」
ソウが尋ねると、ツヅリは疲れた顔で首を振った。
「ツヅリお姉ちゃん、お疲れ様?」
「うん。だからごめんねリーちゃん。ま、あの子にはありがたいかもしれなけど……」
ツヅリが少し遠い目をして『あの子』と呟いたちょうどその時。
その話題の存在が、フリージアの脇をすり抜けて現れた。
「あ、クフェア!」
フリージアにクフェアと呼ばれたのは、子犬である。
生後一年は経っていないくらいの外見をしたその子犬は、ツヅリを素通りしてソウに飛び掛かった。
「こら。行儀良くしろ」
「クゥン」
ソウはその突進を綺麗に受け止めつつ、軽く叱る。
まるで人語を理解したかのように、クフェアは耳をぺたりとへこたれさせた。
「ほらクフェア。あんまりお師匠を困らせない」
疲れた声でありながら、どこか面白くなさそうにツヅリがクフェアへと手を伸ばす。
だが、その伸ばされた手に、クフェアはぷいっと首を背けた。
「……可愛くない」
「クォン」
ツヅリがじとりとした目で呟くと、クフェアもまた挑発するように鳴いた。
「こんの馬鹿犬! お師匠も疲れてるんだから、ちゃっちゃと離れる!」
それにイラッと来たツヅリは、強引にクフェアの首根っこを掴んで師から子犬を引き剥がした。引き剥がされた格好で、クフェアも大人しくソウの様子を窺っている。
「……まあ、訓練の間おとなしく待ってたのは偉いぞ」
「ワンっ!」
ソウが疲れた息を吐きながら褒めると、クフェアは嬉しそうに鳴いた。
それとは対照的に、ツヅリは恨めしそうに師を見つめていた。
クフェアはドラゴンである。訳あって犬の姿をしているが、クフェアが龍だと知っている人間は四人しかいない。
そしてその内の二人が、ここにいるソウとツヅリである。
二人はこの前の任務にて、故あって龍の子供を譲り受けた。だがそのままの姿では騒ぎになるのが分かり切っていたので、クフェアを譲り渡した龍が犬の姿へと変えたのだ。
そしてソウは、犬を拾ってきたと言って、クフェアをこの本部まで連れてきた。
可愛らしい子犬の姿をしていたために、姿を見せた瞬間にクフェアは『瑠璃色の空』の番犬として迎え入れられることになった。
難関かと思われていた『瑠璃色の空』の秘書兼総務であるアサリナ・オリオンが、思いのほかあっさりと陥落したのは意外であった。
そして特に大した騒ぎも起きずに『瑠璃色の空』は、ひっそりと爆弾を抱え込むことになったのだった。
クフェアは現在、このバーテンダー協会のほぼ全ての人間と友好な関係を築いている。
例外といえば、ただの二人。
一人は、
「……なんでこの子、私のこと思いっきり嫌ってるんですかね」
特に身に覚えなく、一方的にクフェアから敵視されているツヅリであった。
ツヅリのボソリとした言葉に、ソウがやはりボソリと答えた。
「これはあくまで俺の推測なんだが、聞くか?」
「え、なんです?」
「クフェアは俺のことを……一番の飼い主だと思っている。ここまでは良いか?」
「はぁ。当然ですよね」
ツヅリの『当然』という答えは、近くにいるフリージアにはピンと来ない。
だが、クフェアはインプリンティングによってソウを自分の親だと思い込んでいる。
それは龍の性質であるのだが、犬に置き換えたところで違いはない。
「でだ。俺を飼い主だと思っている犬にとって、気に入らないものってなんだと思う?」
「えっと、外敵ですか?」
「違うな。それは排除の対象だ。気に入らないって範疇じゃない」
「う、うーん。分かりません」
言われ、今一度ツヅリは考えるが、納得のいく答えは出なかった。
その様子を見て、ソウが答えを開示した。
「答えは『自分より可愛がられている犬』だろう」
「………………は?」
ツヅリはたっぷりと時間をかけて硬直したあとに、間の抜けた声を出した。
そして時間が唐突に動きだしたかのように、ぐわっとクフェアへと詰め寄る。
「お、お前の目には私がお師匠の犬に映っとるんか!?」
動揺のあまり変な口調になって尋ねるツヅリ。
そちらに静かな声で一鳴きするクフェア。
「ワン」
「こ、肯定しましたよこの子!」
「いや、俺犬語わかんねーから」
半泣き状態で慌ててソウに苦情をぶつけるツヅリだが、師の答えは冷たかった。
その様子を見ていたフリージアは、少し前屈みになってクフェアの頭を撫でた。
「クフェア。あんまりツヅリお姉ちゃんに意地悪しちゃダメだよ?」
「……クゥン」
「うん。いいこいいこ」
少女が子犬を撫でるという光景に、ツヅリは眩しそうに目を細める。
「くっ、私には頭を触らせもしないくせに……」
「一度喧嘩して、立場でも分からせたら良いんじゃねーか?」
「なんで私が同じ立場に立たなきゃいけないんです……」
ツヅリの不満の声と、ソウの投げやりな声が、うら寂しい訓練室の中で静かに消えた。
※1205 誤字修正しました。