彼女の位置
時は少し戻る。
場所は王都プレア。バーテンダー協会『瑠璃色の空』の本部、地下。
この部屋は『訓練室』と呼ばれている。
広さは十メートル四方。ごみごみとした区画にしては大きな空間を有しているが、それはこの建物にもともと備わっていたものだ。
基本的には殺風景な部屋ではあるが、隅のほうに様々な設備──とりわけ『カクテル』の特訓をするためのものが置かれており、『瑠璃色の空』に属するバーテンダーなら自由に使ってもいいことになっている。
ここで行われるのは主に『ポーション製』の弾丸を使ったカクテルの訓練や、『決闘』形式での模擬戦、そして飲み物としての『カクテル』の作成である。
その場には今、二人の人間がいた。
一人は二十代半ばくらいの年齢の男。端整な顔立ちだが、似合わない無精ひげを生やしている。その服装は大変にラフであり、公的な場にはとてもじゃないが出られないだろう。
もう一人は十代後半くらいの少女。比較的短めの黒髪に、平均的な体格。並み以上には整った体型と、可愛らしい容姿を持っている。
その二人はたった今、ここで『カクテル』の訓練を行っていたのである。
少女は肩で息をしながら、白銀に輝く銃を握っている。対する男は余裕の表情で、黒い銃を腰のベルトに差していた。
「まぁまぁだな。言いたい事はもちろんあるが、半人前にしては上出来だ」
男──ソウ・ユウギリは優しげな声で告げた。
次の瞬間、気丈に体を立たせていた少女──ツヅリ・シラユリの膝が崩れ落ち、そのまま地面に座り込んだ。
「お、おわったぁ……疲れたぁ」
ツヅリは、緊張していた体の中から魂を吐き出さんばかりに、大きく息を吐いた。
「それで、急にどうしたんですか? テストなんて」
出し切った気力が幾分か戻ってきたところで、ツヅリは師に尋ねる。
それはほんの数時間前、唐突に師であるソウの口から告げられた。
その時ツヅリは、珍しく本部で一緒になった同期、ジニアとアカシアと三人で雑談をしていた。
そして話題がちょうど、それぞれの修行の進み具合に転がろうとしていたときだ。
ツヅリは話題がそちらへと動くのを内心ヒヤヒヤしていた。なぜならばツヅリは、ソウに『修行に関する話題』を口にすることを禁止されていた。
曰く『未熟なうちに偉そうなこと言うと、恥をかく事になる。お前も俺も』
ということらしかった。
ちょうどそんな時に、ふらりとソウが顔を出して言ったのだ。
『ツヅリ。今からちょっとテストするぞ』
それから、唐突に鬼のような課題を出されまくって、ようやく終わったのがさっきということだ。
師がいきなりなのはいつものことだが、課題の意図が気になった。
何故と問われて、ソウは少し取り繕うように言った。
「いやなに、お前にもそろそろ新しいことでも教えてやろうかとな」
「ほ、本当ですか!」
師の言葉に、ツヅリは分りやすくその表情を明るくした。
「えらくやる気があるな」
「当然です。この日のために私も準備してきたんですから!」
「……準備?」
やけに乗り気で、先程の疲労を感じさせないほどに元気なツヅリ。
しかし、準備という言葉にソウは幾ばくか困惑を感じていた。
「……参考までに聞きたいが、なんの準備をしてきたんだ?」
「決まっています! 新しいこと──つまり『詠唱』の準備です!」
「……はぁ?」
ソウの声は、困惑から一転、馬鹿にしたような呆れ声へと変化した。
「な、なんですかその顔は」
「いやいや、え? お前もしかして『詠唱』とか考えてたの?」
「はい!」
ぎゅっと拳を握りしめ、力説するツヅリ。
「前にフィアの『詠唱』を見てからずっと思ってたんです。Bランク協会に上がった新生『瑠璃色の空』に所属する身としては、やはり詠唱の一つや二つ……」
「なるほど。分かった」
「本当ですか!」
ソウはツヅリの言葉にうんうんと頷く。
そしてその後に、架空の箱を横にどかすような仕草で言った。
「ま、それはひとまず置いといて。お前にもそろそろ新しいことでも──」
「置いとかないでください!」
スルーされそうになって、ツヅリは一生懸命に叫んだ。
「な、なんでそういうこと言うんですか? 真剣に考えてきたんですよ!」
「それ、全部無駄だから忘れていいぞ」
「お師匠!」
取りつくしまもないソウに、少しだけ怒気を孕ませながら縋るツヅリ。
ソウも少し面倒になり、ちょっとだけ付き合うことにした。
「……はぁ。そこまで言うなら、良いだろう。どうせお前、まだ一回もその詠唱で『カクテル』使ったことないんだろ?」
「な、なんで分かるんですか? 確かに完成したのは今朝ですけど」
「だろうな。じゃあ試しにやってみろ」
軽く手であしらうようにしっしと払われ、ツヅリは少しだけむっとした。
「い、良いです! 私の超かっこいい『詠唱』でお師匠の度肝を抜いてあげますから」
ぷいっとソウから目を逸らし、ツヅリは銃を何もない空間へと向けた。
「参考までに聞くが『カクテル』は何を選んだんだ?」
「【ダイキリ】ですが」
「そうか。いや、別になんでもいいんだけどな」
自分で聞いておきながらの気のない返しに、ツヅリは益々苛ついた。
「じゃあ聞かないで下さい。集中が乱れます」
「へいへい」
その言葉を最後に、ツヅリはソウの存在を頭から排除する。
そして腰のポーチから、四つの弾丸を取り出した。
『ライム』『シロップ』『アイス』、そしてベースとなる『サラム』。
ここに至るまで何度も作ってきたカクテルだ。宣言はなくとも体が覚えている。
事実、最近のツヅリは既に三頭の火龍を従えている。師の五頭や──『七頭』には及ばないが、それでもそこそこ扱えるようになってきたと自負していた。
「では、いきます」
弾丸を愛銃、『ニッケル・シルバー』のシリンダーに込め、ツヅリはイメージする。
生み出されるカクテル【ダイキリ】の完成系を。
味、色、匂い、温度。それに発動する効果。
それらを記憶の中から引っ張り出して、何度も何度も反芻する。
そして、見えた。
ツヅリは静かに、その『詠唱』を開始した。
《舞い踊れ、火花の紡ぎ手。流星の道は火口へ通ず》
詠じながら、ツヅリはシリンダーへと魔力を送る。
カクテルとは、緻密な魔法である。決められた分量の魔力の弾丸へ、決められた魔力を送り込み、それを活性化させることで力を得る。
そして【ダイキリ】なら、スタンダードレシピは決まっている。
『サラム45ml』『ライム15ml』『シロップ1tsp』──これが分量の全てだ。
そこに適量の『アイス』を混ぜたのち、『シェイク』という技法でもって作られるのだ。
何度も行ってきた行為だ。迷いはない。
《噴煙の中に潜みし、炎熱の顎門。その門開きて焦土となせ》
『詠唱』を調べたところによると、ここからはシェイクの時間だ。
ツヅリは意識の集中を保ったまま、その白銀の銃を静かに振った。
(……あれ? なんか、いつもより……?)
その辺りで、違和をはっきりと感じていた。
普段の【ダイキリ】ならば龍のように唸っている魔力が、どこか遠くで響いている。
感じる手応えが、まるで弱い。
だが、疑問に脳内が染まる前に、ツヅリは体で覚えているタイミングでシェイクを終える。あとは、最後の言葉だけだ。
《その者、何よりも熱く、何よりも強く、そして何よりも速くあれ》
最後にカクテルに託す願いを詠じきって、ツヅリは引き金を引いた。
「【ダイキリ】」
そして銃口から、炎が噴き出す。
一つの頭を持っているだけの、えらく弱々しい火龍が、ぽつんと。
「あ、あれ?」
ツヅリの困惑の声に、火龍も首をもたげて困惑を返す。
しかもその直後にはその身が揺らぎ、体を保てずに消えてしまった。
「な、なんで!?」
ツヅリが驚愕の声を上げるが、それにソウはぶっきらぼうに答えた。
「なんでも何も、お前に詠唱は早すぎるってことだ。馬鹿でも分かる」
「で、でも、せっかくカッコいい『詠唱』を──」
「たかが一年で、しかも三頭程度の【ダイキリ】を作るやつに『詠唱』ができるわけねーだろ。『詠唱』はバーテンダーの極地だぞ。まず技術ありきの話だ」
露骨に凹んだ弟子の顔を見て、しかしソウは馬鹿にしたように笑った。
「くく、しっかしさっきのは傑作だな。まさか火龍の方まで戸惑うとはよ。初めて見たぜ、あんなひょろい【ダイキリ】。俺には絶対無理だ」
「ぐぬぬぬ」
ソウに明らかに馬鹿にされて、ツヅリは羞恥と悔しさで一杯になる。
「そ、そこまで言うなら! お師匠がお手本を見せてくださいよ!」
「は?」
「お師匠が【ダイキリ】を『詠唱』で作ってみたらどうですか! 絶対に私みたいにはならないんでしょ!」
ツヅリは思わず、そう口走っていた。
途端に、ソウの目は常の倍は鋭くなった。
「……俺に、【ダイキリ】を『詠唱』で作れってか?」
言ってからツヅリはしまったと思う。
「……え、あ、そ、そうです」
「ほーん」
ソウは【ダイキリ】の『詠唱』を、ツヅリの前で見せることは絶対にない。
ソウにとって【ダイキリ】の『詠唱』を見せるというのは、自分から正体を明かすことに等しい。かつて『蒼龍』と呼ばれることになった、由縁のカクテルなのだから。
そしてソウは、自分の正体をツヅリに隠そうとしている。
ツヅリが実はソウの正体を知っている、という事実も知らない。
「あ、で、でも、嫌なら、別のカクテルでも」
ツヅリは慌てて師に逃げ道を提供しようとした。師が隠していたいことを、徒に暴くような真似はしたくなかった。
その下手なフォローをどう取ったのか、ソウはニヤリと笑って言った。
「良いだろう。見せてやるよ」
「えっ!?」
ツヅリの内心の葛藤などを考慮にも入れず、ソウは了承した。
そしてあまりにもあっさりと、ポーチから銃弾を取り出して、それを黒い愛銃『ヴィクター・フランクル改』へと込める。
「詠唱はなんでも良いか?」
「え? あ、はい」
ソウはツヅリに軽く確認を取ったあとに、その言葉を詠じはじめた。
《んー。じゃあ、このカクテルはめっちゃ燃える》
「は?」
自分の師が紡ぎ出した言葉に、ツヅリは口をぽかんと開けた。
だがソウは止まらずに先へと進む。
《そんで、ぐわーっと進んでいって、パクッと喰ってしまう》
あまりにもあんまりな詠唱である。
だが驚くことに、ソウの銃はそれを命令通りに受け取ったかのように、鈍く唸った。
ソウはふと真剣な表情になって、その銃を振った。
徐々に完成され、高まっていく魔法。
ゆるやかにシェイクを終え、最後の一小節を詠じきる。
《だからめっちゃ熱くて、強くて、あと速い》
ソウの言葉が、ツヅリの詠唱をもじったものだと、そこでようやく気がついた。
その理解を肯定するがごとく、ソウはツヅリに一度視線を送ったあと、放った。
「【ダイキリ】」
そしてソウの銃から、灼熱と共に火龍が姿を現した。
その数は四頭。
ソウが『宣言』で呼び出す火龍が五頭だということを考えれば、それは幾分か弱まってはいる。だが、それでもしっかりとした魔法であった。
あんなふざけた『詠唱』だったというのにだ。
「わかったかツヅリ。詠唱ってのは言葉が重要なんじゃない。技量とイメージが重要なんだ。それさえしっかりしてれば、アレでも発動くらいはできる」
「……はい」
しゅんとうなだれて、ツヅリは頷いた。
目の前で再び格の違いを見せつけられた気分だった。
「落ち込むなよ半人前。近道しようとすんな。地道にやってくのが一番はやいんだよ」
「……わかりました」
「じゃあ、新しいこと、覚えるか?」
ソウは一度、優しくツヅリの頭を撫でた。
ツヅリはその目に、少しのやる気を燃やして今度ははっきりと答える。
「はい! よろしくお願いします!」
『瑠璃色の空』が正式にBランク協会になって、一ヶ月と少し。
穏やかに、しかし確実に、ツヅリは成長を続けていた。
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