『シャルト魔道院』の風
少女は現在、たった一人で夕暮れに沈む街の中を歩いていた。
その感情の主成分は、緊張と不安、そして少しの恐怖だ。
(誰も彼もが、怪しく見える……)
彼女は、ある事件を追っていた。
少女の名前はティストル・グレイスノア。友人にはティスタと呼ばれている。
比較的友人の多い彼女ではあるが、前述したように彼女は現在、たった一人で夕暮れに染まる下町の見回りをしているのだった。
それは自分から言い出したことだ。
ここ最近の異変、というより事件は少女の目に余った。
『学徒行方不明事件』
その事件は数ヶ月前から散発的に発生していた。十代の若い子供達が、ふらりと神隠しにでもあったかのように消えてしまうのだ。
彼らはおよそ数日の間姿を消したかと思えば、心身ともに衰弱した状態で発見される。
そして消えていた間のことは何も覚えていないというのだ。
言葉で言うと簡単だが、それが頻発しているというのは放置できる問題ではない。
そして被害者というのは、ティストルが所属している『シャルト魔道院』の生徒が大半なのだ。
魔道院側は、この件に関して認知はしていても、それほど問題視してはいない。今の所命を落とすような被害者が出ていないからだろう。
せいぜいが、下校時に気をつけろと勧告を出す程度だ。
被害届は出しているのだから、そのうちに国からの調査員が原因を解明してくれるはずだ、と待ちの姿勢に入っていた。
それに異を唱えたのが、ティストルであった。
彼女はこの事件の早期解決を求め、腰の重い魔導士たちに発破をかけた。その結果、彼女は事件解決のための調査を任されることになった。
彼女の周りの人間、知人や友人たちはティストルの性格を知って応援はしている。
だが、好んで自ら突っ込むことはしない。
それが普通であることは、ティストルにも分かっているから何も言わない。
そうして、彼女はたった一人で事件の調査を行うことになったのだ。
(それにしても……)
街の様子にきょろきょろと目を配りながら、ティストルは所在なさげに歩いている。
魔道院では『私が解決してみせます!』と啖呵を切った彼女だが、その実、自信はなかった。なぜなら彼女は、魔道院の寮生活が染み付いていて、街に住んでいながら土地勘というものがほとんどなかった。
さきほどからキョロキョロと辺りを見ているのもそのためだ。
魔道院の周りはともかく、住宅が多い地域に向かうまでの、商店街や娯楽街に入った時点で、彼女はすでに自分を見失っていた。
通りには、普段ほとんど接することのない大人の男達がわんさかといる。遥か昔に嗅いだことのあるような美味しそうな匂いが、どこからともなく鼻をくすぐる。楽しそうな歓声が店から漏れていて、彼女の耳を脅かしていく。
それらに一々気を取られ、慌てて頭を振る。
(違う。私はそんなことのために外に出てきたのではないのだから)
彼女が俗世(と言えるほどではないが)から離れたのは、およそ五年前。彼女がまだ十一の時だった。父親は物心ついた時には居らず、母親一人だけが家族だった。
その時にどうやって生きていたのかは、あまりはっきりとは覚えていない。
母はティストルが無闇に外出することを好まなかったので、機嫌を取る意味でも家の中で待つことが多かった。
だから毎日、家にあった難しい本とにらめっこをしていた記憶だけが残っている。
思えばそのころから、少しずつティストルは世間とずれていったのだろう。
だが転機は訪れた。過保護ではあるが優しかった、愛しい母が死んだ。
健康そうに見えた彼女だが、流行の病に感染してあっさりと逝ってしまった。
天涯孤独の身となったティストルだったが、それで人生は終わらなかった。母が最後に残したツテを辿って『シャルト魔道院』へと流れ着いたのだ。
母は、生粋の魔術師であった。
生粋の魔術師とは何を指すのか。
それは『バーテンダー』ではない『魔法使い』のことである。
母はその昔、王国に仕える魔術師の一人だったそうだ。しかし、その当時の話をティストルはあまり聞いたことがない。特に気にしてもいなかった。
だから、母が死んだ後に自分の身柄を引き取りに来たのが、将来王国に仕える為の魔術師を育成する機関──『魔道院』の人間だったことに、衝撃を受けたものだ。
それから五年。母の血がなせる業なのか、少女はメキメキと頭角を現していった。
ずっと読んでいた小難しい本が『魔法』の本だったことも原因の一つだろう。
基礎を全て押さえるのも困難な年齢で『全属性』の魔法を習得し、『ジーニ属性』に至っては、天才と言っても差し支えないほどの才能を見せた。
母親を失い、天涯孤独となった少女は、いつの間にか魔道院にて最も有名な人間になっていたのだった。
だが、いかに魔法の才能があろうと、使わなければ宝の持ち腐れ。
ましてや、今まで習ってきた魔法は、そのほとんどが攻撃と補助。正体も知らない神隠し事件の犯人を探し当てる役に立つわけがなかった。
そしてそれ以上に大きな壁がある。
調査を自ら進んで引き受けた少女ティストルは、口下手だった。
ほぼ初対面の街行く人に話しかけてランダムに情報を集める。そういうことがとてもじゃないが、得意ではない。
だからこそ、不審者を探してきょろきょろと辺りを見回すことしかできない。そしてそのティストルの姿を見て、周りの人間も不審に思い、さらに距離を取るという悪循環だ。
自分の向き不向きを自覚するようで、ティストルは愛用している小型の杖を握りしめる。
(何を怯えているの。話を聞くだけです!)
少女は少し覚悟を決め、手頃な中年女性に声をかけた。
「あ、あの!!」
「おわっ!? な、なんだい大声出して?」
「す、すいません!」
緊張がおおいに勝り、ティストルの口から凄まじい大声が出ていた。
中年女性は驚くが、苦笑いを浮かべて言葉を待った。
ティストルは一度大きく息を吸ってから尋ねる。
「その、怪しい人物を見ませんでしたか? 若い女の子を狙うような」
「はぁ……良くわからないけど、見てないよ。見てたら真っ先に通報してるからね」
「そ、そうですか……」
中年女性は戸惑いながら、はっきりと答えを返す。
その返答にティストルが消沈していると、ばんと背中に衝撃。
「いっ」
たまらずティストルは声を上げた。
「ほら、なんか分からないけど元気だしな! そうだね、そういうのが知りたかったらいい所を紹介したげるよ」
「いい所ですか?」
「そうそう、私ら庶民の話も良く聞いてくれる協会なんだよ。『瑠璃色の空』って言ってね──あ、ほら、ちょうどあそこに」
話をぼんやりと聞いていたティストルだが、中年女性が指差した方角を見て目を丸くした。
(なっ、誘拐!?)
少女の目が捕らえた映像は、衝撃的だった。
前方およそ三十メートル。人気のない路地に入り込む道。
まだ年端のいかない十二、三くらいの少女を、二十代の男が抱きかかえているのだ。
それも、ぐいぐいと少女の手を引っ張っていて、少女は必死に抵抗しているように見えた。
周囲の人間は遠巻きに見ているだけで、誰も助けに入る様子はない。
「あの人が──」
「──誘拐犯ですね!」
ティストルはそう叫び、中年女性の言葉の続きを聞くこともなく飛び出していた。
相手が何者かは知らないが、現行犯で押さえてしまえば問題はない。
ティストルは、握りしめた杖の先端、魔力制御の補助に当てられている宝石に、魔力を通す。
すぐに戦闘の準備として、杖を媒介した魔力の回路が完成する。
咄嗟に走った結果、彼我の距離は既に魔法の射程圏内に入っていた。
(命は奪わない。意識を奪うだけ!)
ティストルは足を止め、精神を集中させながら詠唱した。
《風の魔素よ。変化を司る精霊よ》
少女はまず、自分の中にある風の属性の魔力を活性化させる。己の内にある魔力を巡らせ、その場にある空間の魔力にも次第に影響を与えていく。
自身が最も得意とするジーニ属性。扱える魔力量も、命令式の完成度でいっても、これほど精密な動きができるモノはない。
なにせ男は少女を抱きかかえているのだ。少女に当たらないように男だけ狙うためには、高度かつ繊細な操作が必要である。
そのとき、少女を誘拐しようとしていた男が、ふと顔をこちらに向けた。
その男の目を見た瞬間、ティストルの背筋にぞくりと冷たいものが走った。
男の目が、あまりにも冷たかった。
空虚だった。
その目だけで自分が恐怖を感じたのだと、理解するのに時間がかかるほどに。
《っ! 求めるは渦。吹きすさべ、風神の道標》
だがそれに飲まれまいと、意識を気丈に保ちながらティストルは詠唱を続けた。
対する男の動きは、速い。
ティストルの姿を認めたと思った次の瞬間には、いつの間にか腰にある『銃』を引き抜いていた。目にも止まらぬ早さで、滑らかに銃へと弾丸を詰め込み終える。
「略式──『ジーニ』『カットライム』『トニックアップ』」
それは、ティストルには耳慣れない響きだった。
だが、その瞬間に男の手に持っている銃が、魔力を魔法へと昇華した。そのことだけは、はっきりと感じ取った。
相手がバーテンダーである、ということはなんとなく分かっている。
だが、伝え聞いているよりも、本物はよっぽど発動が早く、強い。
(手加減してられない!)
威力よりも精度を重視──その考えは、瞬間的に吹き飛んでいた。
少女を巻き込まないように、などと考えていては押し負ける。
少女は、叫ぶ。
それに対して、男は静かに告げた。
「《ウィンド・ストーム》!」
「【ジン・トニック】」
放たれたのは、双方ともに風。
それも、見た限りは似たような効果を持つもの。
少女の内から放出された魔力は、杖についた宝石を通して魔法へと変換された。
対する男の方は、その銃口からその魔法をほとばしらせた。
相対する、風の渦。
その同属性の力は、互いの魔力を喰い合いながら相殺しあい、消え去った。
(──やはり強い!)
目の前の男を、少女は評す。
男はその目から威圧感を滲ませて、ピリピリとしたプレッシャーを放つ。
少女は手に汗が滲んでくるのを、微かに感じた。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
今日から三章を開始します。
二日に一回更新予定ですので、お付き合いいただけると幸いです。
※1202 誤字修正しました。