【バラライカ】
「基本属性『ジーニ45ml』、付加属性『ライム1/6』──」
向かい合う一人のバーテンダーの宣言。バーテンダーの連合軍は陣形を緩やかに変えていた。
横一列ではなく、ツヅリ達を囲むような円形。
それは前方に張ってある氷の壁を避けるためであり、同様にフィアールカを狙うためだ。
彼女は未だに精神統一するかのように目を閉じ、銃に祈りを捧げている。
「略式!」
ツヅリは叫ぶ。フィアールカへと迫ってくる敵に狙いを定め、引き抜いた弾丸をシリンダーに込める。
ここ数ヶ月、ソウの目を盗んで必死に練習してきた。もうまぐれとは言わせない。
「──『アイス』系統『ビルド』──」
「『ウォッタ』『オレンジアップ』!」
相手の宣言よりも早く、ツヅリの銃は準備を終えた。
ツヅリの目には、相手バーテンダーの宣言が不思議に映っていた。
あまりにも、遅い。
師の宣言をずっと間近で見てきたツヅリにとって、基準はそこだ。
だからこそ彼女は気づいていない。
精度はともかく、自分のカクテルがどれだけ『早い』のかということに。
それこそ、Sランク協会の『練金の泉』のメンバーに引けを取らない早さになっているということに。
「【スクリュードライバー】!」
ツヅリの銃から放たれた水塊は、宣言を終えたばかりの相手バーテンダーの体を打ち抜いた。のち、その魔力は収束し、姿を消す。【シンデレラ】の効果だ。
代わりに相手バーテンダーの周囲の魔力も収束し、その男の意識を奪う。
通常の『決闘』では、戦闘で敗北したものは気絶する。というより、それ以外の決着がほとんどない。
だが、喜んでなどはいられない。一人を倒したところで敵はまだまだいるのだから。
(フィアールカ、早く!)
ツヅリは祈るように背後の銀の少女を仰ぎ見る。
フィアールカがゆっくりと目を開いたのは、ちょうどその時だった。
フィアールカは、意識を世界から切り離していた。
周りの人間がどのようにして自分を守っているのかすら、認識しない。
今考えて良いのは、自身の内にある『完成形』のイメージだけだ。
手の中に感じる。かつてはあれほどまでに振り回された『ウォッタ』の魔力。
そして今は、自分の手足のように扱えるそれら。
それもある意味では正しいのだ。事実その魔力は、フィアールカの『体の中』から取り出されたものなのだから。
少女は、もう一度、頭の中にイメージを浮かべた。
味も、匂いも、温度も、色も。
その全てが明確に思い描ける。その全てを実感として心の中に感じる。
だからこそ、少女はいちいちそのカクテルを『宣言』する必要は、ない。
その詠い出しを、少女の口は音楽を奏でる楽器のように紡ぐ。
《花月雪影。白き月、永久の氷柱、蒼き鏡に映りし鎖よ》
その声に従うように、周囲に白い霧が集まり、少女の周りで明滅する。
それらが一様に姿を氷の粒へと変えてゆき、魔力に呼応して気温が下降の一途を辿る。
《その身、地に伏して従属せよ。拘束し、凍結し、この世の全てを白く染めよ》
締めくくりに少女は緩やかに銃を振る。
唄うような言葉と、軽やかに刻む銃の鼓動が、上質な音楽のように調和する。
それはまるで歌劇。華やかにしめやかに。そして最後を彩る言葉。
《我は氷結の奏者。その調に従い、凍れよ我が下僕》
その一言と共に、銃には全ての魔力が過不足なく伝わり切る。
完全な手足と化した銃が今か今かと放出の時を待つ。
「さあ、答えて」
フィアールカはその意識を、まさしく目の前の宙空へと向けた。
「【バラライカ】」
目標を持たない青き光弾が、透き通った空へと抜けて、溶ける。
その直後に、周囲の空気のみならず、空が表情を変えた。
ツヅリも、そして周囲を囲もうとしていたバーテンダー達も呆気に取られて空を見た。
まず空に暗雲のようなもやが掛かり、直後に更なる変化は訪れる。
氷柱のような氷が、雨のように大地に向かって降り注いだ。
それらは場所を選ばず地面に落ちては着弾地点を氷に閉じ込める。
バーテンダーの足を、腕を、そして全身を氷の檻へと閉じ込めていく。
その光景を、ツヅリはただ唖然と見ていた。
全てが終わったとき【シンデレラ】の効果で、それらは全て砕け散る。
後にはひんやりとした冷気と、気絶した数十人の姿だけが残った。
「……終わりましたわ」
フィアールカはふぅ、と息を吐いた。
五倍の戦力差を、たった一撃のカクテルで覆した瞬間であった。
「ふふ。私の負けか」
割れた仮面を押さえる男は、負けたというのにどこか嬉しそうに言う。
決闘ではない殺し合いをしていた二人の周囲には、氷河期でも来たかのような氷結の大地が残っている。
対するソウは、勝利の余韻に浸る余裕もない。凍土からもたらされるひやりとした空気にも、頭の熱が収まらない。
疑問があった。問いただしたいことがあった。
それは言葉を選ばずにソウの口から漏れ出ていた。
「なぜ、お前がその詠唱を使う!?」
「なぜ、とは?」
ソウは仮面の男が使った詠唱に驚愕した。それ故に、動揺しカクテルに雑念が混ざりかけた。
なぜならそれは、この世に存在しないはずの詠唱だった。
「その詠唱の持ち主は、死んだ──俺が、殺した」
その詠唱で放たれるカクテルが、この世に存在するはずがない。
しかし男は、不気味に笑うだけだ。
「ふふ。僕が約束したことは一つだけだ。君に教えるのは『練金の泉』と君との繋がりをなぜ僕が知っているのか」
「ふざけるな!」
ソウが激昂するが、男は淡々と言葉を連ねる。
「僕と繋がっていた人間の名前は『アドヴァンチク』という。彼は『練金の泉』の長老会の一人で、まあ【氷結姫】をうとましく思っている人間だ」
そのあっさりとした言葉は、なおソウの神経を逆撫でした。普段は努めて冷静に振る舞っているソウにも感情が制御できない。
「それを知ってもどうにもならねえ! それよりも俺の質問に──」
「良いのかい? 彼の手の者がすぐ側まで来ているというのに」
「なっ?」
ソウは、はっとなって一瞬だけ中央へと目を向ける。
遠目に見えるフィアールカの姿、その近くにいるツヅリの姿。
ソウはもう一度仮面の男を睨みつける。だが、男は状況を楽しむように、告げた。
「さぁ。僕はこのまま消えるよ。今度は守れるといいね。ソウヤ」
「……っ! てめえとはいずれケリをつける!」
男は言いたいことを言ったら、瞬時にその場から離れていった。どうやら、約束通り手を引くらしい。
ソウは逸る気持ちを抑えつけ、その足を広場の中央へと走らせた。
決着がついてそれを実感した段に至って、ツヅリはわっと内から嬉しさを溢れさせる。
そしてフィアールカに正面から抱きついた。
「や、やった! やったよ!」
「……ええ、やりました」
フィアールカは、そう答えた後にふっと糸が切れたようにツヅリに体重を預ける。
ツヅリは慌ててフィアールカの体を横たえさせた。
「フィア!?」
「……平気よ。疲れた、だけ」
薄く微笑んでフィアールカは返すが、先ほどに比べても顔色は一層悪くなっている。
「フィアールカ様! ポーションを」
見かねたように『練金の泉』に属する男が、液体の入った瓶を差し出した。
フィアールカはそれを震える手で掴み、口をつけようとする。
それを見ていたツヅリは偶然、ふわりとその瓶から香る匂いを嗅いだ。
そして次の瞬間に、フィアールカの手からその瓶を叩き落とした。
瓶は地面に落ち、甲高い破砕音をあげて砕けた。
「なっ!?」
その行為に驚きの声を上げる男。当然、周りの人間達もみなツヅリを見た。
「何をする!」
「こっちのセリフだよ。その中身はなに?」
「──っ!」
瓶を渡した男が、唇を噛んで一歩下がった。
その反応を見て、オサランが咄嗟に瓶の中身に指を付け、その匂いを嗅いだ。
「……ただの『ウォッタポーション』ではないな? 何を混ぜた!」
オサランが鋭い声で尋ねると、男はぐっと喉を詰まらせた後に、
「……毒だ」
フィアールカ達に向けて銃を構えた。
それは目の前の男だけではない。オサランを除くこの場に集まった五人全員が、ツヅリ達を取り囲むように銃を向けていた。
「どういうつもりだ?」
「お前が悪いんだオサラン。最初から居場所だけ吐いていればいいものを、付いてくるなどと言うから」
ポーションを渡そうとした男は、すまなそうに笑った後に、目の色を変えた。
「そっちの嬢ちゃんもな。恨みはないが任務なんでな」
「誰に受けた任務だ! 僕は承認していないぞ!」
「おまえの承認はいらないんだ。長老会からの指令だ。【氷結姫】を始末しろとな。ま、お前等は不慮の事故で──そうだな、ドラゴンに殺されたことになる」
いとも容易くドラゴンを悪役に仕立てようとした『練金の泉』のバーテンダー。
己の師とドラゴンの、真っ向からの命の削り合いを見ていたツヅリは、かっと頭に血が上り怒鳴った。
「なっ! そんなの通るわけがない! ふざけないで!」
「そうじゃなきゃ、心ない『外道バーテンダー』の仕業になるだけさ」
しかし、男は怯む事もない。ツヅリにも同情的な視線を向けた後に、ゆっくりとポーチから銃弾を抜き出す。
取り出したのは『ジーニ弾』ただ一発。
「お前は少しはしゃぎすぎたんだ【氷結姫】」
声をかけられ、ぐったりと横たわっていたフィアールカは、しかし笑ってみせた。
その笑みは、どこか余裕も見える、年不相応に妖艶なものだった。
「……つまらないことするのね。いいわ。その気なら相手になるから」
そして、よろよろと立ち上がる。
「フィア!」
「……心配しないで、こんな戦いで負けてはいられないの」
そのフィアールカの意地を虚勢と取ったか、男は首を振って告げた。
「弱った【氷結姫】に、手負いのオサラン、それにどこの誰かも知らないお嬢ちゃん。お前らに何ができる?」
「……そう思っているなら、あなたの負けね」
「では、さよならだ。お前達は勇敢に戦ったと伝えておこう」
そして彼らは一斉に属性弾を放とうとする。
この距離でならばそちらが早い。
それで、気を失ってしまえば殺し方はいろいろあるのだから。
男は無慈悲に引き金を引こうとし、
「うぉらぁああああああ!」
「げばっ」
その直後に、走り込んできたソウに蹴りとばされた。
「な、お前は!」
突然闖入してきたソウに、残った四人は慌てて銃を向ける。
だが、ソウは焦ることなく一人に迫って腕を捻り、その身を盾とした。
残った三人は、ソウへと向けた銃の引き金を、躊躇う。
「っ……!」
「馬鹿、俺に構うな!」
盾にされた一人が叫ぶが、もう遅い。
ソウは相手が戸惑った隙にその一人から銃を奪い取り、その背に突きつけて叫んだ。
「『ジーニ』!」
「ぎゃ!」
衝撃で吹っ飛ばされた男が一人を道連れにして倒れる。
だが、隙を突いて倒せるのはそこまでだった。
「貴様! あまり調子に──」
「許さないわ──」
残ったバーテンダーがそれぞれソウに銃を向ける。
しかし、ソウはニヤリと余裕の笑みを浮かべた。
戦闘中に、たった一人へと視線を集中させる。
そんな、初歩的なミスを犯した二人のバーテンダーを笑った。
「【アンバサダー】!」
「【ウォッカ・アイスバーグ】!」
その瞬間。隙を窺っていた二人の少女から、それぞれ黄色と青の光が上がった。
それらは互いに地面へと突き刺さると、岩と氷、それぞれの柱を浮かび上がらせる。
【アンバサダー】を食らった男は銃を弾き飛ばされ、さらに顎を強打してのびる。
【ウォッカ・アイスバーグ】を目の前に出現させられた女は、自分が放った風をそのまま反射された形で吹き飛んだ。
「たく、締まらない最後だな……」
ソウはその場で伸びる五人のバーテンダーを見てぼやく。
最後に現れた刺客は、あっさりとその身を沈めたのだった。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
本日三回更新の三回目です。
戦闘は終わりですが、あと二話くらい二章は続きます。
お付き合い頂けると幸いです。
※1117 誤字修正しました。