【雪国】(3)
ツヅリはすぐに出現した氷の壁の中へと避難し、少年も即座に隊列へと戻っていた。
先入観を突いた奇襲が失敗したからであろう。
その数瞬後には、色とりどりの魔法の力が、がりがりと氷の壁を削っていく。
「補強急げ! もたもたするな!」
「とにかく時間を稼げ!」
「無茶はするな! 確実に足を止めろ!」
その内側で、壁の補強に回るものと、攻撃に回るものに分かれながら『練金の泉』のバーテンダー達は対応している。
数は圧倒的にあちらが有利であるのに、その攻防はやや劣勢といった程度。その精度の高さと、潤沢な材料は、ツヅリにSランク協会の実力の高さを思い知らせた。
だが同時に、このままではこちらの敗北は時間の問題であるとも見えた。
「……さっきは、助かったわね」
その光景を見て自身も微力ながら参戦しようと思ったツヅリに、フィアールカの静かな声がかかった。
その余りにも弱々しい声に、ツヅリは心配の声をかけた。
「フィア? 大丈夫?」
「……このくらいなら、大丈夫よ。……少し、魔力を抜きすぎただけだから」
「ぜ、全然大丈夫じゃないじゃん。ウォッタの魔石みたいに真っ青だし」
フィアールカは小さく荒い息を吐き、額に大粒の汗を浮かべている。
それは典型的な魔力欠乏症の症状だった。
ドラゴンと同じように、人間もその身にはある程度の魔力を宿し、そしてその魔力が体を動かす際の補助を行っている。
体内の魔力が減少すると、体の動きが悪くなったり体調が悪化する。通常は時間とともに自然に回復していくものだが、急激な減少は最悪死を招きかねない。
「……いざとなっても、ポーションを飲めば死にはしないから」
遥か昔は、魔力欠乏症で死者も大量に出ていたらしい。現在に至ってはポーションの普及率が上がったことと、即効性の高い『カクテル』の登場によって収まっていた。
だが、それを加味しても、フィアールカの状態は危険に見えた。
「と、とにかく早く回復を」
「それは、この戦いが終わったらゆっくり」
ふらりと立ち上がって、フィアールカは銃を構えた。
そしてそのシリンダーへ、出来上がったばかりの『ウォッタ弾』を最初に詰め込んだ。その後に『レモン』『ホワイト・キュラソー』そして『アイス』と、詰め込んでいく。
「その状態で、カクテルを撃つつもり?」
「……ええ、そのための時間稼ぎよ」
フィアールカは一度『練金の泉』の面々へと目を向ける。
新しく防御壁を張り直し、フィアールカに頷いてみせたのは、副官のオサランだ。
「僕達はお前の馬鹿さは知っている。さっさと決めろ、そう長くは保たないぞ」
「──分かっているわ」
フィアールカは静かに答えて、瞑想するように目を閉じた。
「それと君」
「ひゃ、ひゃい!?」
ツヅリがフィアールカの幻想的な姿に一瞬目を奪われていると、オサランから急に声をかけられた。
変な声を出して思わず赤面するツヅリに、オサランは銃弾を込めながら丁寧に尋ねる。
「……さっきは助かった。名を聞いておこうか」
その声音が存外に優しくて、ツヅリは素直に返事をしていた。
「え、あ、シラユリです。ツヅリ・シラユリ」
「ではシラユリくん。すまないがフィアールカの護衛を頼む。彼女はこれから一番無防備になる。前からの攻撃は僕らが防いでみせるが──いつ奇襲があるか分からない」
「は、はい!」
それきり、オサランは再び戦線を見て、カクテルの宣言へと戻った。
降り注ぐ魔法の雨が、長々と会話する時間を与えてはくれない。
ツヅリも今一度、銃を握り直す。
奇襲をしかけるというなら、そのタイミングはいつか。想像してみる。
来るときは、最初か、最後だ。
「まだ気になるのかい?」
もう幾度の攻防を重ねたのか分からない。
仮面の男はそれでも息一つ荒げていない。憎たらしいほどに余裕の態度だ。むしろ、ソウの態度に対して少し面白がっているふしさえある。
対するソウも、特に体力に問題は無い。しかし、それ以外の所に問題が無いとは言い切れない。
「そういうお前はどうなんだ? こっちが勝てば、袋叩きにされるのはお前なんだぜ?」
あえて煽るように言って、相手の出方を窺うソウ。
だが、敵はあくまでも余裕を崩さない。
「そうであれば、遠慮なく逃げさせてもらうよ。僕は君と違って、逃げられない理由などないからね」
会話しながら、ソウは自身のポーチの中の残弾を思い浮かべる。
正直に言って、量は心許ない。あと三発程度で打ち止めのものもある。ここに来て、昨日のフィアールカとの戦いからの連戦の影響が響く。
「じゃあ、せいぜい逃げられないように、お前をぶちのめすことにするさ」
ソウは強気に言葉を吐き出して、再び構える。
だが、一瞬だけ、相手から闘気のような何かが、抜けた。
まるでその瞬間に目標を達成したかのように、プレッシャーが弱まった。
それが何かの罠に思えてソウが動かずにいたところ、仮面の男は提案する。
「そんなに向こうに戻りたいのなら、終わりにしようじゃないか」
「なに?」
「次の一撃で、終わりにしようと言ったんだ」
その提案に、ソウは薄ら寒いものを感じた。
この男は本気で言っているのだと、肌の感覚が告げている。
本気で、次の一撃で勝敗を付けようと、提案しているのだ。
「なぜだ?」
「バーテンダーとして、君と差し向かいで戦いたくなった。というのではダメかい?」
相手はきっと何かを隠している。
それが奥の手なのか、それとも別の何かなのかは分からない。
だが、提案に乗るのは悪い話ではない。
この先の見えない戦いを終わらせるには、それが最も、早い。
何か罠があったとしても、構わない。
その罠を打ち砕くだけの、全身全霊で相手を仕留めればいいのだから。
「良いだろう。乗ってやる」
「本当かい? 君はそう言って、裏をかくタイプに見えるけどね」
「それが通用する相手なら、そうしてるさ」
その言葉を最後に、ソウと仮面の男は双方が距離を取る。
右手に銃を構え、合図があればいつでも放てるようにだ。
「基本属性は──そうだね。『ウォッタ』にしないかい? せっかく【氷結姫】がそばに居るんだからね」
「別に何でも良い」
ソウが答え、そしてお互いが同時にポーチに手を伸ばした。
取り出したのは幾つかの弾丸。基本となるのは青い『ウォッタ弾』。
対する仮面の男も同様だ。『ウォッタ』の他に、緑色や白い弾丸が見える。
出し惜しみはなしだ。
ソウは静かにそれらを銃へと込め、宣言──いや、詠った。
《散華氷刃。屹立する氷結の塔よ。胎動する白き棺の守り手よ》
ソウの口から詠われるその言葉は、ウォッタ属性の中でももっとも純粋に『氷』に近い、あるカクテル。それにアレンジを加えた、ソウの『オリジナル』である。
だが、ソウの目の前で、仮面の男もまた、詠い出す。
《雷轟氷紗。突き刺され、身に刻め。五月雨のごとし氷結の魔手よ》
(なっ!?)
その詠唱に、ソウは集中を乱しかける。
それは、目の前の男から出て良い言葉ではなかった。
それは、もう失われた筈の言葉だった。
だが、ソウは揺れかけた心を即座に平静に戻す。
集中を乱し、雑念を纏っては、詠唱でカクテルなど発動することはできない。
《その息吹、薄氷列ね道を為し、薄氷砕きて刃を振るえ》
《紫雲仰ぎて、白き衣を青く染め、白き体を赤く刻め》
ソウと仮面の男は二小節を終え、互いに銃を振った。
その銃の振り方は、紛れも無く対照。
効率的なまでの質実さにて、常に揺らぐことのないソウのシェイク。
伝わる全ての感触を掴み、自身を保たぬ流れのような仮面の男のシェイク。
それらは互いが互いを否定し合うようで、完璧に調和の取れた合わせ文字のようだった。
お互いに完成されたその動きを終え、最後の一文を詠じる。
《我は氷雪の奏者。冠すは『蒼龍』。我の敵は、汝の敵なり》
《我は氷雪の従者。冠すは『飛龍』。汝の敵は、我の敵なり》
直後、二つの銃は互いに唸りを上げる。
二対の黒い銃が、互いの銃口めがけ、その刃を散らせた。
「【ユキグニ・アレンジド】」
「【ユキグニ・プログレッシブ】」
銃から飛び出した氷点下の魔力は、各々がまったく同じ形を取った。
銃を中心として周囲へと、地面から氷柱が突き出す。しかしてそれらは銃の向いている方角へと、獣よりも早く伸びていく。
同時に、渦巻くような雹の集まりが、轟音と共に螺旋を描きながらその道を走る。
互いにぶつかり合ったそれらは、甲高い音を上げながらお互いを殺しあった。
それらのぶつかり合いは激しい冷気を周囲へと振りまき、やがて勝敗を決する。
ソウの放った雹の一礫が、仮面の男へと到達し、その仮面に亀裂を走らせた。
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※1117 誤字修正しました。