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本音

 ソウが取った行動は単純だった。

『ジーニ』を使って目くらましをし、その隙に乱戦中のフィアールカの氷狼を撃破。カクテルの宣言までしてみせて『陽動』に自身の狼を走らせる。

 そちらに目が行った隙に自身は気配を殺して反対に逃げ、後ろから本体を叩いたのだ。



「分かっていても、納得できませんね」

「本気を出せって言ったのはそっちだぜ」

「……それはそうですけれど」


 フィアールカが気に入らないことも、ソウは当然分かっていた。

 おおよそ、普通のバーテンダー同士の『決闘』とは、お互いが示し合わせたようにカクテルを撃ち合って、技巧を競い合うものだ。そこに『連式』や『無詠唱』のような離れ業の入る余地はない。


 少女はそれを嫌った。


 そのような形式にそぐわないソウのカクテルを評価し、それを使わせて、なお打ち破る。そのような戦いを望んでいるふしがあった。その為に儀礼的な『カクテルの競争』ではなく『実戦』を欲していた。

 しかし、ソウとフィアールカの間では『実戦』に対する意識の違いがあった。

 だからこそ、ソウはあっさりと勝ちを拾えたのだ。


「『決闘』だから『カクテルで決着』、なんて思い込んだ時点でお前の負けなんだよ」

「…………」


 フィアールカはぶすっとした態度で、しかし言い返せずに口をつぐむ。

 空に再び姿を見せていた月明かりは、この戦いの勝者がどちらであるのかをはっきりと見ていた。その際にかけた『条件』も含めて。


「さて、俺が言うのもなんだが、分かってるな?」

「……まあ、仕方ありませんね。『決闘』の誓いに嘘はありません」

「……案外、あっさり負けを認めるんだな」


 ソウのにやりとした表情に、フィアールカは一度静かに目を閉じる。

 感覚を研ぎ澄ませば、自身の回りには、契約を履行させるための魔力がある気がする。

 そして、覚悟を決めたように目を開き、曖昧に微笑んだ。


「なら話は早い。さっそくお前に頼みが──」

「──私の身体が欲しいのですね」

「は?」


 ソウが話を進めようとしたのと、フィアールカが自身の服の首元を緩めたのはほぼ同時だった。

 ソウの言葉の続きを待つ事もなく、フィアールカはスルスルと身に纏った豪奢なドレスをほどいていく。

 元より装飾が欠け、魔石共々布地を失った部分もあって些か扇情的だったそれは、役目を放棄して地面にぱさりと落ちる。


 後に残ったのは、清楚な下着を身に纏っただけのか弱い乙女の姿だった。

 真っ白い月明かりに照らされて妖精のように佇む姿は、宝石のように美しい。

 だが、そこでフィアールカは自身の手を動かすのを躊躇った。


「おい、フィアールカ」


 ソウの咎めるような声。

 それにびくりと反応して、フィアールカは静かにその顔を歪めた。


「はい。分かっております。ですが少々お待ちください」


 少女は動かない手を、必死に理性でもって動かして行く。

 同年代と比べてやや大きめな胸を覆い隠す下着を剥ぎ取ろうとしたところで、ソウの鋭い声がかかった。


「待て」

「……はい?」

「ちょっと、止まって目をつぶれ」

「……はい」


 ソウが高圧的に命令すると、少女は躊躇いがちに目を瞑る。これから何をされるのか分からないという恐怖が、少女の脳裏をよぎった。

 ソウの気配がゆったりと自分に近づいてくる。


 嫌悪はない。もとより、嫌いな相手というわけではない。

 だが、怖くないといえば嘘になる。フィアールカにはそういった経験はなかった。


 少し前まで、自分の意思など叶わぬと思っていた。だから少女は、自分からそういった相手を探そうとはしなかった。それは、両親の束縛から半ば逃れた今の立場になってもあまり変わっていない。

 少女がゴクリと唾を呑み込んで、迫り来る未来に構えたところで、



「馬鹿かテメーは!」

「いた!」



 フィアールカのおでこに、ソウ渾身のデコピンが炸裂した。

 額を撫で摩りながら、少女は目を見開いて目の前の男に言い募る。


「な、何をするんです!? あなたにはそういった趣味が!?」

「誰が服を脱げっつったドアホ」

「な、着たままが良いという倒錯的な趣味が」

「もうそれでいいから服を着ろ。そして俺の話を聞け」


 はぁーとソウは盛大にため息を吐いた。そして、頭に疑問符を浮かべながらもせっせと脱いだ服を着直している少女を半眼で見る。

 少女が服装を整えて、再びソウに向き直ったところで、ソウは聞いた。


「なぜ何も言って無いのに、服を脱ぎ始めた」

「……それは、あなたが私の身体を求めてくると思って」

「誰も色気のねえ小娘の、貧相な身体なんて求めねえよ」

「なっ!?」


 先ほどは色々と物怖じしてしまったとはいえ、そうまでこけにされてフィアールカは黙ってはいられない。


「だ、誰の身体が貧相です! こう見えても平均以上は──」

「だから、そういう話をしてんじゃねえんだよ」


 頭に血を昇らせる少女を制しながら、ソウはぼふっとフィアールカの頭に手を置いた。


「な、何をするんです」

「……別に、無理して強くある必要なんてないんだぞ? 何に負けたところでお前は悪くないし、責任を感じて『身体』を差し出す必要もない。俺は何も言ってないだろ」


 ソウの唐突な優しい声は、しかし、戦う前と違ってフィアールカの頭にすとんと入ってくる。

 まるで、無造作に心を揺さぶられているような、そんな気持ちになった。



「嫌々『身体』なんて差し出さなくても、『ごめんなさい、許して』の一言があれば──」


「──っ! 勝手なことを言わないで!」



 それが突然怖くなって、フィアールカはソウの手を振り払った。


「私は──私は負けたの。責任と宣誓を持って至った『決闘』に敗北したの。『練金の泉』のバーテンダーとしての私が完膚なきまでに倒されて、それで、どの面を下げて今更誓いを下げられるって言うの!?」


 ふーふー、と息を荒げるフィアールカ。

 その少女の今まで培ってきた『強者』という立場を垣間見た気がして、ソウは少女に同情的な目を向ける。


「お前は強い自分に誇りを持ってきたんだな。強い自分だから周りから頼られるのも仕方ない。強い自分だから、周りに迷惑をかけるのも仕方ない。誰よりも優れた自分だから、何を言われても気にしないし、それくらいで『自分の思い』は曲げられない。そう意地を張って戦ってきたんだな」


「……何を、わたしは、はじめから」


「もちろん、自分の気持ちには正直に生きてきた。何を言われても自分は平気だって思ってきた。自分は強いから、自分の願いは全て叶うって言い聞かせてきたな。だけど、一つだけ言ってやる。お前は強いかもしれないが、俺よりは弱い」


 ソウは先ほど振り払われた手を再度ぽんと頭に乗せた。

 否定出来ないタイミングで、否定出来ない言葉を重ねた。

 フィアールカは顔を俯けて、ソウに表情を見せないようにする。


「『練金の泉』所属の若き天才、【氷結姫】。そんな看板を背負わされたら、重苦しくてたまんねえよな。だけど、俺はそんなもん気にしない。フィアとしてのお前に言ってやる。負けていいんだ。弱くていいんだ。敗北は『身体を差し出す』ような罪じゃないし、お前の漏らした情報は『全てをかける』ほどのもんでもない。だから気にすんな」


 その言葉のあと、ソウは軽いデコピンを再びかます。

 つっ、と息を飲むような声だけを漏らし、フィアールカは黙りながら俯く。


「お前は強情みたいだし、せっかくだから命令ってことにしといてやる」


 トス、とフィアールカの頭を胸に抱いて、ソウは言う。


「勝者の命令だ。今は素直になっていいぞ。今、どんな気持ちか吐き出してみろよ。【氷結姫】の矜持も、『フィアールカ』の築いてきた立場も捨ててな」


 ソウに抱きかかえられ、額に手を当てたまま、フィアールカの喉が小さく震える。



「……悔しい」



 その一言を発した後、堰を切ったように言葉は溢れ出した。


「悔しい! 負けたのが悔しい! あんな手に引っかかったのに腹が立つ! ……だけどあなたに負けて嬉しい。私より強かったから、ドラゴンに勝てたんだって言えるから」


 少女の、意思と制約のハーフアンドハーフの言葉が、次から次へと零れる。


「でも一番は、怖いの。私が必要とされなくなることが。見向きもされなくなることが。そうすると、私は自分の思ったように生きられなくなるから! それなのに、あなたのことが気になって仕方がない。あなたは私の価値を破壊するのに、あなたから目を離せない。私はあなたが怖くて、でも欲しくて仕方がない。勝ちたくて、負けたい。悔しくて、嬉しい。分からない。私は自分の気持ちが分からないの! あなたが……分からないの」


 そこまでを吐き出すと、フィアールカは喉に詰まらせた嗚咽を少しずつ漏らし始めた。ソウの胸に頭をグリグリと押し付けて、静かに鼻を啜る。

 ソウの脳裏には、この場を切り抜けるいくつもの言葉が浮かんでいた。

 少女にとっての自分がどういう存在であるのか。ここまでストレートに矛盾をぶつけられて、少しスッキリした気分であった。


「分かったフィア。俺が教えてやる。お前にとって俺はなんなのか」


 ソウの言葉に、年頃の少女の有様でぐずっていたフィアールカが顔を上げた。


「俺は、お前の新しい『目標』だ」

「……目標?」


 人に対する言葉としてはイマイチぴんと来ないものであった。



「お前がバーテンダーになった理由は知らない。だけど、一つずつ出来る事が増えて、一つずつ壁を乗り越えて、今の実力にまで辿り着いて、そして見失っていたんだ。次に目指すべき目標をな」


「……それがソウ様だと?」


「お前にはそう見えたんだ。だから最初は喜び勇んで食いついてきた。でも途中で──ドラゴンの存在があって勘違いしちまった。『絶対に越えられない』んじゃないかって」



 ソウが遠い目で、視線の先に佇む『絶対種』を見やる。ドラゴンはこちらに一瞬目を向けるが、すぐに興味なさそうに目を閉じる。


「お前は今まで、挫折とかしなかったろ? だから慣れてないんだよ。壁を越えるのに苦労する、ってことに。でもそれはフィアが悪いんじゃない。強いて言えば、お前をそこまで退屈させちまってた、周りの連中が悪い。お前が本当は負けてもいいし、失敗してもいい──なんなら挫折して何もかも投げ出しても良いって、教えてやれなかったんだから」


 言い切ったソウは、最後に優しい声で、しかしからかうように言った。


「だから俺が教えてやる。お前みたいな小娘は、年相応にピーピー喚いて、苦労して、そんでたまに悩みながら少しずつ進めばいい。俺と正攻法で戦いたいんなら、凄まじく暇で気分が良いときになら相手してやる」


 最後の一言だけやけに迂遠だなと思いながら、フィアールカは静かに尋ねる。


「……いつか、あなたを越えられる?」

「それは分からねえ。なんせ俺も成長真っ盛りだからな」

「ふふ、なにそれ」


 ソウの諭すような下手ななぐさめに、フィアールカは作っていない笑みを見せた。

 フィアールカは初めて、自分が弱いという視点に立った。今まで決して隙を見せず、ただがむしゃらに成長して、気づいたら立っていた地点から、ようやく視野を広げた。


 自分の立つ場所が孤高などではないと知って、心の底から嬉しかった。

 それを諭したソウは、話に結論を付けるように軽く言った。


「だからお前は、敗北に責任を感じて『身体』なんて差し出す必要はない。つうか嫌々差し出されたところで嬉しくねえんだよ」

「嫌がってる相手を自分のモノにするのって、気持ちよくないかしら?」

「嫌がってる相手をその気にさせるのが良いんであって、嫌がられたいわけじゃねえ」


 ふぅ、とソウは疲れた息を吐く。そして最後に、フィアールカから視線を外して、最初に自分が座っていた大岩のあたりに向けて大声を出した。


「あと、そこで覗いてるアホ弟子! そういう展開は無いから期待しても無駄だぞ!」

「き、期待してません!」


 その岩の陰に隠れていたツヅリが、月明かりの下でもなお分かるほどに顔を真っ赤にして飛び出してきた。

 ツヅリはソウに手招きされ、すごく居心地が悪そうにしながら近づいてくる。

 フィアールカはその部外者の存在に、今更になってどきどきと心臓を動かす。


「ど、どこから見てたの?」

「お前が脱ぎ出したあたりで、なにやら強烈な殺気を放ってたぞ」

「お師匠!」


 くっくっくと笑いながら指摘する師に、ツヅリは顔を真っ赤にしながら抗議する。

 だが、それを言われて顔を朱に染めるのはフィアールカも同様であった。


「そ、そう。見ていたの。へ、へぇ」


 さっきは頭が一杯一杯で気づいていなかったが、我ながらとてつもなく大胆なことをしでかしたと、今になって恥ずかしくなるフィアールカ。

 そのフィアールカに、ツヅリは多少面白くなさそうに目を細めた。



「……言っておくけど。お師匠は、私のお師匠だからね」



 宣戦布告とも取れるようなその台詞を、ツヅリは顔色一つ変えずに言ってのける。

 しかし、続く言葉でフィアールカにもその言葉の真意は正しく伝わる。

 ぷいっと顔を背けて、ツヅリはふんと鼻を鳴らした。


「フィアには悪いけど。教えて貰うのも、目標にするのも、私の先約なんだから。だから、お師匠の貸し出しは、私の許可を取ることだからね!」


 その表情に、子供らしい独占欲を感じて、フィアールカは少し眩しそうに目を細める。

 一人の尊敬する師にずっと教えて貰える。そう信じられる環境が、羨ましかった。


「おいツヅリ。なんでお前にそんなこと決められないといけないんだ」

「うっさいですお師匠。フィアの裸見てニヤニヤしてたくせに」

「してねえだろ。覗いてたお前と一緒にすんなエロ弟子」

「じゃあリーちゃんに言いつけてやろ。お師匠が女の子裸にして泣かせてたって」

「な、リーは関係ないだろ!」



 弟子と師の不毛な言い合いは続く。

 その余りにも凸凹とした愛情ある関係に、フィアールカは立場も忘れて大きな声で笑ったのだった。


※1111 誤字修正しました。

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