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氷の抜け穴

 ソウは目の前の少女を睨みながら、思考を巡らせていた。


「開始の合図はどうする?」

「そうですね──あの月が、雲に隠れたら、でどうでしょう?」


 言われてソウは夜空を見上げる。美しい星空に大きめの月が浮いていて、そこから降る光は穏やかに地面を照らしている。だが、空の全てが透き通っているわけでもなく、ところどころにまだらな雲が泳いでいた。


「良いだろう」


 ソウは頷き、少女の動きをつぶさに観察する。

 もとより彼女は戦うつもりでいたのだ。ソウの実力を知ってなお、勝つつもりでいる。 

 ならば、作戦をいくつか用意しているのは間違いない。


 対するソウは、少し迷っていた。

 正直に言って、ソウはこの『決闘』というスタイルの戦いが苦手だった。

 ただ、手段を選ばずに勝てばいいのなら、取りうる選択肢は多い。物陰に潜み、隙を窺い、戦闘と悟られずに倒すのが一番手っ取り早い。


 だが、そのような結末を、『決闘』を挑むほとんどのバーテンダーが、望んでいないということも経験として知っている。

 この『決闘』というスタイルの戦いが、決して『血闘』ではないのが、面倒だった。


「難しいことは考えないでください、ソウ様」


 ソウがそうやって考え込んでいるところで、フィアールカは諭すように静かに言う。


「私は、あなたの実力の全てと戦いたい。手加減なんてされても、嬉しくありません」


 その表情はどこか穏やかでありながら、目に見えない激情を多分に含んでいる。

 気に食わないのだ。自身がソウに格下だと思われていることが。


「分かった。悪かったな」

「ふふ。私は気に食わないことも、受け入れる程度の器はあるつもりです」

「嘘吐くな。受け入れた振りをして、いつまでも根に持つタイプだろお前」


 ソウの指摘に、フィアールカは静かな笑みを返すのみだ。

 だが、ソウの心は決まった。

 出し惜しみなし、とまでは決して言わないが、出せるものは全て出す。

 意図して封印するのは、自身の秘密に関するモノのみだ。




 その瞬間、月の姿が雲の帯に隠れた。




「っ!」


 直後、ソウは選択をする。距離を詰めるか、離れるか。

 その場に留まるという選択肢だけは、ない。選んだのは接近だ。

 体勢を低くし、一気にトップスピードまで上り詰める。

 それを睨んでいたように、フィアールカは魔石に手を触れる。先制攻撃の腹づもりだろう。


「させるか!」


 ソウは地面に落ちている小石を掴み、遠慮なくフィアールカへと投げた。


「っ! 【スクリュードライバー】!」


 少女は小石に一瞬怯むが、即座に体勢を立て直し、カクテルを放つ。

 だが、ソウはその一瞬の間に進路を転換させ、真横に移動して攻撃を避けた。


「カクテルを避けるなんて、非常識な!」


 フィアールカの言葉に反論はせず、ソウは自身の銃を展開する。

 ノータイム攻撃がある以上、避けられない距離まで迂闊に近づくことができない。

 フィアールカを中心に円を描くように、距離を少しずつ詰めながら銃弾を込める。


「略式──『ジーニ』『カットライム』『トニックアップ』」


 フィアールカの無詠唱カクテルが規格外なら、ソウの高速移動カクテルもまた規格外。

 だが、フィアールカの技術も決して劣るわけではない。


「略式──『ウォッタ』『カットライム』『トニックアップ』」


 ソウの宣言スピードに食らい付き、油断無くソウへと銃口を向ける。それは少女が、『ウォッタ』においてならソウに追従できるほど、経験を詰んでいた証でもある。

 狙いは相殺だ。動いているソウに対して、止まっているフィアールカは先手を打つのが難しい。その条件だけを見れば、ソウがやや有利に思える。

 しかし、それで止まるほど、彼女の『特異性』はやわではない。


「【グレイ・ハウンド】」


 フィアールカは右手で銃を向けたまま、左手で装飾に触れ氷狼を呼び出した。


「ちっ」


 ソウは舌打ちを一つして足を止め、氷狼を巻き込むように直線上のフィアールカを狙う。



「【ジン・トニック】!」

「【ウォッカ・トニック】!」



 ソウの銃と、フィアールカの銃。両方から別々の魔法が放たれ、空中でぶつかりあった。

【ジン・トニック】は風の渦、【ウォッカ・トニック】は水の渦をそれぞれ生み出す。

 それらは互いを打ち消し合いながら、その衝突の余波を周りに撒き散らす。風と水、その二つの魔力を。


 その煽りを受けたのは、懸命にソウへと向かっていた氷狼だ。フィアールカは、自身が生み出した狼が消え去ったところで顔色一つ変えない。


「【グレイ・ハウンド】」


 その直後には、再び少女は狼を生み出していた。

 ソウへの牽制に、氷狼を使うことに決めたのだろう。

 ソウは再び走りだし、素早く銃に弾を込める。装着していたカートリッジも交換。


「『ウォッタ』『グレープアップ』」


 省略された宣言ののち、ソウの銃からも、獣の唸り声が発される。


「【グレイ・ハウンド】」


 向かってくる氷狼への牽制として、ソウもまた氷狼を生み出した。

 少女のそれと違うのは、色だ。

 ソウの氷狼は、薄白の少女のものと違って、透き通るような透明だった。

 その姿は、まさに周囲に溶け込み、気配を忍ばせる暗殺者のようである。


 ソウは薬莢を排出しつつ、二頭の戦いを流し見る。

 狼達がぶつかり合い、互いにその喉へと牙を突き立てようと奮戦する。その戦闘能力はほとんど互角に見えた。


 シリンダーに新しい弾を込め、ソウはフィアールカの行動を観察する。

 少女の攻撃は、動き回るソウには当たらない。少なくとも効果範囲の狭いビルドは。

 対するソウは、少女へと攻撃を放つことはできるが、防がれる可能性も高い。


 お互いに決定打を欠く状況に陥っている。

 だが、お互いに決め手がないわけではない。

 フィアールカの場合、攻撃が当たらないのならば、当てられるほどに量を増やして当たるようにすればよい。そのための銃弾が、無いとは考え辛い。

 また、ソウも手数が足りないのなら『特殊な発動』でもって増やせばいいのだ。


(と、まるであつらえたように『連式』を使う舞台が整っているな)


 その状況に違和を感じはするが、どの道だ。

 どうやら発動に多少のインターバルがあるようだが、魔石消費でのカクテル発動にデメリットはない。時間をかければかけるほど、フィアールカの無詠唱カクテルの効果が効いてくる。財力があるフィアールカが有利になっていくのだ。

 ソウは歯嚙みし、こちらから目を離さない少女を睨み続けた。




(さぁソウ様。あの『二連魔法』以外に方法はないはずです)


 少女は表情を変えないままに、心の中で待ちわびていた。

 そのままゆったりとした動作で、警戒しながらドレスの装飾を撫でた。

 この服に付いている装飾だけではない。フィアールカは戦闘になった時のために、まだまだ潤沢に『ウォッタ』の魔石を荷物に詰め込んできた。対策というほどでもないが、少女のドレスの装飾が底を突いたと見て、ソウが突撃する可能性も考慮してだ。


「【グレイ・ハウンド】」


 少女の手のひらを通して、また一頭の氷狼が生み出される。先ほどの狼は相打ちになって共に活動を止めていた。


「『ウォッタ』『グレープアップ』──【グレイ・ハウンド】」


 そこに反応し、ソウもまた即座に氷狼を生み出した。


(そのいたちごっこでは、勝てませんよ)


 思考とともに、フィアールカは自身のドレスに付いた、無駄な装飾の一つに触れた。この服に付いている魔石は、全てが宝石を象っているわけではない。魔石それ自体を砕いて染料に用いたり、混ぜ込んだりもして意匠をこらしているのだ。

 つまり、この服そのものがフィアールカにとっては一つの武器なのである。


 ソウとフィアールカの中心地点で、再び狼達がお互いを喰い合う。

 このまま様子見を続けていては、つまらない結末を迎えるのは目に見えていた。


「見せてください! あの非常識な技を!」


 挑発ではない。本心である。

 フィアールカはただそれを待ち望んでいる。ソウの実力の全てをさらけ出させることを、そしてそれを自身の特異性を利用してでも打ち破ることを。


 フィアールカは今まで『決闘』において、自身の特性──『魔石』を利用したカクテルを用いたことはなかった。自らの銃のみで戦い、ほぼ全てに打ち勝ってきた。

 破れたとしてもそれは一時的なものだ。自分を破った存在に師事し研究し、必ず越えてみせてきた。彼女にとって勝敗などは、自分が高みに至る為の些事にすぎなかった。


 だが、この戦いは違った。


 責任がある、というのも理由の一つだろう。だがそんなことでは決して無い。

 純粋に、自分の持てる全てを出し切ってでも勝ちたい。そんな勝利への渇望が確かに、彼女の内には渦巻いていたのだ。


 初めて、死力を尽くしても良い相手に出会えたと、彼女の心が悦んでいたのだ。


(ソウ様を越えたい。でも越えたくない。ああ、私の中の矛盾する感情が制御できない)


 無邪気に甘えてもいい相手──自分の全てを受け切ってくれそうな相手に、ようやく出会えた。そして、その相手を止めたいという想いと、叩きのめされたいという想いは二律背反の形で確かに少女の中に存在した。

 それがたまらなく、もどかしくて気持ちがいい。


 だからといってではないが、少女は決して気を抜かない。持てる全てを出し尽くして、ソウに打ち勝つつもりでいた。

 そうでなければ、結果を受け止めることなど出来ない、と。



 戦況が大きく動くことになったのは、そのすぐ後だった。



「良いぜ、乗ってやる!」


 ソウは面白そうに声を上げ、それまで走らせていた足を一度止める。

 そして、即座に銃を乱戦の最中にある氷狼達へと向け、走り込む。


「『ジーニ』!」


 放たれた風の魔力は、狼達の争いで掘り返されていた地面に直撃し、もうもうとした土煙をあげる。

 ソウはその土煙の中に潜り込んで、その身を隠した。




「手元を見えなくするつもり!?」


 フィアールカは意図して焦ったような声を出す。

 正直に言えば、そのくらいのことは想定済みだ。この先には影響しない。

 土煙の中から、ソウの低い声が聞こえてくる。


「連式──基本属性ベース『サラム45ml』、付加属性エンチャント『グレープフルーツ45ml』『アイス』、系統パターン『ビルド』、マテリアル『トニック』アップ」


 まず一つ。土煙の中で銃が唸る。

 フィアールカは唇をにやりと吊り上げ、銃を構えた。

 ソウと戦うために用意した『特別弾』を、フィアールカは静かに込める。



基本属性ベース『ウォッタ600ml』、付加属性エンチャント『ペルノー10dash』『アイス』、系統パターン『ビルド』」



 通常の十倍。純粋な範囲強化。

 フィアールカの銃はその要望に応えて静かに震えた。だが、それでは止まらない。少女はそのまま、ポーチの中に左手を突っ込み、あらん限りの『魔石』をつかみ取った。


 その状態で身構えていると、ソウのもう一つの声がした。


基本属性ベース『ジーニ45ml』、付加属性エンチャント『ライム1/6』『アイス』、系統パターン『ビルド』、マテリアル『トニック』アップ」


 土煙に身を潜めながらソウが準備を終えた。対するフィアールカも準備を終えている。

 ソウの狙いは前回と同じく【ソル・クバーノ】と【ジン・トニック】の合わせ技だ。下手なシェイクを凌ぐ威力を持つその魔法。まともにやり合うのは分が悪い。


 だが、その組合わせに対する研究も、フィアールカは行っていたのだ。

 それを越えて、初めてフィアールカはソウに勝ったと胸を張れる。

 あとはタイミング。早すぎてはソウに対策の余裕を与えるし、遅すぎては防御が間に合わない。



 土煙の中から、黒い銃の先端が飛び出した。



 続いて猛スピードで、地を這うようにソウのコート姿が追従する。

 そこしかないと、フィアールカは躊躇うことなく引き金を引いた。


「【ウォッカ・アイスバーグ】!」


 直後、少女の目の前に鉄壁のような氷の防御壁が展開した。それはフィアールカの前方180度をぐるりと覆うように発生し、厚さはそれこそ【グレイ・ハウンド】二十頭で作った壁よりも分厚い。


 当たり前だ。これは攻撃兼用の氷狼たちとは違って、完全な防御魔法。

 魔力の定義に用いるのは『ペルノー』というハーブ系のポーションのみ。

 純粋なまでに用途を限定した結果、凄まじい耐久性を持っている。自身の視界が氷に覆われて悪くなる、という欠点はあるが、その能力はピカイチだ。


 目の前の男は突然現れた氷壁を避けるように、フィアールカから見て右へと旋回する。氷の壁の範囲を逃れて魔法を放つつもりなのだ。

 だが、それをフィアールカは決して許さない。左手に持っていた魔石を氷の盾に押し付けながら、次の手を打った。


「【グレイ・ハウンド】!」


 ソウは知り得ないことだが、魔石による『カクテル』の発動にはある制約がある。その一つは『一度につきレシピ一回分の魔法』という量に対する制約だ。

 例えば【グレイ・ハウンド】であれば、一度につき一頭しか生み出せないのだ。


 だが、それにも抜け穴はある。

 そこにすでに発動している魔法の『定義』を『書き換える』ことで、違うカクテルとして生まれ変わらせることができるのだ。


 フィアールカによって散りばめられた魔石は、相手とは反対側、フィアールカの左側の『氷の壁ウォッカ・アイスバーグ』の中に吸い込まれる。

 氷の壁をくりぬくように体を得て、新たに生まれ出た氷狼。その数は五。

 そちら側は相手の攻撃にさらされない、言わば死んだ部分だ。

 影響はない。


「さあ、ソウ様! この要塞を破れるかしら!」


 氷狼たちは一目散に目標へと駆け、フィアールカ自身は氷の壁の中で次弾を装填する。

 ──フィアールカが疑問を持ったのは、そのあたりだ。


(攻撃が、こない?)


 ソウは尚も這うように走りながら、向かってきた狼達を振り切ろうと必死に旋回している。氷狼によって魔法が威力を吸われることを恐れているようだが、そのスピードでは狼達を振り切ることなど到底できないはずだ。


「まあいいわ、攻撃が来ないのなら────え?」


 フィアールカが今のうちにと宣言を行おうとしたそのとき、氷の壁の向こうで信じられない光景があった。

 追いついた狼たちがソウへと襲い掛かる。そしていとも容易くその身を押し倒して制圧してしまったのだ。


 五頭の狼に身体を押さえ付けられ、コートの下でもぞもぞと動くだけのソウ。その手からは銃すらも手放したのか、少し先の地面に黒い塊が投げ出されている。

 それは、少女の勝利が決定した光景に他ならなかった。


(いや、違う。そんなのはおかしい)


 だが少女は、その光景がありえないことを思い出す。

 これは『決闘』なのだ。

 致命傷になる攻撃、あるいは戦闘不能や戦意喪失など、理由はなんでもいい。

 相手が戦えなくなった時点で、戦いは強制的に終わる。

 決着が着いたのなら戦いは終わるはずだ。


 だが、自分の魔法は未だに継続したまま。されど、目の前の男性はすでに戦える状態ではない。

 いや、そもそも自分は大きな勘違いをしているのでは?

 あの目の前のコートは──本当にソウなのか?




「チェックメイトだ」




 唐突に己の背後に人の気配が現れた。首筋には何か冷たい感触。確かめるまでもない。

 フィアールカはゆっくりと手を上げて銃を手放した。魔法による決着でない場合、投了の意思を示す必要がある。


「……参りましたわ」


 宣言すると、それまで発生していた『カクテル』の全てが露と消える。

 目の前の氷の壁も、コートを押さえつけていた狼達も、そしてコートの下でもがいていた『何者か』も。


 後に残った確かな気配へと、フィアールカは振り向いた。

 そこには、着ていたコートを脱ぎ捨てて、黒いインナー姿になったソウの姿があった。

 フィアールカは気分を害し、唇を尖らせる。


「──よくも『良いぜ、乗ってやる』だなんて──嘘吐き」


 ソウは手に持っていたナイフを器用に腰のベルトにしまって、曖昧に笑む。



「悪いなフィア。手加減しないってのは、こういうことなんだよ」



 自身が立てた戦略。越えられるか否かという葛藤。それらに悩んだ時間。

 そんなフィアールカの思いを全てすり抜けて、ソウは『決闘』の勝者となった。


ここまで読んで下さってありがとうございます。


自分で書いておいてなんですが、

主人公にあるまじき勝ち方する男ですね、お師匠。


※1110 誤字修正しました。

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