その身を賭す
ドラゴンが発見されたという噂は、瞬く間にウルケルの街に広がって行った。
その情報をもたらした男は、噂を広めると同時にバーテンダー達に協力を募った。
『手負いのドラゴンを討伐するために、協調作戦をおこないたい。作戦に参加してくれるものたちにのみ、情報を開示する』と。
その話を聞いたバーテンダー達は半信半疑といったところではあるが、その多くが参加を表明していた。
どの道、ドラゴンの目撃情報がないのならば乗ってみるのも悪くないからだ。
『練金の泉』はなおも沈黙を守り、場の緊張を高めている。
そしてにわかにバーテンダー達は盛り上がり、男が提示した決戦の日に備えて着々と準備を進めているのだった。
星が瞬いている。夜の山には月明かり以外の明かりもない。
普段の野宿では獣除けに『火を走らせている』が、『龍の巣』にはまともな獣は寄りつかない。
「…………」
ソウは静かに、銃をドラゴンの卵へと向けていた。
しかし、遠くにいるドラゴンは決してそれを見咎めることはない。ツヅリは眠っているので気にすることもあるまい。
込めている弾は『ジーニ』。
その照準が、四つの中心になるように神経を尖らせ、ソウは引き金を引いた。
銃口から出てきたのは荒れ狂う暴風ではない。穏やかに密度を増した、不活性の風の魔力だ。
それらは放出と同時に、速やかに卵へと向かって行き、吸い込まれていった。
ソウはその様子をしかと眺め、ふうと息を一つ吐いてから言った。
「ドラゴンの卵はな、孵化するのに魔力を与えないといけないんだ」
ソウの背後に迫っていた気配がピクリと反応し、動きを止めた。
「だからこういう、穏やかに魔力が満ちた場所と、蓄えた魔力を放出するような何かを必要とする。ドラゴンが魔力を持った鉱石を集めるのはそのためだ。知ってたか?」
「……いいえ、存じておりませんでした」
ソウはおもむろに背後の気配へと振り返る。
そこに立っていた少女と、視線が合った。
「……こんばんは。ソウ様」
「こんな夜更けに何のようだ? フィア」
冗談混じりでソウはフィアと呼んでみるのだが、少女はそこに反応も示さない。
月明かりに照らされた少女の表情に、ソウは顔をしかめる。
「……酷い顔だな。二日酔いの俺を見ているようだぞ」
「……ソウ様は二日酔いだと、こんな気分なのね」
「訂正しとくか。今のお前よりはきっとマシな顔してる」
今のフィアールカは、まるで死人か何かのように顔色が悪い。それまで自信に満ちた表情しか見せていなかった少女と、同一人物とは思えない有様だった。
「……少し、お話があります。よろしいですね?」
その話が重苦しいものだというのは、聞くまでもなく分かった。
ドラゴンから離れた位置にある、大きな岩にソウが座る。フィアールカにも座るように促すが、少女はそれに素直には従わない。
その代わりに、ソウの目の前で、少女は腰を折って頭を下げた。
「……申し訳ありませんでした。この度のことは、私の責任です」
少女の言っていることが何を差しているのかはすぐに分かった。
だが、それに対してソウは少し目を細めるだけだった。
「別に、お前に謝られることはないさ」
「でも! 私が、情報を漏らしたから」
「だから、その考えが違うっての。そもそも俺は、口止めを頼んだ覚えもないしな。お前が一生懸命噂を広めたわけでもないんだろ?」
言われて、フィアールカは沈痛な表情で頷く。だが、そう慰められたところで、気分が晴れるというわけでもないようだった。
「それでも、騒ぎの元凶となったのは私です。ソウ様には、多大なご迷惑を──」
「別に良いって言ってんだろ。お前はわざわざ謝罪するために来たのか?」
フィアールカは息を呑む。
数瞬のためらいのあと、はっきりとした声で告げた。
「ソウ様。どうかドラゴンのために戦うのは、やめてください」
ソウは少女の提案を詰まらなそうに聞き、ぼそりと言った。
「まるで、俺がドラゴンを守るために戦う、って分かってるみたいな言い草だな」
「私の知っているあなたなら、そういう選択をするはずです」
「違いない」
ソウはくっくと喉を鳴らす。だが、フィアールカはその様子に余裕無さげに声を荒げる。
「笑い事ではありません! ここで戦うということは、最悪、『外道バーテンダー』の烙印を押される可能性もあるのですよ!」
外道バーテンダー。目的達成の為なら手段を選ばない、非道なバーテンダーのこと。
その大部分は正式に認定されたバーテンダー協会には属さず、非合法に活動を行っている。その認定の方法は様々だが最も簡単な例を挙げるとすれば、反逆だ。
バーテンダー達の協調作戦に真っ向から反対するというのは、手っ取り早い方法の一つとも言えるだろう。
そこに正当な理由があるのなら話は別だが、そもそもソウは自分の行いを全く公表していないのだ。ドラゴン側に付く正当性を認められるとは思えない。
なにより、今更『瑠璃色の空』という知名度のない協会に属するバーテンダーが『ドラゴンを倒したのは自分だ』などと言い出したところで、流れが変わるわけがない。
それほど、この状況はドラゴン側にとって致命的なものだった。
にも関わらず、ソウは対して気にした様子も見せない。
「大丈夫だろ。いざとなったら覆面とかで顔隠しとけばバレないって」
「っ!」
その冗談は不覚にもフィアールカの危機意識をさらに高めた。少女の脳内には先日の侵入者の姿が思い出された。オサランは未だに意識を取り戻してはいない。
その男がこの事態を引き起こしたことは疑いようがない。そして、その存在は少女の腹の内に名状し難い不安感を潜ませ続けている。
「……私が何を言っても、意志を変えるつもりはありませんか?」
「ま、ドラゴンに比べたらまだやりようもあるしな」
「……勝てるおつもりなのですね?」
「そこまでは、言わないさ」
ソウが軽く言ったところで、フィアールカは胸に手を当て、表情を暗くする。
気まずい沈黙があたりに流れ、月明かりが作る黒い森の影が、山風に揺られて怪しく蠢いている。それは、これから起こる何かを期待する群衆のようにも見えた。
やがて、静かにフィアールカが口を開いた。
「そう、そうね────言葉でダメなら、行動で止めるしかありませんね?」
ソウは少女の雰囲気の変化に、鋭く気を張り直した。
まさしく臨戦態勢とでも言うように、フィアールカはピリピリとした圧力を放つ。
「……今度こそ、この前の続きをやろうってのか?」
「結局のところ、私はどこまでも自分勝手なのです」
夜風にドレスをたなびかせ、流れるような銀髪をさっと払ってフィアールカは微笑を浮かべた。
「心の中には、様々な想いがあります。さまざまな事が起こって、対処の暇もなく次々と問題が重なって。重圧も責任も焦燥も不安も、はっきりと感じています」
ソウを止めに来た、というのはもちろん間違いではないのだろう。
このままソウを放置して、何かあったときはきっとフィアールカは自分の責任だと思うのだ。そうでなくても、ドラゴンの討伐に失敗し、圧力がかかっているのは間違いない。
「ですが、私の中に尽きないのはソウ様への興味。あなたと戦いたい。あなたを理解したい。あなたを倒したい。そんな欲求は、出会った日からずっとくすぶり続けていました」
少女はきっと、心のどこかで待っていたのだろう。
ソウと戦うための大義名分。そのチャンスが自分のもとに訪れることを。
「だからソウ様、あなたに『決闘』を申し込みます」
その目に、不可思議な感情──愉悦や恍惚、悲壮感を混ぜ込み、フィアールカは静かに微笑んだ。その段に至っては、遠巻きにドラゴンが様子を見ているふしがあるのだが、介入する気もなければ、それができるわけでもない。
「私が勝ったら、ドラゴンを見捨ててください。全てが私の責任であるのなら、私があなたを止めてみせます」
もはや何を言っても無駄であると感じて、ソウは常より少し声を低くする。
「正気か? 俺が勝ったら?」
「ソウ様が勝ったら、私の全てを差し上げます」
私の全て、というフィアールカの言い方に、ソウは眉をひそめる。
「お前、自分が何を言っているのか──」
「分かっています。全てです。私の『身体』はもちろん、財も権利も自由も未来も、全て差し上げます。元より私が引き起こしたこと。その程度の覚悟は出来ておりますので」
そう言った少女の声に、確かな本気の響きがあった。
だが、それがどういう意味を持つのか、分からない筈はない。たとえ一時の気の迷いだったとしても『銃による決闘』に嘘はない。
「……良い度胸だな」
「ふふ、ありがとうございます」
「だから、褒めてねえよ」
はぁ、とソウはやる気のないため息を吐く。
だが、そこまでだ。
その瞬間から、頭の意識をはっきりと切り替えた。
寝ぼけた目をしたまま、勝てるような相手ではない。
「仕方ねえな。正直、お前にダラダラと付き纏われるのもうんざりだからな」
ソウは返答と同時に、自身の銃を抜き放った。
広場の中央に陣取り、ソウとフィアールカはお互いに背を向け十歩ほど距離を取る。
振り返り、対面しながら『決闘』の準備として、ポーチの中から四つの弾丸を取り出した。その四つの中に『属性弾』の姿はない。
「「基本属性『(ヴォイド)』、付加属性『オレンジ20ml』『レモン20ml』『パイン20ml』『アイス』、系統『シェイク』」」
二人は宣言のあとに、静かにそれぞれの銃を振る。
ソウの黒い銃も、フィアールカの青い銃も、夜闇の中で鈍く輝いている。
やがて二人は滑らかにシェイクを終え、相手へと銃口を向ける。
「そっちが申し込んだんだから、そっちからな」
「分かっています」
フィアールカは、一度咳払いをして、その詠唱を始める。
《待宵の鐘、鳴らすは、二本の針》
夜の子守唄のように優しいその詠唱に、ソウもまた合わせる。
《夜の誘い、掻き消すは、一つの声》
宣言と詠唱という二つの過程を終え、お互いの銃は役目を果たさんと鈍く唸る。
詠唱自体は本来ここで終了なのだが、これがただの『決闘』ではないため、少女は言葉を続けた。ソウもそれに倣う。
《捧げるは全て》
《捧げるは意志》
そして、発動の時を待ちかねる銃の意志を解放した。
「「【シンデレラ】」」
それらはお互いの身体に当たることもなく、周囲へと特殊な魔力を拡散させた。
無属性特殊魔法の一つ【シンデレラ】。
そのものには攻撃的な要素は一切含まれていない。ただ、バーテンダー同士の戦いを特殊な『決闘』へと置き換える魔法だ。
これは『決闘』に合意した二人がそれぞれに放つことで完成する。致命傷になる攻撃が当たる時点で、周囲に拡散した術者の魔力が作用して戦闘を強制終了させる魔法。
勝者側の魔力が、相手への攻撃を中断させ、敗者側の魔力が、敗者の行動を阻害する。
外道バーテンダーと命のやり取りをするのでなければ、バーテンダー同士の戦いとして一般的に用いられる魔法である。
条件さえ、付けなければの話ではあるが。
「この魔法で宣誓した『条件』は『絶対遵守』。分かってるな?」
「ええ。であればこそ、ソウ様を止められるのですから」
それがこの魔法の、一つの効果だった。
直接的な攻撃力は持たないカクテルの中で、この魔法は命がけに最も近い。
宣誓に逆らうというのは、自身の命を捨てることになるのだから。
※1106 表現を少し修正しました。
※1108 表現を少し修正しました。