暗躍する者
フィアールカは目の前に座っている老人達の顔を見る。
仰々しい長机に六人ほどが付いていて、各々がフィアールカを見ている。
どの顔も、怒りだの、嘆きだの、そういった負の感情に彩られていた。
「……それで、この失態にどう責任を取るつもりかね? フィアールカ・サフィーナ」
一番端の年老いた男が言った。
「失態とは?」
「とぼけるな。ドラゴンとの敗戦の責任をどうするつもりなのか、と聞いているのだ」
「いったい何に責任があるのでしょう?」
フィアールカはあえて涼しい顔で言う。その態度は案の定、男性をより激昂させる。
「ふざけるな! あれだけの物資と人員を投入し、おめおめと敗北するなど!」
「……それは私のみならず『練金の泉』全体の力不足かと」
「減らず口を叩くな!」
「まあまあ」
あまりにも頭に血が上っている様子の老人を、隣の老女がなだめる。だが、その老女も別にフィアールカの味方というわけではない。
ここには、今、敵しかいないのだ。
その殺伐とした空気の中でも、フィアールカは余裕を決して崩さない。
「だが、敗戦以来ドラゴンは姿を見せてはおるまい」
中央近くの老人が言う。この中では最も力ある──言い換えれば金を持っている男だ。
「それは『練金の泉』の攻撃が、ドラゴンを撃退ないし弱めたとも考えられる」
「…………」
フィアールカはそれに無言を返した。
訝しげに目を細める、老人。
「我々はそういう見解である。だが、一つ君に不可解な行動があったな?」
「……私の行動はいつもあまり理解されないようですが」
「今は言葉遊びの時間ではない。説明できるかね? 君がなぜ、戦場を離れたドラゴンを追ったのかを」
フィアールカはひょうひょうと、思いついたことを言う。
「……居場所を突き止めようと思ったのですが、見失いましたわ」
だが、老人にはその答えが気に入らなかった。
「君は嘘を吐いている」
「……さて、なんのことでしょう?」
「とぼけても無駄だ。戦闘の後、幾人かから『ドラゴンのブレスの光』を見たという証言が上がっている。だが、我々は決してブレスを食らってはいない」
「……まぁ、どなたかドラゴンの餌食になったのね。申し訳ないことをしました」
先ほどまで言い訳を述べていたのとは比べ物にならないほど沈痛な表情のフィアールカ。
そのフィアールカの前に、一束の書類が投げられた。
「……『その男』と関係があるのではないかね?」
フィアールカはそれを見て、一瞬背筋を凍らせた。
「君が熱心に調べていたそうじゃないか。その『ソウ・ユウギリ』という男について」
探るような声だ。
フィアールカは平静を取り繕って、淡々と答える。
「……そうですね。何か分かったのかしら?」
「……何もだ」
老人の声は苦々しい。だが、決して弱くはない。
「何も分からない。君が接触したという日から、その男に直接コンタクトを取ろうとしても必ず撒かれる。我々がだ。だが、面白い購入履歴が残っていたね」
老人は目を鋭くして、再度問うた。
「もう一度聞こうか、フィアールカ・サフィーナ。君は戦闘の後、なぜドラゴンを追いかけた? そして、その先で何を見たのだ?」
「……何も。申し上げた通りに見失っただけですわ」
「……ふん。よかろう。話す気になったら来ると良い」
中央の老人が決断を下した。
それはともすれば、フィアールカを糾弾し、今の地位から引き摺り下ろすつもりであった派閥の老人達には、面白くない裁定だ。
当然、他の老人たちから抗議の声が上がってくるが、その決定は覆らなかった。
それだけ、中央の老人の力は強いのだ。
「ただし、君にはしばらくの間、自由を失ってもらおう」
「あら、そういう趣味がおありなのかしら?」
「ふん。君は広告塔だ。手荒には扱わんよ。ただし、今までのような身勝手が通じるとは思わないことだ」
その言葉を受け、フィアールカはひらりと身を翻して、重苦しい部屋の扉を開けた。
(つまらない人達)
フィアールカは廊下に出て早々『練金の泉』の権力者達をこき下ろす。
少女はあの日見た光景を、誰にも話してはいなかった。
ソウに口止めされたわけでもなく、ただ自分がそうしたいからしているのだ。
その感情が、ソウに対する好意によるものなのか、それとももっと別の何かなのか、それはフィアールカの中でもはっきりとはしていない。
だが問題もない。
理由がどうであれ、言いたくないことは言わなければいいのだ。それが許される程度の立場に、彼女は立っているのだから。
フィアールカは、豪華な屋敷の庭園まで歩いて行く。
金を使うことばかり意識したこの『練金の泉ウルケル支部』において、そこは最も有意義に金を使っている場所だ。
そこにはこの地で育つ各種カクテルの材料が植えられており、自家製のハーブなどをフレッシュな状態で弾丸にすることができるのだ。
(ろくに戦えもしないくせに、なぜバーテンダー協会に固執するのかしらね)
老人達と自分の中に意識の違いがあることは、心得ている。
技術利用だの、新しい魔法の開発だの、色々とバーテンダーの可能性は広い。だが、その本質とは、高みに至ることではないのだろうか。
なぜ、金儲けなどというつまらない事にそこまで熱中できるのか。
同じ自己満足なら『カクテル』のほうが何倍も気持ちが良いのに。
(あら。これだから理解されないのね)
フィアールカは一人でふふ、と笑みを浮かべる。
大人しく言う事を聞く気など、さらさらない。
彼女はどこまでも、自分の心に正直なのだから。
「……何故本当のことを言わない。フィアールカ」
そんな彼女に呼びかける声があった。
「あら、誰かと思えばオサランじゃない。生きてたのね」
「いきなり指揮を押し付けられたんだ。死んでも戻ってきたさ」
「相変わらず、責任感の強いこと」
フィアールカの態度に、オサランはこめかみを押さえ深いため息を吐く。
その様子を半ば以上無視して、フィアールカは庭園に入る。ベンチはないが、立ち話に困るほど狭くはない。
「……君が本部に戻ってきたのを見た人間なら、君が何かを隠していることは分かっているんだ」
オサランはフィアールカの後に付いて、彼女に対して言う。
こいつもか、という思いを抱きながらフィアールカは受け流すように答える。
「なんのことかしらね」
「その時の君の顔だ。まるで落ち込んでいるようだったな」
はて、とフィアールカは思う。
ドラゴンに負け、しかも追跡に失敗した人間が落ち込まないでどんな顔をするのか。
「君がドラゴンを見失っただけなら、そんな顔はしない。いつものように腹の立つ微笑で『見失ってしまいました』と涼しげに言い放つだけだ」
「少し偏見が過ぎますね」
ここまで言われると、さすがにフィアールカでもむっとする。だが、あまり言い返せないとも、少し思う。
その感情の変化に気づいたのかはさておき、オサランは続けた。
「君が落ち込むというなら、理由は二つ考えられる。一つはそこまでドラゴン討伐に何かをかけていた場合。だがこれはあまり考えられない。君が戦闘狂気質なのは知っているが、ドラゴンを追いかけるくらいなら、再戦を待つのが懸命だと気づかない女ではない」
酷い言い草ではあるが、確かにフィアールカにも多少の自覚はある。
「では、もう一つは何かしら?」
「もう一つは、自身のバーテンダーとしての格を越えるような、何かを目撃した場合だ」
ふっと、フィアールカの顔から表情が消えた。
「君とはそれなりに長いからな。分かっている。君ほどの自己中心的で自分勝手で、なんでも最後には自分のモノになるのが当たり前だ、と思う様な人間が落ち込む何かだ。自分より少し優れた人間を見たら、喜んで近づいて行くような君が、落ち込んだ。それほどまでの力の差を見せつけられるような何か……」
オサランは、老人たちよりも鋭く、そして深くフィアールカの懐に踏み込んでくる。
「もしかして、君の目の前で『ドラゴン』が倒されたのではないか?」
フィアールカは生唾をひとつ呑み込む。
自分は今、どんな表情を浮かべているのかも分からない。
「……ありえませんわ。私に倒せないものが……他の……」
「僕もそう思う。だが、それくらいでないと、君の表情に説明がつかない」
「…………」
オサランの言葉に上手い返事ができない。浮かばない。
かつてこれほど、自分の思い通りにならない展開があったかと、フィアールカは自問する。
「教えてくれ。君は、追いかけた先で何を見たんだ?」
「……それは──」
フィアールカの息が、ふいに止まる。
だが、それはオサランの追求のためではない。
感じたのだ。この『練金の泉』の施設内で、圧倒的、違和を。
「その話。詳しく聞かせてもらおうか」
進行方向の反対側。フィアールカとオサランの背後に、その気配は突然現れた。
それも、穏健な何かではない。
生命としての危うさを感じるような、独特な雰囲気を持つ気配だ。
「っ!」
フィアールカは躊躇うことなく腰に手を伸ばした。だが、そこに掴むべき銃がない。
老人達との会談のためにわざわざ外していたのだ。
「フィアールカ! 下がれ!」
オサランが一瞬遅れで前に出る。そして同様に躊躇うことなく銃を抜いた。
そして銃の矛先にようやく目が行く。
そこに居たのは、恐らく男だった。なぜ恐らくなのか、その答えは簡単だ。
男は顔に、目の穴だけをくりぬいた真っ白な仮面を付けていたからだ。
「穏やかではないね。いきなり客人に銃を向けるとは」
表情は読めないが、その声音に銃を向けられている恐怖は微塵もなかった。
「黙れ。貴様が客人などではないことは分かっている」
対するオサランは、緊張と怒りの感情が滲み、ピリピリと音を立てていた。
「ほう。何故かな?」
「自慢ではないが、僕は今日の来客予定は全て把握している。生憎と、知り合いしかいなかったのでね」
「従者の可能性は考えないのかい?」
「従者なら、それこそ主人の側を離れる訳はない」
「確かに」
仮面の男は、特に言い訳を重ねるでもなく、オサランの言葉に頷く。
オサランは油断無く、ジリジリとフィアールカを後ろに下がらせる。
腰のポーチに手を伸ばし、油断無くシリンダーに弾を込める。仮面の男が何かおかしな素振りを見せたら、一秒と立たずに『属性弾』を撃ち込むつもりだろう。
「さっきの声を聞きつけてもうすぐ人が来る。もうおしまいだ」
「ふむ、それはどうかな」
オサランが男の言葉に眉をひそめる。
瞬間、仮面の男の姿がぶれた。
「なっ!」
仮面の男は猛接近しながら、懐に忍ばせていたナイフを投げた。
オサランはそれを咄嗟に回避する。同時に構えていた銃を高速で移動する男に向ける。
だが、その段階で男はすでに自身の『黒い銃』を引き抜いていた。
「『テイラ』」
男がそれを地面めがけて放つと、放出された細かい土が地に当たって弾け、砂埃が舞う。
一瞬のことであるが、オサランはたまらずに目を背け、そしてそれで終わりだった。
それがどういう動きであったのかは、オサランにも、そしてフィアールカにも分からなかった。だが、気づけば、仮面の男はオサランの銃を持つ腕を捻り上げていた。
「ぐぁあ!」
たまらず、オサランの手から銃がこぼれ落ちる。
「子供は『銃』をおもちゃにすべきではないよ」
仮面の男はそれを油断無く庭園の草木の中に蹴り入れると、オサランの手を取ったままその首もとにナイフを突きつけた。
「さて。交渉だよ【氷結姫】」
オサランのことを赤子のように捻った男が、その目をフィアールカへと向けた。
「交渉、ですって?」
「まあ、先ほどの話の続きなんだけどね」
その纏う雰囲気とは似ても似つかないほど、男は軽い調子で尋ねた。
「単刀直入に聞こう。龍の巣はどこにある?」
その質問に、オサランは苦痛に歪めていた表情でも疑問を浮かべた。
だが、問われたフィアールカはそうではない。
男の纏う得体の知れない雰囲気に呑まれまいと、微笑みの仮面を被り直し、言う。
「質問の意味が分かりませんわ」
「では言い方を変えようか。君の目の前で、ドラゴンが倒されたのはどこか、と聞いているんだよ。フィアールカ・サフィーナ」
男の口調は穏やかだが、その声音は決してその通りではない。
オサランの首筋に、赤い線が、はっきりと伸びた。
これ以上の誤摩化しは許さない、と言外に語っていた。
男は畳み掛けるように、言葉を重ねる。
「君たちごときでは、ドラゴンを倒せないことなど分かっている。『決戦ごっこ』ではない、本当の『決戦』は、どこで行われたんだい?」
そこには、侮蔑の色さえなかった。
ただ、当然のように、なんの感情もこめずに言ったのだ。
『練金の泉』では、ドラゴンを倒せるわけがない、と。
「ふざけるな! 我々『練金の泉』をごとき呼ばわりだと!?」
その物言いに声を上げたのは、男に拘束されていたオサランである。
オサランは喉にナイフを突きつけられたまま声を荒げる。当然その動きに合わせて刃が肉へと食い込むが、それでも言葉を止めない。
「フィアールカ、こいつの言う事など訊く意味はない! 僕のことは構わずにさっさと仲間と合流を!」
その言葉の直後、音も無くナイフはオサランの喉元を離れる。
「君、うるさいよ」
そして、その刃は、あまりにもあっさりと、オサランの腹へと突き刺さった。
「え──」
オサランは不思議そうに自分の腹を見る。赤い液体が、刃を伝ってぽたりぽたりと零れ落ちて行くのを、遠い目で見つめていた。
「最初からこうするべきだったかな。そうすれば姫様も自分の立場が分かったね」
仮面の男は、悲鳴を上げそうになったオサランの口をこともなげに塞ぐ。
そして、目の前の事態に固まっているフィアールカに向けて、弾む様な声で尋ねた。
「早く言わないと手遅れになるよ? さあ、龍の巣はどこにある?」
フィアールカは一度目を閉じる。さすがに、この危機的状況が分からないわけがない。
誰かの思い通りに動く、それはフィアールカの最も嫌いなことの一つだった。
利がないと判断すれば決して誰かの言いなりにはならないし、そうして生きてきた。
だが、目の前の状況が、それを激しく揺さぶる。
オサランの命という利か、ソウへの義理立てか。
「……ピルス山の中腹。山頂前の岩から道を右に外れた場所に、ありますわ」
氷のように冷えた感情で、フィアールカは唇を強引に動かした。
「確かかい?」
「この状況で嘘を言う趣味は、ありません」
フィアールカが付け加えると、男は物でも扱うようにオサランを解放する。途端、押さえられていた口から、苦悶の声が漏れた。
「充分だよ。命拾いしたね、君」
仮面の男は、足で軽くオサランを小突いた。オサランは呻きを上げる。
「良かったよ。人殺しは嫌いなんだ。それでは、情報に感謝するよ【氷結姫】」
男は軽く言った後に、恐るべき身のこなしでもって、屋敷にこしらえてある高い塀を越える。そこで発動する筈の対侵入者用防御魔法は、何故か発動しなかった。
「オサラン!」
フィアールカは、赤く染まった池に身を沈めている副官に駆け寄った。
その体からは、なおも血が流れ出していて、体温はみるみるうちに下降している。
「誰か! なぜ誰も来ないの!?」
言いながら、フィアールカは止血の為に『氷結』の魔法を使おうと『ウォッタ』の魔石に手を伸ばす。
その時になって、ようやく遠くからドタドタという足音が聞こえていた。