距離
エーデル湿地帯にて『練金の泉』がドラゴンに破れた。
その噂がウルケルの街に広まるのに、そう大した時間はかからなかった。
密かに後を付けていた幾人かの証言と、頑なに発言を拒む『練金の泉』の面々が、その噂の信憑性を物語っていた。
同時に『練金の泉』はドラゴンを討伐したが、秘密裏に研究するため、その事実を隠している、という噂も広がっていた。
なぜならば、その決戦の日から、ドラゴンの目撃証言がぴたりとなくなったからだ。
ウルケルの街に集まったバーテンダーは、その両方の噂を天秤にかけ、ある者は街を去り、またある者は武勇をあげると息巻いていた。
そんな噂が立っているのを知ってか知らずか、一人の男はとある農場にいた。
「そこをなんとか! 頼む! この通り!」
「だから! いくらソウちゃんの頼みでも信じられねえって!」
ソウに頭を下げられ、困惑しながらも農夫の男は首を縦には振らない。
ちなみにその男は、ウルケルの街にソウが訪れた初日に、たまたま意気投合した男である。職業は農夫、その中でも畜産を専門に扱っている。
「これ本当に『龍の鱗』なんだよ! 魔力感じるだろ?」
「俺は魔法はさっぱりなんだ! だけど、そういう詐欺はよく知ってんだよ!」
「そう言わずさ! 本当に分かるとこに持ってけば一発だから! これと引き換えに山羊を二、三頭譲ってくれよ!」
「だーめだ! 言うんならソウちゃんが自分で金に換えてきな!」
ソウが手に持っているのは、文字通り龍の鱗だ。その灰色で滑らかな一品は、確かに見る者が見たら腰を抜かしそうな魔力を放っている。
だが、あくまで一般人の農夫には、ただの綺麗なトカゲの鱗にしか見えない。
農夫は呆れ顔を浮かべたまま、ソウの体を強引に動かして農場の出口に体を押す。
「ほら! 帰った帰った! 酔いが醒めたらまた呑みに行こうぜ」
「酔ってねえよ! ああ、またな! 次は葡萄酒にしようぜ!」
ソウは言っても無駄だと判断して、捨て台詞を吐きながら手を振った。
そして、遠巻きに見ていたツヅリの側に寄ってボソリと一言。
「だめだ、あの頑固親父。話にならねぇ」
「いや、今のは明らかにお師匠の頼み方の問題でしたよ」
「呑んでる時には気前が良かったのによ」
「そこ基準にしちゃダメです」
クソっと息巻く師に、はぁ、とツヅリはため息を吐く。
二人が今やっていることは、単純。
ドラゴンの為のエサを探している所だった。
「それじゃ、交渉成立ってことでいいな」
《ああ、敗者は我だ。従おう》
それは数日前の龍の巣での話し合い。
交渉成立の握手の代わりに、ソウは軽く拳をドラゴンの肩に打ちつけた。
「あんたの体が元に戻るまでは、俺たちが面倒を見る。その代わり」
《それが済んだら、貴公の言う通り、この地を去ろう》
それがソウとドラゴンとの間で交わされた協定であった。
一つ。龍はこの地を可及的速やかに去ること。
一つ。その間の生活の保証はソウが責任を持つこと。
一つ。また、その間の卵の世話もソウが責任を持つこと。
果てしなく要約すると、この三つの内容であった。
《しかし、良いのか?》
「ああ? 何がだ?」
《これでは、貴公にほとんど得などないのだが》
苦しげに目を細めながら、ドラゴンはソウに尋ねた。
ソウがドラゴンに撃ち込んだ『テイラ』の効果は、およそ一週間は持続する。その間ドラゴンは、戦闘はおろか満足に動くこともままならない。
それほど、ドラゴンは生活を己の魔力に依存しているのだ。
だからこそ、ドラゴンはソウに素直に敗北を認めた。
更に言えば、ソウが付けた条件があくまでもフェアであったのも、その一因であろう。
『飛行』も『ブレス』も、正面から打ち破られた。それは、ドラゴンを真に実力で上回ったという証左なのだ。
それ故に、ドラゴンはソウの出した協定が不思議に思えてならなかった。
勝者であるソウには、ドラゴンの全てを奪う権利すらある。にも関わらず、それを放棄してむしろ面倒を見ると言っているのだから。
「……昔、世話になったんだよ。お前等のじじいにな」
ソウがぶっきらぼうに、顔を背けながら言う。
それを聞いたドラゴンは、ソウの持つ銃を凝視した。ふと、何か思い当たったように、その声音が優しくなる。
《……黒き銃の青年。そうか、我らが始祖の知り合いであったか》
「別に、知り合いってほどじゃない」
《最初から言えば良いものを》
「信じたのか?」
《フフ、信じぬであろうな》
それは戦闘の前とさして変わらぬ笑い声だったが、そこには怒気の欠片もない。
ソウも安心してその気を緩めて笑ってみせた。
「……あの、お師匠」
その二名のやり取りを呆然と見つめていたツヅリが、ようやく声をあげる。
「私、もう、何がなんだかなんですが」
ソウはきりっとした目を浮かべたあと、温和に笑って言った。
「簡単なことだ。お前は俺の言う事に黙って従えばいい」
「あーなるほど……って納得できるわけないじゃないですか!?」
だが、その表情にあっさりと騙されるほど、ツヅリは能天気にはなれなかった。
「つまり、お師匠が昔やらかして死にかけてた時に、たまたまドラゴンに助けられて、その恩返しにドラゴンとの諍いの仲介役になる約束をした、ということですか」
「ああ。ついでにドラゴンの倒し方もそこで知った」
「……知ってても、普通できませんよ……あんなこと」
ツヅリは相変わらずの師のトンデモ具合に、頭を押さえる。
ドラゴンに会ったことがあるだろうとは思っていたが、まさか『エンシェントドラゴン』とかいう、実在すら危ぶまれる存在に会っていたとは。
そして、そんな存在から直々にドラゴンの倒し方を教わったとは。
ソウは簡単そうに言っているが、それは並大抵のことではないのだ。
前提条件として、フレアであることは必須。そこから更に『龍殺し』を扱う剣技。変形【ギムレット】を使いこなす技量。その超加速を制御する体術。
全てが高次元でまとまった、文字通り『特別』な技術が、ドラゴンと渡り合うには必要である、ということだ。
「コツを掴めば、若い奴には勝ててたんだけどな。流石に『グレイト』級は格が違った。十回やったら九回は死んでるな」
《そう言われれば、我も溜飲が下がるというものだ》
「…………」
ツヅリは、さっきまで殺し合っていたくせに和気あいあいと話をしている、ソウとドラゴンを遠い目で見る。
(……本当に、お師匠は遠すぎるよ)
果たして、自分はあの人に追いつけるのだろうか。
あの人に憧れて、あの人に近づけると思ってバーテンダーになった。
そして、思っていた場所の何倍も近くに、自分は立っている。
直にカクテルを教わり、成長を褒められ、どんどんと近づいている筈だ。
それなのに、近づけば近づくほど、より遠くに感じてしまう。
これでは、今のほうが、ただ憧れていたころの何倍も──
「……遠い──っ」
思わずツヅリの口から言葉が漏れていた。すぐにハッと口を押さえるが、
「ん?」
ソウの耳には、しっかりとその声が聞こえていた。
「な、なんでもありません」
ツヅリは何に対して誤摩化しているのかも分からないままそう口走る。
ソウはそれを追求することはなかった。
自分でも訳が分からないままホッと胸をなで下ろすツヅリ。
だが、その後にソウは、ふと優しい声音で、明後日の方角に向けて言う。
「……むしろ、俺からしたら……」
そこで言葉を区切った。
「え?」
ツヅリはその続きを待った。何か、決定的な言葉が続くような気がした。
「……なんでもね」
だが、ソウはそこから先を呑み込んでしまったのだった。
二人の間に、なんとも言えない沈黙が漂う。
どちらとも、相手の言葉が気になるが、どうにも素直に尋ねられない、そんな空気だ。
《すまないが、そういう男女のやり取りは二人きりのときにしてもらえないか?》
ずっと傍観していたドラゴンが、ぼそりと言った。
「…………」
「…………」
ソウとツヅリはお互いに顔を見合わせ、
「はぁあああ!?」
ツヅリはそれに反応して素っ頓狂な声を上げた。
咄嗟にソウから目を反らし、ドラゴンに向かって恐ろしい剣幕で言い募る。
「な、何を言ってるんです!? 男女のやり取りって! まるで私がお師匠のこと男性として見てるみたいじゃないですか!」
《う、うむ。違うのか?》
「そ、そんなわけないですから! お師匠のことなんてっ! そんなっ!?」
《そ、そうか》
ドラゴンはたかが人間の勢いに、少し面食らって引き下がる。
そしてツヅリは、そこまでやってから、自分の今の発言の不味さに顔が熱くなった。
(こ、こんな過剰反応したら、まるで本当に……その──)
それから、羞恥と何か分からないもやっとした気持ちで、もう一度ソウの顔を見た。
「そうか。お前は俺のこと男だと思ってなかったのか」
ニヤニヤと笑うソウの顔。
そのあくまでもいつもの調子なそれが、ツヅリにはなおの事面白くはなかった。
「……そうです」
あえて淡々と返すツヅリ。
ソウはその返答に、わざと真面目な調子で言った。
「じゃあ今度一緒に風呂でも入るか?」
「はあっ!?」
「男と思ってないんなら良いだろ?」
「っ! お師匠の変態! ドスケベ!」
ツヅリは、それが冗談だとは理解しているが、それでも顔を真っ赤にして叫んだ。
その弟子のからかいがいのある姿を見て、ソウは一人笑いを堪えるのに必死になった。
というやり取りがあって、数日後の牧場である。
「やっぱり、正直に換金したほうが早いですよ」
「馬鹿言うな。絶対どうやって手に入れたのか聞かれるだろ」
「正直に言えばいいじゃないですか」
「絶対に信じられないから無理だ」
「ええー」
ツヅリとしては、ソウの無駄な秘密主義もなんとなく分からないではない。この師が、自分の過去をことさらに隠そうとしているのに関係があるのだろう。
だが、現時点ではそれ以上の最善策が浮かんでくる気がしないのである。
「仕方ない。拾ったことにするか」
「……どこでですか? 正直に龍の巣の場所でも教えるんですか?」
「……エーデル湿地帯で」
「あそこ、今凄い人だかりがあって、多分一つも残ってないですけどね」
「くそ! 乞食共め!」
ソウは悪態を吐きながら、あーと龍の鱗を空に重ねる。
ツヅリも、なんとなくこのままで良いのか、と迷う。
最初は『瑠璃色の空』のBランク昇格のために息巻いていたのだ。それがいつの間にか師の都合に振り回されて、目的がうやむやになってしまっている。
(まぁでも、良いのかな? 『練金の泉』でも無理だったんだし、それで実力不足ってことにはされないよね)
頭の中で『瑠璃色の空』のメンバーに謝りつつ、ツヅリは諦めたようにからっと笑う。
「仕方ないですよお師匠。また動物を狩りましょう」
「何が悲しくてドラゴン退治に来て、イノシシを追いかけ回さないといけないんだ……」
自分で作った仕事なのにぶつくさと文句を垂れるソウ。
そのいつもの師の姿が、ツヅリには少し苛立たしくて、そしてそれ以上にどこか安心できたのだった。
※1105 誤字修正しました。