死闘
『グゥウウオオオオオオオオ!』
ただただ圧倒されていたツヅリの目の前で、ドラゴンが吠えた。
その口を大きく開き、確かな苦痛に声を荒げている。
その身に付いた傷は、瞬時には回復しない。龍の鱗を素材に使われた『龍殺し』には、龍の魔力と同質の力がある。異物として送り込まれた龍の魔力が、溶け合って回復を阻害しているのだ。
「……こ、これなら……!」
ツヅリの口から、思わず期待の声が漏れていた。
師と、その十倍以上の体格を持つドラゴンとの争いは、どう考えても無謀に思えた。体力もパワーも、そしてスピードも全てがドラゴンの圧勝のはずだ。
だが、実際にソウはその技量でもって対抗してみせた。
師の銃が火を噴いた直後、目にも止まらぬスピードで交差し、はっきりと苦痛の声を漏らしたのはドラゴンのほうなのだ。
いくらソウの武器が『偽剣』であろうと、確かなダメージを与えているのだ。これを何度か繰り返すか、急所にでも当てられれば、勝機があるように思えた。
ソウは超加速の余波に体をならすように肩で息をしながら、ドラゴンを挑発する。
「どうだ羽根つきトカゲ。いくらなまくらでも、超スピードでぶち当てれば名刀の一撃にだって勝るだろ?」
対するドラゴンは、チロチロと魔力が漏れ出すような吐息を荒くしながら、それでも泰然とした態度で言う。
《──それはどうかな、人間》
「じゃあ、もう一発食らってみるか!?」
言いつつ、そうそう余裕はないことくらい、頭では分かっていた。
ソウは整えた息を再び乱しながら走る。
(【ギムレット】の残りは七。思ったよりもダメージがない。間に合うか?)
先ほどの超加速と引き換えに、周囲をグルグルと回っている竜巻を一つ消費している。
つまり、事前準備で得られたアドバンテージは、残り七回が限度だということだ。そして、ソウの中の勝利のビジョンではその魔法は必要不可欠だった。
あと七回のうちになんとかその剣を、ドラゴンへの致命傷にしなければならない。
(いや、考え方が違う。いかに残された回数をブラフに使って、本命を悟らせないかが重要なんだ)
ソウも、そしてドラゴンも気づいてはいる。いかに『龍殺し』がドラゴンに対して打撃を与えたところで、それは致命傷にはなりえないことに。
だが、ダメージが通る、それ自体は重要なことだ。傷つき、血が流れるということは、生き物としての死が存在するのとほぼ同義なのだから。
弱気になりそうな思考を振り払って、鋭く剣先をドラゴンに向けるソウ。
「おぉおおおおおおおお!」
向かってきたドラゴンに向けて、再度同じ動作を繰り返そうとする。
近寄って、ギリギリのところで突進を避けて、超加速だ。
ソウの視線とドラゴンの視線が交錯する。その刹那、ソウの背に冷たい予感が走った。
ベストのタイミングの一瞬早く、ソウは強引に体を上に持ち上げた。そのまま、やや上気味に超加速する。
その一瞬前にソウが居た高さを、突進に合わせたドラゴンの腕が、暴風のような勢いで通過していった。
一回見ただけで、ソウの攻撃のタイミングを完全に読んできたきたのだ。
それでもソウはすれ違い様に、剣を入れる。
だが、さっきと一緒というわけには行かない。次の一撃は、先ほどの傷とは全く別の所に浅い裂傷を作っただけである。
「ちっ」
ソウは確かに舌を打って、ドラゴンを睨んだ。
咄嗟に避けていなければ、あっさりと死んでいた所だった。
《悲しいな人間。そこまで迫っておきながら、種族差は埋められぬ》
ドラゴンは、今度は呻きも漏らさない。だが、ソウの咄嗟の回避に、さらに戦闘に意識を傾けたようだ。
ソウのことを睨む黄金に、真剣な色が宿る。肌にピリピリと感じる魔力の質も変わっていた。
「ようやく本気か、トカゲ野郎」
《その減らず口、今すぐに叩けなくしてやろう》
ドラゴンが次に取った行動は迅速だった。
その身を低く屈めて、今にも飛び上がらんという姿勢を取った。
「っ、させるかよっ!」
ソウはすぐさま『飛行』の妨害をするために剣をしまい、左手の銃を構える。
ドラゴンの『飛行』とは、すなわち魔法のようなものだ。
超大な魔力の塊である翼で『羽ばたき』を起こし、周囲の魔力を活性化させて風の魔力を翼に蓄える。
そして必要な魔力が満ちれば、それを利用して巨体を操る飛行の魔法──のようなもの──を完成させる。
つまり、羽ばたき中にカクテルで周囲の魔力場を乱してやれば、ドラゴンは飛ぶ事ができないのだ。一般的なドラゴンが『飛行』を完成させる時間は、およそ十五秒。
走りながら、弾丸を込める。迷っている暇はない。なるべく簡単で、早いものを。
「略式!」
意識の変換を手早く行い、そのまま叫ぶ。
「『ウォッタ』『オレンジアップ』!」
選んだのは即効性に富んだ【スクリュードライバー】だ。
的確に翼の脆い部分、翼膜を撃ち抜けば一発でも妨害は成功する。
というよりも、飛行だけは絶対に妨害しなければならない。空中というフィールドで戦う不利は、ちょとやそっとでは覆せない。
「【スクリュードライバー】!」
ソウはほとんどノータイムでカクテルを発動させた。時間にして十秒もたっていない。
放たれた水色の光弾は、的確に、広がっている翼めがけて飛んで行く。
しかし、その光がドラゴンの体を捉えることはなかった。
「なっ!」
ソウはその光景を見て、自身の失策を悟る。
ドラゴンは、羽ばたきもそこそこに、恐るべき速度で空へと舞い上がっていた。見上げている今も、ゆらりと宙空を旋回しながら、そのスピードを高めている。
(人間一人相手に『自身の魔力』を利用して飛ぶだと!)
頭にあったにも関わらず、ソウはその可能性を見落としていた。
ドラゴンの羽ばたきとは、あくまで補助にすぎない。自身の魔力を用いずに周囲の魔力を利用しようという行為なのだ。
当然、自身に満ちる魔力を利用したほうが、魔法発動は早く終わる。
だが、プライドの高いドラゴンは、通常、人間を相手にそのような行動は取らない。
そのはずだった。
相手のプライドの高さを計り損ね、相手の行動を推測しきれなかったのだ。
(こいつ、戦い慣れてやがる)
戦闘におけるその重大な失敗は、空中という圧倒的なアドバンテージを相手に与えた。そしてドラゴンは、立て続けるようにソウへと襲い掛かる。
《避けられるか! 人間!》
充分に加速したドラゴンが、その鋭い爪をソウに向け、急降下してくる。
避けるにも、翼を広げたその長大な面積に抜け道がない。その時間もない。
カクテルで牽制したところで、なんの効果もない。
「ぐぅ!」
ソウは咄嗟に『龍殺し』を盾にして、衝撃を少しでも減らすために後方に飛びながら攻撃を受けた。恐ろしい程の重圧がかかり、全身の細胞をずたずたにしていく。
そして、そのまま後方へと、何十メートルも吹っ飛ばされる。
(ちっ、意識を! 保て!)
今にも手放しそうになる意識を、奥歯を噛み締めながら確保する。体の痺れがまだ取れない。それでもどうにか銃弾を抜き、周囲の竜巻へと放った。
「……『ジーニ』!」
今度は竜巻に更に風の魔力を送り込む。
それは純粋に竜巻を成長させ、その身を上方へと高く舞い上げた。
恐るべき横方向のエネルギーを半ば無理やりでも上方向に変換し、山の木々に叩き付けられる展開を阻止したのだ。
体を何度か回転させ、ようやくバランスを取る。
そして前を見ると、更に自分へと猛追をかけているドラゴンの姿が目に入った。
(容赦なしかよ!)
ソウは右手にまだ握っていたままの『龍殺し』前方に投げ上げ、両手に銃を持った。
器用に両手を別々に動かし、それぞれに別の弾を込める。
右手の黒い銃には『テイラ』、左手の白銀の銃には『サラム』。
ドラゴンの攻撃を躱すためではない。
このピンチをなんとかチャンスへと変えるためだ。
「『テイラ』!」
ソウはまず、土の魔力を竜巻へと送り込む。
その二つは本来、相反するものだ。
風は変化を、土は停滞を象徴するとも言われ、互いの効果を削り合うのが通常。
だが、今はその『停滞』という属性が逆に利用出来る。
送り込まれた土の魔力は、竜巻と反発しながら混ざり合い、そこに『土の壁』を形成する。空中に足場を作ったのだ。
それを蹴ってソウは飛ぶ。これで進路は定まった。
右手の銃を腰にしまいなおし、投げていた剣を掴む。
その目前には、地上の比ではないスピードで迫るドラゴンの姿がある。
大口を開け、その牙でもってソウに止めをささんとしていた。
「『サラム』!」
左手の銃で再び竜巻を撃つ。その超加速は、進行方向へと正しく展開された。
本当にギリギリのすれ違い。ソウの『龍殺し』と、ドラゴンの『牙』がかちあう。
体皮を斬ったときとは比べ物にならない衝撃が、右手へと襲い掛かっていた。
「させるかぁあああああああ!」
衝撃を逃がすように剣を滑らせ、ドラゴンの体を回避しきった。
横目で白い何かが舞ったのが見えた。それはドラゴンの牙であった。
だがそれを観察している余裕はない。
ソウは急いで左手の銃に新たな銃弾を込めて、すかさず放つ。
「『ウォッタ』!」
流動的であり、同時に留まるものでもある水の魔力を受け、竜巻は薄く広がった。
それは足場というほど固定的ではないが、ソウの体をその場に浮遊させる風になった。
ようやく、仕切り直しというところだった。
「人間相手に、よくもまあ必死になるもんだな、トカゲ野郎」
同じく態勢を立て直していたドラゴンへ向かってソウは言う。彼我の距離は二十メートル以上離れているだろうが、相手には声が届いたようだった。
《貴様をただの人間とは思わん。我の牙を折った人間など、初めてだ》
「そいつはどうも」
相手の声は、相変わらず脳内に直接響く。ソウは軽く礼を言って、騎士の真似事のように剣を相手に向けた。
頭の中で勝つためのビジョンを思い浮かべる。
(消耗が激しすぎるが、まだ二つ残っている)
ソウが剣先を鋭くドラゴンに向け、睨みを効かす。
それを見て、ドラゴンがその巨体をピタリと止めた。
《迂闊には近寄らん。だが、せめてもの手向けだ。全力で屠ってやろう》
その一言の後、ドラゴンは遠方でゆっくりと口を開いた。
目で見ても分かる変化が、その直後に現れる。
ドラゴンの周囲の魔力が──風と言わず、水と言わず、属性も構わないそれらが光と化してドラゴンの口へと収束していくのだ。
『ブレス』攻撃。
ドラゴンの持つ最大にして最強の攻撃。その威力を打ち消すには、腕利きのバーテンダーを何十人と集めて、シェイクでもぶつける他はない。
「おいおい、大盤振る舞いも良い所だな」
だが、ソウは待っていた。相手が『ブレス』を放とうとするのを。
最大のピンチにして、最大のチャンスだ。
発動させれば、受けることはほぼ不可能。だが発動の前後には大きい隙ができる。
竜巻は二つある。回避と接近。二つも使える。
タイミングを測り切れば『ブレス』は回避できる。そしてその硬直時間に接近し、本命の一撃を叩き込む。
(充分だ)
ソウは『龍殺し』の柄を握りしめ、左手を【ギムレット】の一つへ向ける。
そのソウの行動を見たドラゴンが、ふと同情的に言った。
《とはいえ、おしいものだ。そんな結末を迎えるとはな》
いったい何を、とソウが尋ね返そうとした瞬間。
ピキリ。
嫌な音が、ソウの耳に届いた。
それは、自身の右手の先から聞こえている。
目を向けると、手に持っていた『龍殺し』に、ヒビが刻まれる。それは時間とともにピキリ、ピキリとどんどん拡大していった。
《その程度のおもちゃで、よくも我の攻撃を何度も凌いだものだ》
それは無茶の代償だった。極微量程度の鱗が使われている『偽剣』で、ドラゴンの渾身の爪を受け、ドラゴンの全力の牙をへし折ったのだ。
無理がくるのは必然。むしろ良く保った方でさえある。
「……はっ、なまくら掴ませやがって、あの女」
軽口を叩いて、余裕を見せる。それが強がりであることは誰の目にも明らかだった。
本命の一撃に『龍殺し』の存在は必要不可欠だ。
(【ギムレット】を攻撃にも利用できれば有効打は打てるだろう。だが、回避と接近と攻撃で最低三つの竜巻が必要になる)
頭の中に、違うルートをいくつも構築し、検討する。
折れた『龍殺し』の利用価値、残弾数、秘策。
それらをいくつもいくつも組合せ、最適解を模索する。だが、どうにも竜巻の残量がそれを許してはくれなさそうだった。
(いや、まだだ。銃は二本ある)
ソウがもう一度、条件を加えて思考する。
迎撃、回避、利用。
どのようにすれば、この場を切り抜けられるのか。
その答えが、まだ──
《さらばだ、人間よ》
返事を待つこともなく、ドラゴンの『ブレス』は放たれた。
それらは周囲の空気ごと薙ぎ払うように真っ直ぐにソウへと向かって行き、人間の体などすっぽりと覆い隠すような大きさの光となって、ソウの姿を呑み込んだ。
「……嘘……」
ツヅリはそれを地上から見つめていた。
ソウが超加速と人間離れした体術でドラゴンとやり合うという、まるで超常的な光景を、目を反らさず一心不乱に見つめ続けていた。
そして、その姿がたった今、光の帯に呑み込まれて消失したのだ。
茫然自失となり、唇からは意識と関係ない声が漏れる。脳が一切の思考を拒否する。
だから、後ろの気配にも気づかなかった。
「……ツヅリさん」
「……フィア?」
ツヅリが振り向くと、そこには氷の美少女の姿があった。
だが、その姿は見る影もない。乱れた頭髪は言うに及ばず、その衣服の至る所に裂傷が入り、美しいドレスは過去のものとなっている。
だが、一番ひどいのはその顔だ。ただでさえ白かった肌が蒼白に染まり、その表情は恐怖に彩られていた。
「……そんな……間に合わなかった」
フィアールカはへなっと腰を抜かし、地面へと座り込んだ。
だが、ツヅリは目に涙を滲ませながら、それでもと叫ぶ。
「……そんなわけない! お師匠が! あの人が──」
負ける筈がない!
その意志を否定するように、大気を切り裂いて何かが地面へと突き刺さった。
ツヅリとフィアがそれぞれ目を向ける。
空から飛来してきたそれは『龍殺し』の折れた剣先だった。
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※1101 誤字修正しました。