【ギムレット】
静かに対峙する、龍と人。
だが、そのどちらにも既に友好的な雰囲気は存在しなかった。
《……なんだと? 今なんと言った?》
ドラゴンは、小さい存在が言った言葉を今一度聞き返した。
「耳でも遠いのか? だから、口で分からないなら体で分からせてやるって言ったんだよ」
それに対して、ソウはあくまでも挑発するように言葉を返す。
《笑えぬ冗談だぞ人間よ。たかが二人で我に挑むというのか?》
「まさか。挑むのは『俺一人』だ」
ソウの背後で、息を呑む雰囲気がした。
あえて振り返らず、ソウはドラゴンの瞳を睨みつづける。
《身の程知らずという言葉でも足りんな。まさかその背中のおもちゃで勝てる気なのか?》
「さすがにこのままじゃ勝てないさ。だが、条件を二つ付ければ、俺が勝つ」
ドラゴンは、目の前の人間が、その言葉を信じ切っていることにすぐ気がついた。
本当に、その条件とやらで人間がドラゴンに勝つつもりなのだと。
《面白い。言ってみろ。まあ、人間ごときが考えることなど分かるがな》
ドラゴンは、誇りをもってソウの挑戦を、条件込みで受け入れる姿勢になった。
ソウはその相手のプライドの高さに、計画通りとはいえ安堵した。
問答無用と言われたら、それだけで簡単に死んでいた場面だったのだから。
「一つ。俺に準備の時間をくれ。そう長くはかからない」
人差し指を伸ばし、ソウが言う。
流石に、事前準備無しの素の状態であっては、種族差が大きすぎる。
「そしてもう一つ。これが一番重要なんだが」
ちらりとソウはツヅリの顔を見た。
今にも号泣しそうな情けない顔をしていた。
迷惑をかけっぱなしの弟子に対して、やはり申し訳ない気持ちもあるが、それでもソウは、ここで背を向けるわけにはいかない。とある約束のために。
ソウの言葉を待っているドラゴンに向かって、背中のツヅリを差しつつ言った。
「俺たちの闘いに、後ろの子を巻き込むな」
戦闘中にいちいちツヅリのことを気にしていたら、満足に戦えない。
その言葉を受けて、ドラゴンはその目を訝しげに細めた。
《条件というものは、それで良いのか? 我の『翼』や『息』を封じたいと願うのかと思ったが》
「馬鹿いうなよ。そんなもん封じなくても俺が勝つ」
わざわざ馬鹿にするような物言いをして、ソウは笑った。
ドラゴンは既にソウの無礼な態度に思う所はないらしく、静かに身を沈める。
《……ふん。我も子供を殺めるのは気が進まぬ。準備が出来たら伝えよ》
そして、昂った気を鎮めるように、静かに呼吸を繰り返した。
だが、その目は決してソウから外れない。少しでも逃げる素振りを見せれば、その瞬間に命を奪うつもりであることが、明らかだった。
ソウはその抜け目無さに苦笑いをして、ツヅリのほうを振り返った。
「というわけだ。お前はどっかに隠れて──」
「な、なに考えてるんですか!」
ソウが軽く手を挙げると、ツヅリはソウの襟元を掴み込むようにして顔を近づけた。
もはやその目は涙で潤んでいて、その体は小刻みに震えている。
「か、勝てるわけないって! 言ってたじゃないですか! なんでっ」
「それなら心配するな。俺は『ハエ』よりは『蚊』に近い」
「そんな冗談言ってる場合じゃないです!」
カラカラといつもの軽口を言う師に、それでも今日ばかりは引き下がらないツヅリ。
「馬鹿! 阿呆! 変態! お師匠がそんな無茶ばかり言うから!」
「何も相談してないのは悪かったよ。だが、必要なことなんだ」
「何にですか!」
「……けじめにだ」
不意にソウの表情が遠くなる。過去を思い出すように、その目を細める。
それがツヅリには分かった。そして、その状態のソウが何を言っても聞いてくれないことも、分かっていた。
「……私は、本当に何もしなくて良いんですか?」
ツヅリも覚悟を決め、ソウに自分の処遇を尋ねる。
「……いや、一つだけ頼みがある」
ソウは一つといって出した手を、ツヅリの腰にある銃へと向けた。
「その銃とポーチを、少し貸してくれ」
「へ? い、良いですけど」
ツヅリは師の突拍子もない提案に、戸惑いながら従った。
ツヅリの白銀の銃とポーチを、少し窮屈そうにしながら装着するソウ。
だが、銃の常識を考えれば、それは余りにも不思議な申し出であった。
銃を二つ使ってカクテルを撃つ意味は、基本的にない。
何故なら、カクテルを二つ作るのにかかる時間は、ほとんど純粋に倍だからだ。
何かの裏技で『一つの銃』で『二つ発動』させるなら、工程の省略などが入ってその限りではない。だが『二つの銃』を使う利点など、カクテルにおいては無い筈だった。
一度に弾を込めることもできず、片手だけで扱うには神経がいるし、なにより互いの存在が片方に集中するのの邪魔になる。
その疑問を弟子が抱いているのを察しながら、ソウは説明を省く。
「今からやんのは、まあ、お前には関係ないことだ。気にするな」
「でも」
「それより、お守りはちゃんと入れてあるか?」
「は、入ってます。二つだけですけど」
「十分だ」
ソウはにっかりと笑って、ポーチの中身を確認した。
「ツヅリ、お前さっきハエと蚊は変わらないみたいなこと言ってたよな」
ポーチの残弾数を確かめ、念入りに位置を調整している間、ボソリとソウは言った。
「勉強不足だから、あとで調べておいたほうが良いぞ」
「何を、ですか?」
「蚊は、どうやって人を殺すかを」
「…………え」
ソウはなんでもなさそうに、物騒な言葉を残し、ようやく位置に満足がいったのかポーチのチェックを終える。
そして、それが済むとさっさとツヅリに背を向けてしまう。
「お、お師匠!」
ツヅリは、その師の背中に無意識に声をかけていた。
「ん?」
ソウが振り向く。
ツヅリは言うべき言葉など始めから用意していなかった。何か言おうとしどろもどろになりながら、口からはただ、純粋な思いが漏れでた。
「……死なないでくださいね。私、まだ教わり足りないんですから」
「安心しろ。お前みたいな半人前を中途半端に残したりしたら、死んでも死に切れねえ」
ソウは、死地に赴くにしてはあまりにも普段と変わらない様子で、それだけを言った。
《準備は済んだのか?》
ソウが弟子との会話を終えたのを察して、ドラゴンは語りかける。
「あと少しだけ『カクテル』を使わせてくれ」
ソウは断ってから、ツヅリの銃を静かにしまって、自身の愛銃を引き抜く。
慣れた手つきで幾つかの弾薬を引き抜き、宣言する。
「基本属性『(ヴォイド)』、付加属性『クレームドミントグリーン20ml』『クレームドカカオホワイト20ml』『生クリーム20ml』『アイス』、系統『シェイク』」
一切の澱みなく宣言し、そのまま銃を、強く激しく、だが丁寧に振った。
「【グラスホッパー】」
そして自らに放つ。身体能力強化の特殊魔法【グラスホッパー】。これからの戦闘を思えば、身体能力はいくら強化してもしすぎるということはない。
それに言葉を漏らしたのは、意外にもドラゴンであった。
《良いのか? 人間は戦いの前には『黄金色』の防御魔法を使うのではないのか?》
それが【ゴールデン・キャデラック】を指していることは明らかだった。だが、ソウは首を振ってそれを否定する。
「どの道、負けたら死ぬんだ。攻撃を食らった時の心配してどうする?」
《ふふ。それも然りだな》
「それに『ガリアーノ』なんて高くて買えないしな」
ソウの言い分に、ドラゴンは少し面白そうに笑う。だが、その中の烈火の如き怒りにはひとかけらも翳りはない。
ソウは油断せずに、もう一つ『カクテル』の準備をした。
むしろ、本命はこちらである。
このカクテルを作るときには、いかにソウでも極度の集中が不可欠。戦闘中に作っている余裕は始めから存在しない。
ソウは、一度銃から薬莢を排出し、ポーチから別の弾丸を引き抜いた。
「あっ」
ツヅリの口から漏れた声が、空気を伝わってソウの耳に届く。
ソウが何を取り出したのか、気づいたのだろう。
だが、そこに戸惑いがあったのも確かだ。それは、ツヅリに教えたのと少し違う。その『カクテル』のもう一つの姿なのだ。
取り出した『ジーニ』弾と『ライム』弾を銃に込め、ソウは慎重に宣言した。
「基本属性『ジーニ30ml』、付加属性『コーディアル・ライム30ml』『アイス』、系統『シェイク』」
扱う材料は『ジーニ』と『コーディアル・ライム』の二つだけ。それもハーフアンドハーフという、比較的珍しい比率だ。
だが、この材料の組合せで出来るカクテルは、二つしかない。
そしてシェイクということは、必然的に一つへと限定される。
ソウは銃を慎重に、かつ繊細に振り始める。
決して力強くは振らない。中の魔力の塊を神経質すぎるくらいに優しく守る。
少しでも過ぎた力を加えれば、即座に台無しになってしまう危うさがあった。
やがて、ソウはゆったりとシェイクを終え、それを真上ではなく、真下に放つ。
「【ギムレット】」
それは、この場所に来る際にツヅリが扱ったカクテルと同じだった。
だが、そのレシピは大分変化している。
その結果は如実に結果へと現れた。
ソウの周りに、人間の身長のそれまた半分くらいの竜巻が、八方向に一つずつ現れる。
通常の【ギムレット】は、放ったら即、自分から離れていってしまうものだ。
だが、通常よりも相当に『甘み』を増したこのレシピは『操作性』が高い。勝手に去って行こうとする竜巻を、別れるにはまだ早いと引き止められるほどに。
それらは制御され、主の命令を待つようにソウの周りをグルグルと回る。その待機中にも、恐るべき風の魔力を吐き出し続けていた。
「お師匠、それ、【ギムレット】なんですか?」
ツヅリの質問に、答えるかどうか少し迷う。
教えてやれることなど何もない。ただのアレンジだ。
だからソウは、古代の文献を漁っていた時に見つけ、気に入っていた言葉をそのまま言ってみることにした。
「ま、こいつは『【ギムレット】には早すぎる』ってところだな」
言葉の意味は良くわからないが、ソウは自身の放った『カクテル』を好んでそう呼んでいた。まだ自分は【ギムレット】を理解するには、早すぎるという自戒も込めて。
「さ、準備は終わりだ」
ソウはもう一度銃に残った薬莢を排出し、銃を腰にしまいながら言った。
《合図などはいらん。好きな時にかかって来るがいい》
ドラゴンは、傲慢ともいえる自信から、そう言ってのけた。
だが、その目は鋭くソウを睨み続けている。決して気を抜いてはくれない。
「じゃ、お言葉に甘えて、行くぞ!」
ソウは叫び、その背に負った『龍殺し』の柄を右手に取った。
《そのおもちゃは無駄だと言ったはずだ!》
ドラゴンはその行為に激昂し、その身に力を溜めて巨体を走らせる。
人間とドラゴンの体格の差は圧倒的だ。このまま正面からぶつかれば、ソウの体が吹っ飛ばされることは必定。突進一つとっても、そこには絶望的な力の差がある。
ましてやソウは、ちっぽけな剣を一つ持っているだけなのだから。
(確かに、まともに振ったんじゃ、こんななまくら、鱗一枚通すのがやっとだろうな)
だが、ソウはにやりと笑みを浮かべ、左手を腰に伸ばす。
つかみ取ったのは、先ほど借り受けたツヅリの愛銃。
ソウは相変わらずの器用さで、その中に弾丸を一つだけ込める。
そして、ソウとドラゴンが最接近したまさにその一瞬。叫んだ。
「『サラム』!」
瞬間。左手の銃から、後方の竜巻へと向かって炎の魔力が送り込まれる。
そして、炎の余剰を受け取った竜巻は、一瞬で肥大化し、爆ぜた。
その爆発的なエネルギーを一身に受け、ソウは超加速しながら、飛んだ。
「うぉおおおおおおおおおお!」
ソウとドラゴンの体が交差する。
すんでの所でソウはドラゴンの巨体の回避に成功しつつ、その右手の剣を超スピードで振り抜いていた。鋭く、重く、確かな手応え。
交差した後には、ドラゴンの体に鮮やかな切り傷が刻まれていた。
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※1101 誤字修正しました。