龍の巣の秘密
「このあたりか」
迷いのない足取りで先行していたソウは、山の中で唐突に足を止めた。
「……ここですか?」
疑問を呈しながらツヅリは、ソウの言葉を受けて辺りの景色を見回してみる。
視界に移るのは、それまで歩いてきた山の中とさして変わらない木々と植物だ。
広い空間もなければ、そもそも空も見えない。こんな場所に龍の巣があるとは到底思えなかった。
それがツヅリの顔にはっきりと出ていたようで、ソウは少し面白そうに言う。
「じゃあツヅリ、ちょっとその木に触れてみろ」
「これですか?」
ソウが指差したのは、周囲の中では少し大きめの広葉樹だ。
ツヅリは疑いなく手を伸ばすが、その手に感じる感触は特におかしな所はない。
「これがどうかしたんですか?」
「そのままで居ろよ」
「はい?」
師の言葉の意味が分からずそのままで待機していると、ソウは唐突に背中に下げていた両刃剣を引き抜いた。
ツヅリが反応を返す前に、ソウはその剣をツヅリが手を伸ばしている木へと突き刺す。
その直後、
「わわっわ!」
そこにあった木が突然とろけた飴玉のように立ち消えて、体重をかけていたツヅリはそのまま倒れ込む。
どさりと地面に手をついたツヅリに、ソウが笑いを零した。
「くっくっく。大丈夫か?」
「お師匠。わざとですね? わざとですよね?」
「悪い悪い。でも、分かりやすいだろ?」
師から伸ばされた手を素直にとって立ち上がるツヅリ。悔しいが、ソウの言う通りに実際に体験したほうが分りやすかった。
「ようするに、ここにあるのは全部、まやかしってことですか?」
「そういうことだ。ここにある木だの草だのはカモフラージュ。ドラゴンの魔法が作ったみせかけの森の中ってわけ」
言われて見てみれば、ツヅリの目にもこの場所の異常が少しわかる。
イレギュラーが無いのだ。
自然の力で育まれたにしては、この場に存在している木も植物も、その配置までも、あまりにも整っている。
まるで『森』というモデルケースを作ったようだ。
「周囲に似せて結界を張ってるみたいなもんだからな。あると思わなきゃ見つからん」
ソウが言ったのに合わせたわけではないだろうが、先ほど消滅した大木が復活する。
ツヅリは現れたまやかしの表皮をペタペタ触りながら、師に尋ねる。
「それは分かりましたけど、じゃあ、どうやって魔法を解くんです?」
「簡単な方法はある」
「どんなです?」
「それ」
ソウが指したのは、ツヅリの腰に掛かる銀色の銃器であった。
ツヅリが何かを聞き返す前に、畳み掛けるようにソウは言った。
「課題だツヅリ。【ギムレット】を四十秒以内。最低四つ以上。開始」
唐突に出された課題に、ツヅリは一瞬ポカンとする。
だが、
「出来なかったら、また一週間『犬』な」
と時計を見つめたまま淡々とソウに言われ、弾かれたように行動を起こした。
まず、腰のポーチから急いで緑の弾頭の銃弾を取り出す。基本属性は『ジーニ』だ。
それに加えてライム、アイスと必要な材料を取り出す。
それらを、今にも震え出しそうな手で展開したシリンダーに込めている途中、「あっ」と声を上げる。そして慌てて『シロップ』も追加で取り出した。
「ちっ、覚えていたか」
ソウは憎まれ口を叩いたが、その実、安堵もしていた。
慌てていても、冷静に目的地に必要なものを確認する程度の余裕はある、と。
追加の素材も銃に込め終えたあと、ツヅリは静かに宣言した。
「基本属性『ジーニ45ml』、付加属性『ライム15ml』『シロップ1tsp』『アイス』、系統『シェイク』」
唸るように鈍い音を立てて、白銀の銃は魔力を宿す。
材料は【ジン・ライム】と酷似している。
こちらには『シロップ』が入っているが、場合によってはなくても構わないのだ。
主成分の殆どが同じであって、しかし最も大きな違いは『系統』だ。
【ジン・ライム】が『ビルド』のカクテルなら、【ギムレット】は『シェイク』のカクテル。
その違いは『魔法』という形になって、変化を引き起こす。
睨むようなソウの視線の中、ツヅリは手早くシェイクへと移った。
もともと得意だったシェイクはその動きにさらに磨きがかかっている。まだまだ荒削りではあるが、動きはより滑らかに、手首の返しは柔らかく。
伝わる感触を意識する余裕も生まれ、ほとんど無意識で最適な運動を行う。
上に、下に、かき回すように混ぜられた魔力は【ジン・ライム】よりも甘く柔らかくまとまった。
「お師匠、放ちます」
ツヅリは準備を終えた合図を師に伝える。
ソウは、合図に従ってツヅリに寄り添うように立った。
「……ちょ、ちょっと近くないですか?」
距離が近くて、少しツヅリの息が詰まる。
「あと三秒」
対するソウは機械的に残り時間を告げた。
慌ててツヅリは、銃を真上の空に向け、
「【ギムレット】!」
その引き金を引いた。
放たれた魔力は、一直線に前に伸びた【ジン・ライム】とは異なり、緑の光が空に伸びた後、周囲へと溶ける。
それが終わると、即座に魔法は力へと変換される。
ツヅリの周囲半径一メートルの場所に、人の身長ほどの竜巻が四つ出現した。
それらはツヅリの合図を待つことなく、四方へと走り出す。進むごとに竜巻はその体積を増し、周りの空気と言わず魔力と言わずを巻き込みながら肥大化していく。
【ジン・ライム】は指定箇所に一つの竜巻を引き起こすカクテル。対する【ギムレット】は自身を中心に複数の竜巻を走らせるカクテルなのである。
竜巻は周囲に展開されたドラゴンの魔法空間をボロ雑巾のようにズタボロにしながら、およそ十メートルの長さを進んで消え去った。
後には、先ほどの森など跡形もない開けた地面が広がっていた。
「……ど、どうですかお師匠! やってやりました! やりましたとも!」
だが周囲の感想もなく、ツヅリは師に対して言ってみせた。
師の唐突な課題に応えてみせたことが、少女の胸の内で興奮へと変わっていた。
「時間ぴったりに、数ぴったりか……課題の出しがいがない奴だな」
ソウは自身の時計を眺めたまま、ボソリと感想を漏らした。
そのぶっきらぼうな言い方に少しツヅリはむっとする。
だが、その後にソウは、珍しく爽やかな笑みでツヅリを撫でた。
「よくやった。成長してるなツヅリ。新しく教えた魔法も自分のものにできてる」
師のストレートな褒め言葉に、思わずツヅリの頬が緩んだ。そんなこと一つで、ここに来るまでの色々と複雑な心境が吹っ飛んでしまった。
「へ、へへ! 当然です! もっと存分に褒めてください!」
「いや、課題ギリギリのやつをそんなには褒められん」
「……ですよね」
しかしソウは決して雰囲気に流されたりはしないのだった。
「さて、ビンゴだな」
二人は、ツヅリの魔法によって本来の姿に戻った『山の中』を改めて見た。
その光景はさきほどまでとは打って変わっている。
林立していた木々はその姿を消し、緑に覆われていた地面にもところどころ茶色の部分が見える。
陽当たりはよく、肥沃な土地では意外に思えるがその原因はすぐにわかった。
地面に大きな脚を落とし込んだような跡がいくつか見える。全て、柔らかな土についたドラゴンの足跡である。
「……ひー。絶対に会いたくないです」
その足跡を見ながらツヅリが怯えた声を出した。ツヅリの体がすっぽりと収まってしまいそうな大きさである。
「会わないでどうすんだよ」
「言ってたじゃないですか。鱗が落ちてるかもって。拾って逃げましょう」
足元ばかりを見て提案するツヅリ。
「あんまり期待すんな。鳥の羽根じゃないんだからな」
言いながら、ソウもまたキョロキョロと視線を動かしている。
「じゃあお師匠は何を探してるんですか?」
「んー。見つけた」
ソウが指差す。
そちらにツヅリは視線を向けるが、大きな枯れ葉の山があるだけに見えた。
「あれはなんなんです?」
「ちょっとは自分で調べて見ろよ」
師に促され、ツヅリは恐る恐るその場に近づいてみる。そして枯れ葉を少しだけ除けてみる。つるんとした物体があった。
高さが一升瓶、幅は750mlのボトルほどの歪んだ球形であり、手で持ち上げると抱きかかえる大きさになるだろう。
それが四つほど、寄り添うようにして置いてあった。
「……お、お師匠、これは?」
「ああ」
ツヅリは自分が見つけてしまったものが信じ切れず、限界まで開いた目で師を見る。
それに師は大仰に頷いて肯定した。
「ドラゴンが人間の領域に入る理由なんてたかが知れてる。粋がってる若い龍が、好奇心から近寄ってくるか──」
一拍置いて、改めてソウは言った。
「成熟した龍が、自分が生まれた場所に戻って、卵を育てるかくらいだ」
ツヅリが驚愕の目をもう一度四つの卵に向けた。
おそらく、いや間違いなく。ドラゴンの卵を生で見つけてしまった人間は、自分たちが初めてであろうことが分かっていた。
「じゃ、じゃあお師匠、卵泥棒するんですか?」
「馬鹿、それこそ怒りを買うってレベルじゃねぇぞ」
ソウはあくどい笑みをうかべ、ツヅリに言う。
「せっかく『交渉材料』も手に入れたんだ。ま、せいぜいお話させてもらうさ」
その顔は目だけが笑っていない。どこかの悪人のようだと、ツヅリは思った。
※1028 誤字修正しました。