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【雪国】(2)

「どうぞ、召し上がれ」


 うっとりと目の前の至宝を眺めていたフィアールカは、ソウの声にはっと意識を取り戻し、頷いた。


「いただきますわ」


 縁に付いた砂糖と共に、フィアールカは液体を口の中へと滑り込ませた。

 ウォッタをベースにしたこのカクテルは、甘い。さりとて、決してくどくはない。

 抜けるような度数の高さと、包み込む甘み。その二つを優しく、すっきりと流して行くのがライムの酸味である。

 最後に口の中に残る仄かな砂糖の粒が、雪溶けのように優しく、春のような爽やかな後味を演出する。


 一口含んだだけで訪れる情報の雪崩に、フィアールカは不意に涙さえも浮かべそうになった。

 だが、それをするのは恥が勝り、少女は代わりに言葉を出す。


「……ソウ様の【雪国】は『コーディアル・ライム』ではないのですね」


 フィアールカの最初の感想は、味に対してでも、完成度に対してでもない。

 使われた『ライム』に関するものだった。


「……嫌だったか?」

「いいえ。ただ少し、思っただけです」


『コーディアル・ライム』とは、通常の『ライムジュース』に加糖したもののことである。


 まだこの世界でカクテルが一般的ではなかったころに、生のライムジュースと同時に生み出されたと言われているが、真相は定かではない。

 現在でも『コーディアル・ライム』を指定するカクテルは数多く存在し、そしてこの【雪国】もまた、その一つであった。


 フィアールカは、それ故に通常のライムで作られたことに驚きもした。

 だが、不満などあろうはずもなかった。

 それどころか、ある一つの『逸話』を思い出し、嬉しさすら込み上げてきていた。


「……今まで飲んだ、どの【雪国】よりも、上に感じます」

「それは褒め過ぎだろ」


 やれやれと、相変わらずフィアールカのペースに流されないソウ。

 その仕草に、もどかしい愛おしさのようなものを感じつつ、フィアールカは隣のツヅリに目を向けた。

 ツヅリは先ほどから、ソウの作った【雪国】を興味深そうに眺めている。


「よければ、一口どうかしら?」

「え、いいんですか?」

「だから、敬語でなくても良いのに」

「あ、えっと、良いの?」


 フィアールカはソウとは違った方面で、ツヅリにも魅力を感じていた。

 この少女のなんと不安定で、美しいことだろう。


「どうぞ」

「で、では、遠慮なく」


 ソウとフィアールカのやり取りに付いて行けず、しかし、ソウの返答が不安で仕方ないため離れるわけにもいかない。

 そんな顔をツヅリはずっと浮かべていた。

 それまでの彼女は、行き場の無い子犬のようであった。


 だが、ソウがカクテルを作り始めた途端に、目の色が変わった。

 純粋に、一直線に。

 あるいは貪欲と言っても良いほどに、ソウの技術の全てを目で盗もうとしていた。


 カクテルに関して、少なくとも熱意の部分で自身にも匹敵する。

 フィアールカは、ツヅリに初対面とは思えないほど親近感を覚えていた。


(だからこそ、ソウ様を……そしてこの子も手に入れたいと思うのね)


 フィアールカはその少し先の未来を想定し、一人幸福感と快感に身をよじる。

 そんな折、ふと頭に浮かんだことがあった。

 先ほどのミーハーな反応からして、彼女はきっと『彼』のことも知っているのだろう。ならば、これを教えてやったら、彼女はどう反応するのだろうか。

 思った時点で、フィアールカはそれをせずには居られないのである。


「ところでツヅリさん、知ってるかしら?」

「ん?」


 一口の【雪国】を味わい、幸せそうに頬を緩めていたツヅリに対し、少しの悪戯心でもって、フィアールカはそれを言った。



「かの『蒼龍』──『ソウヤ・クガイ』の得意とする『カクテル』の一つが【雪国】だったのよ? それも『コーディアル・ライム』を使わないレシピだったとか」



 それを言ったら、きっとツヅリは目を輝かせるのだろう。

 そう予想し、先ほど思い出した逸話を戯れに口にしたフィアールカの前。



 ツヅリは想像以上の動揺をもって、グラスをカウンターに落とした。

 ピンと言う軽い音がして、中の液体がカウンターの表面を流れて行く。



 しんとした沈黙が場を包み、ソウの白けるような目がツヅリに突き刺さる。


「…………」

「すみません。許して下さい。何でもしますから」

「じゃあ、してくれるかな? 掃除」

「はい! ただいま!」


 その一言のあと、ツヅリは急いでカウンターの上を乾いた布で拭く。

 幸いグラスは割れずに済んだし、フィアールカの服も濡れなかった。その代わりにツヅリのボロい服と、その瞳が濡れているわけだが。

 せっせと言われた通りに掃除するツヅリを半眼で睨みつつ、ソウはフィアールカに言った。


「悪いな。作り直す」

「いいえ、お気になさらず」


 フィアールカは、想像以上に反応したツヅリに俄然興味が湧いた。

 この少女は、何か知っているのではないか。


 もしかしたら、姿を消した『蒼龍』と何かしらの接点があるのではないか。


 そして、その気持ちが一つの行動を起こさせた。


「その代わり、一つお願いがあります」

「なんだ?」

「ツヅリさんの作った【ダイキリ】が飲んでみたい、と思います」


 ヒーヒーと言いながら散らばった砂糖を集めていたツヅリは、突然名指しされ、


「へ?」


 と、間が抜けた声を出すのだった。




「ほ、本当に勝手に入って良いんですか?」

「大丈夫だろ。お前もバーテンダーなんだし」


 ツヅリがビクビクとしながら師に尋ねるが、ソウは真面目に取り合うこともない。

 そもそも他人の店なのに、と思わなくないが、ツヅリは覚悟を決めて前を見る。


 現在の立ち位置。ツヅリがカウンターの中に居て、その隣にソウ。目の前にフィアールカというものである。

 緊張で手足がガチガチに震える。そもそもツヅリは今までカウンターの中に立ったことなど一度もない。自分の作った『カクテル』を師と協会の人間以外に飲ませたこともない。

 ただでさえ初めてづくしなのに、極めつけはその相手が『練金の泉』という超巨大なバーテンダー協会の、その更にてっぺんの方の人間なのである。


「じゃあ、客が来たら対応頼むな」


 ソウはそのツヅリの胸中を知っているであろうに、あえて面白がって言う。


「お師匠! 止めて下さい! そういうこと言うと来ますから!」

「……あ、いらっしゃいませ」

「へっ!? いらっ……誰も来てないじゃないですか!」

「ドア開いてないんだから当たり前だろ」


 クククと笑うソウに指摘され、ツヅリは羞恥心を存分に逆なでされた気持ちになった。

 なにより、そんな分りやすい冗談に、当たり前のように釣られた自分が嫌だった。


(落ち着こう。今はお師匠のことなんて無視しよう。目の前を見よう)


 一度気持ちを落ち着けて前を見る。


「ふふ。最高の【ダイキリ】をお願いね」

「ひゃ、ひゃい」


 目の前は目の前で、笑顔という名の言い知れぬプレッシャーを放つフィアールカが待ち構えているのであった。

 彼女は何故、急にこんなことを言い出したのか。

 何かの見せしめなのか、ガクガクと震える自分を見るのが楽しいのか。

 普段のツヅリからは考えられないほどネガティブな意見が溢れてくる。


(う、ううん、大丈夫。相手が誰だろうと関係ない。精一杯やるだけ)


 自分がいとも容易く雰囲気に飲まれていることを自覚し、一度深く呼吸する。

 そしてツヅリは、目の前のシェイカーに手を伸ばした。




「……お待たせしました」


 ツヅリはなんとか【ダイキリ】を完成させた。

 それをフィアールカは、少し硬くなった表情で一口含む。

 そして、言った。


「……今後に期待します」


 言われてツヅリは、ガクッと肩を落とした。

 ちらっと師の様子を窺うが、怒りを通り越して呆れていた。

 何を言われるか、ツヅリは自分でも良く解っているつもりだった。

 ソウが言いたくなさそうに、それでもしぶしぶと口を開いた。


「言いたいことが──」


 その時だった。

 言葉を止めたソウが、凄まじい敵意を入り口のほうに向ける。

 遅れてフィアールカもまた、その瞳を鋭くさせた。

 何をしているのか分からなかったツヅリの理解が追いつくように、現実という空間が否応無しに変化した。


「────」


 カランと来客を告げる鈴の音が、踏み込んでくる足音によって細かく分断される。

 入り込んできたのは、数にして四人。二人の男と二人の女。

 暗色系の服に身を包んで、暗い店内においてもなお暗い。

 その顔は見えないが、その手に構えたナイフと、腰に下げた銃ははっきり分かった。


「……『練金の泉』、フィアールカ・サフィーナだな?」




 ナイフを構えた男が一歩前に出て、フィアールカに尋ねた。

 その出で立ちは、どう見ても穏便に話し合いをするつもりには見えなかった。


ここまで読んで下さってありがとうございます。


今更言うのもなんですが、作中に出てくるレシピはあくまでも一例です。

自分の知っているレシピと違っていたりしても、

まぁ、そういうこともあるかと流していただけると幸いです。


※1021 誤字修正しました。

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