【雪国】(1)
「で、この現状をどうしてくれんだ?」
「すいません。本当にすいません」
「謝って済むんなら、お仕置きは要らねえんだよな」
「ごめんなさいわん! 許して下さいわん!」
現在地は未だにバー『セブンスフィール』である。
だが、そこにはバーテンダー然としたソウもいなければ、初対面という体のツヅリもいない。更に言うと、ツヅリ、フィアールカ以外の客も一人もいない。
つまり、ツヅリとフィアールカの貸切り状態が完成していた。
「てめぇが変に喚くから、色々とパーになっちまっただろうがこのアホ!」
「すいません! でもっ……だって!」
「でももだってもねぇんだよ! この仕事歩合制なんだぞ! 売り上げが給料なんだぞ! 客が居なかったら商売上がったりなんだぞ!」
客がいなくなった理由の全てをツヅリに押し付けるのは酷だ。
だが、直接の原因が誰だったかと言われるとツヅリなのである。
フィアールカの先ほどの発言、その直後のツヅリの怒号。
そして、この店の客とは、まだそれほど面識のないソウ。
その三人の様子を見た他の客たちは『痴情のもつれ』か何かを、この『バーテンダー』が店に持ち込んだと思った。『バーテンダー』の争いは、時に周りを巻き込む。その程度の認知はこの世界に生きる者にはあった。
その結果、来ていた客はそそくさと代金を払って店を出て行ってしまい、完成したのがこの空間なのであった。
「これから先、ここでどうやって働いたらいいんだよ……」
「あら、良いではありませんの。お金が欲しいのでしたら私がいくらでも」
珍しくソウが弱音を吐いたタイミングで、事の発端を作ったにも関わらず欠片も気にしていないフィアールカの声。
ソウはその様子に息を濁らせながら、目線をフィアールカに向けた。
「……おいお前」
「その呼び方は嬉しくありません」
「じゃあ、フィアールカ・サフィーナ」
「それもいけません」
しっ、と唇に人差し指を当ててから、フィアールカは懇願するように言葉を重ねた。
「フィアと呼んで欲しい。最初にそう告げたはずですよね?」
「……それじゃあ敢えて呼ぶが、フィア」
「はい」
ソウに名前を呼ばれた事実に、本当に嬉しそうに笑むフィアールカ。それをソウは意図して理解したくないと思いつつ、本題を尋ねた。
「ご多忙な筈の『練金の泉』のアイドルが、いったいどんな要件で俺に絡むんだ?」
皮肉を効かせすぎて、少しカラくなったソウの言葉に、
「れ、『練金の泉』!?」
最初に反応したのは、さっきまで固まっていた、小市民感覚の抜けないツヅリであった。
「お、お師匠なに言ってるんですか? こ、この私とあんまり年齢変わらないフィアが『練金の泉』のアイドル? え、もしかして、あの【氷結姫】!? 『史上最年少で最強のウォッタ使い』!?」
驚愕の目で、隣に座ったフィアールカと師の顔を相互に見比べるツヅリ。
「……ツヅリ。その反応はバカ丸出しだから、せめて俺と二人きりのときにしてくれ」
「す、すいません」
ソウはその弟子の相変わらずミーハーなだけの知識に苦笑いを浮かべる。フィアールカは静かに、だが肯定するように笑みを浮かべるだけだった。
「ふふ。ソウ様、良く気がつきましたね」
ソウも流石に、あんな劇的な出会いをしては、彼女の存在を忘れるわけにはいかなかった。だが、それを調べ始めてから見つけるまでは簡単だった。
バーテンダー総合支部にて、フィアールカの名前を調べれば、一発だったのだ。
「秘密主義の『賢者の意思』とは違って『練金の泉』は宣伝に力を入れるからな。フィアールカって名前だけで充分すぎるほどに分かったさ。どうりで、聞き覚えのある名前なわけだ」
「ずるいです。私はあなたのことを調べるのになかなか苦労しましたのよ。ナナシ様」
フィアールカは手を頬にあてて、睨むように言った。
「おかげでお会いするのに二週間もかかってしまいました。次に出すのはもっと簡単な課題にして欲しいものです」
「……俺は課題を出した覚えなんてないんだけどな」
「あら……申し訳ありません。この程度、あなたには当たり前のことだったのですね。勝手に勘違いしてしまい、恥ずかしいわ」
言って、本当に恥ずかしそうに頬を染めて俯くフィアールカ。
ソウは、間を取るように【ブルー・ムーン】を口に含み、呑み下す。
双方の感情は違えど、共にゾクゾクとした感覚を背中に感じていた。
「で、本題だ」
「本題、ですか?」
「ああ。お前の目的はなんだ?」
きょとんと目を開くフィアールカ。
「何の目的があって『俺が欲しい』なんて言ってるんだ?」
静かに告げてから、ソウは最後の一口まで【ブルー・ムーン】を飲み干した。
言われた方のフィアールカは、何を尋ねられたのかを、少し考え込むように間を置いた。
ソウを真似するように、自らも前にある【ソル・クバーノ】を口に含む。そして飲み、口を離す。また口を付ける。
その作業を何度も行って、少しずつ、ソウの質問の意図を理解しようと進んでいく。
だが、タップリと時間をかけ、【ソル・クバーノ】を飲み干してもなお、難しい顔でフィアールカはソウに質問を返した。
「申し訳ありません。質問の意味がわからないので、教えてくれます?」
「……なんだ?」
「なぜ、ソウ様を欲しがるのに目的が必要なのですか?」
「…………な」
思わず、ソウの方が言葉に詰まった。だが、返答を考える時間もなく、それを稼ぐための飲み物もその場にはなかった。
「……なぜって、普通だろ。『喉を潤したい』なら『飲み物を飲む』し『魔法を使いたい』なら『カクテルを作る』。俺が欲しいってんなら、何か目的があるはずだろ」
「そうでしょうか? 私はそうは思いませんわ」
少女はまだ不思議そうに目を細めたまま、だがはっきりと述べた。
「欲しいと思ったら手に入れる。そこにそれ以上の理由など存在いたしません」
その返答に至って、ソウはようやく少女との根本的な思想の違いを知った。
ソウにとっては『目的』があって『手段』を用いる、というのが行動の原理としてあるものであった。
だがこの少女、フィアールカにとってはそうではないのだ。『目的』がすなわち『手段』。自己を完全に中心に置いた思想で生きてきたゆえに『欲しい』と思った時には『手に入る』というのが当たり前なのだ。
そこに目的の有無などは関係ない。目的があるときもあれば、ないときもある。
今の質問は、少女にとって『なぜ呼吸をするのか』と尋ねられたのと、ほとんど同義なくらいに、質問の体を成してはいないのだった。
その言葉の後に、少女はまたグラスに口をつけ、飲み物が空だったことに気付く。
「……なにか作るか?」
「そうですね」
接客とは思えないソウの言葉に、少女は少し言葉を含ませ、するりとそのカクテルの名前を出した。
「【雪国】を」
その注文をされ、ソウは少し──誰が見ても分からないほど微細にだけ動きを止めた。
しかとフィアールカの目を覗き込み、そこになんら意図がないことを確認する。
「──かしこまりました」
フィアールカは不思議そうに微笑みを返すだけなので、ソウは作業に入った。
最初に用意するのは三角のカクテルグラス。そして、シェイカー。
グラスを拭いたあと、ライムの果実をカットしてその断面をグラスの縁に一周させる。付けた果汁に乗せるように、慎重にグラスに砂糖の粒を飾り付ける。
今から作る【雪国】は、俗に言う『スノースタイル』のカクテルである。
その作業を終えると、グラスを冷やすために一度『冷凍庫』に入れ、入れ替わりで必要な材料を全て用意する。
『ウォッタ』『アイス』『ライムジュース』、ボトル棚からは柑橘の皮の甘さを凝縮させたような独特のポーション『ホワイト・キュラソー』。それと最後の『仕上げ』だ。
カットしたライムの果汁を絞り、足りない分をジュースで補って10ml。
とろみのある『ホワイト・キュラソー』を慎重にメジャーに注ぎ、同様に10ml。
最後に冷凍庫にて氷点下まで冷やされていた『ウォッタ』を、40ml。
材料をシェイカーの中に注ぎ入れて、軽く味を見る。過不足のない、甘みと酸味。
シェイカーを氷で満たすと、蓋をして、シェイクを始める。
要領は『銃』と一緒だ。重心の位置が僅かに異なるが『銃』は始めから、この『シェイカー』を参考に作られているのだから。
中の液体を、むらなく、空気や氷と絡ませながら混ぜ合わせる。
時間や回数などに決まりはない。
中の様子を伝えてくる音と、温度を感じる指と、そして経験だけが頼りだ。
やがて、ゆっくりとシェイクを終え、急いで冷凍庫からカクテルグラスを取り出す。
それを「失礼します」と一声かけながらフィアールカの前に出し、シェイカーのトップを開けて中身を注いだ。
空気と混ざり合い、薄く白くなった液体がグラスを八分目まで満たす。
だが、そこで終わりではない。最後の『仕上げ』として、よく水気を取った『ミントチェリー』を、雫を立てないように静かにグラスに落とした。
「お待たせしました。【雪国】です」
ようやくソウはその言葉を口にした。
【雪国】の外見は、まさしくといったところである。グラスの縁を新雪のような真っ白い砂糖が覆い、その下に薄白い氷のような液体が続く。しかし、その最下部。グラスの底には春を待つ緑のようなミントチェリーが位置している。
見た目だけでストーリーが完結しているような、美しいカクテルである。
ソウは、そのカクテルを見ながら一つだけ思った。
『あれ』を入れれば、自分の完璧である──【ユキグニ・アレンジド】になるな、と。
※1021 誤字修正しました。