疑惑からの尾行
二人が到着してから、およそ二週間が過ぎた。
バーテンダー協会本部に続々と集まるドラゴン目撃情報だが、それでも決定的なものは見つかっていない。
まだ、巣の在処も、出現の規則も判明してはいないのだ。
あえて一つ挙げるとすれば、どうにもドラゴンは力を蓄えるように、魔力を帯びた物や栄養のあるものを集めているらしい。
だが、そこまで分かっても、それを調査しに行く余裕は二人にはなかった。
「あー、づがれだー」
安い宿の硬いベッドに身体を沈め込んで、ツヅリは息を吐いた。
その服装はバーテンダーのそれではない。白くて赤くて、ヒラヒラでフワフワの給仕服である。
「おう、おかえり、人気ウェイターになった感想はどうだ?」
「ぶっちゃけしんどいです」
宿で待っていたソウは、一気に老け込んだような弟子に声をかける。
「しかし驚いたな。お前の才能ってやつには」
「……どんな才能ですか」
ツヅリはソウを睨む。師の顔がいやらしく歪んでいる。
師がこの先になんて言うのかがなんとなく分かった。
「『獣人カフェ』で、まさか本物を抑えてナンバーワン『犬ウェイター』に──」
「誰のせいだと思ってるんですかわん!」
ツヅリは頭につけていた犬耳を剥ぎ取ってベッドに叩き付けた。
ツヅリがとりあえずの職場として選んだのは『ワンカフェ』という店である。もっとも、選んだときには『給料の良い喫茶店』だと思っていたのだが。
ウルケルの街は人流も盛んなので様々な人種が溢れている。当然のことながら、人間以外の種族の姿も多い。
そしてその店は、そんな人種交流の場所として、大々的に開かれている店の一つだった。
そこに何も知らずに面接を受けに行ったツヅリは、何故か採用になった。
真実を知ったツヅリの、投げやりな態度から繰り出される、まったくやる気のない『わん』が、マンネリ化していた店に新しい風を送り込んだらしい。
「ぷっくく、いや、俺も何かの役に立つかと、くく、思ってお前に犬の訓練を、っぷふ」
「せめて笑わないで言って貰えます?」
半ギレになりつつ、じとっと睨むツヅリ。だがソウはまったく怯んだりはしない。
「いいじゃん、ツヅリ犬。可愛い可愛い」
「っ! お師匠のアホ!」
唐突に可愛いと言われて、グッと俯いてツヅリは悪態をつく。
不覚にも、ほんの少しだけ嬉しかったのだった。
「んじゃ、俺もそろそろ行くか」
一通りツヅリをからかった後に、ソウは向かっていた机から目を外し、立ち上がる。
机の上には、ここ最近の目撃証言と、ドラゴンの生態に関する資料が並べられている。
今の二人の仕事は分担制だ。
昼はツヅリが働きに出て、ソウはドラゴンの情報を集めている。
夜はソウが働きに出て、ツヅリは寝るまで資料の整理を行っている。
ではあるのだが、ツヅリは一つだけ気になることがあった。
「お師匠……本当に働いてるんですよね?」
「……なんでそう思う?」
「別に、です」
ツヅリは、実のところソウの夜の行動を少し疑っているのだった。
それは、ソウが夜に働くと言ってから、ほぼ毎日続いていた。
ツヅリも最初は何かの勘違いだと思っていたのだが、連日続くと疑惑になる。
ソウの服からは、毎日毎日、女物の香水の匂いがしているのだ。
(もしかして、どこかの女性に貢がせてる、とか、ないですよねお師匠?)
そして何より、ソウはツヅリにどこで働いているのかを教えてくれていない。
それは言い換えると、ツヅリには言えない何かをしている、と思えてならなかった。
「……まあ良い。それじゃ、後は頼んだぞ」
「わかりましたー」
ソウはツヅリの葛藤をまるで意に介さず、さっさと『仕事』に向かった。
ツヅリは部屋の窓から、ソウが宿を出て、道を歩いてどこかに行くのを確認する。
「さてと」
それからすぐに、外に出た。
目的は一つ。ソウの職場を突き止めることだ。
「絶対怪しい。もし、不潔なことをやってたら、許さないんだから」
どうして、許せないのか。
その理由には気付かないまま、ツヅリは心の内のぐつぐつとした感情に従った。
「……いない」
そして、ソウを見失ってしまったのだった。
「なんで? お師匠はいったいどういうルートを通ってるの? なんでこんな路地裏を何回も通る必要があるの?」
ツヅリは少し半べそをかきながら、見覚えのない道の中央に立っていた。
ソウの尾行は、まったく予定通りにはいかなかった。
まるで、誰かに尾けられているのが『分かっている』かのように、ソウはわざと道を曲がったり、人ごみに紛れたり、あげく迷路のように入り組んだ道に入ったのだ。
ツヅリが慌てて追いかけた時には、そこには人の影すらなかった。
「ど、どうしよう。帰れる自信がないんだけど」
尾行に夢中だったツヅリは、今までどんな道を通ったのかがまるで分かっていない。
さらに言うと、もともとツヅリは地理には強くない。
初日にソウと別れて宿に戻るときですら、大通りまでソウに送って貰ったのだ。
「もしかして、私、完全に迷子?」
自覚すると、途端に胸中に不安が満ちた。
見知らぬ土地で、一人ぼっち。急速な切なさと、暗闇の原始的な恐怖が瞬く間に頭の中を埋め尽くして行く。
(も、もしかして、ここで暴漢に襲われでもしたら……)
そう思うと、急にそれが『今にも起こりそうな未来』に感じられる。
その思考の直後。
「そこのあなた」
後ろからの声。
「うぁあああ!」
ツヅリは叫びながら、振り向き様に銃を向けた。
だが、そこに居たのは全く暴漢でもなんでもない、一人の少女だった。
「……えっと、銃を下げてくれる?」
少女は失礼にも銃を向けられたのに関わらず、涼しげに笑みを浮かべている。
「す、すみません!」
ツヅリは慌てて銃を下げる。
目の前の少女はとんでもない美人であった。
まるで妖精かなにかのように、白銀の髪の毛も、蒼い瞳も、白い素肌も美しい。
服装はどこかのパーティー会場でも通用しそうな、綺麗な軍服ドレスだ。腕や首もとに付けたアクセサリーの、所々に散りばめられた宝石が美しく輝いている。
どこかのお話の中から抜け出してきたお姫様のような、そんな存在に思えた。
「こちらこそ、急に声をかけてごめんなさい。気になったから」
美少女は少し困ったような表情で言うと、はっと気付いた顔になって付け加える。
「申し遅れました。私、フィアールカ・サフィーナと言います。以後お見知りおきを」
「は、はい。私はツヅリ・シラユリです。宜しくお願いします。サフィーナさん」
「フィアで良いわ。それに敬語じゃなくて大丈夫」
「は、はい……あ、うん、分かった」
フィアールカと名乗った少女が手を差し出したので、慌ててツヅリも手を伸ばした。
だが、そこではたと動きを止め、ツヅリはフィアールカの顔を見る。
フィアールカという名前に、どこか引っかかる。
「……あれ? どこかで会ったことある?」
問われた少女は穏やかに微笑みながら首を振った。
「いいえ、あなたとは初対面のはずよ」
「そ、そっか……?」
何かが腑に落ちないながら、ツヅリは手を再び伸ばして、少女の手を握った。
二人の手が繋がる。フィアールカの手に少し力が籠もった。
「……捕まえましたわ」
そのまま、少し熱の籠もった声を出した。
「へ?」
「いえ、なんでもないの」
ツヅリが間の抜けた声を出すと、先ほどの一言がツヅリの勘違いであったかのように、フィアールカはすぐに調子を戻した。
「それで、ツヅリさん。少し聞いて良いかしら?」
「へ? なに?」
「……あなたは、もしかして人探しの最中?」
薄く細められたフィアールカの瞳。
どうしてだか分からないが、ツヅリはその奥に込められた何かに背筋を凍らされた。
「……は、はい。そうです」
「あら、だから敬語でなくても良いのに、ふふ」
自然と背筋が正されただけなのだが、フィアールカはツヅリのその態度を冗談か何かと受け取ったようだった。
「じゃあ、一緒に行かない?」
「え、どこに?」
「あなたが探している人の場所へ。多分知っているから」
「本当!?」
ツヅリは身体を乗り出して、フィアールカへと詰め寄る。
さっきまでは心のどこかにはっきりとした警戒があったのに、その提案にそんな想いは吹き飛んでしまった。
「ええ。黒い『銃』を持った男性でしょう?」
「見たの?」
「はっきりとこの目で、見させて頂きましたよ」
ツヅリはそれだけでこの少女を信頼した。
その会話が、絶妙に食い違っていることには、決して気付かない。
「さあ、こちらに。うふふ、今日は良い日になりそう」
「? 何かあったの?」
「『宝石』も好きだけど『原石』も好きって話よ」
「んん?」
少しの違和を覚えつつ、ツヅリはフィアールカに導かれるままに道を進んだ。
「ここ?」
「ええ」
出会いの地点から、少し歩いた場所。
ツヅリとフィアールカは、とある店の入り口に立ってその看板を見る。
『BAR セブンスフィール』
どうにもシックな印象のある、大人のお店がそこにはあった。窓がなく、重厚な扉だけが中と外を繋いでいる。一見様お断りと言われても納得してしまいそうだった。
「……多分勘違いじゃないかな?」
ツヅリは、普段のソウの様子を思い浮かべて言った。
彼女の師は、決してこういった大人の店で働けるような人物とは思えなかった。
怠け癖はどうしようもないし、普段のだらしない態度では接客など、とてもとても。
「そう? ピッタリだと思うけれど?」
だがフィアールカは、ツヅリとは真逆の感想を持っているようだった。
「……さっきから思ってたんだけど、フィアとお師匠は、知り合いなの?」
「うふふ」
ツヅリがようやく少女に対する警戒を思い出したが、フィアールカはただ受け流した。
「……というか、私、こんなお店に入るようなお金が」
ツヅリは自分の懐事情を思い、入り口で足踏みする。ただでさえ金策中であるのに、こんな高級そうな店に入るような金の余裕はなかった。
「支払いは心配しないで。少し多目に持っているの」
だが、そんなツヅリの背中を、フィアールカは無造作に押した。
「そんな、奢ってもらう理由なんて」
「では、貸し一つ、ということでどうかしら?」
「……貸し?」
「ええ。それに、ここまで来て帰るわけにもいかないでしょう?」
フィアールカに再度促されて、ツヅリは迷う。そして、覚悟を決めた。
「分かった、入ろう」
「ええ、お先にどうぞ」
フィアールカは、ツヅリの背中を再び押す。まるで、自分が最初に入るのを躊躇っているようだ。
ツヅリは少しだけそれが意外に感じた。まだ少ししか付き合いはないが、フィアールカは自分の行動に迷うようなタイプには思えなかったからだ。
「もしかして、緊張してるの?」
尋ねると、フィアールカは困ったように少しだけ頷いた。
「そう、そうね。やっぱり、多少は緊張しているみたい。だから、先を譲るわ」
「うーん、分かったよ」
不思議に思いながらも、奢ってもらうと決めた手前逆らわずにツヅリは扉を開いた。
カランと、音高い鈴が鳴った。
外から中の様子は窺えなかったのだが、そこは想像していた通りのバーに見えた。
店内は薄暗く、大きなカウンター机に椅子が何個も並んでいる。
客はそれほど多くないが、少しだけ女性が多い。
カウンターの奥には『カクテル』の材料になる大量の『ポーション』瓶が並び、間接照明の光を浴びて輝いている。
ツヅリがそこまで思ったところで、女性二人組の客と話をしていたバーテンダーが笑顔を向ける。
「いらっしゃいま──せ」
その男性とツヅリの目が合った瞬間。
男性の笑顔は、みるみるうちに青ざめていった。
きちっとした服装、整えた髪の毛。柔らかく奥深い笑みを浮かべていた男性。
自分の知っているだらしない男の対極に居るような男性。
ソウ・ユウギリが、硬くなった笑顔をツヅリへと向けていた。
「……一名様ですか?」
ソウはすぐに気を取り直す。ツヅリを初対面の人間として扱うと決めたようだ。
その対応に、少しムッとするツヅリ。
なんとなく、女性二人組とは仲良く話をしていたくせに、自分には他人行儀になるソウが気に入らなかった。
「いいえ、一人じゃないです」
ツヅリの口からは少し硬質な声が出ていた。
ソウはその様子に怪訝な顔つきになるが、すぐにその理由を察する。
「二人組でお願いします。バーテンダーさん」
ツヅリの後ろから、銀の妖精が姿を現す。
ソウの表情が更に変化したのは、それからだ。
青ざめたと表現しても、ツヅリに対しては『恥ずかしいところを見られた』という感じの表情であった。
だがフィアールカに向けた感情は、そうではない。
「……いらっしゃいませ、こちらへどうぞ」
『驚愕』の表情を浮かべたまま、ソウは二人を席へと案内した。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
次回から『たまにバー』とあるように、少しだけ『バー』っぽい話です。
バトル要素は少しだけお休みしますが、すぐにファンタジーに戻るかと思いますので、よろしくお願いします。