龍の鱗と金策
「もう無理ですお師匠! どこで何やってたんですか!」
「いろいろあったんだよ! 良いから走れ!」
「あーもう! 待ってなければ良かった!」
二人はバーテンダー協会総合支部に向けて、全速力で走っていた。
ソウが貴婦人から依頼を受けた地点に戻ると、ハラハラとソウを待つ貴婦人とツヅリの姿があった。
だが、その時点で一つ大きな問題があった。ドラゴン対策のために開かれる会合の開始時間がとっくに過ぎていたのだ。
ソウは女性から貰った謝礼もそこそこに、急いでツヅリと会合に向かうことにした。
「くそっ! この街に来てから本当に散々だ!」
「それはこっちのセリフですよもう!」
泣き言を言っても時間は刻々と進む。
それでもできることは、ただひたすら前に進むことだけなのだった。
「さて、初っ端から絶体絶命のピンチになったわけだが」
「どうするんですか本当に」
とりあえず宿にまで戻ってから、ソウとツヅリは反省会を開いていた。
結果的に、二人は会合に間に合わなかった。
開始時間に遅れたのは間違いないのだが、更に大きな誤算が一つあった。
その話し合いが、凄まじいスピードで決裂し、早々にお開きになったのだという。
ソウとツヅリの二人が到着した頃には、既に会合から帰るバーテンダーの群れが出来ていた。
その原因は色々あるようだが、一番大きかったのはあるバーテンダー協会の行動だったらしい。
「まさか『早い者勝ち』になるなんて、ですね」
この任務に絡んできたSランク協会は『練金の泉』のみだった。他の二つは恐らく違う任務についているのだろう。
『練金の泉』を率いているのは【氷結姫】と呼ばれる女性バーテンダーらしい。その【氷結姫】の一言が、会合を瞬時に怒号の渦へ叩き込んだという。
支部の受付の青年に聞いたところ、曰く、
『あなたがた【弱小協会】と組むメリットが見当たりません。よって私達は単独で行動させてもらいます。というわけで、早い者勝ちでよろしいのでは?』
と言い放ったとか。
「ま、別にそいつらが倒してくれるってんなら、俺は良いんだけどよ」
「良くありませんよ! なんとか貢献しないとBランク取り消しですよ!」
ソウの相変わらずの態度に、ツヅリは焦った声で諌める。
だがソウは、手をぷらぷらと力無く振りながら答える。
「だけど、実際問題どうする? 『練金の泉』のせいで協調作戦は決裂。せめて協力者を探そうにも、会合に遅れた俺たちは他の協会との面識ゼロ。支部に協力者募集の張り紙してもらったって、Bランク上がり立ての『瑠璃色の空』とかいう怪しい協会と組もうなんて思うやついないだろ」
「うー、ですけど……」
「お手上げだ。もう違う任務にしてもらおうぜ。Bランクは諦めよう」
「私は諦めたくないんです!」
ツヅリは机を叩き、必死に声をあげた。
「だって、ようやく私達の頑張りが認められたんですよ。今までみんなであくせく頑張ってきて、ちょっとずつ名前も知ってもらえて、それでBランクって胸が張れるところまで来たんですよ。お師匠は興味ないのかもしれませんけど、それでもみんな、とっても嬉しかったんですよ!」
ツヅリの目は、ただ真剣だった。
「だから、何かないんですか!? 私達が功績を認められるような何か! 小さくても、大したことなくても、それでも実力を示せるような何か! お師匠ならなにか!」
彼女が協会に所属して一年と数ヶ月。協会自体もできてから三年ほど。
新しい協会だ。そして、今は確かに勢いがあるときだった。
総合支部にはそれとなく名前を覚えられ、地元の人々に頼られることも多い。
ツヅリの言うみんな、というのはまさしく、そうやって『瑠璃色の空』を応援してくれている全ての人を指すのだ。
そんな、心からの言葉を受けて、ソウも流石に考え込む。
それからため息をつき、諦めたような仕草で一つだけ答えを出した。
「……なら、龍の鱗を、手に入れるってのはどうだ?」
「龍の鱗……ですか?」
「ああ、知らないか?」
「……はい」
ソウは口に出すのを少し躊躇いながら、説明する。
「ドラゴンってのは何が凄いか。それはな、あいつらの身体には隅々までどでかい魔力が通っていることなんだ。体の一部が切り離されてもその魔力は生きている。だから龍の身体は伝説の武器とか魔具とかのモチーフになる」
言われてツヅリも頭の中にいくつかの伝説を描いてみた。その中に出てくる伝説の武器なんかは、確かにドラゴンの素材が使われていた気がする。
「とはいえ、尻尾だの角だの目だの、そんな劇薬にもなりかねない部位はほとんど手に入らない。手に入れるにはドラゴンを殺すか、せめて瀕死くらいまで追いつめる必要がある。そんなのほぼ不可能だから、ドラゴン退治は撃退って表現を使うんだがな」
「……ドラゴンに人間が勝てるわけないですもんね」
「だけど、鱗くらいだったらどうにか出来ることがある。奇襲でも交渉でもいい。一枚二枚手に入れられればそれだけで用途は沢山ある。少なくとも『功績』にはなるはずだ」
「え? ちょっと待ってください!」
ソウの話を遮って、ツヅリが手をあげた。
「なんだよ?」
「今、交渉って言いましたよね?」
「ああ」
「ドラゴンって喋るんですか!?」
その質問を受けて、ソウは瞬間「あっ」って顔をする。
「…………らしい」
「らしい?」
「……そんな話を聞いたことがある」
「ふーん」
ツヅリはその師の態度に、思う。
(絶対嘘だ。この人、きっとドラゴンに会ったことがあるんだ)
その確信が、一年と少し弟子をやってきた少女にはある。
だが、ソウはそのことをあまり言いたくはないようだった。
「とにかくだ。誰よりも早くドラゴンを見つけて、落ちてるのでもなんでも拾って実績をゲット。あとは協会支部にでも通達すりゃ、俺たちの仕事は終わり。それでどうだ?」
「それが出来れば、私達はBランク協会の仲間入り、ですか?」
「ああ」
ソウが自信ありげに頷く。それを見て、ツヅリの目にも光が宿った。
「分かりました! 私達の目的は決まりですね」
二人のこの任務での最終目標が決定した瞬間である。
ドラゴンの撃退は無理でも、目撃証言を集めることはできる。それによって先んじてその場に向かえれば、鱗を手に入れるチャンスが巡ってくる。
それを手に入れてしまえば、あとは他のバーテンダーの頑張りに、委ねる。道筋を考えれば、それはたった二人でもなんとかなりそうな目標だ。
そうツヅリは思った。
ソウが何かを考え込んでいることには、最後まで気付かずに。
「と、いうわけでだ」
それが済むと、ソウは散々目を逸らしていたもう一つの問題に目を向ける。
「資金問題、まったく解決してないんだが、どうする?」
ソウは机に置いた『貴婦人からの謝礼』に目を向ける。
小切手のような、数字の書かれた一枚の紙。
それはソウが期待したものとはちょっと違っていた。
当然、金貨ではない。目的だった銀貨でもない。銅貨ですらない。
子供の名前が書かれた『お手伝い券』三回分である。
「あのババア! なに間違えて変なもん渡してくれてんだよ!」
「仕方ないですよ! 焦ってたのは私達ですし、渡してくれただけで充分ですよ」
「充分なわけあるか! これがいくらになる? 銅貨一枚分の価値もねぇぞ!」
ペラペラと小切手のような紙を振りながらソウは言う。
ツヅリはふっと遠い目をして、気取るように言った。
「親にとっては金貨以上の価値、ですよ」
「……やかましいわ」
がくっとソウはうなだれる。
その頭をポンポンと慰めるように叩くツヅリ。
「それじゃ、もう正直に言いましょうよ。それとも、ここで仕事を探します?」
少し優しい声で、ツヅリは囁く。
ソウは悪行の告白と、想定外の労働を天秤にかける。
「……仕方ないか」
天秤は悪行の告白を選び、ソウは覚悟を決めて立ち上がった。
遠距離通信機械、『コールヴィジョン』
『機人』という北方に住む種族が作った『機械』の一種だ。
バーテンダー協会総合支部に必ず備え付けられている機械で、その構造は画面と謎の操作ボタンからなる。
そしてソウは、現在それを『瑠璃色の空』本部へと繋いでいた。
程なくして、機械が繋がる。
『は、はい! こちら『る、瑠璃色の空』の、えっと、お家です! あ、違う。えっと、本部です! すいません! えっと! だから協会です!』
「落ち着けリー。俺だ」
『そ、ソウさん!』
果たして、装置のモニターに現れたのは、見慣れた眼鏡女ではなく、十代の少女であった。
見るからに緊張していたが、通信の相手がソウだと知ると、急に安堵の表情になる。
『それで、えっと、なにか連絡?』
慣れない敬語から、やや素朴な話し言葉に口調を変化させてフリージアは尋ねる。
「あー、まあ、な。アサリナはどうしてる?」
『アサリナさんは、ずっと仕事してるよ』
「仕事?」
『うん。ソウさんたちを送ってから、資金がどうって、うんうん言ってる』
「……ほ、ほう」
それから、フリージアはうーんと頭を悩ませ、その後にパッと輝く笑みを浮かべた。
『そうそう。なんかBランクになるときに色々更新料とか、契約書の見直しとかで忙しいんだって、言ってたよ』
「……つまり、本部は結構大変な感じなのか?」
『……あ、全然だよ! 全然!』
フリージアはそこで、しまったという表情で手をぶんぶんと振った。それだけで、実は協会が今、結構切羽詰まっていることをソウは知った。
『それで、ソウさんはどうしたの?』
少女なりに話題を変えようとしたのだろう。今度はソウが言葉に詰まる番だ。
純真な瞳でソウの言葉を待つフリージア。
これがアサリナだったらどうだろう。きっとソウが連絡を寄越した時点で色々と察したことだろう。
散々嫌み──まあ正論だが──を言ったあとに、それでも仕方ないと追加の資金を用意してくれるだろう。
だが、フリージアが受付に現れたせいで、ソウは現在の苦労を知ってしまった。
(……この子に向かって『金がなくなったから、送ってくれ』って?)
ううん、と咳払いをして、ソウは作り笑顔を浮かべた。
「なんでもない。ちょっとリーが寂しがってないか気になっただけだよ」
『……私、そこまで子供じゃない、けど』
「ああ、悪かったよ。元気そうでなによりだ。それだけだから」
ちょっとだけ頬を膨らませたフリージアに言葉を送る。
フリージアはすぐに気を取り直して、にぱっとした笑顔を向けた。
『わかった。仕事頑張ってね』
「おう、頑張るさ」
出会ったころからは想像もできない明るい笑顔を受け、通話を終えた。
ソウは、ああー、と頭を抱えてから、一つの覚悟を決めた。
「お師匠、どうでした?」
通話を終えて個室の外に出ると、待っていたツヅリから声がかかる。
ソウは弟子に力無い笑みを浮かべて、たった一言。
「俺、働くわ」
バーテンダー二人組の金策が、現地調達作戦に切り替わった瞬間であった。