表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
36/167

氷からの逃走

 ソウは走りながら、なるべく動きやすいところを探していた。

 人がいる場所はアウトだ。こちらの攻撃が制限される。あまりに広すぎる場所も問題がある。敵をばらけさせると、こちらの攻撃の効果が薄れる。

 なんせ、


「何考えたら、二十も狼を差し向けるんだよ! あの、イカレ美少女は!」


 ソウに向かってきている敵は、集団行動に長けた二十もの猟犬たちなのだから。




 白い霧に辺りが覆われ、狼の遠吠えが聞こえた段階で、ソウは戦闘を決めた。

 ソウの勘が『もったいないとか言ってたらヤられる』と告げていた。


 身体能力強化の特殊魔法【グラスホッパー】を発動し、追いつかれる前に少しでも戦いやすいところを目指して走った。

 しかし土地勘の無さが災いし、良い場所を見つける前に狼達に捕捉されたのだった。


「ちっ」


 牽制のように飛び出してきた一匹を、拳を打ちつけていなす。

 殴った感触は固い氷だ。それも、普通の【グレイ・ハウンド】の比ではない。

【シー・ブリーズ】の強化補正と、少女の実力。その二つが、この狼達のステータスの底上げを行っているのだ。


 霧の範囲から逃れられれば戦術の一つでも立てやすくなるだろう。だが、この霧がどこまで続いているのかも分からない以上、現実的ではない。

 なにより狼達のほうが、ソウよりも、少し速い。


「せめて『カクテル』が使えれば!」


 そう念じながらソウはひた走る。

 人並みはまばらになりつつあるが、ない訳では無い。この量の狼を相手にするため、範囲の広い『カクテル』を使えば巻き込んでしまう。

 だが、殴る蹴るだけでは流石に狼達と戦うことはできない。

 一度強い蹴りで足を砕いてみたのだが、その程度の損傷は、周囲の霧から魔力を補充してすぐに元通りになった。

 一撃で完全に倒し切る必要があるのだ。


「うぉっ!」


 飛び掛かってきた狼の牙を、足を上げることですんでで回避。そのまま頭を踏みつけて少し前に飛ぶ。


 相手はソウの腕や足を執拗に狙ってくる。命を取る目的ではない。足止め目的だ。

 そうなるとなお厄介だ。狼達は決して深追いはしないし、ソウの方は一撃貰えば、機動力か攻撃力が目に見えて落ちることになる。

 だが、狙いが分りやすいというのは、警戒の比重を決めやすいという利点もある。


「お!」


 そうこうしているうちに、ソウは路地を見つけ、喜んで滑り込んだ。

 そこは人気もないし、適度に狭い。周りを囲まれる心配は無いし、相手もまとまらざるを得ない。


 ソウは走りながら、ようやく腰のポーチに手を伸ばした。

 取り出すのは『サラム弾』だ。

【シー・ブリーズ】の効果内とはいえ、氷に対する決定打は炎と相場が決まっている。

 いくら相手の能力が高かろうと、一発で数体は葬れるだろう。繰り返せばいい。


「略式!」


 走りながら、ソウは頭の中の意識をカクテル戦闘へ特化させた。

 通常の宣言ではなく、省略した宣言でカクテルを発動させるという意識変換。

 間髪を入れずに、狼達の隙を突いてソウは続く言葉を宣する。


「『サラム』『グレープ』『トニックアップ』」


 決められた順番、決められた記号で発することによって、通常の宣言と同じ言葉を頭の中に放り込む。

 これをあえて通常の宣言になおすとすれば、


 基本属性『サラム45ml』、付加属性『グレープフルーツ45ml』『アイス』、系統『ビルド』、マテリアル『トニックウォーター』アップ。となるだろう。


 程なくして、ソウの黒い愛銃『ヴィクター・フランクル改』はその準備を終える。

 振り向き、その銃身に大量の熱を宿らせて、引き金を引く。



「【ソル・クバーノ】!」



 直後、路地の範囲にギリギリ収まる程度の巨大な炎の塊が、その銃身から放たれた。



 ────────



「【シー・ブリーズ】が効いているのに、なんて魔力……」


 少女はのんびりと歩きながら、魔力の流れだけを追って戦闘を観察していた。

 そして今の驚愕は、目的の男性が一瞬で強力な『サラム』属性の魔法を練り上げたことにある。


 それは彼女の『今まで』ではなかったほどの精度だ。知り合いの『サラム』属性を得意とするバーテンダーでも、これほどの芸当はできないだろう。

 なにより驚嘆に値するのは、それを動きながら行っているということだ。それも、次々と襲い掛かる狼達の攻撃を避けつつだ。


「このままじゃ、やられちゃう」


 少女は、焦りの中に少しの楽しみを感じながら、自動で動いていた狼達に指令を下す。



 ────────



「おいおい……」


 ソウが魔力を練り上げ、カクテルを放った直後、狼達は咄嗟に対応した。

 指示を受けたかのように、乱れることなく統率された動きで折り重なり、身体を横向きに揃えて氷の壁を形成したのだ。


 氷狼によって出来た壁に、太陽のごとき炎熱の塊が直撃する。

 最初、炎熱は狼達の身体を順調に溶かして行く。だが、その熱は高密度に形成された氷の壁を溶かし切るには至らなかった。

 二匹や三匹なら瞬時に溶かし切れただろう火熱は、折り重なった十を越える狼の身体を半分程度溶かした所で消滅。

 当然のように、身体を残していた狼達は、瞬く間に白い霧から身体を再形成した。


「遠隔操作もできるのか? それもこの数を? 冗談じゃねぇぞイカレちゃん!」


 軽口を叩きながら、ソウは再び全力で逃げる。

 少しも遅れることなく、狼達も追従してきた。

 もう一度同じことを試してみたが結果は同じだった。

 ソウの攻撃の意思を感じ取った瞬間に狼達は壁を形成し、その炎熱を吸収しきる。


(どうする? 材料を増やせば対応できないことも無さそうだが、そうすると……)


 ソウは路地を形成している家々の壁を見る。『サラム』を増量すれば、炎熱の効果範囲は広がり狼達を溶かし切ることはできるだろう。

 だが、その代償として、巨大になった炎の塊が家の壁までも溶かしてしまうことになる。


(さすがに却下か)


 少しだけ傾きかけたが、修理費なんて払えないので考え直す。


(ダメもとで振らずに【ダイキリ】を使えば、頭一つくらいに……いや、やめとこう)


 頭の中で『シェイク』のカクテルを『ビルド』で作ってみたらどうか、と思ったが、失敗の怖さはそれ以上だった。暴発でもしたらどうしようもない。

 そうなると、ソウの頭の中に残された方法は一つだけだった。


(でもなぁ、それやるとあのイカレ美少女にもっと粘着されそうなんだよなぁ)


 がらにもなく迷う。その最善を尽くさない思考が一瞬の油断を生んだ。

 狼の一撃に、対応するのが遅れた。


「うぉっ!」


 ソウは左腕めがけて飛んで来た氷狼の一撃を慌てて回避する。

 だが、その拍子、左腕で持っていた『身なりの良い女性の鞄』を手放した。


「それはあかんだろっ!」


 ソウは急ブレーキをかけ、急いで鞄を掴む。それが致命的なスピードのロスになった。

 氷の狼たちは、スピードを緩めたソウに向かって、複数で飛び掛かってくる。


「ぐぉおおおおおおおお!」


 ソウはその牙を避け、爪を避け、たまに身体にかすらせて切り傷を作りながら、なんとか躱し切る。そこから再び距離を取る。

 だが、ようやく元に戻れたと思った矢先に、更なる絶望の光景が目の前に広がった。

 ようやく見つけた狭い路地の終わりだ。目の前には広い道と、往来を行き交う大勢の人々の姿がある。


(どうする? さらに逃げ続けてもうちょっとだけ広い路地を探すか?)


 しかし、ソウの身体はその提案を拒否する。

 ずっと走り続けているのだ。体力の消耗はある。それに加えて、先ほど幾つかかすり傷を貰ってしまった。

 まだ問題はないが、これから先の行動に支障が出るかもしれない。


(となると、やるしかないか)


 ソウは、息を吐いて、覚悟を決める。

 そのためにはこのままではいけない。

 動いたままなのはともかく、意識の変換が必要だった。


 ソウは頭の中のスイッチを、『略式』とは別の方向へと切り替える。



「連式」



 その宣言の後、ソウの頭の中のイメージはガラリと変わる。


 あえて例えるなら、先ほどまでの『略式』は、メジャーカップを持たずに、一つのグラスへと材料を注ぎ込むイメージ。

 対して今は、メジャーカップを持って、二つのグラスを前にするイメージである。


 もっとも、それはあくまでイメージでしかない。魔術的な説明はできない。

 一つだけ確かなのは、ソウが二つのベース弾を取り出したことだ。

 カチリカチリ、銃のシリンダーに弾丸を込める。左手は鞄を持っているし、右手一本ではその速度は流石に落ちる。


 狼達の攻撃は間断なく迫る。焦りたい気持ちが生まれる。

 それでも、失敗は許されない。順番を一つ間違えれば、この行為は失敗するのだ。

 正確に、六つの穴に五つの弾丸を込めた。


 順番は正しく『サラム』『グレープフルーツ』『アイス』『アイス』『ジーニ』。

 アイスは隣り合わせていて、『サラム』と『ジーニ』の間は『ヴォイド』だ。



「基本属性『サラム45ml』、付加属性『グレープフルーツ45ml』『アイス』、系統『ビルド』、マテリアル『トニック』アップ」



 まず、そう宣する。

『サラム』から始まった魔力の活性化は、一つ目のアイスで止まる。

 頭の中に作った一つのグラスに、慎重に『カクテル』を作り上げた。

 それに反応して銃が唸るが、そこでソウは止まらない。



「基本属性『ジーニ45ml』、付加属性『アイス』、系統『ビルド』、マテリアル『トニック』アップ」



 続いた言葉。続いた宣言。

 その常識外れの行動に、しかし『銃』は応えた。



『カクテル』の連続発動。

 通常、そんなことはありえない。

 何故ならば『銃』というものは、そこに込められた『全て』を混ぜ合わせるために作られた武器だからだ。


 弾を込めるシリンダーが一つの器であり、魔力を満たすグラスである。

 魔力の範囲を定める煩雑さを軽減するための道具こそが『銃』であり、それを扱うのに長けたのがバーテンダーなのだ。


 だが、ソウは経験上、気付いたことがあった。それは『アイス』と『アイス』を隣り合わせると、材料同士の混交具合が悪くなることである。

 さながら、大量の『アイス』が器の中で『壁』を作って、器を二つに『分断』しているようだった。


 そしてソウは、それを突き詰めた。

 その分断に細心の注意を払い、決して二つのカクテルの材料を隣り合わせることがなければ、『一つの銃』で『二つのカクテル』を同時に作れるのではないかと。


 結論としては、できた。

 それが『略式』とはまったく違う、邪道の中の邪道『連式』である。



 二つのカクテルが各々唸りを上げる。

 今にも暴れ出しそうな銃を、ソウは狼達に向けた。

 狼達はすでに防御態勢に入っている。

 しかしそれに構うことなく、ソウはその魔力を解放する。



「【ソル・クバーノ】」



 まず放たれたのは、炎熱の塊だ。

 地上を焼き焦がす太陽のようなそれは、狭い路地ギリギリの大きさで狼達に迫り行く。

 このままでは、太陽は再び氷の壁に阻まれるだろう。

 だが、それを許さないと、ソウはもう一度引き金を引く。



「【ジン・トニック】」



 続いて放たれた風の刃は、瞬く間に炎の塊へと追いついた。

 しかし、それはその場で終わるわけではない。

 追いついた風の魔力は、三つの仕事を果たした。


 一つ。風を起こすことによって、一瞬でも【シー・ブリーズ】の効果を弱めた。

 二つ。渦巻き状の風が起こることで、強力になった炎が通る道を定め、周りへの被害を抑えた。

 そして三つ。これが最も単純なことだ。引き起こされた風によって炎が燃え上がり、【ソル・クバーノ】の威力が瞬間的に高まった。


 風と炎の相乗効果は、氷の壁を形成している狼達へと襲い掛かり。


 一匹残らず、狼達を跡形もなく消し飛ばした。


 その様子を見たソウは、緊張を保ちつつ、一呼吸つく。

 直後に、広がっていた【シー・ブリーズ】も晴れて行く。効果範囲があれだけ広いなら、効果時間は変わってはいまい。

 およそ十五分も戦っていたのだと気付いた。


「さて、第二回戦はあるのか?」


 油断無く構えてみたが、再び霧が広がる気配はなかった。

 相手が諦めたのか、と考えて首を振る。


「こりゃ、氷切れだな」


 あれだけの事をやってのけたのだ。魔石の補充はその辺りからできても、氷だけはそうも行かない。専門の氷屋は、そう簡単に見つかるものではない。


「ひとまずは、決着でいいのかね」


 ソウはゆっくりと銃を収めた。だが、あの少女に対する底知れない恐怖はある。

 あれほど広範囲の魔法を発動させるだけの『大氷』を持っていたということは、これくらいはあの少女にとって『日常茶飯事』の範疇とも考えられた。


「若い世代は恐ろしいもんだ」


 性格に問題はあるのかもしれないが、彼女もまた間違いなく天才なのだろう。

 ソウはふと、自分の愛弟子のことも思い出す。


「あ、やべ、あいつ置いてきぼりじゃねぇか」


 ソウは心の中でツヅリに謝りつつ、頭の中の地図に現在地を思い浮かべながら急いでツヅリの元へと向かった。



 ────────



「ふふ、ふふふ」


 フィアールカは、自分の内から涌き起こる言い知れぬ高揚感に、身体の震えを止められなかった。

【シー・ブリーズ】が途切れる一瞬前。起こった出来事はまさしく常識を塗り替えた。


 自分が退屈だと思っていた地点など、『高み』でもなんでもなかったのだと、はっきりと教えられた気分だった。

 もう一度追撃をかけたい所だが、『大氷』のストックは使い切ってしまった。


「少し、張り切りすぎてしまったみたいね」


 彼女のストックしていた『大氷』は通常の五倍の大きさである。それを複数個注ぎ込んだ【シー・ブリーズ】が切れてしまっては、もう追撃のしようがない。

 少女は熱の籠もった息を吐いて、うっとりと目を細めた。


「今回は醜態を晒してしまいました。でも、必ずもう一度お会いしましょう」


 少女は一人頷く。


「フィアールカ!」


 直後、彼女に対して叫ぶような声があがった。

 目を向ければ、そこには同じバーテンダー協会に属する同僚達の姿がある。

 その中でも前に出てきたのは、眼鏡をかけた優男。名前はオサラン・イグナという。


「さっきの【シー・ブリーズ】はなんだ!? それに大量の【グレイ・ハウンド】もだ!? なぜこんな問題を起こした!」


 オサランは神経質に眉を吊り上げる。

 フィアールカはその質問に意味ありげな微笑を浮かべるだけだった。


「もうしないわ。次はちゃんと会いに行くことにしたから」

「はぁ? どういうことだ、説明しろ」


 オサランは続きを求めるように言うが、フィアールカの言葉は続かなかった。


「……まあいい。とにかく行くぞ、そろそろ『会合』の時間だ」


 イライラとしたオサランの瞳を、やはり受け流してフィアールカは淡々と言った。


「……そうね、行きましょうか」


 そして少女は、集まったバーテンダー達を引き連れてバーテンダー協会総合支部へと向かう。



 フィアールカ・サフィーナ。

【氷結姫】の称号を持つ少女。


 恋する乙女の目をしながら氷狼を差し向けた彼女は、世界に三つしかないSランクバーテンダー協会『練金の泉』に属する、若き天才であった。


ここまで読んでくださってありがとうございます。


本日、二回更新予定の二回目です。

もともと一話に詰めようと思っていたのですが、あまりにも長かったので分割しました。

少し詰め込み気味の本作ですが、少しでも楽しんでいただければ幸いです。


※1008 表現を少し修正しました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ