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『ナナシ・ゴンベイ』

 落ち着いたところで、二人は改めてこの後のことを話し合う。

 現状は危機的である。二人に残された資金はソウが持っている昨日の余りのみ。最初に持たされた額の四分の一ほどになっていた。


 取っていた宿は先払いで三日分しか払っていない。より良いところが見つかるまでの繋ぎと思っていたからである。

 そもそも現状は、宿代がどれくらい掛かるのかも分からない。詳しい作戦に関しては今日、バーテンダー協会総合支部にて話し合われる筈だったのだから。


「とりあえず、どうしましょう。アサリナさんに正直に話して追加で送って貰うとか」

「いや、それは無理だ。俺の悪行がバレる」

「……それで行きましょう」

「待て! ときに落ち着け!」


 それ以外の手段はない、と結論を下して歩き出したツヅリの手をソウは慌てて掴んだ。

 足を止められて、ツヅリはじとっとした目でソウを睨む。


「なんですか」

「それよりも良い方法がある」


 言って、ちょいちょい、とソウは道を歩いている身なりの良い中年女性を指差した。

 着ている服は質が良く、持っているバッグも高級そうだ。


「あの人がどうしたんですか?」


 だが、そんな風に指を指されたところで何も変わらない。とツヅリは思う。

 そんなツヅリにソウが得意気に説明を始めた。


「良いか? 使ったと言ってもまだ半分以上は俺の金は余ってる。つまり足りない分さえ補えば任務は続行できるんだ」

「はぁ」

「そしてあそこに身なりの良い女性がいるだろ? あの女性からちょっとだけお金を恵んでもらえれば良い、そう思わないか?」

「……どうやってですか?」


 ツヅリは相手にするのも嫌そうに顔をしかめ、師の言葉を待った。


「まず、お前があのバッグを奪って逃走する。それで俺が追いかける。途中でお前は金だけを抜き取ってバッグを放す。俺がそのバッグを取り戻す。するとお前はいくらかの金を入手できるし、俺も謝礼としていくらかの金を──」


「アサリナさんに連絡しますね」

「待てって!」


 途中で聞く価値がないと判断し、ツヅリは師から視線を外して歩き去ろうと決める。

 その直後だった。



「きゃああああああ! ひったくりよ! 誰か捕まえて!」



 突如、女性の悲鳴が響いた。


「え?」


 ツヅリは慌てて振り向いた。一瞬、師が愚行を犯したのかと思ったのだ。

 だがその視界には、バッグを奪って逃げ去ろうとする小柄な男と、女性に走り寄っていく師の姿があった。


「そこのマダム。私が取り返してみせましょう」


 普段の態度とはまるで違う丁寧な声で、ソウは女性に提案していた。

 ソウはその悲鳴が聞こえた瞬間に、何が起きたのかを察した。そして、瞬時にやるべきことを判断して女性に駆け寄ったのだ。


「お、お願いします! 謝礼は致しますから!」


 女性はその突然の声に、縋るように答えた。


「承りました」


 そして、ソウは即座に男の背を追いかけて走り出した。


「…………冗談でしょ?」


 一人事態について行けず、ぽつんと立ち尽くすツヅリがそこには居た。




 ソウはひったくり男の背を追いながら怒鳴り上げる。


「そいつは俺の獲物だ! 誰も手を出すな!」


 そう声をかけるだけで、周りに居る人間はびくっと反応して手を出さない。


(自分で言っておいてなんだが、薄情な連中だ)


 ソウは走る事の邪魔になっている通行人を避けながら、自分勝手にそう思った。

 予定ではとっくにひったくりを捕まえてなんとかなっている頃なのだ。だが、往来に居る人間は予想以上に多い。

 そしてあちらは、こういった場所を走り慣れているようでスピードが落ちない。

 地の利もある。

 いくら身体能力が高くても、慣れというものは大きかった。

 置いていかれることはないが、差が縮まらないイライラを言葉に乗せて更に怒鳴る。


「ごらぁ! 痛い目あいたくなかったらさっさと止まれやこの泥棒が!」

「うるせえ! それで止まる奴がどこにいんだ間抜けがぁ!」


 ソウの言葉に、ひったくり犯は律義に答えるのだった。

 だが、状況は刻一刻と悪くなっている。


 ひったくりは、ソウが往来を走り慣れていないことに気付いているのだろう。わざわざ人の集まる広場に向かって走っているのだ。

 今はまだ良いが、どんどんと街の中心地へ向かわれると、ソウには更に不利な状況が広がって行くことになる。


(くそ、こんな奴に使うのは弾がもったいないが、やるしかないか?)


 ソウは走りながら、ちらりと腰に下げた『銃』を見た。

 資金的にギリギリの状態では無駄遣いは避けたい。だが、そこで渋って男を取り逃がしたら、それこそ無駄な労力だ。

 覚悟を決めながら、ソウはダメもとでもう一度だけ怒鳴った。


「良いのか!? 本当に痛い目見るけどそれでいいのか!?」

「へっ! できるもんならやってみな!」


 ひったくりは、一瞬だけソウに振り向き、馬鹿にしたような顔で答えた。

 その表情に、ソウの中に微かに残っていた心理的な枷は外れた。

 もっと言えば、苛ついた。


(良いだろう。痛い目みて貰おうじゃねぇか)


 ソウは心の中で、なるべく見世物になるカクテルを選んでやろうと考えた。

 そして頭の中でこの状況にあうカクテルを考える。


 人ごみだ。その中で撃つのであれば、カクテルの速度と範囲が重要になる。

 周りを巻き込むようなモノはだめだ。なるべく範囲が狭くならないといけない。

 それを思えば、マテリアルアップするものは選び辛い。


 それから、ちんたらとしたカクテルではこの人ごみを抜けられない。

 かなり酸味の強いカクテル。レモンかライムが分りやすいものを選ぶべきだ。

 それに合うカクテルは、すぐに選択できた。



「基本属性『ジーニ45ml』。付加属性『ライム15ml』、『アイス』。系統『ビルド』」



 走りながら弾薬を込め、静かに宣言する。

 その言葉に従い、銃のシリンダーへと魔力を送り込む。カクテルの素になる『属性』と『イデア』の塊は、送られた魔力に応じて活性化し、シリンダーの中で混ざり合った。

 属性を持った魔力の塊に、イデアから定義が与えられ、『カクテル』を発動させるための準備が整った。


 材料はジーニ弾とライムのみ。シンプルかつ強力なカクテル【ジン・ライム】だ。

 ほぼ同じ材料で『シェイク』を行うとその姿を変える面白いカクテルだが、今は『シェイク』をしている時間はない。必要もない。

 ソウはそこで足を止め、静かに男の背中に照準を合わせた。


(チャンスは何回もない。一発で仕留める)


 ソウが銃を構えたのを見て、それを見た人間たちは僅かに道を開ける。だが、人の壁はそう簡単には破れない。

 呼吸を止め、ソウはそれが開く一瞬を待った。

 止まっていれば、人間の動きが分かる。それらを全て頭に叩き込んで、道を予測する。


 ほんの数秒後。

 時間にして一秒未満の間、その道が開いた。



「【ジン・ライム】」



 ソウの銃は、持ち主の意思に応じてその力を解放した。

 放たれたのは、凄まじいスピードを持った風の魔力。細く小さいその魔力は、緑の光の尾を引きながら、バッグを抱えた男の背中に吸い込まれた。

 魔力が解放される。魔石ではなくポーションで作った練習弾は、しかし男の一人程度は巻き上げるくらいの力を持つ。

 男は小規模な竜巻に巻き上げられて宙を舞う。その身体が数メートルも舞い上がった後に、背中から地面に落ち、動きを止めた。


「はっ! 大人しくしねーからそういうことになるんだよ!」


 ソウは言いながら、男にゆっくりと近づいた。

 ひとまずはバッグを確保する。これで最初の目的は果たした。男の身柄はこの街の衛兵か自警団あたりに突き出せばいい。そしてその後は謝礼のターンだ。

 頭の中で色々と今後の予定を立てていたところで、急に後ろから少女の声がした。



「ずっと、あなたを探していました」



 ソウは、その声に反応して振り向いた。

 そこには、年の若い少女の姿があった。


 最初に受けた印象は、雪の妖精である。

 白銀の長い髪に、蒼の瞳。肌は白く透き通っている。

 服装は蒼と白を基調にした軍服ドレスに見えた。そのところどころに装飾が施されている。実用性と見栄えのいいとこ取りのようだ。


 一言で言えば美少女。二言で言えばミステリアスな美少女。といった所だろう。


 だが、その少女の透き通るような美しさをより一層引き立てるものは、そのどれでもない。腰につけたポーチと、青灰色の『銃』の存在だ。

 バーテンダー。それも相当な実力者。

 そこまで考えてから、ソウは少女の言葉を思い出し、警戒した。


 少女はソウを探していたらしいが、ソウは少女と面識がない。

 だが、一つだけ、探されるあてがないわけでもない。それ故に油断無く、ソウは薄い笑いを浮かべて言う。


「えっと、何かの勘違いじゃないかな? 初対面だろ?」


 ソウの言葉に、少女は一瞬はっとした表情になる。


「申し訳ありません」

「おう、分かってくれたらいい。じゃ、俺はこれで──」

「初対面なのに、自己紹介がまだでしたね」

「はい?」


 ソウは少女の行動に虚をつかれた。

 だが、少女はマイペースを崩さずに、胸に手を当て、淡々と名前を名乗る。


「私は、フィアールカ・サフィーナと言います。良ければフィアとお呼び下さい。これから末永くよろしくお願い致します」


 言って、少女は薄く微笑んだ。

 そのどこか陶酔するような笑みを見て、ソウは更に頭の中で警戒の色を強める。


(なんだこいつ? 宗教勧誘か何かか?)


 バーテンダー協会には、実利の前に宗教的な思想を持って活動しているものもいくつもあった。そしてそういう所は往々にして、バーテンダーという名の信者を求めている。

 先ほどの行動は、少し軽卒だったかもしれないとソウは心の中で後悔する。

 フィアールカはその様子に一切の理解を示さず、あくまでもマイペースに尋ねる。


「それで、あなたのお名前をお伺いしても?」


 ソウはノータイムで答える。


「俺はナナシ・ゴンベイって言うんだ」

「ナナシ様ですか。変わったお名前ですね」

「ああ、良く言われるよ」


 ソウは既に、この少女から逃げることだけを考えていた。

 だが、その事にはやはり全く気付かずに、フィアールカはソウに手を差し出しながら提案する。


「それでナナシ様。良ければこの後、少しお時間いただけますね? 実はあなたとお話ししたいことがありまして」


 ソウはその誘いに背筋が凍り付く。

 こういうタイプはソウの最も苦手とするところだった。自分のペースをまるで崩さないタイプは、揺さぶりや誤摩化しが効かないのだ。

 今の提案も、提案のようで強制である。


「すまないんだが、この後予定があって無理だ」


 無駄だろうな、と考えながらソウは言ってみた。

 フィアールカはその言葉に、少しだけ残念そうな顔を見せる。


「……そうですか」

「な、仕方ない」

「でしたら予定が終わるまでお供させて頂きます」

「ごめんなー、君が何を言ってるんだかちょっと分からないかな」

「気にしないでください。お邪魔は致しませんから」


 フィアールカはそう言って、澄んだ瞳を細めた。純粋に真っ直ぐに、自分が何か間違えているという可能性を一切考慮していないようだった。

 そのやり取りで、ソウは正攻法でいくことを諦めた。


(なんて質の悪い宗教勧誘だっつの)


 ソウはわざと驚愕した表情を浮かべて、明後日の方向を指差す。


「な、お、おいちょっとアレを見てくれないか?」


 ソウに言われ、反射的にフィアールカはその方向に目を向けた。

 その瞬間に、ソウはバッグだけを抱えて全力で逃走した。


「え?」


 遠くの方で、少女の困惑した声が聞こえた気がしたが、そちらの方には決して気を割かない。ソウはとにかく逃げることだけを決めてその場から離れていた。




「ふぅ。俺じゃなかったらホイホイと連れていかれたところだろうな」


 少女から充分な距離を取ったと確信して、ソウは息を吐いた。

 広場から既に一キロは離れている。それもソウの全速力を持って逃げたのだ。普通の少女が追いつけるわけがない。

 ちらりと後ろを振り向いてみて、少女の姿がないのを確認して胸をなで下ろす。


「ま、俺もだてに修羅場は越えてねぇんだ。こんな所で捕まるわけ──なっ!?」


 だが、その直後にそれが誤りだと悟ることになった。


「……これは【シー・ブリーズ】か」


 ソウの周囲と言わず、辺り一面に白い霧が立ちこめていた。

『ウォッタ』属性の広範囲支援索敵魔法【シー・ブリーズ】だ。

 辺り一面に『ウォッタ』の魔力を帯びた霧を生じ、その範囲内における『ウォッタ』の属性効果を増大させ、反対の『サラム』の属性効果を減少させるというのが効果の一つ。


 その他に、魔力同士の共鳴や反発を用いて魔力量を測定し、伏兵を探すという効果がある。

 応用すれば、魔力から特定の人間の位置を探ったりも、できるのだ。


「とはいえ、無茶にも程があるだろ……」


 ソウの周りに白い霧が発生している時点で、すでに少女に捕捉されたも同然だった。

 だが、それは相当に規格外であった。

 通常のレシピで作られる【シー・ブリーズ】の効果範囲は、せいぜい半径百メートルが良い所なのだ。ソウは少なくともその十倍、一キロの距離を取っている。



 ソウは容易に逃げられると考えていた自分を反省し、油断せずに銃を抜いた。

 遠くから、狼の遠吠えのような声が聞こえていた。


※1005 少し修正しました。

※1007 表現を少し修正しました。

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