氷の瞳に映るもの
少女は喧騒の響く町の広場で、一人ため息を吐いていた。
感情は、正しく、退屈。
この賑やかな街には、今現在たくさんの人が集まっている。その人種の中でもとりわけて多いのは『バーテンダー』だ。
そして、少女もまたその一人だった。
(…………平凡)
少女は目の前を通り過ぎた、二十代後半くらいのバーテンダーをそう評す。
別に手合わせしたわけでもなければ、そもそも会話をしたわけでもない。
それでも、その身のこなしや纏う雰囲気から、それは分かり過ぎるほどに分かった。
だが、それは決してその男が悪いわけではない。
少女にしてみれば、目に映るほとんどのバーテンダーは所詮、平凡止まりなのだから。
(……こんなつもりじゃ、なかったのに)
広場の噴水に腰掛けながら、少女は一人思う。
少女がバーテンダーを志したのは、丁度六年前。彼女が十二の時であった。
理由は単純。その時に憧れた職業が、たまたまバーテンダーだったからだ。
裕福な家庭に生まれた。
将来はどこぞの貴族の長男あたりと結婚して、その妻として一生を過ごすのだろうと考えていた。
そんなある時、親の付き合いで、バーテンダー協会の交流会を見学しに行った。
それが、彼女の人生の転機となった。
そこで見た『カクテル』というものに、彼女は魅入られた。
伝統と、技術と、そして個性。
複雑に絡み合ったしがらみと自由。その中で成果を示し続けるバーテンダーという職業に、彼女は初めて憧れという感情を抱いたのだ。
その交流会が終わった時、彼女の中には一つの気持ちが芽生えていた。
『カクテルを理解したい。バーテンダーが、何を思っているのかを知りたい』
そして彼女は、親の決めたレールにほんの少し手を加えることにした。
親を説得さえすれば、バーテンダーになるのに大した手間はかからなかった。
ただ、少女の願った未来には、二つの誤算があった。
一つは、彼女のバーテンダーとしての才能が、自身の思った以上に大きかったこと。
ちょっとレールから外れるつもりの行動だったのに、いつしか彼女は所属する協会において、広告塔とまで言える程、有名なバーテンダーになってしまっていた。
そして誤算はもう一つ。
彼女がその噂を聞き、いずれ会いたいと目標にしていた人物。
彼女が同じ立場に立ち、話をしてみたいと思ったバーテンダー。
『蒼龍』──『ソウヤ・クガイ』が、いつの間にか姿を消してしまったということだ。
「ん?」
考え事をしていた少女──フィアールカは、その騒動に気付くのが少し遅れた。
やや遠くから、自分の居る広場に向かって喧騒が近づいてくるのだ。
事は単純。
盗みを働いた人間が逃げていて、それを追いかけている人間が居る。
こういった人がたくさん集まる街ではよくある光景。それだけなら、彼女の意識の中に大した印象は残らなかっただろう。
だが、彼女はその光景を気にせずにはいられなかった。
その原因は明白だ。
理由は分からないが、追いかけている人間が、
「そいつは俺の獲物だ! 誰も手を出すな!」
と、周りの人間の助けを拒絶しているのだ。
逃げている男よりも、フィアールカは追いかけている男のほうに注目する。
革のコート、端整な顔立ちに似合わない無精ひげ。明らかに旅の服装ではあるが、目を引くものが一点。
それは腰にぶら下げている、黒い『銃』の姿だ。
(あれ……市販の流通品じゃない)
フィアールカは、その銃を見ただけで、ほんの少し男に興味を持った。
バーテンダーが持つ『銃』は、大きく分ければ二つがある。
一つは、誰にでも扱えるようにチューンされた、市販されている量産モデル。
もう一つは、職人に頼んで一から自分専用に作られる、オーダーメイド。
持っている銃は、そのバーテンダーの実力の目安になる。
金が有り余っているのか、もしくはそれ相応の実力があるのか。
フィアールカは、ほとんど無意識に追いかけている男を目で追っていた。
「ごらぁ! 痛い目あいたくなかったらさっさと止まれやこの泥棒が!」
追いかける男は、逃げる泥棒に向かって声を荒げる。
「うるせえ! それで止まる奴がどこにいんだ間抜けがぁ!」
だが、泥棒は当然のごとく、それで止まりはしないのだった。
フィアールカの目には、足の速さは追いかける男の方が上に見えた。
だが、泥棒は自由に移動が出来るのに対して、追いかける男は進路を強制される。
この人ごみの中においては、やや、逃げる側が優勢であった。このままいけば、いずれ逃げ果せることができるだろう。
「良いのか!? 本当に痛い目見るけどそれでいいのか!?」
追いかける男が叫ぶ。
「へっ! できるもんならやってみな!」
逃げる泥棒もそれに答える。
フィアールカはその光景を見ながら、なんて馬鹿らしいのだろうと思った。
追いかける男は周りに協力を求めればいいのに。そうすれば、相手を捕まえることもできるだろうに。
オーダーメイドの銃を持つほどのバーテンダーなら、その程度の判断はできるはずだ。
(やっぱり、ただのプライドの高い金持ちか)
そう思うと、フィアールカは途端に男に対しての興味を失いかけた。
だが、その思考の直後。男が取った行動に度肝を抜かれた。
「基本属性『ジーニ45ml』。付加属性『ライム15ml』、『アイス』。系統『ビルド』」
なんと男は、走りながら銃を抜いて宣言を開始したのだ。
それによって、フィアールカの心は一気に失望にまで傾きかける。
カクテルとは、かなり繊細な魔力の調整を必要とする魔法だ。少しでも配分を間違えればその真価を発揮しない。
動きながら発動させるなど、常識では出来る筈がないのだ。
(走りながら宣言なんて……嘘っ!)
だが、男の銃は、宣言に応えるように鈍く震えた。
フィアールカはその光景に、失いかけていた興味を再び奮い起こされる。
そんな芸当が出来る存在に、一つだけ心当たりがあった。
フレアバーテンダー。
動きながらカクテルを作れる、邪道を極めたバーテンダー。
曰く、血に飢えた獣。戦闘に明け暮れ、カクテルの神髄を汚す者。
そう伝え聞いてはいるのだが、フィアールカの目にはまったくの真逆に映った。
(なんて……澄んだ魔力)
未だ遠くにあって、肌に感じる魔力の波は、驚くほどに清らかだ。
とはいえ、それがどれだけ綺麗なカクテルであろうと、役に立つとは限らない。
(この人ごみでカクテルなんて、無理に決まってる)
男と泥棒が走っているのは、往来なのだ。さらにここは広場なのだ。当然周りには人ごみがある。むしろ、その人ごみのせいで男は泥棒に追いつけないでいる。
そんな中で、カクテルを放つなど愚の骨頂。
銃から放たれる魔力の塊を、正確に泥棒にだけ当てるなど、ほとんど不可能である。
それが、フィアールカのみならず、この世界で少しでも『カクテル』を知っているものにとっての常識であった。
そして、男の非常識でもあった。
フィアールカはその一部始終を見ていた。
男は宣言を終えた銃を構え、その照準を逃げる男に綺麗に合わせる。
そして、その状態でピタリと停止した。
時間にして、ほんの数秒。
男は寸分も狂わぬエイミングで泥棒を狙い続けて、
「【ジン・ライム】」
人ごみが途切れたほんの一瞬の、そのまた一瞬を狙って引き金を引いた。
銃口から放たれたのは『ジーニ』属性、風の魔力を持った緑色の光弾だ。
それは吸い込まれるように泥棒へと向かって行き、その背中に直撃した。
解放された魔力は、小規模な竜巻のように、泥棒の身体を空高くに舞い上げる。
その数秒後に泥棒は地面に叩き付けられ、その動きを止めた。
「はっ! 大人しくしねーからそういうことになるんだよ!」
恐るべき神業を見せた男は、まるで誇る様子もなく動きを止めた男にゆっくりと近づいて行く。
フィアールカはその光景の全てに言葉を失っていた。
何から何まで、自分の中のバーテンダーというものを越えていた。
【氷結姫】だとかいう称号を与えられ、周りの人間達に天才だともてはやされても感じることのなかった、高揚感をはっきりと自覚していた。
(私の退屈を、私の心を満たしてくれる人が、ここにいる)
気付いたら、少女は言葉を交わしたこともない男に、憧れにも似た感情を抱いていた。
そして、無意識に声をかける。
「ずっと、あなたを探していました」
その少女の言葉を受けて、男は静かに振り向いた。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
今日から二章を開始致します。
本日は二話投稿の予定です。
続きは二十一時に投稿致します。
以後は、あらすじにも書いたように、二日に一回投稿の予定です。
よろしければお付き合い頂けると幸いです。
※1001 少しだけ台詞の場所を修正しました。
※1002 表現を少し修正しました。