ガリアーノの理由
「……綺麗」
ようやくアジトの建物部分から抜け出し、外に出た直後。それまで密かに行動していた筈のツヅリは、目の前に広がった景色に感想を抑えることができなかった。
月明かりの下、ずらりと列に並んだ黄色の花。
微かに漂う甘いバニラのような香りは、嗅いだことがある。
「確か、ガリアーノ、だよね?」
記憶が正しければ、それはガリアーノだとツヅリは考える。
だが、今の時期に花が咲くと聞いただろうか。いや、それはなかった筈だ。
では、何故?
「っと、いけないっ」
うっかり考え込みそうになったところで、ツヅリは慌てて近くの建物の陰に身を隠す。
視界の端に、ごく小さくではあるが人影が映った。
数は二人。それだけで厳しい。
ツヅリは撫でるように、腰に備えた愛銃を抜き放つ。
武器は幸いなことに、牢獄の出口付近にまとめて置いてあった。弾薬も同様だ。
その調子で牢獄を抜けて、この外に辿り着くまでに何度か戦闘はあった。
幸運なことに、その殆どを難なく打ち倒すことができた。
自身が強い、というよりも、ソウの撃退に人員を割いた結果であろう。
だが、それも全て一対一での話だ。
相手は二人。実力も未知数。やれるだろうか。
いや、やるしかない。
ツヅリは気合いを入れ直し、腰のポーチから銃弾を取り出した。
複数が相手ならば、効果範囲の広い【ジンフィズ】でまとめて倒せないだろうか。
対人に撃つのはあまりいい気持ちはしないが、生き残るためなら、そうする他ない。
覚悟を決め、もう一度相手の確認をしようと物陰から頭だけを出す。
「……いない?」
だが、男の姿が一人になっている。
その答えは、すぐに訪れた。
「…………動くな。手をあげろ」
重く低い声がツヅリの背後から聞こえた。硬質の感触が背中に伝わる。
(なんで? いつの間に背後を取られたの? というか、どうして私が敵だって?)
様々な疑問を抱きながら、ツヅリはゆっくりと手をあげた。
ゴトリ、と地面に愛銃『ニッケル・シルバー』が落ちる。
「……ん?」
男の訝しむような声。
「そのままゆっくりとフードを取れ。決して振り向くな」
ツヅリは言われた通りに、羽織っていたマントのフードを取った。
隠していた髪の毛が解放され、少し甘い匂いが散ったかもしれない。
後ろから息を呑む気配が伝わってくる。
(ああ、またこういう展開か。しかも今度は、奥の手が使えないし……)
ツヅリは少しずつ覚悟を固めて行く。
(このまま襲われるくらいなら、いっそ自分から死んでやろう。いや、お師匠のために一人くらい道連れにしてやろう。ああ、でも死にたくない。というか、私相変わらず全然青春してなかったな。最後に一目くらいお師匠に会えたらいいなぁ)
と、覚悟を固める筈がどんどん迷子になってきたあたりで、男の声のトーンが変わる。
「悪い。間違えたわ」
「…………?」
「おいツヅリ。そろそろ気付けよ」
「え?」
ツヅリが慌てて振り返る。
するとそこには、今朝別れたばかりの、とても会いたかった顔があった。
「お、おしじょうぉおおおおおお!」
ツヅリは思わず、感極まってソウに抱きついていた。
普段だったら相手にしないソウも、今日ばかりは静かにツヅリを受け止める。
周囲に気を張りながらではあるが、優しくツヅリの頭を撫でた。
「悪かったな、遅くなっちまって」
「すいませんっ。私が、お、お師匠の言葉をちゃんと聞いていればぁっ」
「それはそうだ。だが、まぁ、どうにもならない時もある」
「すいません。ずいまぜん。会いたがったですぅうううっ」
ツヅリは、今まで張り詰めていた分、ソウに出会って感情のたがが外れていた。
暗闇の中に光を見たような安心と、ようやく家に辿り着いたような安堵。
死と隣り合わせの不安と、師の言葉を果たせなかった後悔。
緊張感の中で混ぜこぜになったそれらの感情が、訳も分からないまま、どうしようもないほどに溢れて、自分では扱いきれなくなっていた。
「なんかされなかったか?」
「やらしい目で見られたけど、大丈夫でず」
「なんだと? そいつ、後で殺す」
「でも、なにも、されなかった、からっ」
師にしがみつく十七の少女は、言葉にならない想いの丈を吐き出し続ける。
ソウはしばらく、それらを静かに受け止めていた。
「おい、ツヅリ。そろそろ落ち着け。あんまり留まると良くない」
「……はい。ずいません」
一通り感情の整理を終えて、ツヅリは名残惜しそうにソウから離れた。
「それで、お師匠。これからどうするんですか?」
ツヅリはまだ若干ぐずり声ではあるが、意識だけはしっかりと切り替わっていた。
「本当なら逃げ出したいところではあるんだが」
ソウは頭を少し掻いて、言いたくなさそうに言う。
「ま、約束しちまったしな。ここを制圧する」
「で、出来るんですか?」
「やるんだよ」
ソウはこともなげに言い切った後、ツヅリに付いてこいと合図をした。
そして、先ほどまで道案内をさせていた男のところに戻る。
「おい、牢獄からボスの居所に目的地は変更だ」
もう一人の男は、不服そうに頷きを一つ返す。
ツヅリは暗がりでかつ遠かったので気付かなかったが、男は手を後ろで縛られているのだった。
それに気付けていれば、ソウの存在にも気付けたかもしれない。
「それとツヅリ、一つ聞きたいんだが、牢獄には他の人間の姿はなかったのか?」
ふと思った、という具合のソウの問いかけ。
「……そういえば、町の人を誰も見ませんでしたね」
ツヅリも今気付いたとばかりに答える。その報告にソウは思考を割く。
(人質として捕らえたわけ、じゃないのか? 本当に何かの労働力? だがこの程度の畑にそんな人数は必要か? いや)
少し考えて、ソウは意識的にその疑問を排除した。
考えても仕方ないことは、全てが済んでから考えればいいのだと。
「……そういえばお師匠、私も一つ聞きたいことが」
「なんだ?」
ボスの居所まで案内する男の後ろで、今度はツヅリが小声でソウに尋ねた。
「なんでお師匠は、遠目で私だって気付かなかったんですか?」
「ああ。お前の胸が萎んでたから、男にしか見えなかった」
「ああー、なるほどー…………ひどくないですか?」
「銃で気付いてやったんだ、ありがたく思え」
若干凹むが、自分も気付かなかった手前、言い返せないツヅリが居た。
「おいお前ら。調子に乗っているが、隊長に勝てるなどとは思わないことだな」
その二人の会話が癇に障ったのか、道案内の男は苛立たしそうに言った。
「ほう。どういうことだ?」
「あの人の魔法は、硬い。俺たちが何人束になったところであの人には決して勝てない」
「……硬い?」
それは、カクテルに使うには珍しい表現だ。
だが、ソウはそれを口に出すことはない。
正確にはできなかった。
言葉を続けようとしたその瞬間。ソウは尋常じゃない殺気を感じ、無意識の内にツヅリを抱きかかえてその場から飛び離れた。
その数瞬後。
「ぎぃいいあああああああああああ!」
目標を見失った火龍が、その場に残っていた男を一飲みにしたのだった。
男が絶命する瞬間を目の当たりにしつつ、ソウは落ち着いてツヅリを降ろす。
ツヅリは何も言えずに男を見ているが、ソウは火龍が向かってきた方角を見ていた。
かなり遠くから、それと見知った金髪の男が近づいてきているのが分かる。
軽薄な笑みを浮かべる、二十前半に見える、優男。
「あはは。今のを避けるなんてどういう神経しているんです?」
「お生憎様だったな」
ツヅリを後ろに下げながら、ソウは油断なく相手の様子を観察する。
人を、それも部下を殺して、何もなかったようにその男は笑っていた。
先ほどの不意打ち。その正体は【ダイキリ】の一種だ。
火龍の頭は一つだったが。それはカリブの実力を指さない。今のは『スピード特化』のオリジナルレシピだろう。
火龍の頭が一つになる代わりに、目標に到達するスピードを凄まじく上昇させる。
酸味を極限まで引き上げつつ、カクテルとしては完成するギリギリまで調整されている。
それだけで、この男が一筋縄ではいかないことが分かる。
「ツヅリ。俺が相手をする。お前は自分の身を守ることだけ考えてろ」
「は、はい。お師匠」
たった一つの命令を与えて、ソウはツヅリを遠ざけた。
その様子を見て、カリブは人の良さそうな面の皮を歪ませる。
「うん。美しい師弟愛ですねぇ。ま、良い判断だと思いますよ」
「御託はいい。やるんだろ?」
相手の言葉に耳を貸さず、ソウは臨戦態勢に入る。
だが、カリブは少しだけ余裕の表情で言った。
「まあそう言わず。ここまで来たんだから、せっかくなら感想を聞かせてくださいよ」
「……なんのだ?」
「この花畑のです」
カリブはわざとらしく腕を広げて、あたり一面にある『ガリアーノ』を指した。
「……綺麗なんじゃねぇの」
ソウはじれったく、会話をさっさと打ち切ろうとして答える。
今はまだ良い。だが【グラスホッパー】の有効時間はどんどんと減っていく。
支援魔法の効果時間は十五分程だ。いつまでも会話に付き合っている余裕はない。
「くく。そうでしょうね。だが、僕が聞きたいのはそういうことじゃない」
その気持ちを察してか否か、カリブはゆったりとした口調で会話を続ける。
「どうやって、この花を咲かせていると思います?」
会話のただ中にあって、ずっと隙を見せないカリブ。
仕方なく、ソウは不意打ちを図りながら会話に応じた。
「……促成栽培だ。確か条件は『土地の魔力が無駄に豊富』であること。それでここは、その特異点の一つだったんだろ」
例えばエルフの隠れ里。どこにあるのかも知らないそこには、季節に依らず様々な花が咲き乱れるという噂だ。
それは何故か。その土地には植物が育つために必要な『魔力』が溢れているからだ。
「栄養を与える『テイラ』、体液を循環させる『ウォッタ』、エネルギーを生み出す『サラム』、そして刺激を与える『ジーニ』。それら四つが豊富にある土地ならば、どんな季節でも植物は花を咲かせるはずだ」
ソウの答えに、カリブは満足気に頷く。
「半分正解です。流石ですねユウギリさん。でも、少し違う。この土地は特異点ではありません。至って普通の土地です」
「なに?」
促成栽培ではあるが、特異点ではない。それでは話の辻褄が……いや。
昔、どこかで見た嫌な実験が、ソウの脳裏によぎった。
「お前、攫った人達を、どうしてる?」
その声は、地の底から響く怨嗟よりも、なお暗い、赤い怒りの声。
だが、その勢いに怯むことなく、カリブはパチパチと手を叩いた。
「ははは。正解ですよ。この土地の魔力は攫ってきた人間、いえ『人間魔石』から供給されています。人間の中で自動生成される魔力を搾り取る、画期的な栽培方式です」
カリブの声が酷く耳障りだった。
ソウはもはや躊躇いもなく銃を抜いていた。
「話は終わりだ。銃を抜け。お前は殺してやる」
「あー怖い。そんなに睨まないでくださいよ。死んでるわけじゃないですよ。まだ」
言いながら、カリブもまた張り付けていた笑顔の仮面を剥ぎ取った。
そしてなんの合図も無しに『銃』を抜く。
悪趣味な金色をした銃だ。だが、巷に出回っている量産モデルでないことは分かる。
オーダーメイド。それだけで、一種の目安になる。金持ちか、実力があるのか。
カリブはそのまま、銃弾を四発、ポーチから引き抜く。
弾頭は、赤、緑、白、そして氷色。
『サラム』『ライム』『シロップ』そして『アイス』。
【ダイキリ】だ。それもアレンジではない、スタンダードレシピ。
それを見てソウも、四発を抜く。材料は同じ、【ダイキリ】。
ソウの狙いに気付いたようで、銃弾を込めながらカリブは少し笑みを浮かべた。
銃弾を込め終わるのは、先手を取ったカリブが、僅かに早い。
「基本属性『サラム45ml』、付加属性『ライム15ml』『シロップ1tsp』『アイス』、系統『シェイク』」
「基本属性『サラム45ml』、付加属性『ライム15ml』『シロップ1tsp』『アイス』、系統『シェイク』」
だが、宣言はほぼ同時。
魔力の充填もそうだ。
振るスタイルだけが少し違う。
ソウはオーソドックスな八の字振りなのに対し、
カリブは見栄えを意識した、飾り振り。
それでも両者は、ほぼ同時にシェイクを終え。
そして、お互いがお互いに狙いを定め、放つ。
「「【ダイキリ】!」」
発動すらも同時。
だが、結果は少し違った。
カリブの銃口からは、赤く大きな四つ頭の火龍が姿を見せる。
一方、ソウの銃口には、それよりもなお大きい、五つ頭の火龍の姿があった。
火龍たちは、それぞれがそれぞれに食らいつく。
一頭が一頭を、食い合いながら対消滅していく。
炎が踊るような凄まじい熱量を放出しながら、しかし、あっけなく決着は付いた。
一頭ずつが食い合うのならば、頭の多いソウが勝つのは自明の理だった。
「あばよ」
ソウの掛け声を合図にするように、残った一頭がカリブへと到達。
その身を瞬く間に炎で包んだ。
あれだけ余裕を見せていたにしては、やけに呆気ない幕切れであった。
「……なんだ? やけに手応えが……!」
そしてソウは、すぐにそれが間違いであったと知った。
「くくく。すごいですね。まさか本当に五つ頭だなんて。天才じゃないですか?」
その声は、未だに燃え盛る炎の中から聞こえてくる。
「僕じゃなかったら、危うく死んでたところですよ」
パチパチという拍手と共に、まるでダメージのないカリブが姿を現す。
未だ炎熱の中にあって、カリブには火傷一つない。カリブの身体の表面に金色の膜のようなものが広がっていて、炎の浸食を食い止めているのだ。
「……お師匠、あれは?」
「……そうだ、どうして忘れていたんだ」
ソウは、そのトリックの正体に気付き、苦みばしった表情を浮かべる。
材料に『ガリアーノ』を使うカクテルの中でもメジャーな一つ。
【ゴールデンキャデラック】
衝撃も、打撃も、基本の属性も一切を受け付けさせない強力な防御魔法。
それを打ち破るには、防御を上回るような強力な攻撃を浴びせるか、同種の攻撃を叩き込む──例えば【ゴールデンキャデラック】を纏って直接攻撃するなど──しかない。
「さぁて、遊びましょうか? あなたの命運が尽きるまでね」
カリブは勝ちを確信したように、愉悦に満ちた表情で言った。
彼は知っているのだった。
ソウも、そしてツヅリも特攻となる『ガリアーノ』などは持ち合わせていないことを。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
本日は、四回更新で一章完結までいくつもりです。
その一回目です。
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※0928 誤字修正しました。