ツヅリの奥の手
やけに冷たい石の感触。静まり返った空間。
五感が最初に伝えた情報。
「……いつつ」
目を覚ましたツヅリは、後頭部にズキリとした痛みを感じて、頭を押さえる。
その後、恐る恐る目を開けた状況は、すこぶる悪かった。
「これって、よくある、牢獄ってやつ?」
薄暗い石造りの空間。遠くの松明の明かり。そして目の前には、鉄格子の壁があった。
装備を確かめるが、銃もポーチも存在しない。ポケットの中に入れていた失敗作の弾丸すらない。
尚もぺたぺたと触ってみると、懐の中にだけ硬質の感触が残っていた。
「夜の七時過ぎ、か」
懐中時計を見つめながら、ツヅリは頭の中を整理する。
まず置かれている現状は、考えるまでもなく、敵に囚われているというところだ。
自分の手元には銃はおろか弾丸すらない。どこかに置いてあればいいが、捨てられていたらどうしたものか。
他に見当たるものはない。見張りもいなければ、一緒に入れられている人間もいない。
「個室ってのはありがたいけど、もうちょっと気を使って欲しいよねぇ」
師を見習ってわざと軽口を叩いてみるが、どうしても楽観的に物事を判断できない。
端的に言えば、絶体絶命だと思った。
「……どうしよう」
自分が子供達に騙されたことは既に分かっている。
今思い返せば、ソウは『特にカリブに』気をつけろと言ったのであって、『子供達』には気をつけなくても良いと言ったわけではないのだ。
それなのにツヅリは、再び心を許しすぎてうっかりと警戒を解いたのだ。
「あー。お師匠にまた怒られるなぁ」
自分の命も助かるか分からないのに、逃避するかのように師を思い浮かべるツヅリ。
だが、イメージの師に『良いから考えろ』と怒られ、現状をもう一度探ることにする。
「そう。まだやれることはあるはず」
身体の調子から、自分が数時間しか気絶していないことは分かる。
ということは、ソウもそろそろツヅリの異変に気付いている頃だ。
「お師匠まで騙されたなんて、絶対思わない。だから、きっと助けにきて……くれてるかなぁ……くれてたら良いなぁ……」
自分の師ではあるのだが、そこだけははっきりと自信が持てなかった。
あっさりと見捨てられている可能性も考えられた。
「ううん。仮にそうだとしても、私がやるべきことは変わらない」
頭の中の嫌な想像を振り払い、ツヅリは決意する。
脱走しなければ、と。
そう思っていたあたりで、ツヅリの耳に音が届く。足音と話し声。恐らく二人、両方が成人男性。
しばらく待っていると、想像した通りの二人組がその姿を見せた。
「ようやく起きたのか嬢ちゃん」
「身体の具合はどうでちゅかー? 痛い所はないでちゅかー?」
あからさまに馬鹿にされているのが分かってツヅリは少し苛立つ。
だが、雰囲気に呑まれることなく、下卑た顔の男達に強気な態度で言い返した。
「調子は良いけど気分は最悪よ。ここから出して」
「聞いたか? ここから出してだってよ?」
「出してやりたいけどよ、ダメなんだわ」
「ぎゃはははは」
しかし、絶対的に有利にある男達は、ただの強がりと見て相手にはしない。
ツヅリは相手の装いを観察する。
揃いのマントを羽織っているので定かではないが、腰の膨らみから一人は銃、もう一人は銃と剣を持っている。
師から聞いている厄介な組合わせというやつだ。
だが、今は戦うどころではない。なんとか隙をついてここから抜け出さなければ。
「……それで、なんで私を捕らえたの?」
それくらい教えても構わないと思ったのか、男達はわりとあっさり答えた。
「隊長の命令さ。お前は、標的をおびき寄せる餌だってな」
「そうそう。隊長がびびってんだよ。たった一人相手に俺ら総動員とかよぉ」
その言葉で、ツヅリは自分の役割を知った。ソウに対する餌だと。
敵は、ツヅリをアジトに連れ去り、ソウがここに来ざるを得ない状況を作り出した。
アジトではたった一人を、数も知れない程のバーテンダーが待ち構えているのだ。
自分がどれだけのことをしでかしたのか、ツヅリはすっと頭が冷えるのを感じた。
「ま、それが終わるまでは殺すな、って話だからな」
「せいぜい大人しくしてるんだな。ま、明日までの命だろうけどな、ぎゃはは」
ツヅリはキッと下品に笑う二人を睨みつけるが、それは嘲笑を買うだけであった。
それだけの話を終えると、飽きたように二人はツヅリの前から消え去ろうとした。
「ま、待って!」
ツヅリは咄嗟に呼び止めた。だが、ツヅリの頭の中には、特に策はなかった。
「あ?」
とはいえ、呼び止めてしまったので、男はこちらを向いた。
ツヅリは頭の中でグルグルと思考を回す。自分が持っている武器はなんだ。どうすれば相手を油断させ、扉を開けさせられる。
そして、追いつめられたツヅリが咄嗟に思い浮かんだ行動、それは。
「……わ、私ちょっと、身体が熱くなってきちゃったみたい」
色仕掛けだった。
胸元を少しだけ開いて、ソウに以前披露したようなポーズを取ってみるツヅリ。
「う、うふん」
止めどない冷や汗と、羞恥による体温の急上昇を感じる。それでもめげず、身体をくねっと動かし、駄目押しでほんの少しだけ、スカートの裾も上げてみた。
しばらく言い難い沈黙が流れる。その後に男達は、そろって口を開いた。
「もう少し色気がついてからやるんだなお嬢ちゃん」
「いいじゃねぇか。ちょっと相手してやるよ嬢ちゃん」
意見の食い違う二人が、お互いの顔を見合わせる。
「お前本気かぁ? こんなガキ相手に」
「良いじゃねえか。ガキっつっても出るとこは出てるみたいだしな」
男が、ツヅリの身体にねめつけるような視線を送る。
ほっそりした腰、膨らんだ尻、伸びた足、切り返してそこそこの胸、首もと、整った顔と順番に。
「嬢ちゃん。俺たちもこんな所に籠もって飢えてんだ。冗談じゃすまさねえぞ」
乗ってきたのは剣を持った男だ。当然体格もよく、格闘戦では相当に分が悪いだろう。
その視線に激しい嫌悪を感じつつ、ツヅリは笑みを崩さなかった。
せっかく乗ってきたのだ、この隙をつかなければ。
「やめろ馬鹿。隊長には手ぇ出すなって言われてんだぞ」
「構やしねぇよ。殺すわけじゃねぇんだ。隊長だって分かってくれんだろ」
もう一人の男が注意をするが、体格の良い男は止まるつもりはないようだった。
へへへ、と低俗な笑みを浮かべる体格の良い男。
もう一人はあからさまなため息を隠すこともなく、静かに告げた。
「わかったよ。その代わり三十分もしたら様子を見にくるからな」
「おいおい短けぇだろ。せめて倍はよこせよ」
「いつ敵がくるか分からねぇんだぞ」
「心配いるかよ。隊長の命令で入り口は、隠しまで全部埋めてあるんだぜ?」
「とにかく、三十分だ」
もう一人の男は、神経質そうにそれだけを言うと、つかつかと歩き去った。
残った体格のいい男は落胆の表情を浮かべるが、すぐににたりとした笑みになる。
「というわけだ嬢ちゃん。悪いんだが、手早く済ませてもらうぜ」
「……え、ええ」
「無駄な抵抗は考えないことだな。身につけてた武器は全部取っ払った」
男は言いながら、懐から鍵を取り出した。鉄格子の扉にかかった南京錠を開け、ツヅリが逃げ出さないように道を塞ぎながらゆっくりと牢獄の中に入る。
「くくく。どうした? 腰が引けてるぞ?」
「き、気のせいよ」
じりじりと、腕を広げながら近づいてくる男。その表情とは裏腹に、男には隙がない。
少しずつ、ツヅリは後退する。
「言っておくけどな。俺は『銃』より格闘のが得意なんだ。勝てるとは思わないことだ」
想定よりも堅実な相手の行動に、ツヅリは少しだけ焦る。
後退していた身体が、後ろの壁にトンと当たった。
「ほうらもう後がない。観念しな」
その様子を見た男は、逃げ道を失った獲物を、追いつめたと確信した。ツヅリの表情が暗く染まるのを期待した。
もっと分りやすく言えば、油断した。
ツヅリはその瞬間に行動を起こした。
だが、男へと攻撃をしかけたわけではない。いくら油断していても、自分が敵う相手ではないことは分かっていた。
だから、ツヅリは『奥の手』を使うことにする。
相手の見ている前で、わざとらしく自分の胸へと手を当てた。
「ははっ」
それは、男の目には少女が怯えている様に見えた。
その勘違いすらも計算に入れて、ツヅリは胸に手を──いや、そこに詰めてあった『テイラ』の魔石に手を当てながら宣言した。
「【アンバサダー】!」
「は?」
男のぽかんとした表情。だが、その顔が真相を知ることはない。
ツヅリの宣言によって発生した魔力は、ツヅリの意思通りにまっすぐ男の足元に向かう。
着地点を定めた土色の光は、地面へと到達。その直後、巨大な石柱が男の顎を打ち抜いた。男は意識を刈り取られ、ずどんと音を立てて倒れる。
その音に気付いて、もう一人の男が急ぎ足で向かってくる。
「な、なんだ今のは!?」
それを待ち構えていたツヅリは、もう片方の胸に手をあて同じことを繰り返した。
不意を打たれた男もまた、なす術もなく崩れ落ち、その場に静寂が満ちる。
直後。魔力を失った『テイラ』の魔石は、さらさらと砂のようになって崩れ散った。
「ふぅ、制圧完了」
ツヅリには、ソウに真似できないたった一つの特技があった。
それは『テイラの魔石』を媒体にして、予備動作も宣言もなく『カクテル』を発動させるというものだ。
代償に魔石一つを消費し、さらに威力も普通のカクテルに比べて大幅に減退する。人には効くが、魔物には厳しい。それでもノータイムで発動できる、奥の手だ。
だが、その奥の手を使うのは、ツヅリにとっては屈辱的でもあった。
魔石は、女性として不自然ではないように、両胸に一つずつ仕込んでいたのだ。
「…………」
男達の装備を確認したが、使えそうな銃弾はなかった。牢獄に入る時にどこかに置いてきたのだろう。諦めて銃だけを奪ってから、ツヅリはもう一度胸に手を当てる。
ぺたりぺたり。
さっきまでは一応膨らんで見えていたそこは、途端に成人女性としてはやや寂しい大きさに変貌してしまっている。
「……はぁ」
別にそこに詰め物をしていたところで元の大きさが変わるわけではない。それは分かっている。
それでも、実際に萎んだ胸を見るのは、少し心が寂しかった。
「さて、とりあえずこの人達を牢獄に入れて、抜け出さないと」
男二人をずるずると引き摺って牢獄に入れ、鍵をかける。
収穫は弾薬のない銃と、変装に使えそうなマントだけだ。
それで、アジトを抜け出す算段を立てないといけない。
ツヅリが悩んだ、まさにその時だった。
「な、なに?」
地震でも起きたかのような轟音と振動。つづいて、けたたましい警報音が鳴り響いた。少し混乱するが、すぐに思い当たる。
こんな派手な侵入。心当たりは一人しかいない。
「そっか……お師匠と合流しないと」
言ってから、ツヅリは少し足取りを軽くして牢獄から歩き去った。
どうしようもないことに、ソウが助けに来てくれたという事実だけで、心が浮くような気持ちになっていた。
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