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師匠と弟子

 ベグスの町は、大きな山の麓にある比較的賑やかな田舎町だ。

 辺りには森と川しかなく、大きな街に出るためにはそこそこ時間が掛かる。

 気候は穏やかで食べ物にも恵まれており、特産品の山菜も街に行けばそれなりの値段がする。だが、この町でもっとも有名なものと言えば、豊かな気候と、美味しい水から作られた発泡酒『ベグスエール』である。


「ぷはぁーっ! 五臓六腑にしみ渡るぜぇ」

「お師匠。みっともないです。だらしない声出さないでくださいよ、もぅ」


 派手な動作で、手に持ったグラスから盛大に美味そうに酒を呷る師ソウ・ユウギリを、その弟子ツヅリ・シラユリがいさめる。

 言ったツヅリは、手に持ったお茶をちびちびと飲みながら、眼の前の料理を上品に口に運んでいた。きのこのソテーや山菜のサラダなど、山で採れるものが中心だ。


「どこがみっともないって?」

「その『ぷはぁー』とか『しみ渡るぜぇ』とか」


 ちらちらと周りの目を気にするツヅリ。

 ソウはやれやれと呆れた顔になる。周りを見渡しても、二人に注目しているような酔っ払いは存在しない。この喧騒の中では当然のことだった。


「お前は今まで何を見てきたんだ? ここは酒場でこれは酒だ。チビチビ飲んでる方がむしろ迷惑なんだよ。酒ってのは飲んでなんぼだからな」

「そうやってバンバン頼むから! 宿に泊まるお金に困ったりするんじゃないですか!」


 バン、とテーブルを叩いて少女は立ち上がる。

 その大きな声と音は酒場に響き、周りの客は何事かと注目する。


「ツヅリ、みっともないぞー。大きな声を出さないでくれるかぁ?」

「……うぐ……」


 ソウが茶化すように声をかけると、ツヅリは主に羞恥で顔を火照らせながら座った。

 次第に周りの目がばらけたのを見計らって、ソウは話を続ける。


「それにな、今日泊まるとこの問題がないから、こうして飲んでんだろ」


 出し抜けに言ったソウの言葉に、思わずツヅリは表情を固くした。


「それ、他人のご厚意に甘える形ですし」

「それのどこが悪い? 泊めてくれるってんならありがたく泊めて貰わにゃ損だ」

「……もう少し、遠慮とか」

「そんな言葉は知らねえなぁ」


 とぼけたソウが再びグラスをあおり。ツヅリは深いため息を吐いた。


「だいたい、お前はどうして茶なんて飲むんだ?」

「どうして、と言いますと?」

「わざわざ酒場まで来て、特産の酒を飲まずにどこにでもある茶を飲む理由はなんだ」


 ツヅリは自分の手元にある冷茶を見下ろし、少し考え込む。

 別に酒が嫌いなわけではない。むしろ好きな部類だろう。だが、自分が酒に強いとは思っていない。無理をしたことはないので限界も知らない。


 ふっと顔を上げると、弟子の言葉を待つ師匠の真剣な顔があった。


「あ……」


 思わず声が洩れた。ツヅリはまたすぐに顔を俯かせる。

 普段は滅多に見られない、ソウの真っ直ぐな瞳に心臓を撃たれた。

 鼓動は速く、まるで酒を飲んだときのように顔が火照る。

 同時にツヅリは、先ほどの質問の答えに思い当たってしまった。

 憧れている人の前で、酔っぱらって醜態を晒すことが怖いのだ。


「つ、つまりアレですよ、アレ!」


 ツヅリは自分の挙動不審を誤摩化すように、とりあえず声を張った。

 ソウはそれを訝しげにただ眺める。


「ほら、私って、その、お、お嬢様じゃないですか!」

「ああ、没落してるけどな」

「だから、そう! 舌が肥えてるんです! つまりこんな田舎のお酒なんてまず──」

「馬鹿かお前は!?」


 とんでもないことを口走りかけたツヅリの口を、ソウは慌てて塞いだ。


「──んぐぅ!」

「ちょっと黙ってろ」


 うなり声を上げるツヅリに小声で命令し、乾いた笑いを張り付けて辺りを見回す。

 案の定、ツヅリの暴言に不愉快そうな顔をした酔客達が、ソウ達を睨んでいた。


「はははー、いや違うんですよ! 別に文句とかじゃないんです!」

『…………』

「ホントこいつ世間知らずでアホなんで、勘弁してやってくれませんかね?」


 急に静かになった酒場の中をソウの声が上滑っていく。だが、争いが起こるでもなく客達はまた自分たちの会話に戻った。

 ほっと一息ついたソウが手を離すと、口を塞がれていたツヅリが少し涙目で非難する。


「乙女の口をいきなり手で押さえるってなんですか! 痴漢です! セクハラです!」

「あーはいはい。今度はもっとロマンチックにやってやるよ」

「ロマンチックに……?」


 ツヅリはきょとんと首を傾げた、その様子を見てソウは唇をいやらしく歪める。


「ロマンチックっつったら、こうだろ?」


 言ってソウは、自身の唇をまず指差し、その後に指先をツヅリに向ける。


「唇と……くちび──お師匠!?」


 顔を瞬時に赤く染めたツヅリは、自分の口元をゴシゴシと拭う。


「なにもそんな力強く拭わんでも」

「うるさいですお師匠!」

「へいへーい」


 ソウは相変わらずゲスい笑みを浮かべてツヅリを見ている。

 だがすぐに真面目な表情に戻り、落ち着いた頃合いを見計らって切り出した。


「んじゃ、お説教なツヅリ。郷に行っては郷に従えじゃないが、波風立てない努力くらいしろ。周りを良く観察しろ。別にいつも気を張ってろとは言わないが、自分の行動がその場にどう影響を与えるのかくらいは常に認識しておけ。ど阿呆」

「……すみません」


 しゅんとしたツヅリに追い打ちをかけるように、ソウは続ける。


「特産品を売ってる場所で、それを馬鹿にするってのは『かかってこいやこのクソ共が』って挑発してんのと変わんねえよな?」

「……そんな口汚くはないかと」

「あ?」

「……はい」


 ぐうの音も出せずにツヅリは押し黙る。人間誰であれ、大切なものをけなされたら腹が立つに決まっている。先ほどの不用意な発言は、地元の酒場において部外者が口にして良いものではなかった。


「あとは──おーいそこの可愛い嬢ちゃん! 注文!」


 何かを言いかけたソウが、手を上げて給仕の少女を呼びつける。

 ソウが注文を告げると、それを聞いていたツヅリは露骨に顔をしかめた。


「お師匠。目がいやらしいです」

「もう一つ、これも口を酸っぱくして言ってることだろ」


 ツヅリの細やかな抗議を聞き流すソウ。その扱いに弟子が言葉を重ねる暇もなく、給仕の少女はすぐに注文の品を届けた。ベグスエールのジョッキを二つ。

 一つはソウの前に。もう一つは、ツヅリの前に。

 ツヅリは赤黒い液体を一度眺めたあと、ソウに説明を求めて視線を向けた。

 面白半分熱意半分の表情で、ソウは言う。


「バーテンダーをやってくつもりなら舌は鍛えておけ。知らない味は積極的に知っていかないとな。んじゃ乾杯」

「……乾杯です」


 ソウの乾杯の音頭に合わせて、ツヅリも力なくコチンとグラスを合わせた。

 ゴクリゴクリと双方の喉が鳴り、そして双方がグラスを口から離す。


「うぇえ、すいません。ちょっと私には、苦いですよぉ」


 すぐに曇った顔でツヅリは感想を述べた。


「苦いのは分かるが、他の感想はないのか?」

「……なんか、苦いカラメルみたいな、不思議なコクがある気はします。それで抜ける風味は爽やかと言いますか、仄かに柑橘っぽいと言いますか、です」

「まぁ、そんなもんか」


 ツヅリの絞り出したような語彙の無い感想に、ソウは満足げに頷いた。


「ベグスエールの売りは、この地で採れる薬草の『ベグス草』を上手に混ぜ込むことで実現する、深みのある苦みと引き摺らない後味だ。このベグス草ってのがくせ者でな──」

「へー」


 熱の籠もった説明を始める師匠に気のない返事をして、ツヅリはうーんと手に持ったグラスを眺める。特徴は分かったがあまり飲み続ける気がしない。


「別に無理して飲まなくていいぞ」


 その葛藤を正確に捉えたソウの救いの声。ツヅリは釣られてパッと顔を上げた。


「え? 残して良いんですか?」

「はぁ? そんなもったいないことするかよ。俺が飲むに決まってんだろ」


 ソウはなんでもないように告げ、ツヅリはキョトンと青年とグラスを見比べた。


「お師匠が……飲む。これを。……それって、間接……」


 気付いた瞬間、まだ酒が回るには早いというのにツヅリの体中に熱が広がった。


「い、いいい良いです! 大丈夫です! 自分で飲みます!」


 せっかく先ほど収まった動悸に再び襲われ、ツヅリはグラスを守るように体で覆い隠す。

 その様子を見てソウは、含み笑いを浮かべた。


「別に気にするなって。俺は最初からそのつもりだったぞ」

「なっ!? えっ!? そ、それってどういう?」


 その一言に、ツヅリの頭は自分でも理解できない程に混乱していった。

 自分の弟子が目を回す様を、ソウはニヤニヤと面白く眺め、心で悦に入る。

 わざわざ勘違いできるように言った言葉だが、自分の弟子の初心さは賞賛に値する。

 そろそろ助けてやるか、と、ソウは用意しておいた解答を述べた。


「お前みたいなお子様には、こいつはまだ早い」

「……お子様?」

「ああ。まだちんちくりんのお前には、大人の味は分からんだろう?」


 ソウは言ってツヅリの体を見る。


 旅を続けてきた足は、余計な肉のないしなやかさではあるが、決して細くはなく。

 腹や腕も、機能的な美しさを持ち合わせてはいても、女性的な魅力にはやや欠け。

 女性らしさの象徴の胸は、一応は大きく見えるが、それよりは大きなお尻が特徴。


 髪型にかけても、旅や戦闘の利便性を追求し、やや短めの黒髪を整えているだけ。

 何より服装が革のコート、装飾のない地味な色の上着に、申し訳程度のスカート。


 特に欠点はないのだが、取り立てて特筆することもない、いたって普通の少女だ。

 そしてその顔は、ムッとイラッを混ぜ合わせた少しの怒気に染まった。


「こ、子供じゃないです! もう成人の十五はとっくに過ぎてます!」


 声を荒げ、ツヅリは手に持ったグラスの中身を一気に飲み干した。


「……あれ?」


 飲み干した後に、自身がそれを美味しく感じているのに戸惑う。

 さっきは少し苦くて、自分には合わないと思ったのに。


「くく。そうそう。ベグスエールの特徴はなぁ、一口目は苦く感じても、二口目、三口目と続けて飲んで行くことで舌が慣れ、どんどんと旨みを増していくことなんだよ」


 カラカラと笑いながらソウは、先ほどは言わなかった説明を付け足した。


「へ?」

「勉強になったか? 大人のツヅリちゃん」


 そうして、またぐいっとグラスを呷る。


「…………」


 ツヅリは、自分が恐らく師匠の思惑通りに動かされたことに気付いて、再び押し黙るしかなかった。怒りや羞恥の中に、ほんの僅かな尊敬を感じて。




 泥酔する前に店を出た二人は、今日泊まる予定である邸宅へと向かった。

 それなりに大きな町だが街灯は乏しく、大通りを抜けると月明かりだけが頼りだった。


「お師匠、道ってこれであってるんですかぁ? さっきから迷いがあると言いますかぁ」


 確かな足取りの割には町をさまよう師に、ツヅリが少し緩くなったろれつで尋ねた。


「ん〜? まっ、方角は合ってるだろ」

「えぇ? お師匠が知ってると思ったから私安心してたんですけどぉ」


 あっけらかんとした師匠の言葉は、弟子を不安に駆り立てるのだった。

 月明かりを頼りにしながら、二人は歩く。大通りや小路をいくらか経由して、ようやく二人は目的の場所を見つけた。周りに比べても二回りは大きな建物だ。

 散り散りの雲が、今まで道を照らしてきた明るい月を覆う。


「消えたな」


 ぼんやりと空を見てソウが呟いた。


「月なんて良いから入りましょうよぉ。夜風って思いのほか寒いんですぅ」



 一方で風情というものに乏しいツヅリは隣の師匠に唇を尖らせた。

 ソウはため息を吐いて、家の鐘を鳴らした。


※0914 誤字修正しました。

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