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審査員特別賞の裏側


「これはいったい、どういうことですの! おじい様!?」


 バンと勢いよく扉を開き、足音に怒りを乗せつつ、フィアールカは一人の老人に詰め寄っていた。

 場所は模擬訓練が行われた会場内にある、VIPルーム。大きな椅子と、護衛がいくらでも隠れられそうな陰のある一室。『練金の泉』の中でも身分の高い人間と、その招待客しか入れない特等席だ。

 そんな部屋で、優雅に座っていた老人──イーヴァ・サフィーナは自分に向かってくるフィアールカに余裕のある表情を返す。


「……どう、とはどういう意味かな、氷結姫」

「とぼけないでくださいまし。今日のことは全て私に任せる、という約束だったはずですわよね?」

「無論、その通りだが」


 フィアールカの怒気に、少しも動じない老人。

 だが、フィアールカは目を見開いたまま、自分の実の祖父であり、同時に『練金の泉』の事実上の頂点でもある男に、食って掛かる。


「では、なぜ私が用意した覚えのない『審査員特別賞』なる賞が存在するのかしら?」


 ソウは先程ツヅリが受賞するときの風景を思い浮かべたが、そこには一つだけ間違いがあった。

 それは、賞を授与する側であるフィアールカ自身も、突如出現した『審査員特別賞』に戸惑っていたということだ。

 捲し立てる勢いのフィアールカに、老人は淡々とした口調で返す。


「私は今日の会場の『運営』を全て任せると言ったのだよ。『練金の泉』として賞を与えることに関しては、その限りではない」

「賞の管理も運営のうちです。それを、私に黙って勝手な賞を作り上げるなど」

「特に迫力のある『見世物』になってくれた協会に、賞を与えないというのは『練金の泉』の沽券に関わろうよ」

「……それは」


 老人の言葉に、フィアールカの勢いが僅かに鈍る。

 どの協会の模擬戦も、それはそれで見世物としては十分なものだった。双方が策略を立て、それが時には嵌り、時には外れつつ拮抗した戦いを見せてくれた。

 その実力に関しては、運営の際に『練金の泉』側で十分に計算し、拮抗するように考え抜かれたものである。バーテンダーとして見るのなら、奇策や曲芸の入り交じったソウ達の戦いよりも、よほど参考になるものだっただろう。


 だが、バーテンダーの立場に立たぬものからすれば、ソウとフィアールカの戦いほど派手なものも無かった筈だ。

 まさかの裏切りから始まり、次々と目まぐるしく変わる状況と、ド派手な一騎討ちを繰り広げる大将同士。そして、誰もが見失っていた一人の男の、鮮やかなチェックメイト。

 公式にアンケート結果を集計したわけではないが、どの試合が楽しかったかと聞けば、二人に一人は最初のエキシビションと答えるかもしれない。


 だが、それはそれだ。


 フィアールカ本人からすると『瑠璃色の空』は、まだ自分のものにしておきたい聖域のようなもの。ここで明らかな『練金の泉』からの介入は、嬉しくはない。

 イーヴァは、そんなフィアールカの気持ちを見抜くように、飄々と言う。


「それにお前は、以前から『瑠璃色の空』を気にかけていただろうに。お前が提唱していた『若手の育成』という観点からも、今後のイメージ戦略の足がかりにするにも、そろそろ正式に関係を結んでおいて損はあるまい」

「確かに、おじい様の言う事にも一理はあります。であればこそ、特に親交を結んでいる私になんの断りもなく進めるのは気に入りません。彼らとは有効な関係を築く価値があります。そしてそれは私の方で、計画通りに地道に進めてきたことです。勝手な介入でその計画を壊されるのは『練金の泉』への大きな損失になりますわ」


 イーヴァの攻め手に、フィアールカもまた一歩も引かなかった。

 どうせ自分が『瑠璃色の空』を特別気にかけていることなど、当にバレている。しかしそれを弱みにされるわけにはいかない。

 いざという時に大切な人達を危険に晒したり、あるいは人質にとられたりすることがないように、この場で自分が優位に立たねばならない。


 結局のところ重要なのは一つ。どちらが『練金の泉』にとって価値があるのかだ。

 個人の感情などは関係がない。いや、個人の感情を守る為にも『利益』という絶対の価値観が必要なのだ。

 フィアールカもイーヴァも『練金の泉』に居る以上は、その絶対の原理の上で戦うことになる。そこには身分の違いも、血縁も関係はない。

 ただ、より利益になる方策を示したものが勝つのだ。


「するとお前は、今回の私の動きは、間違っていたと言いたいわけか?」

「はい。おじい様が特別な賞など与えずとも、私は彼らに『若手の育成』を持ちかける予定がありました。彼らを目立たせることは、私の計画に合いません」


 フィアールカにとって賞の授与、という形になったのは予定外だが、若手の育成をもちかけること自体は計画にあったことだ。

 ソウと若手達を組ませることで意識改革を目論んだのはその通り。そこでソウを認めさせることで、若手達の高い鼻をへし折ることもまた計画のうち。

 だが、この場で賞を与え、『瑠璃色の空』に若手達を送り込む、というのは想定と違う。


 フィアールカの計画では、ソウを『練金の泉』側に特別講師のような形で招く算段をつけていた。これならば、ソウ達をいたずらに有名にすることもなく目的を達せられる。

 そして、あわよくばそのまま『練金の泉』の中に、ソウ達を引きずり込むことも、できるかもしれない。

 そのささやかな計画を崩されたとなれば、フィアールカも黙ってはいられない。

 しかし、イーヴァは睨みつけてくるフィアールカに、冷ややかな目を向けた。


「何を言うかね。目立ってもらわねば困るのだよ」

「……何故でしょうか?」

「我が『練金の泉』の『氷結姫』を破った男が、名も知らぬ凡百の協会に所属していては困るということだよ」

「っ」


 フィアールカは言葉に詰まった。言い返せない。

 それはフィアールカ自身も、考えなかったわけではないのだ。

 三大バーテンダー協会の一つ、『練金の泉』の広告塔である自分が、無名の一般バーテンダーに負けたという事実は、大きい。

 エキシビションという形式であり、台本どおりの動きであったという言い訳はいくらでもできる。できるが、それでも相手方が無名では通りが悪い。


 唇を噛みフィアールカは頭を回す。この狸爺を納得させる何か良い言い訳はないか。

 しかし考えれば考えるほど、身内にソウの存在をなるべく隠しておきたいという事情と、今回の結果との不都合が募る。

 フィアールカが何も言葉を発せずにいたところで、老人は急にその顔を、冷徹な協会の長の顔から、孫娘を案じる祖父の顔にしてみせた。


「フィアールカ。私は何もお前を追いつめたいわけじゃない。私自身は、お前の行動が利益を生むのならば止める気もない。多少の無駄を孕んでいようと、最終的にプラスになるのならばそれで良いと思っている」

「……………………」

「今回のお前の落ち度は、負けたことだ。その負けをマイナスにしないためには、私に従っておくほうが利口だ。『瑠璃色の空』が我々の身内であるというアピールをしなければ、彼らには敵が増えるのだということを、理解しておくべきだ」


 フィアールカも、老人が何を言っているのか分からないわけではなかった。

 三大バーテンダー協会の影響は大きい。ましてやフィアールカは公的にはドラゴン撃退の立役者でもある。そんな彼女が模擬訓練とはいえ負けたという事実は、台本だという設定を通り越してバーテンダー業界に影響を与えるだろう。

『氷結姫』に勝った『瑠璃色の空』を良いように利用しようとしたり、逆に潰して箔を付けようとしたりといった、馬鹿な協会もあるということ。

 そんな連中から『瑠璃色の空』を守る為には、ここで繋がりを誇示し、無言の後ろ盾になるのがもっとも簡単だ。

 フィアールカがそれを理解していると分かっていて、イーヴァは続けて言った。


「重ねて言うが、私はお前の邪魔をするつもりはないよ。まだお前に利用価値がある間はね」

「……それは私が、あなたの孫娘だから、ですか?」


 睨むようなフィアールカの問いに、イーヴァはあくどい笑みを浮かべた。


「いいや。お前が金を生むからだよ『氷結姫』。だから、おとなしく私の言う通りにしておけ。なに、この先も私に任せておけば悪いようにはしない。あの男もいずれお前のものにしてやるとも」


 そんなイーヴァの言い分に、フィアールカはどこかほっとした心持ちになる。

 ここで肯定などされたら、それこそこの老人を信用できずにいたところだった。

 甘い言葉をかけ、目の前に餌を吊るす。何も考えずに頷いてしまいそうなほど、魅力的な提案だった。いかにも、この男らしい。


「それを聞いて安心しましたわ。確かに、今回の私の敗北は私の失態です。認めます」

「ふむ、ではこれからは、私の言う事に従うと──」

「いいえ。従いません」

「なに?」


 ここまで来ても強硬な姿勢を崩さないフィアールカに、イーヴァは眉をひそめた。

 しかしフィアールカは決して折れない。瞳をまっすぐ前に向けて、はっきりと言った。


「私の負けは、今回だけのものです。おじい様の言い分を認めるのも、また今回だけ。私の心は、すでにあの方のもの。その心を殺してまで、これから先もあなたに従うつもりなどありませんわ」

「……ふっ」


 あくまで強情なフィアールカに、イーヴァは苦笑いともつかぬ笑みを浮かべた。

『練金の泉』の中でも、フィアールカには敵が多い。というのも、この自由奔放で扱い辛い性格が、上層部の思惑をことごとく打ち破るからだ。

 しかし、彼女の美貌と実力は何者にも代え難いものまた事実。だからこそ、上層部はフィアールカの性格に目をつぶって、彼女の好きにさせている。


 実のところイーヴァはソウの存在をありがたく思っている。

 とにかく気まぐれで、何事にも移り気で、行動の読めなかったフィアールカが、今は安定してたった一人の男を目標に動いているのだから。これほど分りやすいこともない。


「……ふん。ならば好きにしろ。さっきも言ったが、お前が利益を生む限りは、私はどうこう言うつもりはない」

「はい。好きにさせていただきますわ」


 いざとなったら『練金の泉』を敵に回しても、好きにさせていただきますけど。そうフィアールカは心の中で付け足した。


「……話は終わりかね」

「ええ。今回はおじい様の勝ちで良いですわ。気に入りませんけど。では、私はこれで失礼いたします」


 そう言って、フィアールカは食って掛かってきた勢いと比べて、あまりにもあっさりと部屋を出て行ったのだった。




 フィアールカが部屋を出て行ってから、イーヴァは少し大きなため息を吐いた。

 と同時に、部屋の陰からふふ、という女性の笑い声が聞こえた。


「随分と、元気の良い孫娘ですね」

「お恥ずかしいところをお見せしましたな」


 すっと、今まで全く気配を感じさせなかった女性が、その姿を現した。美しく流れるような銀髪を持った妙齢の女性。フィアールカに劣らぬどころか、更に深みを増したような美貌の持ち主である。


「私の若い頃を思い出しました。私もあれくらい、跳ねっ返りでしたから」

「ご冗談を。あなたがそんなことを言っても誰も信じませんよ」

「あら。それはありがたいことですけれど、少しだけ寂しいですわね」


 イーヴァからしてみれば、この美女があのような我がままな孫娘とそっくりだったと言われてもしっくりは来ない。

 だが、彼女がそう言うのならば、イーヴァは笑って頷いておくほかない。

 その後に、女性がなぜこの場所に来たのかを思い出して、話を戻した。


「それと、あなたが探していた本ですが、どうやらあの孫娘がこっそりと持ち出していたようで」

「……あらそうなの。なら、まぁ、仕方ないわね」

「良いのですか?」

「ええ。内容は全て覚えていますから。若いバーテンダーが読んでくれるのなら、そちらの方が本も喜ぶでしょう」


 女性はふふ、と上品に笑った。口元を手で隠す笑い方は、彼女の癖のようなものだ。

 それから、女性は視線をあらぬ方向に向けた。


「しかし。しばらく見ないうちに、可愛い女の子を侍らして。誰に似たのかしら……今度、釘を刺しておかないといけないわね」


 そして、その先にいるだろう男に、届かぬ声を発したのであった。


ここまで読んでくださってありがとうございます。


更新予定がだいぶ遅くなってしまい申し訳ありません。

以前に言った幕間完結までの話数より大幅に増えてしまいましたが、一応次話で幕間完結の予定です。

次話は明日更新予定です。


※0514 表現を少し修正しました。

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