決意の目
結局のところ、フィアールカの狙いは一つではなかった。
たとえ始まりが私的な目的であったとしても、いや、私的であったからこそ目的を覆い隠す為にも、本気の狙いは必要であった。
その一つは、当然興行的な収入や『練金の泉』それ自体の宣伝。祭りが嫌いな人間はそう居ないということだ。
そしてもう一つ、それは『若手の育成』というと、端的すぎだ。
若手と、彼らを受け入れた協会が繋がりを持つ事、それ自体が目的と言っても良い。
つまり、フィアールカの言っていた『経験を積ませる』というのは、今回限りの話ではなく、今回が始まりだったということだ。
ツヅリの言葉を受け、ソウは暫く固まっていた。師が何も言わなかったので、ツヅリは先程の言葉に説明を付け足す。
「詳しい契約はまた今度ということですが、今度からはその契約を結んだいくつかの協会に『出向』という形で」
「あー、分かってる。理解できなくて固まってたんじゃない」
ツヅリの想像とは裏腹に、ソウが思い出していたのは昼間のことだった。
今回、フィアールカは裏の目的のために『瑠璃色の空』にちょっとした失礼を働いた。その際のお詫びの金に、やたらと色がついていた。
それは恐らく、この流れに持って行くための策だ。あれはお詫びに見せかけた『新人研修委託』の前払いだ。迷惑料と言い換えてもいい。あそこまでの金を受け取ってしまっては、何かがあっても断り辛いことだろう。
何より『練金の泉』とのより強い繋がりというのは、金に換えても欲しがる協会はいくらでもある。フィアールカ以前言っていたイメージアップ戦略も、そろそろ本気で取り組むつもりなのかもしれない。
「…………たく」
ソウの頭の中にあるのは、これから発生する色々な面倒だ。
新人が入ってくるのは、良い。人が増えること自体は、悪いことではない。
所属が『練金の泉』だろうと、出向という形であれば命令系統はこちらだ。そこまで『練金の泉』に縛られるような不利な契約を、アサリナが結ぶとは思えない。
だが、新人がいきなり大量に入ってくるとなれば、教育係の数が足りない。
つきっきりで新人一人を半人前に育てるのだって、一年は欲しい。『瑠璃色の空』の人手は、ツヅリ達半人前を除いたら、それこそ十人弱。
そんな場所に、十何人いっきに新人が入るとなると、とてもじゃないが手が回らない。
新人を連れていては危険な任務に就く事もままならなくなるので、受注できる任務の量や質は低下するだろう。
その辺りもアサリナが上手く契約を結ぶと良いのだが、それでも新人にかかりっきりとなれば、今まで通りでは行かないことは多々ある。
となると、ツヅリにも、少しは若手達の面倒を見てもらうことになる、だろう。
ソウは探るような視線をツヅリへと向けた。
「……お師匠?」
「……いや、なんでもない」
ソウは判断する。この馬鹿弟子は、そのあたりの事情がまだ呑み込めていない。
そんな奴に、新人が教育できるとも思えない。そもそも、単独任務につかせたことすらほとんどないのだ。
……ツヅリの独り立ちが遅くなる、というのが一番の心配事だというのを、ソウは意地でも認めないことにした。
結論として、ソウは、絶望するほど面倒だなと思っただけだ。
「……迷惑をかけることは、重々承知だ」
と、ソウが勝手に絶望しているところで、前に出ていたリミルの声。
彼は何かを深く決心した表情で、一度若手達を見回す。誰も彼もが、リミルに言いたいことを任せると、はっきり頷いた。
その視線を受けて、リミルは躊躇うこともなく言葉を続けた。
「だが、僕達は今日、知ったんだ。自分たちがまだ何者でもなく、憧れた『氷結姫』には遠く及ばないことを。そして今の状況に満足していては、絶対に追いつく事はできないだろうことを」
「…………」
「だから、僕達はあなたに教わりたい。『練金の泉』が教えてくれないことを、『氷結姫』が一人で学んだことを、僕達がこのままでは知り得ないことを、教わりたい」
そのリミルの目つきに、ソウは見覚えがあった。
直近で言えば、フィアールカ。憧れる背中を追うための、決意の目。フィアールカのそれは、自分に向けられたものだった。
だが、そのフィアールカもまた、こうやって憧れと羨望の眼差しを向けられている。
そして、この未熟な若手達だってそうだ。今日、この会場に来ていた、まだ何者でもない子供達からすれば、そんな目線の対象になりうる。
……そしてそれは、かつての自分が、師に向けた目でもあるのだろう。
「……人探しだ」
「は?」
ソウは渋い顔をして、そっぽを向き、それだけを言った。
その場の全員の目線が、疑問符を浮かべている。
「……ウチに来る依頼は、まったく華やかなもんじゃない。人探し、野犬退治、ごろつきを追っ払ったり、山の中で薬草を探したり、あとはバーの営業とか、そんなもんだ」
実際に『瑠璃色の空』の依頼はそういったものが多い。地域密着型の、周囲の人々に慕われる協会。その評判は決して伊達ではない。
「お前らが夢見ているだろう、ドラゴンや魔獣の討伐だったり、未開探索だったり、外道バーテンダーのアジトを潰したりなんて仕事は、ウチにはまず来ない」
本当に来ないわけではないが、そういう時は大抵が事情有りだ。どこかもっと大きな協会が、とにかく人手を集めているときに数の足しに呼ばれるとか。
「……分かっているつもりだ」
「嘘吐け。分かってたら、さっきみたいなことを言うか。強くなりたいだけなら、ウチで学ぶことなんてないぞ」
リミルは咄嗟に言葉を発したが、ソウの流れるような反論に口を閉ざす。
そんなソウの目が、もう一度その場の若手達を見る。一様に、最初の決意が揺らいでいるような、そんな顔。
いや、もっと簡単な話かもしれない。
たった一日の付き合いでも、少しは慕っていた相手に真っ向から否定されて、ちょっとしょぼくれたみたいな。
そしてそんな中で唯一人、チャラ男だけは『続きは?』という、顔をしている。
ソウはその顔に少しだけ苛立ちつつ、続けようと思っていた言葉を続けた。
「……だが、くだらない任務にはくだらないなりの価値がある」
若手達が、また顔を上げた。
あー、と一度溜めてから、ソウは更に続ける。
「バーテンダーはな、戦闘技術やカクテルの技術だけ磨いても意味がないんだ。対面の相手や、場の痕跡、風の噂や資料から情報を得ること、これはバーテンダーの必須技術だ。『練金の泉』クラスのとこには専門の人員がいるだろうが、身につけておいて損は無い」
ソウは直接対決において、一瞬の生死を分ける最も重要な要素は早さだと思っている。
しかし、その次に重要な、いやそれと同じくらい重要なものが情報だとも思っている。
「俺の戦闘技術は邪道だ。お前等に教えてやれることはない。だがな、戦闘のために必要な情報を得る術なら教えてやれる。自分にできることを知れ、そして相手のことを知れ。自分で情報を得て、足りない情報は補って、点と点をつないで像を作れ。そうすれば、戦闘に絶対勝てるとは言わないが、負けて死ぬ確率はぐっと減る」
ソウの言葉に自然と、少しだけ力が入っていた。
それはツヅリにも、かつて語ったことだったかもしれない。
『瑠璃色の空』は小さな協会だ。任務遂行を個々人に任せているが故に、個々人が最低限の技能を有していないといけない。
そしてその技能は、大きな協会で機械的に教育を受けて、身に付くものでもない。
人と接し、街に溶け込み、書を自分の手でめくり、そうやって身につけて行くものだ。
実戦と言われるものの大部分も、そういう事前の準備をいかに綺麗にこなすかというところから始まるのである。
そんなバーテンダー必須技術を『練金の泉』のエリート達が身につけていない筈が無い。
それはつまり、彼らは『練金の泉』でありながら、そこに固執しなかったことの裏付けとも思えた。
「鍛錬は勝手に積め。分からないことも聞かれりゃ答えるが、一から丁寧に教えるつもりはねぇ。自分で学べ。俺はそこまで優しくない」
ソウはそこで言葉を切って、ぐっと拳を前に突き出した。
そして、さっきまでの突き放すような顔をやめて、薄く唇を歪める。
「だが、それでも良いってんなら、これからも、よろしく頼むわ」
「……!」
若手達は、ソウの突き出した拳に、ぱっと表情を輝かせた。
一人一人、握手をする気はない。そこまで優しくはない。
ただ、それでも付いてくるのなら。
「よろしく頼む!」
「頼みます、だろうが」
リミルの相変わらずなっちゃいない言葉遣いを訂正するソウ。だが、拳をおろしまではしない。その掲げられた拳に、リミルもまた自分の拳を合わせた。
リミルがそこから一歩ずれると、他の若手達も思い思い言葉とともに、同様に拳を合わせていく。
それが一巡したところで、リミルは先程の決意の声に似た、固い言葉を上げた。
「我々『練金の泉』若手一同。これから『瑠璃色の空』の盟友となる」
「盟友ねぇ。せめて俺からも頼られるようになってから言うんだな」
「待っていて欲しい」
「はいはい、待ってやるよ。なんせ俺は気が長いからな」
ソウが言えば、その冗談に一同は少し笑ったのだった。
それから若手達は『練金の泉』の集まりがあるらしく、あっけなくその場を去った。
先程までの人口密度が嘘のように、その場にはソウとツヅリだけが残された。
「私は分かってました。お師匠が、なんだかんだ面倒見が良いんだってこと」
ツヅリが、ソウの先程の言葉に対して感想を言った。師が若手達の主張を受け入れたことを、心の底から喜んでいる顔だ。
それこそ、その直前までソウが考えていたことなど、一切何も分かっていないような。
「ツヅリ」
ソウは努めて笑顔で弟子の名前を呼ぶ。
「はい!」
ツヅリもソウの笑顔に釣られて、元気よく答える。
「これから、今までの倍は厳しくするから覚悟しとけよ」
「えぇ!?」
そしてソウは笑顔のまま言い、ツヅリは表情を凍らせた。
「な、なんでですか?」
「それを理解できるようになったら、厳しくするのをやめてやろう」
「うぇえ」
ツヅリが泣きそうな顔になるのを見て、少しだけソウの溜飲は下がった。
他者のことばかりで、自分のことを考えていないようなツヅリ。そんな彼女になんとなく苛立っていたと気づいて、ソウはその気づきにも蓋をした。
そして、あともう一つ言わなければいけなかったことを思い出した。
「それとツヅリ。お前今日、フレアを」
「っ」
それは今日の模擬戦闘中の一幕。唯一、ソウの想定を上回ったツヅリの行動。
そのことに関して、ソウはいつもより厳しい声で言った。
「あれはお前にはまだ早い。俺が良いと言うまで、使うな」
師の強い言葉に、ツヅリは言葉をまごつかせる。
「……で、でも」
「使うな」
「……はい」
ソウに内緒で練習してきたツヅリであるが、その言葉は重かった。
今日使うことになったのは偶然ではある。だが、上手くできたら師に褒めて貰えるかもしれない──そんな一抹の期待もあっただけに、余計に凹んでいた。
そんな弟子を見て、ソウは自分の言い方を少し反省し、ぐしぐしと弟子の頭を撫でた。
「な、おししょ?」
「フレアはな、今の時代じゃあんまり歓迎されねえんだ。やばい時の切り札くらいにしとくのが丁度良い。だから、普段は使うな。お前の頑張りを否定してんじゃねえよ」
「……でも、お師匠は」
使ってるじゃないですか、という続きを読み取り、ソウはにやっと笑った。
「俺は良いんだよ。切り札くらいいくらでも持ってるしな」
「……なんかずるいです」
ソウの自分勝手な理論に、ツヅリは少し唇を尖らせる。
弟子のじとっとした視線をにやりと受け流し、ソウはさっさと一人歩き出す。
「さて、さっさとアサリナと合流して帰ろうぜ。腹減っちまったよ。肉食おう、肉」
しんみりした雰囲気を嫌うソウらしい、自分勝手な話題転換であった。
だが、それがあんまり嫌ではない。むしろ、そのいつもと変わらない態度に、ツヅリはどこかホッとしていた。
師の背中を見て、ツヅリはちょっと跳ねるように後を追う。
「……私は野菜が良いです! 最近、その、ちょっと」
「胸には脂肪が足りてねえみたいだが」
「しつこいんですよ!!」
ツヅリの渾身の攻撃を、ソウは背後に目でも付いているのかというほど軽く避けた。
師に怒りながら、ツヅリは少しだけ心が弾んでいるのを感じていた。
今日は色々あった。色々あったけど、ひとつだけはっきり分かったことがある。
ソウは、ツヅリを弟子としてしっかり見てくれている。自分は、迷惑だと思われてはいない。
それが分かっただけでツヅリは、あと十年は戦えるような気持ちになってしまうのだった。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
更新大変遅くなってもうしわけありませんでした。
次回更新は土曜か日曜の予定です。お待たせして大変申し訳ありませんが、コメントもその時にまとめて返したいと思います。すみません。
※0514 表現を少し修正しました。