祭りのあと
開会の言葉があれば、閉会の言葉もあるものだ。
時刻はすっかり夜と言っても良い位だ。全ての模擬訓練が終了すれば、終わりの言葉がかかる。とはいえ、別に賞金を求めて優勝争いをするような場ではない。
ささやかな『景品』と招待状にはあったが、そのささやかな品ですら、エキシビション扱いとなった『瑠璃色の空』には関係はあるまい。
と、そのように思ったが故に、ソウは閉会の式とやらに出席する気にはなれなかった。
そういった格式張ったことが基本的に好きではないので、さぼる口実が見つかれば何でも良かったのだが。
いつもならばそういうことに口うるさいツヅリも、今に限ればソウには強く言えない。
というわけで、ソウはこれ幸いと集まりから離れ、少し外れた場所で、魔法装置の映し出す閉会の映像を眺めていた。
賑やかだった出店も落ち着き、食べ物と飲み物の残り香に名残惜しさを感じるころだ。
会場備え付けのベンチに坐り、これまた備え付けのテーブルに肘をつけて、頬杖をついているソウの背後から声がかかった。
「隣、良いすか?」
その若い声に、ソウはうんざりした返事をする。
「やだよ」
「まま、そう言わないで」
言った男は、強引にソウの隣に腰をかけた。
ソウは面倒くさそうに、自身の隣に来た男を見た。その男は、ソウがついさっきまで一緒にチームを組んでいた外道側の一人、ツヅリを堂々と牢から逃がし、そして最後を決めたチャラ男であった。
「おいおい。『練金の泉』の若手が、堂々とさぼりかよ」
「いやいや。そんなことを堂々とさぼってる人に言われても」
確かにこれでは説得力はないか、とソウは軽く自嘲した。
チャラ男もソウに倣うように、そこからやや遠くに見えるモニターへ目をやった。
「それにまあ、『練金の泉』の若手に、あんな閉会式で居場所はないと言いますか」
「他人事かよ」
「いやだって、他人事ですし?」
確かに自分の所属する協会主催の式であろうと、自分が出ないのであれば他人事には違いがない。
なのだが、男の言う言葉にはそんな道理よりももっと、強い意味があるようにも思えた。
「冗談はさておき、自分はあなたを呼びに来たんすよ」
「誰に言われて?」
「みんなに言われてすかね。あなたのこと、認めないみたいな顔してますけど、もうみんなファンになってますって。間違いないっすよ」
「はは」
俺があいつらに何をしたんだ。とソウは更に自嘲気味に言った。
正直に言えば、ソウは今回の模擬訓練を、自分の都合で曲げたと思っていた。
『練金の泉』の教育方針、金持ちの子供を大切に大切に扱う姿勢は気に入らなかったが、それもまた必要な話ではあるのだ。
身分の高い騎士を、なるべく戦場から遠ざけようとするのは昔から良くある話。
『練金の泉』も同じ事。金持ちは金持ちらしく、自分で戦うことなく、戦う力を集めれば良い。金持ちの子供達はせいぜい、座学を学んで最低限の知識と経験を積めば問題無い。
その最低限が多少疎かになっていた面は否めないが、わざわざ『勝利への渇望』を植え付ける必要などないのだ。
そんなソウの心情を、チャラ男は過不足無く理解したように、返事をする。
「あなたが思うことも分かるっすけど、若手はそんな上の都合を知るために、バーテンダーになったわけじゃないっすから」
「氷結姫に憧れて、か」
「……あの人は異端っすよね。黙ってれば約束されていた地位を蹴って、実力と命でのし上がる道を選ぶなんて」
「すげーとは思うが、子供に真似をして欲しくはないな」
フィアールカの境遇の複雑さは、ソウ自身思う所がなくはない。だが、それを言えばツヅリもまた、負けず劣らず変な道を歩んでもいる。
結局、この世界で自ら進んでバーテンダーをやる人間に、普通の奴はいない。
「だから、ソウさんも変に意地張ってないで、さっさと揉まれに行くっすよ」
「うるせえ、チャラ男なんぞに諭されてたまっか」
「チャラ男ってなんなんすか! 自分には『ウィオニ・オンヴィス』って名前があるんすからね」
出会ってからこれまで、散々チャラ男呼ばわりされていた男が憤慨したように言う。
だが、ソウはそんな主張に冷めた目を向ける。
「でもその名前、今日だけだろ?」
ソウの冷ややかな指摘に、ウィオニと名乗った男はふーと息を吐く。
「今日だけじゃないっすよ。少なくとも、一ヶ月はこの名前で生きてたんすから」
「一ヶ月しか使わない名前なんて、覚えてられっかよ『ファントム』」
「ちょちょ。まだ人の目があるんすから、名前出さないでくださいよ『ソウヤ』さん」
「てめえこそ名前出してんじゃねえよ」
そんな言葉を、お互い決して周りに聞こえないタイミングを測って投げ合う。それから、少し冗談っぽく笑い合った。
モニターでは丁度、開会と同じようにフィアールカが挨拶を述べている。このタイミングで、モニターに注目していない人間はいない。仮に居たとしても、そんな奇特な人間に、ソウが気づかないわけがない。
ウィオニと名乗った男が、えー、と頭をかきながらソウに言った。
「実際、いつから気づいてたんすか?」
「最初は全く気づかなかった。お前の若手バーテンダーの演技は完璧だった。背景に混じった一人のモブ程度に思ってたよ。変だと思ったのは、ツヅリとティストルをやたらと気にかけてたことからだな」
それはソウがなんとなく周囲を見ていたときに感じたことだった。
明らかに素人の集まりであり、明らかになっちゃいない集団の中の一人だ。
だというのに、そんな中でチャラ男の目は、ツヅリとティストルに等しく向いていた。
「チャラ男が、女の子を見てるのは普通じゃないすか? それでなんで?」
「仮にチャラ男だったら、ただのツヅリと、おっぱいの化身みたいなティストルが居たらティストルしか見ねえわ。ティストルの顔すら見ねえ」
「……ええ……二人とも可愛いじゃないっすか」
と、チャラ男は心から思うのだが、対するソウは馬鹿にしたような顔をする。
「でだよ。そんな二人をふとした瞬間、保護者みてえな目で見る奴なんておかしいだろ。で、繋がるわけだ。ツヅリを微笑ましく見るのは、それが『俺の弟子』だって知ってる奴。かつ、ティストルを注意深く見ているのは、その『護衛』の任を受けている奴。そこから、その二つの条件が重なる奴」
もともと、ソウの知っているティストルの護衛は一人、リナリアだ。だが、彼女はその立場上、今回の訓練で一番重要な試合中に介入できない。
そして、そこに介入できる人間は『練金の泉』か『瑠璃色の空』の人間のみ。
ソウやツヅリは無条件でティストルを守るだろうが、それだけではない、もう一方からの目が欲しいと思っても不思議ではない。
となると必然的に、ティストルの護衛は『練金の泉』の中に送り込まねばならない。
「俺が知っている潜入操作のエキスパートは、お前だったってことだよ」
お前、とソウは言った。名前を知っていても、それを明かさない。
それこそが彼の最大の武器であり、決して外に洩れてはいけないものだと知っているからだ。
任務時に決して『仮面』を外さない協会で、任務時に仮面を付けない男。いや、その顔こそが仮面の男。
百の顔を持つと同時に、本当の顔を持たない男。
それが『賢者の意思』に属する『ファントム』という男であった。
チャラ男はへへ、と苦笑いを浮かべて、頭を振った。
「なんだかなー。道理で自分だけ、言い渡された作戦が複雑だと思いましたよ」
それは、ツヅリを抜きにして行われた本当の作戦会議の話だ。
ソウが言い渡した指令は、基本的に簡潔なものだった。ここを防衛するとか、合図で集まるとか、それくらいだ。若手に分かるように、配慮されたものである。
だが、このチャラ男に言い渡された任務だけ、ツヅリとティストルを怪しまれないように逃がし、その二人に気づかれないように後をつけ、二人が想定通りの動きをしたことを確認したら、あとは一階でいつでも攻撃できるように準備をする、だ。
どう考えても、一人だけ動きが複雑に過ぎる。
そんな任務を与えたソウは、悪びれもせずに言う。
「使える駒を使って何が悪い。嫌なら『出来ない』って言えば良かっただろ」
「あんな、みんな足並み揃えて勝つぞって雰囲気で、出来ないとかチャラ男でも言えないっすわ」
「そこを言うのがお前だろ。潜入任務舐めてんのか?」
「ええ……ぶち壊した人がそれを言います?」
とは言うが、チャラ男が従ったのだって、それが自身の本当の任務に合致するからだ。
この会が主催され、そこにティストル・グレイスノアが関わると決まった時点で、護衛役を潜り込ませることは決定事項だった。
そんな彼を、ティストルを見やすい任務に配置したのは、ソウの気遣いでもあった。
「とはいえ、今日で任務は終わりだろ?」
「ま、そっすね。あとはのらりくらりと、この大会の結果を見たどこかの中堅バーテンダー協会に引き抜かれて終わり、ってことになってるはずで」
それが『ウィオニ・オンヴィス』の『練金の泉』との最後の関わりだ。
怪しまれない経歴で、潜り込み、怪しまれない内に出て行く。その目的も誰も知らず、その被害も何もない。
……普段の彼の任務を思えば、なんと平和なことであろうか。
だが、ソウは少しだけ気がかりな点を伝えた。
「……フィアールカに、目は付けられてないか?」
「あー。どうっすかね。もしかして、最後の一発が自分だったからなんかありますかね」
「五分だな。あいつに目を付けられたら、ちょっと厄介だ」
「じゃ、そんときは助けてくださいっす」
悪びれる様子もなく言ったチャラ男に、ソウは顔をしかめた。
「なんで俺が」
「だって自分が、思いっきり手伝ったからこその勝利じゃないすか。その見返りがないと取引は成り立ちませんよ」
「自惚れんなよ。お前が居なきゃ居ないでなんとかなったっての」
「どうやって」
「それはそのとき考える」
「…………」
ソウは堂々と無責任なことを言い放つ。だが、しばらくぶりに会った、当時の弟分のしょぼくれた顔に、ふっと息を漏らした。
「……わあったよ。俺にできることならなんとかしてやる」
「本当すか?」
「男に二言はねえよ。あ、でも、無理だったら諦めろ」
「早速二言め付け足してますけど」
ソウの適当な発言を、チャラ男は聞き流しつつ、モニターを再び見やる。
フィアールカの話は終わり、いよいよ優秀な協会の発表に移るようだった。
「さて、面倒くせえけどガキ共に別れでも告げてくっか」
「お、その気になったんすか?」
茶化すようなチャラ男の物言いに、ソウは試すように返した。
「なんだかんだで、見込みのある若手を気にかけないバーテンダーは居ないからな」
「……そっすね」
ようやくソウが重い腰を上げたのを、チャラ男はどこか眩しそうに見ていた。かつて自分が本当に若手だったころに、同じようなことを言ってくれた人を見ながら。
そして二人、連れ立って式が行われている会場へと足を向けていた。
『……審査員特別賞『瑠璃色の空』……』
彼らの背後になったモニターからは、うっすらとそんな音声が聞こえていた。