フィアールカの質問
「ふふ」
ツヅリとバトンタッチをしたフィアールカは、手帳に何事かを色々と書き込んで静かに笑みを浮かべている。フィアールカ自身が、まるで自分が悪役みたいだと自嘲する程度には悪い笑みだ。
対するソウは、相変わらず何を考えているのかも分からない虚ろな目をしていた。
フィアールカの手帳にはいくつかの項目と質問がメモされており、ツヅリから質問をする際の注意事項を引き継いだときにも、注意を書き込んでいた。
「さてソウ様。まずは一つ目の質問です」
残された時間は少なく、そしてカクテルの効果はいつ切れるか分からない。
質問は迅速かつ正確に行わなければならないと、フィアールカは端的に尋ねる。
「あなたの本名はなんですか?」
それは一つ目の確認事項だ。
まず、いかようにも答えられる質問をした場合に返ってくる『本音』とはなんなのか。
ソウが現在自分の名前だと思っているものを答えるのか、隠された名前こそが本名だと思っているのかが、これで分かる。
本人の思いがどの程度質問への返答に関わってくるのかを知っておく必要があると、フィアールカは考えたのだ。
それに対するソウの答えは簡潔だった。
「ソウ・ユウギリです」
「なるほど」
フィアールカは確認事項を一つ塗り潰す。とある事実と、本人の思い込みが重なった場合、思い込みが事実に勝る。
その答えは、フィアールカの眉を僅かに歪ませる。
(ソウ様がどの程度の確度で思っているのかは分かりませんが、これでは洗脳されたスパイの口を割らせる使い方はできそうにないわね)
少しだけ、この画期的な魔法へ落胆しながらフィアールカは次の質問に移った。
「二つ目の質問です。ソウ様を物理的かつ精神的に私のモノにするためにはどうしたら良いですか?」
フィアールカの問いに、ソウは難しいことを問われたからか、ほんの僅かに言葉を詰まらせる。
しかしすぐに、淡々と答えを返した。
「わかりません。現時点でその方法があるとは思いません」
「ふむふむ」
フィアールカは返答に軽く頷きながら、サラサラと手帳に記述していく。
たとえ本人に直接尋ねても、確定していない事実を答えることはできない。その方法が存在しているともいないとも言えないものは、分からない。
この魔法は質問に答えるだけだ。考えさせて、その答えを言わせることはできない。
(ますます、使い勝手は悪いわね。基本的には肯定か否定、または確かな答えがある質問以外には答えられないと)
フィアールカは静かに、手帳とにらめっこをした。
それからもフィアールカはいくつかの質問をした。
そのどれもこれもが、質問に答える、という状態を利用してどのくらい有効な使い方ができるか、ということに終始していた。
チェック項目を静かに埋めつつ、事務的にはしない。
その質問質問はソウをどうにか自分のモノにできないかという内容であり、ほんの僅かに、ソウが返答に詰まる時間が長くなっているようであった。
「……なるほど、と、いけないわ。本命の質問の時間がなくなってしまうわね」
確認項目を一通り終えてから、フィアールカは少し焦った声で言った。ソウを使った魔法効果の実験、そしてあわよくばソウを手中に収めようとした質問の数々を終えたところで、ツヅリと交代してすでに三分ほどが経っていた。
調査結果を公表するかしないかは置いておいて、手帳は大事に懐にしまい、フィアールカはそこで口を止めた。
「……ええと」
調査名目で色々と尋ねていたときはあまり気にならなかったが、プライベートで質問しようと思うと、ほんの少し羞恥があった。
チラリとソウを見てみるが、まだ表情に変化はない。カクテルが解ける様子がないということだ。
フィアールカは大きく息を吸ってから、真っ先に確認するべきことを尋ねた。
「ソウ様には現在好きな相手はいますか?」
「…………それは性欲的な意味ですが、人格的な意味ですか、または──」
「性欲的な意味です」
ティストルを赤面せしめた尋ね返しだったが、事前に情報を受け取っていたフィアールカは即座に切り返した。その表情には一切の動揺はない。いや、動揺を必死に押し隠して、表情だけは取り繕っているようだった。
ソウはあまり時間をあけることなく、さっと答える。
「いません」
「……ふふ……と」
その返答を受け、フィアールカはその瞬間だけ表情を柔らかく崩した。その年相応の少女のような笑みを、慌てて抑え込んだ。
しかし、我慢する度に洩れ出てきて、フィアールカは必死に頬を押さえ付けざるを得なかった。
喜ばしい事実ではあるが、自分にプラスに働く類の答えではないのだ。そう言い聞かせて、なんとか平静を保った。
「いけない、時間。時間がないのだから」
フィアールカは頭をすっと切り換える。
この魔法では、抽象的な質問は意味がない。ソウに分からないものを答えさせることはできない。だから質問する意味がないかもしれない問いがあった。
しかしそれでも、聞いておかなければいけないことがあった。
確認のためにフィアールカがした質問は全て『ソウを手に入れるため』の質問だった。だが、ここで一つだけ視点を変えてみる。
尋ねることは最初から決めていた。だが、いざ尋ねようとすると、やはりどうにも恥ずかしい。恥ずかしいが、こんなチャンスは今しかない。
フィアールカは何度も自分に言い聞かせて、ついに、尋ねた。
「……ソウ様に好きになってもらうために、私は何をすれば良いですか?」
好かれていないことは分かった。そして今現在、好きな相手がいないことも分かった。
ならば、今から好きになってもらうしかない。そうするために、何をすれば良いのか。
答えが返ってくるのかどうかは、分からなかった。
それでも目を逸らさず、ソウの答えをじっと待つフィアールカに、ソウはほんの少しだけ柔らかい声を出したように思えた。
「自分が素敵だと思う自分になってください」
フィアールカはその答えに、何も言えなかった。
ソウのことだから、やれ容姿をどうだとか、やれ性格をどうしろとか、何かを貢げとかそんなことを言われるのも覚悟していた。
しかし返ってきた答えが、あまりにも大人だったことに、フィアールカは驚いた。
そして、同時に恥じ入る。普段どれだけ尊敬できない大人だったとしても、その精神の部分に、自分との差を感じた気分になったからだ。
「…………はい」
結局フィアールカが返したのは、どちらが質問したのかも分からない、肯定のひと言だけであった。
トントンと、廊下の方からノックの音がした。
ほうっと放心していたフィアールカだったが、即座に現実に引き戻される。
時間は緩やかに過ぎる。カクテルの効果が切れる時間も同様に近づいている。カクテルの効果時間、その残りの一分を告げる合図だ。
先程まで惚けていたフィアールカであったが、ふたたび気を引き締め直すことにする。
今日のこのうちに聞いておきたい最重要の質問がもう一つあったのだ。
「ソウ様。私からの最後の質問です」
それまでの浮かれた気分をおくびにも出さず、フィアールカは言った。
それは、今日の始まりに関わる質問。つまるところ、この【ビトウィーン・ザ・シーツ】というカクテルそのものに関する質問だ。
「ソウ様は、この『名前のないカクテルブック』について知っていますか?」
フィアールカは、いつでも出せるように準備していた一冊のレシピ本を取り出して尋ねた。
それこそが、この計画を考える発端になったものだ。題名も筆者の名前も分からない一冊の古ぼけたカクテルレシピ。あまり研究するもののいない『オルド属性カクテル』の魔法すら集められている一冊。
フィアールカはそれに興味を持ち、その中に『本音を話させる』という効果のカクテルを見つけたからこそ、今回の『訓練』を企画した。
その始まりに至った本をソウが知っているのならば、その情報を得たいと思うのはバーテンダーとして当然の欲求であった。
そんなフィアールカの問いに、ソウは相変わらず静かに答える。
「はい、知っています」
ドクンと、フィアールカの心臓は高鳴った。
ドッドッとペースの上がっていく心臓の鼓動にまかせて、フィアールカは一歩詰め寄り、尋ねる。
「では、知っていることを教えてください!!」
フィアールカは言葉を放って、答えを待った。
今までのパターンで言えば、こういう質問をすればソウはどういった事を聞きたいのかと尋ねる。知っていることを羅列して、その中で『何が聞きたいですか?』と尋ねられるのだ。
その中で特に気になることを順番に尋ねればそれでいい。
そう思って待っているフィアールカの耳に、ソウの淡々とした、しかしニヤリという擬音が聞こえそうな声が届いた。
「断る。教えてやんねー」
「え?」
フィアールカはあっと口を開き、ソウを茫然と見つめる。
目の前のソウは、さっきまでのぼーっとした表情とはまるで違う、鼻で笑うような余裕の笑みを浮かべているのだった。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
更新一ヶ月もかかってしまい大変申し訳ありません。
次回の更新は一週間以内には行う予定です。
※0325 誤字修正しました。