脱獄の影に
「ツヅリ。先に言っておくけど、後で反省文を提出してもらいます」
「……は、はい!」
フィアールカを見送り、その場から見えるモニターで試合を観戦し、あれやこれやと言っていた少女達。
そんな場に現れたのが、表面上の笑顔では隠し切れないイライラを纏ったアサリナと、相変わらずあくびでもしそうな程緊張感のないソウであった。
二人の姿を見た途端に背筋をピンと伸ばしたツヅリへの第一声が、先程のだ。
ツヅリの態度にアサリナは渋面をつくってから大きくため息を吐く。
「……はぁ」
「おいおいアサリナ。ため息なんて吐くと、お前の数少ない幸運が逃げちまうぞ」
そんなアサリナを、いつもの調子でおちょくるようにソウは言った。
「数少なくないわよ! ああもう! あんたはもっと反省しなさいよ!」
アサリナに詰め寄られても、ソウはどこ吹く風と言ったばかりに受け流す。
「なんでだ? 俺は試合前に、全部任せるって言われた筈なんだけどなぁ」
「っ、あぁああぁ。分かってるわよ! 分かってるけど分かるでしょうが!?」
アサリナの剣幕は、それが向けられていないはずのツヅリすら縮ませるほどだ。だが、ソウはそのアサリナを半ば面白がるように言い返すのだ。
「わあってるって。だから反省してるって、な?」
「……どのへんが?」
「こう、お前には察せられない心の奥深くでな」
「……殴りたいわぁ」
ツヅリも一応は当事者の筈なのに、アサリナに肩入れしたい気分であった。
アサリナはソウのことを無視して、ツヅリにもう一度目を向ける。
「とにかく、まぁ、色々あったけど結果的には、悪評は立たないでしょう。評判が上がるかは、ちょーーーっと微妙なラインですけど」
アサリナは強調して言いつつ、チラチラと周りの視線を窺っていた。
それはツヅリも薄々と感じていたことだ。ぼんやりと今の試合を見ていた時からだが、第一試合の出場選手としてか、そこはかとない無遠慮な視線を感じている。
どうやら第一試合の評判は『シナリオ通りの見世物』といったものらしい。
要するに、先程の第一試合は運営側の提示した『模擬戦の例示』だと捉えられたのだ。
前提条件として、ほとんどが身内の試合だ。それから、その後の試合で禁止される行為のオンパレードや、勝利ではなく戦闘を目的とするような試合運び。
極めつけとしては『氷結姫』が『無名協会』に『作戦負け』するという展開。
見ている側からすれば、それはまさに観客を楽しませるためのモノに見えたのだろう。
むしろ、そうでなければ裏で繋がっているようなツヅリ達の行動を説明できない。
それらを総合すれば、この模擬戦闘は『これからも、こういう驚きや楽しさに満ちた試合が見られますよ』と宣伝しているように映ったわけだ。
そしてそれを否定する人間が誰も居ない。フィアールカが公式に発表することはないだろうが、公にはそういう捉えられ方が一般的となるだろう。
その結末は、なんとなく今のツヅリにも見えた。それが、どうにも腹立たしくもあった。
負けたのは自分の方なので、そういう認識をされるのならば、ツヅリとしては良い筈だ。にも関わらず、まるで自分の師の実力を軽んじられているようで気に入らない。
師は実力で勝ったのだ。その実力に負けたのが自分ではあるのだが。
ツヅリはまさに、複雑なのであった。
「────て、ツヅリ聞いてるの?」
「え? あ、聞いてませんでした! すみません!」
ツヅリが胸中のモヤモヤを処理している間、アサリナの言葉を聞き流していた。
素直に謝りはしたが聞いていなかったツヅリに、アサリナはふう、と息を吐く。
「まったく。ええとね、私はこれから『練金の泉』の人達と、少し話をすることになりました。正直、私から言う事はなにもないけれど、ま、せいぜい良い条件の話になると嬉しいわね」
「それは、さっきの試合のことで?」
ツヅリは探るようにアサリナの言葉を待つ。対してアサリナは、サバサバとした声であっさりと返す。
「そうよ。ま、ソウから大体の事情は聞いてますから、あなたも仲直りしなさいよ?」
「へ? あ、はい」
アサリナが何を言っているのかは、イマイチ分からなかった。
だが、その後ろでソウが『余計なことを言うな』と視線で釘を刺していたので、ツヅリは大人しく頷いた。
アサリナは先程口にしていた『話』に向かう素振りを見せ、ふと立ち止まる。
「そうそう。ツヅリ。あなたの実力、間近で見たのは初めてだったけど、大したものよ。もっと自信を持って良いわよ」
「あ、ありがとうございます」
わけも分からぬまま、お礼を言うツヅリ。アサリナは、そこにふっと笑みを浮かべ、ソウを鋭く睨んでから去って行った。
アサリナの姿が無くなってから、ソウは静かに説明した。
「ツヅリの行動は、直前に俺がお前と喧嘩したことが原因だって言ってある。で、その話を聞いたフィアが、お前を引き抜いたとな。俺達は最初から、敵同士で戦うシナリオだったってことになっている」
「え、喧嘩なんてしてましたっけ?」
「そうかそうか、もう気にしてないとは、貧乳は良い奴だな」
「…………」
ソウのその言葉で、確かに少し喧嘩していたことを思い出したツヅリだった。
「だから、ま、俺も了承済みの戦いだってことであいつは納得してるわけだ」
「それで良く、アサリナさんが納得しましたね?」
「……まあ、ちょっとな」
ソウは言葉を濁す。ツヅリの離反は想定の範囲内だったとはいえ、それ以外にも色々とツヅリを心配して、アサリナに相談していた。だからこそ、アサリナは他にも色々と勝手に察したのだが、そんなことまで話すつもりはなかった。
深く突っ込まれる前に先手の形で、ソウはニヤリと人の悪い笑みを浮かべた。
「しかし、あいつはそれで納得したが、俺が納得したと言うつもりはないぞ、犬野郎」
「で、ですよね」
ツヅリはさっと目を逸らす。その視線の先には、幸か不幸かティストル。
「…………あ、あの、すみません」
「理由もなく謝るなこら」
「いたっ」
そして、条件反射で謝罪したティストルに、ソウはデコピンを見舞ったのだった。
居心地の悪そうなツヅリと、額を押さえて涙目のティストル。それに状況が良く分かっていないフリージアに向かってソウは言う。
「話はあの悪女が揃ってから聞く。下らねえ理由じゃねえことを祈るがな」
うんざりした表情を浮かべるソウ。
そのとき、その場に居る人間の声が微かに湧いた。モニターに目を向けると、第三試合の決着が丁度付いた様子であった。
どうやら、周囲を囲まれて危機に陥っていた連合チームが、人質の協力を得て状況をひっくり返し、脱出を成功させて勝利を収めたようだ。
連合チームのメンバーはほとんどが討ち取られた形だが、人質と、脱出を果たした若手が、二人手を叩いて喜んでいる姿が映し出されている。
その光景を見て、ツヅリが呟いた。
「……私も、最初からああしてれば」
あっ、と言ってしまってからツヅリは口を押さえた。勿論、それでその言葉が取り消せるわけでもない。
ソウはまたしても悪い笑みを浮かべて、ツヅリを挑発するように言葉を選ぶ。
「そう思うんなら、実行してみりゃ良かったんじゃねえの?」
「っうぅう! で、でもそうですよね!? そしたらお師匠はなす術は無かったですよ?」
「確かに、俺には、なす術はねえかもな。俺には、な」
妙にソウが念を押してくるので、ツヅリは少し不安になる。同意を求めるようにティストルを見るのだが、ティストルは何か、考え込むようにしていた。
「ティスタ?」
「ツヅリさん。私達、自力で脱獄したと、思う?」
「は? 何を言ってるの? だってそうでしょ、私のナイスな機転で──」
ツヅリは脱獄したその時を思い浮かべる。
牢の見張りをしていた『練金の泉』の若手。あのチャラい男を言葉巧みに誘い出し、見事出し抜いてみせたのだ。
だからこそ、先の行動はソウの予測の範疇を出たものになっている筈なのである。
「──でも、最後にフィアールカさんは、あの人に撃たれたんだよ?」
「え?」
それは、おかしかった。
ツヅリは脱獄の際、確かに奪った鍵を手の届かない場所に置いたのだ。
しかし、少し考えてからすぐにその脱出方法に思い至る。
「ああ、じゃああれでしょ? いつの間にか外道チームの仲間に救い出されたって形で」
「あ、そ、そうですね」
ツヅリの出した結論に、ティストルも納得した。確かに最後の最後で、ソウ達外道チームの面々は持ち場を離れた。となれば、そのタイミングで地下牢に囚われている仲間を救い出すこともできただろう。
「あの牢屋のお兄さんなら、いつの間にか居なくなってたよ?」
だが、その結論はもう一人の少女に否定される。
この中で唯一人、試合を外から見ていたフリージアだ。
「え。嘘でしょ?」
「ほんと、ツヅリさんが外に居る時には、もう居なかったもん」
ツヅリは混乱する。それでは辻褄が合わない。
ツヅリが脱獄したとき、彼は閉じ込められた。普通に考えれば脱出のタイミングは、最後だけ。仲間に助けられるのは、そこだけ。
しかし、そうではないという。だとしたら、彼は自力で脱出したことになる。合鍵の一つでも最初から用意しておけば、確かにそれは可能だ。
だが、それではまるで。最初から、牢屋に入れられるのが分かっているようで。
それは、つまり。
「気づいたか? お前等を脱獄させるまでが、俺の指示だったってことに」
「…………っ!!!!」
相変わらずツヅリの思考を読むようなタイミングで、ソウはニヤリと笑って言った。
「わざと泳がせたんだよ。フィアが焦れて突っ込んでくるその時に、お前達が一番連携しずらいだろうタイミングを見計らってな」
「な、で、でもそしたら私達が逃げる可能性だって!」
「そしたら、そのまんまお前の背中を撃ち抜いて終わりだ。だってお前、尾行に気づきもしなかったんだろ?」
「うっ」
ツヅリはぐうの音も出なかった。確かにツヅリは尾行がないことを確認した筈だった。
仮に師の言うことが本当で、自分に尾行が付いていたのだとしたら、背中からの攻撃に対処できる筈も無い。
「で、でも若手の中にそんなスキルを持つ相手が居る訳が」
「それがお前の慢心だな。あの中で、一人だけ特徴がチャラいだけとか、有り得るかよ。ましてやそんな奴を裏切ると分かってるお前に組ませるか。あいつはそういう、追跡や気配遮断の技能が高かったんだよ」
ツヅリは唸り声を上げて、俯いた。
「俺はお前等の作戦が上手くいっているように『演出』するだけで良かった。それで、最後の最後には罠に嵌っておしまいって寸法だ。観客も楽しんでくれたろうさ」
本当にそうであれば、何から何までソウの掌の上だった。ツヅリ自身の、相手を下に見た愚かささえ計算に入れて、手玉に取られたのだ。
本当に、何から何まで、まだまだ師には及ばないと実感させられた気分だった。
「さてさて、フィアが一体どんな言い訳を述べてくれるのか楽しみだねえ」
ツヅリが一人、どっしりと落ち込んでいる横で、ソウは気楽に言ってみせるのだった。