精神の持久戦
額に垂れてきた汗をフィアールカは拭う。息は上がっていないが、その精神は確実に削られてきている。
目の前のソウは、彼女の十メートルくらい先で静かに佇んでいる。その距離は、会話にはやや遠いが、カクテルを届けるには充分すぎる近さだ。
フィアールカは、持久戦になれば、動き回るソウと動かない自分では、自分がやや有利と踏んでいた。
それは自分の得意分野と、ソウの得意分野を計算しての予想だった。
ソウの得意分野を速攻と踏んだのは間違ってはいない。そして、速攻に対する備えとして、弾薬も用意してきた。
しかし、ソウが速攻以外を不得意とするのかと言えば、それは大きな間違いだった。むしろ精神的な面を言えば、ソウは持久戦こそを得意とするタイプだったかもしれない。
「なん……でっ!」
フィアールカは、部屋の端に陣取って涼しい顔をしている男に、苦しげに呻いた。
対するソウは、普段とさして変わらぬ余裕のある表情でフィアールカを茶化す。
「どうしたお嬢ちゃん。随分と追いつめられたみたいな声を出して」
「追いつめられているのは、あなたの方でしょう!」
「かもなぁ」
同意を示したソウだが、本当にそう思っているのかは表情からは窺えなかった。
ツヅリ達が脱出したという知らせを聞いて以降も、二人はずっと精神の削り合いを続けていた。フィアールカはそんな状況にあって、一人ソウの行動のおかしさを思う。
(どうしてこの人は、もっと攻めてこないの?)
この状況でソウの取り得る最善手は、ツヅリやティストルの援護が来る前に速攻でフィアールカを倒すことだ。そうしない限り、刻一刻と自分にとって不利な状況が近づいていることになる。
そして、その焦りからミスを誘発し、あわよくばカウンターを決める。というのがフィアールカの描いた美しい未来である。
だというのに、ソウはその足を大きく踏み込みはしないのだ。
完全に待ちの姿勢ではない。フィアールカの動きが鈍ったと見るや、致命的なまでの的確さで攻め立てる。フィアールカがどうにか対処したころには、ソウはまた距離を取り、待ちに戻っている。
動きを止めることはなく、さりとて無理をすることもない。必要最低限の動きでフィアールカの攻撃を無効化し、逆にフィアールカの意識の隙を縫うように攻撃をしかけてくる。
刻一刻と近づく不利な状況を物ともせず、じわりじわりとフィアールカを追いつめているのは間違いなくソウの方だった。
ともすれば、それは遊んでいるかのような気軽さでもあった。
(こんな時に、魔石が使えれば……っ!)
牽制と打ち消しの魔法を都度放ちながら、フィアールカは思った。そして、意識の上であってもそう思ってしまったことを悔いた。
それは、訓練というこの場で……魔石を使えない場で考えて良いことではなかった。それが意識に上った時点で、既に半分心が負けかけているのだ。
打つ手が見えなくなったからこそ、そういった安易な手段に頼りたくなってしまったのである。
「っ『ウォッタ』『グレープアップ』!」
フィアールカは、弱気になりかけた自分を即座に排除し、早口で銃に魔力を移す。
戦いの主導権を握らねばならない。総合的に見て、圧倒的に有利なのは自分で間違いないのだ。それを忘れなければ、焦る必要もない。
勝利は、すぐ近くにまで来ている筈なのだ。
「得意なのは良いけど、同じ牽制じゃ飽きちまうぜ」
ソウは言いつつ、フィアールカに近づくように足を進め、弾薬を込める。
覗いた弾頭の色は、黄色。テイラの魔法である。
「『テイラ』『シロップ1』『オレンジアップ』」
フィアールカの頭にソウが作ろうとしているカクテルが浮かぶ。テイラ属性の初歩的なカクテル【アンバサダー】。着弾地点から石柱を生やすというシンプルな効果だが、攻撃や足止めなど多岐に渡って使えるカクテルである。
(また、違うカクテルを!)
しかしカクテルが分かっても、ニヤリと笑うソウの考えまでは読めない。
フィアールカは頭の中で、ソウの動きに最大限の注意を払う。
ソウは同じ攻め方をあまりしない。
フィアールカの中で基本となる動きは【グレイ・ハウンド】で牽制しつつ【スクリュードライバー】や【ウォッカ・トニック】で攻撃するものだ。それは自分なりの十八番であり、その動きにかけては、自分の右に出るものはほとんど居ないと自負する程度に洗練されている。
もちろん、場合によって手段を変えることは多々あるが、様子を見るにしても、止めを刺すにしても、それだけで事足りることが多い。
それに対するソウは、突撃の都度カクテルを変えている。
【ジン・トニック】で狼ごとフィアを狙う。
【キューバリブレ】で壁を作り、紛れるようにフィアールカに肉薄する。
【スクリュードライバー】で、フィアールカが盾にしている机の破壊を狙う。
それは一対一という状況にも関わらず『略式』に囚われないカクテルの数々。場合によってはシェイクすら狙って行くほどに多種多様。
カートリッジの数や、弾薬そのものが制限されている状況であるにも関わらず、放たれるカクテル群はこの場においては異常であった。
まるで始まる前からどのカクテルを放つのか、分かって決めていたかのようだ。
確かにカートリッジなど無くても、『適量』そのものを分量とした弾薬を使えば、最後にアップする系統『ビルド』のカクテルを放つことは可能だ。だが、それは自身の中に、カートリッジに頼らない確固たる分量感覚を有していないと不可能である。
カートリッジからオートマチックに充填される『銃』に慣れたバーテンダーには、とてもじゃないが出来る芸当ではない。
しかしソウはそれをやっているのだから、それに対抗するほかない。
フィアールカは多量に揃えたウォッタで、強引に対応しているが、それは当然、最善の一手というわけにはいかない。
その僅かな差が、少しずつソウ有利に傾いて行っている一つの要因であろう。
「【グレイ・ハウンド】!」
フィアールカの牽制の氷狼が、銃口から放たれた魔力で形を得る。無視することのできない脅威であるが、ソウは容易く対応するだろう。
フィアールカはソウの対応法を確認しながらも、ウォッタの次弾を手にしている。ソウから一瞬でも目を離せば、その隙にどこに行っているか分からない。
前後左右のみならず、上下ですら油断できないのだ。
ソウは鈍く唸った銃を、斜め上方に向ける。恐ろしい速度で迫り来る氷狼を目にしているが、そちらに対応する風ではない。
むしろ、その銃口はフィアールカの方に向いている。だが、フィアールカ自身ではなく、その上の方を──
「っ!」
気付いた瞬間に、フィアールカは弾薬を選択していた。
ウォッタに合わせるのは『ペルノー』と呼ばれるハーブ系のポーション。それも分量は1dash、ほんの数滴のみ。
だが、分量などさして問題ではない。それがカクテルに影響を与えるならば、それは魔法となる。重要なのは効果と、早さだ。
「基本属性『ウォッタ60ml』、付加属性『ペルノー1dash』『アイス』、系統『ビルド』」
早く早く、とフィアールカは銃に祈る。それと同時に、並行思考で狼に指示を飛ばしてソウの妨害は怠らない。
だが、やはりフィアールカのカクテルが完成するよりも早く、ソウはその名を口にした。
「【アンバサダー】」
狼を避け、放たれた黄色い光弾の軌跡は斜め上方。しかしフィアールカは決してその光弾を目で追わない。光弾の動きは直線。その軌道だけで、どちらに向かっているのかは分かる。自分のやや後ろの天井だ。
再三だが、たとえ相手の攻撃が気になったとしてもソウから目を離してはいけない。
飛んでくる光弾を意図的に気にしない。それが視界から消えたとしても問題無い。フィアールカは自分の手の中の振動を、開いた足の間から自分の真後ろの床へと放った。
「【ウォッカ・アイスバーグ】!」
フィアールカの放った魔法は、自身の背後に大きな氷の壁を作った。そしてその壁が生み出された直後に、ガキンと室内に強烈な音が響く。
天井に着弾し、やや斜めの軌道を描いて伸びてきた石柱が、氷の壁とぶつかりあったのだ。喰い合った強烈な魔法は、綺麗に相殺しその直後に砕け散った。
ソウの一撃を、フィアールカはその場から一歩も動かずに対処した。
「避けても良かったんだぜ」
言ったソウは、フィアールカの生み出した氷狼の前足を砕き、機動力を奪った後であった。壊した前足の氷柱を手に持ちながら、静かに笑みを浮かべている。
「冗談。私が身を転がして避けた瞬間、あなたの持つその氷が飛んで来たのでしょう?」
「そこまで分かっちゃった?」
「だって、わざわざ斜めに石柱を打ち出すなんて、横に避けてくださいと言っているようなものですから」
ソウとの戦いで安易な解答を出してはいけない。特に対処法が単純であればあるだけ危ない。
その思い込みで一本取られたことのあるフィアールカは、安易な手段を選ばず、多少強引でも自分にできる対策を自分で選ぶ。それが、フィアールカの考える、ソウとの戦いで最も重要なことであった。
フィアールカは視界の端でちらりと時計を見た。
部屋に掛かっている時計は、試合開始からそろそろ二十分を指すかというところ。少なくとも十分間は、二人はこうやって戦い続けている。
「さすがのソウ様も、そろそろネタ切れではないかしら?」
「そういうフィアこそ、動いてない癖に息が荒いぜ」
「ソウ様とのアバンチュールに興奮しているだけよ」
「言うじゃねえか。じゃあ、もう少し付き合ってもらうか」
ソウの声にフィアールカは身構えた。次はどんな攻撃が来るのか。どう対処するべきなのか。自身で攻めるビジョンが全く浮かばないまま腰のポーチに手を伸ばす。
しかし、その指が弾薬を掴む前に、その部屋に声が飛び込んできた。
「お師匠! 動かない!」
その声に、部屋にいる二人ははっきりと聞き覚えがあった。
フィアールカの目には、まるで人質と犯人みたいな、二人の少女の姿が映っていた。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
すみません一話のみ更新です。色々と間に合わずに申し訳ありません。
次回の更新は火曜日になる予定です。
コメントの返信もその更新後に行わせて頂きたく思います。