魔獣
魔獣とは、何らかの要因で体のどこかに魔石が埋め込まれているモンスターのことだ。
大抵は事故かなにかで、自然界の魔石を取り込んでしまったことから発生する。
しかし、重要なのは原因ではない。特性だ。
魔獣の特性は、その魔石に侵されることで発生する、驚異的な魔法耐性だ。
そこらの魔法はもちろん、バーテンダーの扱うカクテル──それこそ、下手な『シェイク』でさえも耐え切る圧倒的な魔法耐性を持っている。
言い換えると、ツヅリでは手も足も出ない可能性があるということだった。
「は、はは」
無意識にツヅリの口から乾いた笑いが漏れていた。
心臓を鷲掴みにされるような威圧感。睨まれただけで泣き出したいくらいの恐怖感。生き残るビジョンが欠片も見えない、絶望感。
魔獣だから、魔法の耐性があるから。
そんな理屈を抜きにしたところで、ツヅリはボスの圧倒的な存在感に気圧されていた。
生物としての絶対的な力の差。体力も、力も、スピードも、全てが劣っている自分。
それでも並の魔物が相手なら、持ち前の気力で相手ができる。
けれど、この眼の前の相手には、そんな気持ちすら起きない。
「お姉ちゃん!」
「!」
背後から、少年の声がした。
(そうだ! 私が諦めるということは、彼を見殺しにするのと一緒だ!)
その声に、ツヅリの体の中の勇気が奮い立つ。
「さぁ!」
震え上がりそうな体を叱咤し、ツヅリは銃を抜いた。
ボスが前に出たということは、恐らくボスとの一対一になるということ。
頭を潰せたら、混乱が生じる。そこに乗じて逃げられる可能性も生まれるのだ。
ピンチは同時にチャンスでもある。
ボスは少し様子を見るがごとく、ゆっくりとツヅリに近づいて行く。
シェイクをする時間は、充分にあるはずだ。
ツヅリは既に抜き出していた弾丸から、四つを選んだ。
今出来る最高火力のカクテル。それに使うのは、この四つだ。
師匠の言葉を思い出す。今度は間違えたりしない。
眠った魔力の塊を銃に込めて、その銃口を魔獣へと向ける。
「基本属性『サラム45ml』! 付加属性『ライム15ml』『シロップ1tsp』『アイス』! 系統『シェイク』!」
叫びと同時に、細心の注意を払って魔力を送り込む。
ツヅリの魔力に呼応し、愛銃は唸り声を上げた。
魔力供給までは、問題無い。だが、ここで終わりではない。
活性化を終えた魔力を、ツヅリは更に混ぜ合わせる。
そのままでは、魔力とイデアの混ざり方にムラができるのだ。
それを無くし、より強力な魔法へと生まれ変わらせるために、ツヅリは銃を振る。
上に、下に、手首のスナップを生かしてかき回す。
リズミカルに八の字を描くように。
銃の中の力が、喜んで跳ね回るイメージで。
師に褒められた通りの、その動きで。
(でも……)
それなのに、ツヅリは迷った。
この一撃が不発してしまったら。この一撃が効かなかったら。
ほんの少しの、勝利への迷い。敗北の恐怖。
それは無意識に、ツヅリの求める現時点での最高から、カクテルを遠ざけた。
自分でも、気付かぬほど、僅かに。
「完成!」
ツヅリがシェイクを終え、真っ直ぐにボスを見る。
その瞳には迷いはなく。その頭には恐怖はない。
ただ、眼の前の敵を討ち滅ぼすべく、その引き金を引いた。
「【ダイキリ】!」
宣言と同時に、その銃口からはほとばしるような膨大な熱が放出された。
不足なく混ざり合った炎の魔力は、その身を二頭の火龍へと変える。
以前に比べて、より大きく、より激しく、そしてより速く。
今までの中でも最高傑作で間違いのない撃滅の炎が、恐るべき魔獣へと襲い掛かる。
火龍が魔獣に届いた瞬間。爆発的な熱量を生んで、炎が魔獣を呑み込んだ。
「やった!?」
ツヅリは確かに手応えを感じた。これが今の自分にできる最高の結果だと思った。
(あとは、ルキ君を抱えるなりなんとかして、この場を逃げ出せれば!)
ツヅリがそこまで考えたところだった。
『グォオオオオオオオオオオオオオオオ!』
炎に包まれた魔獣が叫びを上げた。
魔獣の叫びは、それまで自身へと襲い掛かっていた炎を吹き飛ばす。
そこには、軽く焦げた跡があるだけの、五体満足な魔獣が立っていた。
「……うそ……」
その光景に、ツヅリは失意し、体中の力が抜けて、その場にへたり込んでしまう。
何かを押しとどめるための意思が根こそぎ奪われ、涙や鼻水が漏れ出す。
その光景を、魔獣はただ無感情に見つめていた。
「お、お姉ちゃん……!」
「……ごめん」
少年の縋る声を聞いても、奮い立たせるだけの勇気が残っていない。
早鐘のように体中を血が巡っていても、それは何の気力も運んではくれない。
心が完全に折れ、ただ呆然と前を見ているだけだった。
それを見たモスベアーは、つまらなそうに、のそりのそりと近づいてくる。
止めを、刺すために。
(……終わりかぁ)
ほとんど眼の前まで来た死を見上げながら、ツヅリは思う。
(こんなことなら……)
後悔の念に蓋をせずに、次から次へと溢れ出すその声に耳を傾ける。
(もっと美味しいもの食べたかったし、もっとおしゃれとかすればよかったなぁ)
同年代の少女たちを見て、羨ましいと思ったこともあった。
(もっと友達とかも欲しかった。もっと自由になりたかった)
同期は居ても、友達とは呼べなかった。
地元に帰ったら、どうしても家の事情が絡んだ。
自由に振る舞っているようで、どこかセーブをかけていた自分が嫌いだった。
(だったら、バーテンダーなんて、ならなければよかったのかな?)
そこまで思考が進んだところで、心の中から全力の否定が返る。
バーテンダーにならなければよかったなんて、絶対にありえない、と。
(そっか、バーテンダーになってなかったら、お師匠とも、会えてない。ううん。再会できてないもんね)
美味しいものも、おしゃれも、友達も、自由も、確かに欲しかったものだ。
だけど、それを押しやっても、自分はバーテンダーになりたがったのだ。
(あーあ。こんなことなら、お師匠にちゃんと言っておけば良かったな。色々)
眼の前で、魔獣がその腕を振り上げた。
それが振り下ろされる瞬間、ツヅリは目を閉じ、呟いた。
「お師匠。さよなら」
刺さった棘のごとき、その言葉を。
返事を待たない、その言葉を。
「だぁらぁああああああああああああああ!」
だから、その声が聞こえたとき、ツヅリには何も理解できていなかった。
ただ、突然の大音量にビックリして目を開けただけなのだ。
その眼の前にあったのは。
腕を振り上げたまま、蹴りを食らって吹っ飛ぶ魔獣と、
その蹴りを放った、青年の姿だけ。
「……なん、で……?」
「それはこっちのセリフだこのアホ弟子が」
あの恐ろしい魔獣を蹴り飛ばした男が、戸惑うツヅリの頭をグリグリと撫でる。
「言いたい事は山ほどあるが、とりあえず立て。そんで俺の言う通りに動け」
温かいとは言えない言葉を弟子に投げ掛け、ソウは強引に手を引いてツヅリの身体を引き上げる。ツヅリは、戸惑いのまま、なされるがまま。
もう一度、立ち上がった。
「さぁて、これから、あの野郎をぶちのめすぞ」
不敵に笑いながら、ソウは言う。一切の油断も、恐怖もないその言葉は、
「……はい! お師匠!」
折れたツヅリの心を、いとも容易く繋ぎ直した。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
今日は二回更新の予定です。
このあとは二十時に更新します。
もしよろしければ、覗いていただけると幸いです。
※0919 誤字修正しました。