ツヅリの回答と作戦立案
「え、っと。私ですか?」
ツヅリは動揺で目を右往左往させつつ、声だけは震えないように気をつける。
そんなツヅリを変わらずにニコニコ見つめ、ソウは言う。
「ああ。お前も少しくらいは成長したろうし、たまにはそれを見せて貰おうかと、な」
「ええっと、は、はい」
唐突な師の評価が嬉しくもあり、かといってどう動けば良いのかという混乱もあり。それでも言われた以上は、何かをするしかない。
ツヅリは覚悟を決めて、地図を睨んでいるソウに一歩近づいた。
「えっと、地図を良く見せて貰っても良いですか」
「存分に見ろよ」
ソウは言いつつ、地図の角度をツヅリに合わせる。かといってツヅリは別に、本当に地図を良く見たかったわけではない。
頭の中では、なんと答えたものかと大急ぎで考え中だ。
(フィアが言っていたルート。一番簡単なものだったら、私が言っても不自然じゃないよね?)
頭で考えながら、ツヅリは助けを求めるようにちらっとだけティストルを見る。
しかしティストルは、何もできないと首を横に振るのみだ。
それ以外の人間に助けを求めようと思っても、そんな話ができる相手はいない。
むしろ、自分たちを差し置いてツヅリが選ばれたからか、若手達のツヅリを見る目も相応に冷たいくらいである。
ツヅリは大きく緊張しつつ、自分の判断で答えを選ぶ。
「えっと。そうですね。まずはここ、このキッチンの裏口。ここから食堂を通って、地下への入り口を目指すルートが、一番、簡単だと思います」
「だろうな。地図を見たら誰もがそこを見るってくらいだ」
ツヅリの答えに、ソウはうむと満足気に頷く。どうやら間違いを言ったわけではなさそうだと、ツヅリは安堵した。
しかし、そのすぐ後にソウは続けた。
「で、他には?」
「え? 他ですか?」
「ああ。『まずは』ってことは他にもあんだろ?」
ソウの期待するような眼差しに、ツヅリはハッとした。
頭にいくつものルートがあったから、知らずのうちに、他のルートもあるという体で喋ってしまっていたのだ。
これ以上自分が喋っても不自然ではないか、とツヅリは悩む。しかし自分で言ってしまった以上は自分で責任を取らないと、と決める。
「あとそれに、この一階の客間あたりですか。ここからなんとか忍び込めば、比較的短い距離で、地下に向かえます」
「だな。その辺りは植え込みで死角が多そうだし、警戒も必要そうだ」
「で、ですよね」
師の同意が得られたことに、ツヅリは便乗するように笑う。
対する師は、ツヅリの笑みに合わせるように、更に言った。
「で、他は?」
ツヅリはさっきまで浮かべていた笑顔を少し引き攣らせた。
「え? まだですか?」
「……まさか。もう思いつかないのか?」
途端に、ソウは落胆したような表情に変わった。期待を込めた弟子が、思ったよりも使えなかったと、目で語るようである。
そんな風に見つめられて、ツヅリはついムキになって言う。
「あ、あとはそうですね! フィアの事だったら小細工無しで、正面玄関からというのも充分にありえると思います!」
「ふむふむ。で、他は?」
「あーっと、あとは、裏に木が生えてますよね。その木から二階に飛び移るというのも、可能性としてはあるのではないでしょうか」
「なるほどなるほど」
ツヅリの言葉に、ソウは何度も興味深げに頷く。
しかし、そこで止まらずに、ソウはもう一度尋ねる。
「で、他には?」
「うっ」
ソウの、まだ行けるだろうという期待の視線にツヅリはついに表情を凍らせた。
もう、無い。もう自分が言えるものは何も無い。だというのに、師の視線はまだまだ温かいままだ。
しかしこれ以上は、師の期待に応えることができない。
ツヅリはしゅんと下を向いて、それからぼそりと、観念するように言う。
「もう、思いつきません」
「そうか。ま、そんなところだろうな」
ツヅリの絞り出すような言葉に対して、ソウはそれまでの期待の目を瞬時に切り換えて、淡々と言った。
落胆した様子もなく、さっきまで本当に期待していたのか疑うほどの変わり様だ。
ツヅリを慰めるようでもありながら、それはどこか薄情にも見えた。
「ご苦労だったぞツヅリ。まあまあだ」
「まあまあ、ですか」
「ああ。お前に期待していたより、少し上くらいの回答だ。誇って良いぞ」
誇って良い、と言っている割にはソウの声は優しくなかった。ツヅリは釈然としない思いを抱えたまま引き下がる。
そして再び、その場に若干の沈黙が降りる。ややあって、ソウは地図を再び睨んだまま、リミルに声をかけた。
「リミル。お前は、他に何か浮かぶか?」
「……悔しいが、そういうのは分からない」
「分からないか。まあ良い。それならそれだ」
リミルの回答に、なぜかソウは満足そうに笑う。そして次に放った言葉は、その周囲の人間を驚かせた。
「よしリミル。お前の勘で良い。『氷結姫』はどのルートで来ると思う?」
「……へ?」
「お前が決めて良いぞ。どこに重点を置くかをな」
ニッと笑ってみせたソウに、真っ先に食って掛かったのはリミルだった。前傾姿勢となって地図の乗った机に手をつき、ソウを睨む。
「なっ? ふざけているのか!? 俺は分からないって言ったんだぞ!」
「そう聞こえたな」
「だったらなぜ、俺に任せようと思うんだ?」
その言葉はもっともだと、誰もが思う。
このチームを取り仕切っているのはソウだ。そのトップが作戦立案を放棄して丸投げするなど、もってのほかだ。
それでは、とっさのときに誰が指揮を出すというのか。
「まあ落ち着けよ。俺は何も適当言ってるわけじゃない」
そんなリミルの剣幕を受け止めつつ、ソウはお手上げと言わんばかりに、ひらひらと手を振った。
「正直に言えばな。俺は『氷結姫』にそんなに詳しくないんだ。あいつの性格ってのは読み切れないし、たとえばさっきのルートのどこを通るかなんて予測できない。それならいっそ『氷結姫』のファンに聞いた方が、マシなんじゃないかと思ってな」
ソウの言い分を聞いて、リミルは少しだけ姿勢を戻した。
本心からそう思っているのかは分からないが、少なくとも言い分自体は通っている。
あくまで、参考を尋ねただけという体だ。
「……本当に、俺の意見で良いのか?」
「構わねえよ。言ってみな」
ソウは鷹揚に頷き、周囲の若手達にも同意を求めるよう視線を送った。
それが、ソウの作戦であることにツヅリはなんとなく気がついた。
本当は、最初から最後までソウが自分で決めても良い。むしろ、ここで意見を聞いたのはただのポーズである可能性が高い。
保険をかけたのだ。若手自身に『作戦立案に参加した』という意識を植え付け、作戦が失敗したとき、その責任がソウ一人にかかるのを避ける為に。
戦局が不利に傾いたとき、不満の矛先がソウでは指揮が乱れる。最悪、内部分裂の恐れがある。それを避けるためには、自己責任であると思わせる必要があるのだ。
だからソウは、わざとリミルの意見を聞いた。おそらく始めから、彼が何を言うだろうかを予測した上で。
もちろん、そんなソウの思惑などリミルは気付かない。彼は少し悩んでから、真剣に答えた。
「姫ならば、恐らく小細工を嫌う」
「というと?」
「正面に本隊。陽動に少数の別動隊。くらいの布陣が一番ありえそうだ」
「……なるほど」
ソウはリミルの言葉に同意するように頷く。
リミルの提案は、正面玄関に防衛の重点を置く案だ。それに足して別動隊を警戒し、恐らく裏口の最も危険なルートにも多少の人員を割くといったところ。
正面をどの程度の人員で防衛できるかにも寄るが、上手く読みが当たれば時間まで粘ることは容易であろう。
「よし、ならその案を採用しよう」
ソウはあまり悩む時間もなく言った。その即断即決ぶりには、提案したリミル本人も目を剥いた。
「本当に、それで良いのか?」
「……まあな」
にやりと、何か含むことの一つでもありそうな顔でソウは頷く。
その笑顔に不穏なものを感じたのはリミルだけでは無かったが、それに異を唱えるものはいなかった。作戦自体には、そうおかしいところはない筈である。
作戦が決まったのであれば、あとは誰をどこに割くかだ。
そんなタイミングで、運営スタッフの人間から一同に声がかかった。
「各代表者の皆さん! 抽選を行いますので一度お集りください! それと魔道院の方にも、撮影機械の説明を行いますので集合お願いします!」
訓練の組み合わせは決まっていたが、自分たちの対戦時間が決まるのは直前だ。
後になればなるほど、他の組み合わせの模擬戦を見た上で作戦を練り直すことができる。そういうリアルタイムでの対応力も含めてのエンターテイメントというのが、この合同訓練の方針であった。
面倒なことを考えるとソウは呆れたが、それも観客を飽きさせないための方策の一つだろうと納得はできていた。
声がかかれば、他の卓の人間たちも作戦会議を止めてざわつき出す。
「……それじゃ、ソウさん。いきますか?」
同じく集合の言葉を聞いたティストルは、ソウへと声をかけた。
ソウは軽く手を上げ、立ち上がる。
「じゃ、そういうわけだから。くれぐれもよろしくな、おまえら」
そうやって全体に声をかけ、ソウはティストルを連れてスタッフの元へと向かう。
ツヅリは、ソウの後ろ姿を複雑な気持ちで見送った。彼女の立場上、あまり心中穏やかでは居られなかった。
一方、見送られているソウの唇は僅かに、だが確かに、面白そうに歪んでいるのであった。