情報と想定と意表
配布された地図を広げ、ソウは無言でそれを睨んでいた。そんなソウと地図を囲むようにツヅリ、ティストル、リミル達という配置だ。
今居る場所は参加者の控え用テント。申し訳程度に外道、連合で区分けされ、そこからさらにチーム毎にブロックが分けられている。ソウ以外のグループもまた、一塊になって地図を頭に叩き込んでいた。
外部との接触は禁止ではないが、これより先はおかしな動きをすればすぐに見咎められる。例えば、外道チームであるのに、連合チームに接触するなどすれば、一発で怪しまれるだろう。
「……ここが、こうか」
ソウは地図と遠くに見える屋敷を見比べる。
図面を頭に描きつつ、実際の建物と重ね合わせをしていた。
それを暫く行ってから、ソウは近くに居たスタッフに声をかける。
「すんません。実際に中を確認ってのはできないんですか?」
「試合開始前にその時間は取ります。ご安心ください」
「分かりました」
ソウは礼を言いつつ、少しだけ不満げであった。その時間とやらがどれくらい貰えるものか、はっきりとしなかったからだ。
ツヅリはそんなソウに疑問をぶつける。
「何か確認しないといけないことがあるんですか? そんなに精巧な地図があるのに」
「あるに決まってる。篭城するんなら、屋敷のことはどれだけ知っても足りないくらいだ」
ソウはうんざりした声で続ける。
「床の材質はなんだ? それによって動きやすさが変わる。家具はどう設置されている? 理解していれば臨時の盾や武器にもなる。それ以外にも、扉の材質や重さ、窓からの視界、照明の明るさや数、あとは、どれくらい音が響くのかも地図じゃ分からない。俺が本当に外道だったら、真っ先に調べることだぞ」
師が一つずつ述べた要素に、ツヅリをはじめ一同がぽかんと口を開けた。そこまで意識している人間は、少なくともここにはソウしかいなかった。
ツヅリが知っている大雑把な師の姿とは、比べ物にならない繊細さである。こうやって綿密に計画を練ろうとする師の姿が物珍しく映った。
「お師匠って、意外とそういうの、細かく気にするんですね」
「……ま、分からないなら仕方ないが、分かるんなら調べるのが筋だろ? そういう知識や認識の積み重ねが、咄嗟の判断を左右するんだからな」
ツヅリの知っているソウは、どんな状況においても即座に動く。ツヅリからすれば、それはまるで直感だけで動いているようにすら思える。
しかし違うのだ。そういう細かい組み合わせで選択肢を作り、予め想定していた動きから、一番と思うものを選択しているに過ぎないのだ。
それが自然にできるようになるのにどれくらいの鍛錬が必要なのか。ツヅリには想像すらできなかった。
「……そんなことで変わるのか?」
納得していたツヅリと違って、リミルは猜疑にまみれた声で言った。
ソウは少し目を細めたあとに、リミルを含めた『練金の泉』の若手達に分かるように例えることにする。
「じゃあリミル。俺が今頭に思い浮かべたカクテルを当ててみろ」
「は?」
「良いから言ってみろ。ヒントは無いぞ。俺がさっき思い浮かべたカクテルはなんだ?」
リミルはソウの発言に眉をひそめつつ、答えを言った。
「じゃあ【ジン・トニック】」
「はい不正解。これが実戦だったら、お前は対応できずに死にました」
バンと手で銃を作りソウはそれを撃った。馬鹿にするような仕草に思えて、リミルは声を荒げる。
「それは極論だ!」
「だろうな。だがまぁ、黙って聞け。よしそこのお前」
ソウはリミルから視線を外し、近くに居たやや背の高い少年を指差した。
「俺が思い描いたカクテルは『サラム属性』の『ビルド』です。さぁ、正解は?」
「え、では【ソル・クバーノ】」
「お、正解。中々勘がいいな。この後、グレープフルーツとか、トニックとかのヒントもあったんだが」
ソウは少し上機嫌になって笑った。
【ソル・クバーノ】はサラム属性の比較的簡単なカクテルの一つだ。効果としては、銃口から炎球を吐き出して相手を焼くという、分りやすく単純なものである。
しかし単純であるが故に、対処の方法も限られてくる。
「相手が【ソル・クバーノ】を撃とうとしているって分かれば、対処できるかもしれない。壁を作ったり、水をぶつけたり、風で散らしたり色々だな。それが想定できれば、お前は生き残れるかもしれない」
珍しく褒めるような口調で言うソウ。少年は少し照れくさそうに笑う。
だが、ソウは急に表情を改めて、次の質問に映った。
「しかしそれが分かったところで、相手は既に射撃体勢に入っています。対してこちらはなんの準備もしていません。さあどうする?」
「……えっと、横になんとか飛んで避けます」
「残念。左右は壁でした。お前さんもリミル同様死亡です」
ソウはそこで再び、バンと少年を撃った。
困惑の表情を浮かべている少年に変わって、リミルが食って掛かる。
「ふざけるなよ。そんなこと知らない。後だしで言うのは卑怯じゃないか!」
「卑怯と思うか? でも実戦ではそんなこと言ってられないぜ? お前は逃げ込んだ先の路地が行き止まりだったら、襲撃者に文句を言うのか? 『こんなの知らない』って」
「……それは」
リミルは言葉に詰まった。仮にそんな状況で文句を言ったところで誰が聞いてくれるだろうか。行き止まりに逃げ込んだ奴が悪い。そう言われても仕方ない。
そしてそれは、行き止まりがどこにあるのかを知っていれば、回避できたかもしれない問題なのだ。
そういった認識が、リミルを含めた若手達にもある程度浸透したとみて、ソウは話を続けた。
「な? 状況認識は大事だ。どんな小さなことでも知らないよりは良い。さっきの状況だって、足元に石でもありゃ妨害できる。少し後ろに用水路でもあれば逃げ込める。敵の後ろに味方の姿があれば、大声出して時間を稼いでも良い。左右に壁がありゃ、そのまま上にだって逃げられる」
「……いや、そんなことできるのはお師匠だけじゃ」
「とにかく、実戦じゃ対応できなきゃ死ぬんだ。それで言えば、相手から目を離さないってのはその第一歩。相手がどう動くのかってのは、最も基本的な情報なんだからな」
若手達は、そんなソウの言葉に誰一人反論できずに黙った。決闘以外の実戦経験のない彼らではあるが、午前に行った手ほどきで、相手から視線を逸らさない重要性はがっつりと叩き込まれている。
相手から目を離さなければ、自分の行動に対する相手の動きが分かる。迎撃なのか、避けようとするのか。それが分かるだけでも、大きい。
ソウが色々な情報を気にするのは、その延長線上だと腑に落ちたのだ。
「篭城するってのはな、相手が知らない情報を自分が持てるってのが最大のアドバンテージなんだ。自分のテリトリーで戦うのはそれだけ有利だ。いや、相手のテリトリーに踏み込むのが無謀なんだって置き換えても良い」
言いつつ、自分はそんな場所に攻め込んでばかりだなと、ソウは自嘲気味に思った。
ここ最近の出来事を思い出しつつ、ふとティストルの様子を見た。ティストルの呆れるような目が、彼女も同じ気持ちであると教えてくれていた。
だが、もともとそんな状況はイレギュラーも良い所。こうやって、何も知らない若手達に教えるのであれば、間違ったことは言っていない。
「だから、この訓練でも連合の勝利条件は『人質の救出』なんだ。『相手の殲滅』ではあまりにも不利だからな」
今回の訓練に限れば『相手の殲滅』でも勝利にはなるが、それを狙って行う連合側はそう居ないだろう。目標を人質救出に絞った方が何倍も楽なのだから。
ソウの言葉に、若手達は静かに頷いていた。まるで自分が教師にでもなったようだと、ソウは思う。やや居心地は悪いが、不快ではなかった。
とはいえ、少し出しゃばりすぎたかとソウは最後に言葉を濁す。
「……とまぁ、偉そうに言っちまったが、俺は別にお前等の師匠でもなんでもねえからな。今日のことは、ま、話半分に覚えておけよ」
押し黙った若手達を尻目に、ソウは再び地図を睨んだ。話が一段落したのだと、その場の皆が理解した。
(となると、ここからが本番ですよね)
ツヅリは静かに、師の視線を辿ってみた。
ずっと見ていると分かる。ソウは現在、地下牢に繋がるルートの確認を行っている。
最初は人質の居る地下牢。そこから、すっと動いていくつもの脱出ルートを目だけで追っているのだ。
ツヅリはフィアールカの言っていた四つのルートを思い浮かべた。
まずは、食堂に繋がる裏口から入る、最も単純で最も魅力的なルート。
次に、一階の客室に忍び込み廊下を走る、見つからなければ有力なルート。
それから、戦闘を覚悟の上で正面を突破する、分りやすいルート。
最後に、裏庭の木から飛び移って二階に侵入する、テクニカルなルート。
このあたりが、この地図を見て思いつくだろうルートである。それがフィアールカの考えであった。そして、それらのルートのうちどこを警戒して人員を配置するのかが、防衛の要になる。
(どうするんですかお師匠。お師匠は、どう読むんですか?)
ツヅリは、それからの師の言葉を聞き逃さぬように気合を入れた。
ソウが考える人員配置を確認し、外部にいるフィアールカに『カクテル』で知らせるのが、訓練におけるツヅリの役目だった。
フィアールカの狙いは、ソウが現実的ではないと断じた『殲滅』なのである。それを可能にする『情報』が、ツヅリからもたらされるものなのだ。
ソウの視線の動きもフィアールカの言ったルートをなぞっているように見えた。地下牢の入り口と、侵入者のルートをいくつも浮かべて、それを考察し。
そして唐突に言った。
「ツヅリ、お前だったらどういうルートを取る?」
「ふぁい!?」
ソウはルートの説明をするでもなく、いきなりツヅリに尋ねたのだった。
想定外の事態に変な声を上げたツヅリを訝しげに見たあと、ソウは更に続ける。
「たまには、お前自身がどう思うのか聞いてみようかと思ってな」
ソウの期待するような目に、ツヅリはドギマギしながら泣きそうになった。
自分の役目は、ソウの考えを伝えることのみだと思っていた。
自分の意見を求められたときに、どう動くべきかなど、想定もしていないのだった。