しっぺ返し
端から見ていても、ソウが何か特別な感情を抱いているのは明らかだった。
それまで、ずっと余裕の表情を崩してこなかった彼が、今は苦みばしった表情で片目を閉じている。そのままテーブルに肘をつき、顎に手を添えしばし考え込むように黙った。
「……もう一度良いか?」
買ってきたお茶を口に含み、低めの声でソウは尋ねる。
フィアールカは、そこで勝利の手応えを感じ、喜色を抑えつつ答えた。
「ですから──【サリーズ・リップス】です」
「……はぁ」
ソウは微かにため息を吐いた。
ツヅリ、アサリナ、フリージアと順番に目線を移し、僅かに顔をしかめる。
その仕草が、それまでとあまりにも違うので、ツヅリも少し不安になる。
「まさかお師匠、分からないなんて……」
「……あぁ?」
返事の代わりに、ソウは再度、今度は深くため息を吐いた。
ソウの渋い表情を見つつ、フィアールカは確信する。
(やはりあのレシピ集は、相当な逸品。現存しないレシピすら数多く収録したような代物。それこそ、ソウ様の裏すらかけるような)
たまたま見つけたあの本が収められていたのは、金にあかせて昔から関連資料を集めまくったであろう『練金の泉』の倉庫だ。
通常ではほとんど出回らないマイナーなものから、相当に古い書物まで揃っていることだろう。
それこそ、この世界に数冊しかないような、もはや公表されたと言い難いものまで存在していてもおかしくない。
あそこで見つけたレシピであれば、ソウのデタラメな知識を上回れるものだとしても納得だ。
「…………」
ソウはまだ深く考え込むように沈黙を守っている。
フィアールカは今度こそ拳をぐっと握り込み、頬を僅かに緩ませた。
「……どうやら、私の──」
「ベースは『ウォッタ』だ」
「はい?」
フィアールカの勝利宣言を遮るように、ソウは口を開いた。
誇るでもなく、淡々と、材料を並べて行く。
「記載されたレシピなら──『ウォッタ40ml』『ピーチリキュール20ml』『オレンジジュース20ml』……後は『カットレモン1/6』で『ソーダ』と『トニック』を半々でアップ」
ソウが静かに答えたレシピに、フィアールカはそれまでの気分から一転、悔しそうに顔を歪ませた。
「……正解です」
「まぁな」
正解したというのに、答えたソウの顔はやはり、誇らしげには見えなかった。
その表情を見て、フィアールカは自身の勘違いをなんとなく悟った。
ソウが顔をしかめたのは正解が分からなかったからではない。
正解するべきか否か、それを答えても良いのか。それを迷わせる何かが、このカクテルには存在したということだ。
「ソウ様は、このカクテルが載っているレシピ集をご存知なのですか?」
ソウの事情に思い至った時、フィアールカはついそう尋ねていた。
「……はぁ」
ソウは再三ため息を吐いて、答える気が無いと表情で訴える。
しかし、フィアールカは自身の知的好奇心を隠そうともせず、じっとソウに期待の目を向け続ける。
しばし場が硬直し、根負けしたようにソウは、ちょいちょいとフィアールカに近寄るように示した。
フィアールカがそんなソウに耳を寄せると、ソウは小さな声で、一つだけ言う。
「ある程度知っちゃあいるが、面倒だから教える気は無い」
「それは私にも、ですか?」
「お前にもだよ。なんで自分だけ特別だよ」
ソウは少し呆れた顔で言った後に、フィアールカから距離を取る。
そして、新しい面倒が起こる前にと、矢継ぎ早に言っていた。
「さて、今度は俺が尋ねる番だな? そろそろハンデは無しだ」
そう言ってソウが出した【ダブル・ホワイト】というカクテルを、フィアールカは答えることが出来なかった。
「つうわけで、俺の勝ちだな。食後の良い腹ごなしにはなったぜ」
面白くなさそうなフィアールカを置いて、ソウは大きく伸びながらあくびをした。
ソウの出したカクテルは『やったらやり返された』というものだ。
フィアールカが先日手に入れた名前の無いカクテルブックに、それもまたしっかりと記載されていたのである。
「……今度は負けませんわ」
自身の知識不足を突き返され、あまつさえ縋った本でもやり込められたフィアールカ。
面白くなさそうに唇を尖らせた彼女に、ソウは軽口で返す。
「やめてくれ、俺はギャンブルって苦手なんだよ。見ての通りの小心者でね」
それは無い。とその場にいるほとんどの人間が思った。
しかし一人だけ、思っただけでなく口に出していた。
「どの口が言いますか」
「うるせえぞ借金女」
「ええ!?」
師の冗談に一人だけ律義に突っ込んだツヅリは、師に唐突に言い返されて困惑する。
「あの、それはお師匠が取り返してくれたんですよね?」
ツヅリの中では、そういう事になっている。つまり、今の時点でツヅリの借金はなかったことになった筈だ。
だが、ソウはツヅリの想像を切り捨てるように、はっきりと言ってのける。
「なに調子いい事言ってんだよ。ゲームやったのは俺だぞ。常識で考えりゃ、お前の払い先がフィアールカから俺に変わっただけだろ」
「そんなぁ!」
ツヅリは悲痛な叫び声をあげ、ソウの肩をガクガクと揺さぶる。だが、ソウはされるがまましているだけで、発言を撤回するつもりはなさそうだった。
しばらくそうしていると段々苛ついてきたのか、ツヅリに向かって目だけが笑っていない笑顔を向ける。
「利子は付けねえでやっから感謝しろよ? 借金女」
「……あの、もしかしてお師匠、ちょっと怒ってたりします?」
ふと、そんな気がしてしまってツヅリは恐る恐る尋ねた。
ソウは肩からわざわざツヅリの手を引きはがし、今度はいつにも増して魅力的なにっこり笑顔で言う。
「別に。勝手に罠に嵌って借金こさえた上に、それを師匠に丸投げして感謝の言葉もない弟子に、思うところなんてないね」
「わぁー! ごめんなさい! 言われてみればそうでした! 助けてくださってありがとうございますお師匠様ぁ!」
「別にお礼なんて良いって、助けてないし」
「許してくださいよぉ!」
ふんっ、と鼻息を荒く吐いたが、ソウはツヅリの言葉に頷きはしなかった。
つまるところ、調子の良い弟子に少しだけ怒っていたという証でもあった。
少なくとも、端からはそう見えた。
そんな師弟の様子を、アサリナとフリージアが見慣れた景色と思っている中。
ただ一人フィアールカだけが、別の思惑を走らせていた。
(聞きたいことがまた一つ増えてしまったわね)
ソウはどうやら、先程のカクテルブックについて隠したいことがあるようだ。だから、わざわざツヅリをおちょくって、話を逸らした。
その結果、皆がカクテルブックの存在を誤魔化されている。だけど、フィアールカだけは、一歩引いたところから、ソウのやり口を見ていた。
(あの名前の無いカクテルブックの、謎を知る)
それは、想定通りに事が運んだ場合のこと。ソウにはもともと、聞きたい事がたくさんあったが、その中にさっきの事が加わった。
扱いの難しさから、半ば廃れていると言っても過言ではない『オルド』の魔法。
研究の進んでいないそのカクテルについてすら細かく書かれていて、更に現存していないレシピも多い謎の本。
いったい何者によってそれが残されたのか、フィアールカの興味は尽きない。
それを知れば、自分はより多くの知識を手に入れて、また一歩、ソウへと近づける気がしていた。
「ね、リーちゃんもなんとか言って?」
「えっと。これは多分、ツヅリさんがちょっと、悪いと思う」
「ですよね!? でもこうして謝ってますからぁ!」
そんな銀の少女の思惑の横では、騒がしい『瑠璃色の空』の面々の姿がある。
それを見ていると、ほんの少しだけ、フィアールカは自分がこうやって真面目なことを考えているのが馬鹿らしく思えてしまう。
そんな温かい師弟関係が、羨ましくなってしまう。
だから、嫌味も込めて彼女もツヅリに一声かける事に決めた。
「ツヅリさん」
「な、なにフィア?」
「優しい師匠で羨ましいですわ」
「どこが!?」
ツヅリの心地よい悲鳴を堪能してから、フィアールカはその場を後にすることにした。
「ではソウ様。そろそろお暇致します。もともと、私達は敵同士なのですから」
「おう。また後でな」
「……ええ」
ソウのフランクな別れの挨拶に、フィアールカはほんの少しだけ嬉しくなりつつ、すぐに気を引き締めた。
少し偵察のつもりが随分と長居してしまった。
なぜ長居したくなってしまったのか、理由は分かるが今は考えないことにした。
※1030追記 本文中に出てくる【ダブル・ホワイト】もまた作者のオリジナルになります。説得力が無いですが、そうなんだくらいで流して頂けると幸いです。
※1102 誤字訂正しました。