湖の秘密
「さて、それじゃあ、帰るよ?」
「……うん」
「不貞腐れない。分かったでしょ? 君にも、私にも無理だって」
ようやく落ち着いた頃合いになって、ツヅリはそう促した。
散らばった銃弾を拾い集め、ポーチの紐をなんとか繋ぎ合わせたスタイル。
よく考えなくとも、こんな姿でまともな戦闘ができるわけがない。
ただでさえ力不足のツヅリだ。少年の望みを叶えるには、荷が重い。
「というかこっちとしても、あんな死ぬ思いは二度とごめん」
「……ごめんなさい」
「じゃ、反省したら戻ろっか……はぁー、説教だろうなぁ……」
ようやく事態が収束したところで、帰ってからの苦労を思うツヅリ。
振り払うために頭を振って、周りを見る。
そして、言った。
「……道は、どっち?」
「え?」
「あれ? 私、どっちから来たっけ?」
ツヅリとルキが、顔を見合わせる。
まず、少年が首を振った。
次に、少女も首を振った。
それからまたしばらく向き合ったあと、双方の顔が青く染まる。
「…………」
「…………」
二人は、完全に迷子になっていた。
闇雲に逃げたルキと、そこだけを目印にしたツヅリ。
地理に明るいならともかく、どちらから来たのかすら分からない。
気絶した魔物の位置から大まかな推定はできるが、正しく道に戻れる保証はなかった。
「どうしようか……」
「どう……って?」
「お師匠から、こういう時の対処法は一応聞いてるんだけど」
ツヅリはぼんやりと聞いていた師の言葉を思い出す。
まず最も重要なことは、パニックにならないことだ。
何かを決断するにしても、パニック状態では正しい判断は行えない。必ずどうにかなると信じて、冷静に行動を決定すること。
そして、出来る事なら、その場から動かないことが望ましい。
(動かないって言っても……)
ツヅリは気絶したままのモンスター達を見る。
ここでずっと立ち止まっていたら、いずれ彼らは目を覚ますだろう。
そうしない為には、ここで息の根を止めるか、この場を離れるか、だ。
「……殺すか、離れるか……」
どちらにもそれなりのデメリットがある。
まず、殺してその場に留まる場合。
一つ。生命線とも言える弾薬を無駄に二発以上消費してしまう。
二つ。留まったところで、ツヅリとルキが山に向かったと知っている人間はいない。
三つ。仮にそれが知れたところで、危険な魔物がうろついている山だ。満足な捜索隊が組まれるとは考えにくい。
大人しく救助を待つにしても、ここまで辿り着ける人間がどれだけいるというのか。
次に、放置してその場を離れる場合。
一つ。大原則として、道を見つけられなければ帰れる保証はない。
二つ。道を探すということは、基本は山を斜面に向けて登って行くということ。
三つ。それは歩行距離を増やし、魔物との遭遇の可能性を引き上げることになる。
無駄に動き回ることで体力を消耗し、却って危険な状態を作る可能性すらあった。
「……どうしよう」
不安げに見つめてくるルキに無理やり笑顔を作りながら、ツヅリは迷う。
ここにソウが居るならば、判断を全て委ねればいい。しかし、今判断しないといけないのは自分だ。少し悩んで、ツヅリは決断する。
「動こう。お師匠が見つけてくれるのを信じてこの場に留まるのは、危険な気がする」
結局、彼女は動くことを選択した。
どちらを選んでも欠点があるのなら、自分で行動できるほうが、気が楽だった。
自分はまだ動ける。少年もそうだ。他人に頼るには、この場は危険すぎる。
そしてなにより、もしかしたら、歩いている途中で、少年の探す花が見つかる可能性だって、あると思ったのだ。
しばらく二人は、道を探しながら足場の悪い地面を進んで行く。
途中、二度ほどモスベアーに遭遇したが、遠距離からの狙撃でことなきを得た。
攻撃に使える弾丸はどんどん少なくなっていくが、まだ大丈夫だ。
尽きる前に脱出できると、自分を鼓舞しながら進んで行った。
そして、
「道だ!」
日が落ちる前に道を見つけることに成功したのだった。
「ルキ君、大丈夫?」
「……うん」
少年を慮ってペースは遅かったが、慣れない山歩きで少年はかなり堪えていた。
「もう少しだから、頑張って帰ろう」
「……うん!」
ツヅリは少年を励ましてから、道を下り始める。
獣道に毛が生えた程度ではあるが、踏み固められた道の歩きやすさに感動を覚える。
これで帰れるという安堵が、ツヅリの胸中を支配していた。
「そういえば、言ってた湖は、どの辺りにあるの?」
「えっと、多分もうちょっとこの道を進んだところ」
ルキの言葉に、ツヅリの中の親切心が揺らいだ。
「それは、えっと、道沿いに行ったら見つかる感じ?」
「うん! ちょっと寄り道になるけど……」
ツヅリはここで悩む。
すでに怒られるのは確定している。そして、そこに寄っても寄らなくても、大した違いはない。となると、そこで花を探すほうがこの先の展開も楽になるのでは、と。
ツヅリは、少年の目が期待に染まるのを見て、決断した。
「……分かった。ちょっとだけ、湖に行ってみようか?」
「いいの!?」
「まぁ、大差ないからね、もう」
少年の顔は見るからに喜色に染まり、小さくやったと呟いている。
それを見てツヅリは、この決断は間違っていなかったと思った。
少年の事情を乗せてしまった時点で、それは既に冷静な決断とは言えなくなっても。
ソウがもしここに居たのなら、それは絶対にしなかった決断だったとしても。
「わぁー! 綺麗!」
二手に分かれていた道を湖の方へと進んだツヅリ。その目に飛び込んできたのは、深い瑠璃色に染まる湖だった。
湖面は日の光を反射してきらめき、湖畔には黄緑色の柔らかな草花が見える。
ここが人々や動物たちにとって特別な場所であろうことは、容易に想像できた。
「花はある?」
ツヅリはそんな感動を胸にしまい、ルキに尋ねる。
「えっと……」
ルキはキョロキョロと辺りを見回し、「あっ」と声を上げた。見つかったのだ。
その様子に心を温めながら、ツヅリはもう一度湖を見渡す。
(……ん?)
そこに違和感を覚えた。
微かな頭の引っかかりに答えが見えず、不思議に思う。
瑠璃色の湖、日の光、湖畔に自生する植物たち。
何もおかしいものなどない。そう、確かに何もない。
見当たらないのだ。
(……まさか……!)
「ルキ君!」
「え?」
「急いでここから離れるよ!」
花に向かって歩き出していたルキの手を掴み、ツヅリは急いで道を引き返そうとする。
だが、遅かった。
振り返ったツヅリとルキは、同時にその光景を見て、言葉を失う。
そこには、モスベアーの群が蠢き、二人を取り囲もうとしている姿があった。
「……な、なんで……」
ルキの泣きそうな声に、ツヅリは呻くように答えた。
「この湖、こんなに綺麗な水があるのに、動物が一匹もいないの」
これだけの水源だ。水を求めてくる動物が居ないとおかしい。
それなのに、どうしてここには、その姿が一つもないのか。
「その理由は、ここがモスベアーの縄張りだから。動物は彼らに怯えて近寄らない。もし近づいたとしても、こうやって襲われるから、一匹も見当たらないのよ」
じりじりと額に汗が滲むのを、ツヅリは感じていた。
『ルーシアの花』に注目すれば、その答えは見えてくるはずだった。
たとえどんなに山が危険であっても、町のどこにも花が見当たらないなど、あるのか。
需要が高騰しているからこそ、売り捌こうとする人間は増えるはず。
しかし街の現状では、そういった人間は一人も帰ってきていないということになる。
それは何故か。ルーシアの花とモンスター。この二つが密接に絡み付いているからだ。
つまり、ルーシアの花を求める者は、もれなく魔物に襲われていると考えられる。
それは転じて、この地が魔物の縄張りになっているということの証左ではないか。
(だから、お師匠は『もっと良く考えろ』って言ったんだ……)
ツヅリが『調査のついでに花を探そう』と言ったとき、ソウは確かにそう言った。
つまり、その時点でソウにはこの答えが見えていたということだった。
「……って、今更言ってても仕方ないよね……」
ルキを背後に庇うようにしながら、ツヅリは銃に手をかける。
使い辛くなったポーチからいくつかの弾丸とカートリッジを取り出し、構えた。
すでに『オレンジ』は残り少ない。他に攻撃に向いているビルドのカクテルは【ジントニック】くらいだ。恐らく、シェイクをしている時間などは欠片もないだろう。
「ん?」
ツヅリが戦う覚悟を決めているところで、彼女はモスベアー達の異変に気付く。
二人を逃がさないように取り囲んではいるが、襲い掛かってくる気配が一向にない。
お互いに牽制しあっているわけでもなく、誰もが動こうとせず、何かを待っていた。
(なんにしても、好都合かも──!)
動かないのであれば、こちらも時間が取れる。
ひょっとすれば、シェイクのカクテルで突破口を作れるかもしれない。
そう思ってツヅリが動こうとした瞬間。
魔物達の壁が割れた。
「……嘘でしょ……」
そしてその中から現れたのは、他の個体に比べて二回り以上は大きい、ボス。
苔むしたような毛皮のあちこちに傷があり、されどその中の筋肉の鎧には傷一つない。
その動きからは、落ち着きと、自信すら感じられる。
ただ、その程度ならば、ツヅリはここまで絶望的な気持ちにはならないだろう。
ツヅリの口から思わず言葉が零れた原因。
眼の前をのそりのそりと進むモスベアーの額には、緑に輝く魔石が埋まっていた。
それは、そのボスが『魔獣』であることを意味していた。
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明日はまた、十八時と二十時の二回投稿する予定です。
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