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淘汰されたレシピ

 ゲームは粛々と、始めはジャブのように簡単なカクテルの応酬から始まった。


【スクリュードライバー】【ダイキリ】【ジン・フィズ】【ジン・ライム】などなど。

 そういった基本中の基本から始まり、少しずつ、あまりメジャーではないレシピへと移って行く。

 ソウとフィアールカの二人は、お互い顔色一つ変えぬまま、一つのミスも作らずに出題しあう。

 端から見ていれば、ゲームは互角に見えたかもしれない。

 しかし、その変わらぬ顔色そのものに、特徴があるのだった。



「……では【ブラッディ・シーザー】で」


 何度目かの出題。張り付けたような無表情。フィアールカの言葉だ。

 それに対するソウは、無表情と正反対の、常と変わらぬヘラヘラとした笑みである。


「通常の【ブラッディ・メアリー】はウォッタのトマトジュース割りだ。それに様々な調味料、俺の場合は塩、胡椒、バジルなんかを加える。で、わざわざシーザーってことは、そのトマトジュースはハマグリのエキスを入れた特製ジュース──『クラマト』を指定するってわけだ。レシピは『ウォッタ45ml』『カットレモン1/6』『トマトジュース適量』って所かね。『ビルド』のカクテルだ」


 目を瞑りながら頭の中に浮かぶカクテルを堪能するように、様々な情報をわざわざ吐き出すソウ。

 それに対し、その程度は正解すると分かっていたフィアールカは静かに言う。


「正解です」

「まぁな」


 そんなやり取りを既に二桁以上は繰り返している。最初は固唾を飲んで見守っていた『瑠璃色の空』の三人だが、ソウのあまりにいつもと変わらぬ態度に少し緊張が解けていた。

 ツヅリは二人から出てくるカクテルの情報を逐一メモしだしているし、アサリナはうんうんと良く頷いている。フリージアに至っては、そんなソウに口を挟むことすらあった。

 こんな風に。


「ソウさん。その【ブラッディ・シーザー】には何か面白い話はあるの?」

「あぁ? そうだな。このカクテルにはこんな逸話がある」


 ソウがフィアールカから目を逸らし、フリージアに優しげな笑みを浮かべた。


「これはバーテンダーの始まり辺りからあるっていう、相当古いレシピでな。最初に飲んだのは吸血鬼らしいんだ」

「……吸血鬼?」

「ああ。なんでも行き倒れになってた旅の吸血鬼が、最後の力を振り絞って入った店がバーだったんだと。そこで吸血鬼は「血をくれ」って注文した」

「……血なんて、出てくるわけないのにね」


 少しだけ怖そうに肩を縮こませるフリージア。そんな彼女を元気づけるようにポンポンと叩くソウ。


「だよなぁ。で、バーテンダーは少し迷ってからこのカクテルを出したらしい。トマトジュースでパッと見は血に見えるし、スープみたいで栄養も取りやすいだろうってな。で、吸血鬼は助かって、めでたしめでたし」

「そうなんだぁ」


 素直に感心した表情のフリージア。しかし、メモ帳を開いていたツヅリはうーむと頭を捻った。


「いかにも作り話って感じですよね。まぁ、吸血鬼がカクテルで魔力補給できるってなって、人間と大分打ち解けたって歴史はあるみたいですけど」

「夢のないこと言うなよ借金女」

「うぐ」


 フリージアに対してと違って、ツヅリへは酷く辛辣なソウであった。

 そうやってしばらくの時間を取って、ようやっとソウはフィアールカへと視線を戻す。


「さて、そろそろ、心の準備は良いかい? お嬢ちゃん?」

「……余計なお世話です。私はいつだって準備はできています」

「じゃあ、俺からの出題は、そうだな──【バノックバーン】」

「っ!」


 フィアールカが僅かに息を呑んだ。余裕な表情を浮かべているソウと対照的に、無表情を緊張で更に張りつめさせる。

 二人のゲームをじっと観戦していたアサリナは、そっとツヅリに耳打ちした。


「……で、どうなの? 知ってる?」

「全然知りません。でも、お師匠のことだから──トマトを使ったカクテルに間違いないかと」




 それはハンデなど要らないと突っぱねたフィアールカに、ソウが自主的に付けたハンデのようなものだった。

 ソウは最初からずっと、フィアールカの出したカクテルと、似通ったカクテルを出題し続けていた。




(【バノックバーン】──確か、どこかで見た記憶が)


 フィアールカは決して表情を崩さない。しかし、その鉄面の内側では激しく感情を揺さぶられていた。

 カクテルにおいて、フィアールカはいつだってソウとやり合えるつもりであった。

 この六年間、少しも勉強を怠ってはこなかった。当然、カクテルのレシピを覚えることなど、その中でも最も気をつけて来たことだ。

 だというのに、ソウの知識と比較して自分はなんと驕っていたかを、思い知った。

 自分が知らずの内に、得意なウォッタの知識ばかりを偏らせていたと知った。


 バーテンダーの強さは決してカクテルの技術のみではないとはいえ、こと魔法の威力に関してはその辺りに寄ってくる。

 しかしバーテンダーの対応力は、違う。対応力は、バーテンダーが持っているカクテルの知識とほぼ比例する。


 魔法使いと比べたバーテンダーの強みはその対応力だ。専門分野に特化することの多い魔法使いと、多種多様な魔法を覚えることが推奨されるバーテンダー。

 強いバーテンダーは技術があるものかもしれないが、優れたバーテンダーはそれに加えて知識を持っているもの。

 知っているレシピの数は、バーテンダーの優劣を決める。


 フィアールカも気付かないわけがない。ソウが露骨にハンデを付けていることを。

 だというのに、こっちは答えるのに精一杯。対するソウは、フリージアにカクテルのうんちくを語ってみせる余裕すらある。

 レシピという分野に関して、フィアールカは自身とソウの間の隔たりをはっきりと感じていた。


(【バノックバーン】──ソウ様のことだから、トマトかウォッタを使っている筈。そしてウォッタのカクテルで聞き覚えはないから、トマトを──)


 頭の検索機能を動員し、フィアールカは候補を潰して行く。

 仮にウォッタをジーニに変えた場合は【ブラッディ・サム】、テイラにした場合は【ストロー・ハット】、そして四大属性を出てエールを使った場合は【レッド・アイ】。

 となると、消去法でサラムを使ったと考えるのが、正解だ。


(……でも、違う。サラムを使った場合の名前があるとしたら、そもそも普通のカクテルブックに乗っていないとは思えない)


 安直な答えに辿り着き、それをフィアールカは否定した。

 もし本当に、サラムのトマトジュース割りであるのなら、もっとすんなり出てきていてもおかしくない。しかし、様々なカクテルブックで、サラムの欄にその名前を見た記憶がない。

 そもそも、そんな単純なカクテルの名前を失念するとは思えない。


 つまり、サラムではないのだ。サラムではないということは、様々な種類がある『無属性』か──あるいは。

 そこまで考えて、フィアールカはようやく、自分がその名前をどこの欄で目にしたのかを思い出した。


「【バノックバーン】──ベースは『オールド』。『オールド』にトマトジュースとレモン果汁を加えたもの、ですわね」

「ふっ、正解にしとくか」


 正解にしておく。そんな物言いにフィアールカは表情を崩さずに、奥歯を噛む。

 それは、最初に決めた『疑わしきは正解』というルールに救われたことを意味する。


「【バノックバーン】は『オルド30ml』に、トマトジュースとレモン果汁を適量。それをシェイクしてロックグラスに注いで完成だ。お好みで他の調味料を入れたり、塩をスノースタイルにするのも良い」


 ソウの口からもたらされたレシピに、それのどこが正解だとフィアールカは頭の中で不満を述べた。自分はベースとトマトを当てただけだ。

 ソウにとっては『揺れ』の内らしいその他の全ての材料を、見逃された。これで、正解したなどと胸を張れるわけがない。

 端から見ていたツヅリが、ぼんやりと感想を零す。


「へぇ。そんなカクテルがあるんですね。私てっきりサラムのトマトジュース割りかと」


 ツヅリの素直な感想に、フィアールカは少し背筋を冷やした。

 そんな弟子にソウは盛大にため息を吐く。


「はぁ。良いかアホ弟子。そこがお前と、フィアの差だよ。なぁフィア?」

「……さて、なんのことでしょう」


 フィアールカは、ソウの言葉に肯定も否定もしない。しかし、拳だけは握りしめる。

 目の前の男が、やはり自分の想像以上に、遥か高みにいるのだと実感した。

 完全に、読まれているのだ。フィアールカの持つ知識量も、思考回路も。

 そして、それを読み切った上で、ギリギリ正解に至れるような出題をされているのだ。


 自分がツヅリにしかけたことの、逆だ。


 ソウは負ける可能性など一切考えていない。

 ただ、こうやって少しずつ追いつめて、フィアールカがボロを出すまで待つだけでいい。

 それもせっかくならば、弟子の教育も並行して行おうという、余裕ぶり。


「……悔しいわね」

「……ん?」


 フィアールカは一度、頭の中をスッキリと整理した。

 自分の持っている知識では、ソウに勝てないことは認めよう。悔しいが事実だ。

 仮に幾つか失点を引き出せたとしても、最終的にひっくり返されるのは目に見えている。


 しかし、それはそれ、これはこれだ。


 このまま、一つの失点も得られぬまま、引き下がるのはプライドが許さない。

 たった一度だけでも良い。

 ソウの知らないカクテルを、出してやりたい。


「……目の色が変わったなフィア。そろそろ、終わりにするか?」


 フィアールカの雰囲気が変わったことを、ソウは敏感に感じ取る。そしてようやく、正面を向いてフィアールカと向き合った。


「……そう、そうね。ただし、このままでは終わらせないわ」

「ほう?」

「……どんな形であれ、一度でも公表されたものなら、良いのですよね?」


 最初に設定した『オリジナル以外』の基準の話だ。

 一度でも本なりなんなりの形で、この世に広まったカクテルなら、出題してもいい。

 そういう取り決めになっている。


「ああ。構わん。手書きだろうと、それが一度公表されたんならな」

「ええ、良いわ。それじゃ私から出題させて頂きます」


 この世界には、昔作られ、そして人知れずに消えて行ったレシピが星の数ほどある。

 一度は持て囃され、世界に広まったとしても、それがずっと残るとは限らない。

 今のバーテンダー向けのカクテルブックは、味よりも魔法としての効果を重視したものになっているからだ。


 魔法としての観点から、似たような効果のものは淘汰され、より単純な一つに集約されていく。

 世界はそういう風に変わっていく。だから、世界には忘れ去られたカクテルがある。

 しかし、かつて作られ、淘汰されたといえど、一度は広まったもの。

 この世界において、決してオリジナルではない。だから、出題しても、良い。


「予め謝っておきますわソウ様。私はズルにも等しい抜け穴で、あなたに勝つ」

「ほう。まぁ、御託は良いさ。言ってみな」

「はい」


 ソウへと、はっきり宣戦布告して、フィアールカは頭の中に本を開いた。

 フィアールカの脳裏に浮かんでいるのは、小さなレシピ集だ。

 タイトルも読めないような、古臭くてちっぽけな本。

 今や忘れ去られただろう、見た事もないレシピが乗っていた本。

 そのウォッタのページを、フィアールカは食い入るように見つめていた。そして頭に残っている一つの名前を口にする。



「【サリーズ・リップス】」



 フィアールカが、そのカクテルの名前を告げたとき。

 ソウが初めて、表情に動揺を見せたのだった。


ここまで読んでくださってありがとうございます。


作中ではオリジナルではないとなっていますが、【サリーズ・リップス】は作者のオリジナルレシピになります。

ただ、この世界ではオリジナルではないのだと理解していただけるとありがたいです。

詳しくは、作者のもう一つの作品の三章部分が該当箇所になります。


※1028 誤字修正しました。

※1030 誤字修正しました。

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