ツヅリの悩み
「……少し、動揺しすぎではないかしら?」
ソウ達が姿を消してから、フィアールカは呆れというよりは、心配の表情で言った。
何について言われているのか分からない程、ツヅリは鈍くもなれない。
「ごめん」
「ええ。まるで仲間に重大な隠し事をしている裏切り者みたいよ」
「……全然例えになってないような?」
フィアールカの笑顔から繰り出される、あまりにもストレートな皮肉には流石のツヅリも萎んでばかりはいられない。
そんなツヅリの様子を見て、フィアールカは今度こそいつものように微笑を浮かべる。
「ふふ、その調子です。あなたが元気に裏切ってくれた方が、私の目的にも近づくというもの」
ツヅリを気遣っていたようで、その実、自分の利に正直なフィアールカであった。
彼女の言葉に、ツヅリは重苦しいため息を吐いた。
「裏切りってはっきり言われると……」
「そう、そうね。裏切りではなく、最初から『私側』でしたわね」
改めて確認されると、ツヅリはほんのりと良心が痛むのを感じた。
別に師に嘘を吐いているわけではない。ただ、言っていないだけだ。そう言い聞かせたところで、なんとなく残っている不快感が消えるわけではない。
「……そうなんだけどさ」
「そう……だから、あなたは気にせず、私に全ての責任を被せても良いのよ?」
「遠慮しとく。選んだのは、私の責任なんだから」
フィアールカの包み込むような、優しさ──に見せかけた利己的な『恩の押し売り』に、ツヅリは惹かれつつ首を振った。
ここでフィアールカに甘えることは、自分の為にならないのだと思った。
ある程度の特殊事情はフィアールカの書いたシナリオではない。しかし、事は思いの外、順調に進んでいる。
というので、確認もあって彼女は一度、ツヅリとソウの様子を見にきたのだ。
「お師匠は、フィアが言ってた戦法を取るみたい」
聞かれる前に、ツヅリはフィアに告げる。今度の訓練において『外道側』がどういった戦法を取ることにしたのかを。
「なるほど。やはりそうなりますか」
「でも、フィアが想像してたより、ずっと厄介になってると思うよ」
情報を売っているにも関わらず、ツヅリは少し得意気に笑った。
フィアールカは微笑ましいものを見た目で、ツヅリに言う。
「不利になっているわりには、随分と嬉しそうね?」
「……別に、そういうわけじゃ」
「ふふ、良いのよ。私はそういう分りやすいところも含めて、ツヅリさんが気に入っているのだから」
フィアールカから見れば、今のツヅリの姿は良く躾けられた犬のように映った。
自分の師匠が、誰かの想定を越えるというのは、どんな立場であれ嬉しいのだ。彼女自身が手駒にしている者の何人かは、ときどきこういう表情を浮かべている。
ツヅリはフィアールカの視線が気に食わず、ぶっきらぼうに話題を変える。
「……どうでも良いけど。それで他に何か確認することがあるの? まだ地図も見てないんだから、お師匠だって配置をどうこうは言って無いよ」
「それは良いわ。それよりも、ツヅリさん本人にも聞きたいことがあったの」
「私に?」
フィアールカの雰囲気に、友人としての親しみ以外を感じて、ツヅリは身構えた。
少しだけ張りつめた彼女の雰囲気は、『氷結姫』としてのそれだ。
目を逸らすことを許さぬような深い瞳で、フィアールカは静かに言った。
「ウチの若手──リミル・グレッドノードと決闘したのよね?」
その質問に答えることは簡単だった。
ツヅリは緊張した唇に意識を込めて、はっきりと答える。
「したよ」
素直に頷いて言葉を待つ。
フィアールカは周囲に気を配る。ここにリミルや『練金の泉』の関係者の姿がないことを確認し、本題に入る。
「単刀直入に言って、どう思ったかしら?」
「どうって?」
「実力のことよ」
リミルの実力。それを直に決闘してどう感じたのか。
それを聞くために、フィアールカはこの場に来た。
ツヅリは、リミルや他の若手達の顔を思い浮かべつつ、当たり障りのないような言葉を選んだ。
「いやぁ。やっぱりSランク協会の若手なだけあって、とっても──」
「お世辞は良いの。あなたが本当に感じたことを喋って」
「…………」
問いつめられて、ツヅリは親しい友人に対して誤摩化しを述べようとした自分を反省した。
彼女は、おべんちゃらが聞きたいわけではないのだ。であるならば、自分が正直に思ったことを伝えねばなるまい。
「……正直に言えば、口程ではない、とは思ったよ」
「……そう」
それがツヅリの素直な感想だった。
確かに技術については見る所はあった、現に苦手分野で一本取られもした。
だが、それだけだった。
例えば、ソウやフィアールカと相対する時に感じるような、じりじりと胸を焼かれる焦燥感。そういったものが、欠けていた。
ツヅリの正直な感想を聞いて、フィアールカはむしろ安堵したように息を吐いた。
「……ありがとう。やはりね。その問題は今日にも『練金の泉』の上層部に突きつけられるでしょうね」
作戦会議の最中、ソウが言っていたことがふとツヅリの頭によぎった。
今回のこの訓練は、若手達に現実を見せる以外にも、色々と目的がありそうだ。師はそんなことを言っていた。
大きな協会は大きな協会なりに、色々と苦労があるのだとツヅリは他人事のように思ったのだ。
それが、目の前のフィアールカの態度でもって実感に変わったのである。
「……でも、そう思ったとしたら、やっぱりツヅリさん。あなたにも言っておかないといけないことがあるわね」
そうやって対岸の火事の気分でいたツヅリだったが、フィアールカのひと言で現実に引き戻される。
ふとした瞬間に、がやがやと響いていた周りの喧騒が遠くなったようだった。
それが勘違いだと、ツヅリはすぐに理解する。
若手のことを言っていたときとは比べ物にならない視線の圧力で、フィアールカから逃げられなくなっているだけなのだ。
思わずツヅリは苦笑いを浮かべ、ポツポツと軽口を吐いた。
「な、なにさフィア。そんな怖い顔して。えっと、やっぱり決闘のこと?」
ツヅリは自分が何か悪い事をしたのかと、めまぐるしく考える。しかし、思い当たることはない。それこそ決闘くらいしかない。
だというのに、フィアールカは静かに首を振って、張りつめた声を出す。
「いいえ、決闘の結果についてはどうでもいいの。ただ、決闘をツヅリさんにさせた時点で、あの人も迷っているのかもしれないわね」
すっと、フィアールカの手がツヅリに伸びる。
彼女の、程よくひんやりとした体温がツヅリの頬を撫で、耳元まで滑って行く。
「本当は、私が言うべきではないと思うけれど。今だけは、あの人ではなくツヅリさんの為に言うわ」
氷漬けされたみたいに動かないツヅリに、フィアールカはそっと近寄る。
耳元に寄せた手で言葉を閉じ込めるように、小声でそっとそれを告げた。
「ツヅリさん、あなたは自分が、今の場所に相応しいと思う?」
ツヅリの胸の奥。心の隙間にするりと入り込む風のように、フィアールカの言葉が染み込んだ。
「…………な、にを言って」
「本当は、薄々思っているのではなくて? ソウ様は自分に何か、大きな隠し事をしているのではないか、と」
それは、フィアールカがソウとの暗黙の了解で、していなかった行為だ。これまでツヅリを単体で誘うことはしていなかった。
もちろん、今の段階でも本気ではない。言わば、練習のつもりだった。
もしツヅリの本当の実力が示されれば、周りからの目は変わるだろう。それほどの才能をツヅリは持ってしまっている。
そして悲しいかな。『師』という一点を除けば、ツヅリにより良い環境を示せる協会は、それこそいくらでもある。
才能あふれる新人は、どの協会も喉から手が出るほど欲している。弱小協会に所属する若手を見て、勧誘しようと思わないほうがおかしいだろう。
であるならば、今の内に誘っておくのも良い。そうフィアールカは思った。
有象無象に集られるのならば、面識のある自分が最初に名乗り上げておくべきだ。
もしも彼女が自分の足で出て行くと決めたとき、選びやすい選択肢の一つを用意しておいてあげるのが、彼女なりの優しさだった。
そういった、幾分か複雑な心境でフィアールカは尋ねたのだが、フィアールカの問いかけに、ツヅリは言葉を詰まらせる。
ツヅリにしてみては、いきなり何を言われたのかがいまいち理解できていないだろう。
しかし、そこで無言は不味いと思ったらしく、ツヅリの口が動いた。
「わ、私はお師匠の元で、なんの不満もない、から」
「……それなら良いわ」
フィアールカは、そんなツヅリを見て、なんとも言えぬ優しげな表情で言う。
ぱっと口から出た言葉は、確かに真実だったのだろう。
そうであるのならば、彼女が心配するような事態が起きても、何も変わりない。
自分で誘っておきながら、フィアールカ自身が『瑠璃色の空』所属のツヅリを、気に入っているのだった。
「ただ、あなたがもし気になっていることがあるのなら、今回のチャンス、逃しては駄目よ?」
だから、蛇足のつもりでフィアールカはその言葉を付け足した。まだツヅリがスッキリしない表情をしているのに気付いたからだ。
ツヅリは、そこで一度だけ、フィアールカに尋ねた。
「……お師匠は、私に不満を持ってたりは、しないかな?」
ツヅリは自分で言って、そして自分の言葉にゾッとした。
自分が師を信じているのは、間違いない。そしてその根拠は、漠然とした『師は自分のために教えてくれている』という、思い込みだ。
思い込みでしかないその一点は、自分の口から出たその前提条件一つで、いとも容易く揺らいでしまうのだ。
先日知った『オールド』の件は、漠然としたその思いを揺らした。
師が自分に教えていないことには理由がある。そう思いはするのだが、それでも不安になった。
その事実を知ったとき、問いつめることもできたのだが、それを無意識にしなかった。
師がそれを自分に教えない理由が、自分に対する悪意だったらと、心の隅っこで考えてしまった。
どこから湧いたのかも分からぬ不安が、そこにはあった。
「……ツヅリさん?」
「あはは、ごめん。なんでもないや」
ツヅリは自分を誤魔化すように、そうやって笑みを浮かべていた。
フィアールカは、そっとツヅリから身を引いた。代わりに、周りの目も気にせずにツヅリの手をぎゅっと握りしめる。
「あ、あの?」
「聞いておいてよかったわ。私の見当違いの方向で、悩んでいるとは思わなかった」
ツヅリの返答に、一人納得した様子でフィアールカは微笑みを浮かべる。
その、同年代とは思えぬ慈愛に満ちた表情に、ツヅリは思わずほっとしてしまう。それが何故なのかも、良く分からないまま。
「あなたは、ソウ様を信じて良いのよ。安心して。その答えは、今日私が示してみせる」
フィアールカの言葉の意味も、ツヅリには上手く入ってこなかった。
ただ、さっきはひんやりと感じたフィアールカの指先が、今のツヅリにはじんわりと温かく感じられた。
「もちろん一番は私のためですけれど。ツヅリさんやティスタさんのためにも、今日は負けられないわね」
「……私は」
「ソウ様もツヅリさんも……変な所ですれ違ってるのよ。まったく」
それからフィアールカは、彼女にしては珍しく、素直な悪態を吐いた。
「あわよくばとも思ったのに、これじゃ付け入る隙もないじゃない。どれだけソウ様のことが好きなのよあなたは」
「な、そ、そんな話してないでしょ!?」
「ええ。そんな話をするつもりは無かったわ。ああもう、あなたも自分のためを思うならソウ様に全力で勝つのよ!」
「わけが分からないよ!?」
慌てるツヅリにフィアールカは少しばかり頭を抱えた。
自分が自分に素直に生きている自覚はある。しかし、そうでない人間というのは、こうまで面倒にすれ違うこともあるのだ。
それもこれも、やっぱり乙女に対する扱いが悪いソウに問題がある。
という結論に至ったフィアールカは、一人今日へと意気込みを新たにしたのであった。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
またしても遅くなってしまい申し訳ありません。
……幕間のはずがどうしてこんなに長くなっているのか……
※1028 誤字修正しました。