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緊張と重圧

 いまのところ、勝負は一対一。つまり、次の一杯で勝敗が決まる。

 重圧を感じ、『練金の泉』のリミルは、ぐっと体に力を込めた。そうしないと、緊張で上手く動けなくなってしまう気がした。

 二杯目の時は後が無かった。しかし、今は五分だ。緊張することはない。

 そう自分に言い聞かせることで、少しずつ心が平静を取り戻して行く。


「よし」


 口から、緊張の固まりを声と一緒に吐き出した。

 意識して平常を保ち、ポーチから次弾を取り出す。少し迷ったが、次のカクテルは【ダイキリ】を選択した。


 迷ったのは【バラライカ】だ。氷結姫フィアールカ・サフィーナの十八番。彼女が最も得意とするカクテルにして、代名詞とも言える一杯。

 リミルはその【バラライカ】を練習は良くしたが、不安も残る。【ダイキリ】と違って、バラライカに明確な腕前の指標は存在しない。

 ダイキリであれば頭の数で、だいたいの出来が判断される。自分の成長が、誰から見ても分かる。だからこそ、腕の基準として良く使われる。

 もし【ダイキリ】同士がぶつかりあえば、その勝敗もまたすぐに分かるというものなのである。


 しかし【バラライカ】にはそれがない。自分がどの程度のカクテルを作っているのかを客観的に判断する術がないのだ。

 だからこそ、ここは新人が必ず練習する【ダイキリ】で、真っ向勝負を選択することにした。


「…………ふ」


 誰にも聞こえないくらいの声で、リミルは静かに勝利を確信して息を漏らした。

 絶対という程ではなくとも、自分の【ダイキリ】には自信があった。

 だからこそ、銃に弾薬を込めている最中に、ちらりと相手を確認する余裕があった。

 無名協会のルーキーが、この緊張感の中でどんな顔をしているのか、見てみたくなったのだ。



「…………っ!?」



 そして、指が止まった。


 目の前の、自分と同い年くらいに見える少女は、じっとリミルを見据えていた。

 作業をしていないわけではなく、流れるように作業をしつつ、こちらの思考を見通すかのように、ただただ透明な目でリミルを見ていた。

 睨むでもなく、焦るでもなく。その場を分析するような視線。動きの無い表情とは別に、見蕩れるような速度で準備を終える指先。

 こちらの動きが止まっている間に、彼女はさっさと準備を終えて、その銃口をリミルへと向けた。


 ぞくりと、リミルの背中に嫌な寒気が走った。


「どうしたんですか? こちらはもう準備はできましたよ?」


 油断のない目つきで、気遣うような言葉を吐いてみせる少女。

 さっき吐き出した筈の重圧が、再びリミルに重くのしかかる。


 緊張するなと再び自分に言い聞かせる。これは決闘なのだ、自分が殺される心配などはないのだ。

 そう念じることで、少しずつ固まった指に熱が戻って行く。


 震えそうな指で弾薬を込めて、ゆっくりと息をしながら作業を終える。

 ようやく銃の準備を終えたところで、リミルは気付いた。

 自分は無意識に──負ける心配ではなく、殺される心配をしていたということに。


「準備はよろしいですか?」

「あ、ああ」


 少女の呼びかけに、なんとか言葉を返す。

 大丈夫だ。問題無い。頭に忍び寄ってくる弱気に何度も言い聞かせながら、震える喉で声を出した。




「「基本属性ベース『サラム45ml』、付加属性エンチャント『ライム15ml』『シロップ1tsp』『アイス』、系統パターン『シェイク』」」


 声が重なる。

 ソウの見ている前で、少年少女は銃に込めた弾薬──カクテルの材料となるそれらを言霊へと変えていく。

 それを端から聞いていれば、えらく対照的であることが分かる。


 かたや、平常そのものの、淡々と力強い宣言。

 かたや、震えそうな声を、意思の力でねじ伏せているような、揺れる声。

 どちらが、どちらであるのかを語る必要もない。


 作業はそのままシェイクへと移行する。

 片方は最初の【シンデレラ】のときと変わらぬ堂々としたシェイク。

 しかしもう片方は、リズムに少しばらつきが生まれてしまっていた。


「やっぱりこうなったか」


 ソウは想像通りの展開になってしまったことに、少しだけがっかりしつつ言う。

 先程、会話が途中で終わってしまっていたティストルは、ソウに言葉の意味を尋ねた。


「どういうことですか? なぜソウ様は、ツヅリさんの勝利に確信を?」


 門外漢のティストルから見ても、既に勝敗は決まって見えた。それくらい、二人の動きには差が生まれている。

 しかし、その差は最初にはなかったものだ。となると、なんらかの理由があってこうなっているということ。

 その理由を知っていたから、ソウはツヅリの勝利を確信していた、ということ。


「単純な話だ。ツヅリとあの小僧じゃ越えてきた死線が違う。緊張への耐性みたいなもんだな」

「……死線」

「ツヅリは、最初こそ慣れない決闘に緊張しちゃいたが、動きそのものはまったく変わってない。頭で何を考えてようが、体が勝手に動く程度の訓練は積んでる。緊張で動けないと死ぬこともあるのが、実戦だからな」


 それは、幸か不幸か『瑠璃色の空』に所属し、ソウの下に付いてしまったが故の『経験』だった。

 同年代が経験しているであろう『危機』や『窮地』があったとして、その何倍もの濃度のそれをツヅリは乗り越えてきた。生きるか死ぬかの瀬戸際で、生を拾ってきた。

 その経験は、命を賭けてもいない決闘の場で追いつめられた程度では揺るがない。

 そんな精神力を、知らずの内に育んできた。


「一方の小僧の方は、まるでなっちゃいない。いくら技術があろうが、あれじゃただのハリボテだ。いちいち結果に一喜一憂して、勝ち誇って、そんでツヅリの尻尾を踏んじまった。実戦の心構えが無いのは丸わかりだ」

「……では、あの方の手が震えているのは」

「単純に、ツヅリの気迫に当てられてるんだろうな。銃を向けられる恐怖で、あいつ決闘のことなんて頭から飛んでるぞ、多分」


 出会ってすぐの言動からして、ソウから見ればリミルはまるでなっちゃいない。

 撃つ気もないのに銃に手を伸ばす。自分の肩書きだけを誇る。実戦経験も無いくせに、決闘をありがたがる。そして、技術にはやたらと自信がある。

 勘違いした『カクテルだけ』の若手バーテンダーによくある間違いだ。

 普通は熟練バーテンダーが側にいてやって、最初の任務あたりで手ひどい失敗をさせて諌めるものだ。それが上手くいかなければ、早々に命を落とすことになる。


「……たくフィアのやつ。若手に経験を積ませる機会が無いとか言ってたが、この訓練はその辺も考えてのことってわけか」


 それは、ずっと前にフィアールカがぽつりと漏らしていた『練金の泉』の問題だった。最初の任務でベテランが様子を見つつ経験を積ませる──それが難しいのだと。

 来る依頼が大口ばかりで、若手の実力に見合ったものがないのだ。

 となれば、命のやり取りでなくとも、大々的にベテランの指導を受けられる機会を作ってしまうのが、手っ取り早いと考えたのかもしれない。


 彼らがとびきり酷い、という可能性もある。しかし、多かれ少なかれ若手は得てしてこんな感じだ。

 恐らく、他の熟練バーテンダーと組んだ『練金の泉』の若手も、似たような洗礼を受けていることだろう。


「つまりソウさんは、心構えが違うから、最終的にツヅリさんに負けはないと踏んでいた、ということで良いのでしょうか?」


 ティストルは、素直に感心する表情で確認する。ツヅリの胆力は、ティストル自身が何度かこの目で見てきたことでもあるので、納得できた。


「……まぁな。加えて、ツヅリは追いつめられるほど実力が出るタイプだしな。負けだけはないと思っていたさ」


 ティストルからの視線にやや眩しそうにしつつ、ソウは頭の中で一人唸る。


 負けはないと思っていたが、二杯目をあっさりと落としたことには苦言を呈したかった。

 経験というか、圧倒的なセンスの無さで、ツヅリの氷狼は後手に回っていた。接近戦での咄嗟の判断は、一朝一夕で身に付くものではない。

 これは、苦手だからと後回しにしていた体術の方も、狼の操作を含めてみっちりと教えてやらないといけなさそうだ。

 ソウがそんなことを考えて不敵な笑みを浮かべているとは、当然ツヅリは知る由もなかった。



 それはそうと、三杯目だが。

 結果としては、リミルが生み出した一頭の火龍を、ツヅリの三頭があっさりと蹴散らしたのであった。




「……馬鹿な」


 自身に襲い掛かってきた火龍が霧散したところで、リミルは膝をついてくずおれた。

 白金の銃を手放し、地面に両手を突いてなお、体の底から湧き上がるような震えが収まってくれないようだった。


「一応、私の勝ちってことで良いんだよね」


 そんなリミルを見下ろすような形で、ツヅリは確認を取った。

 リミルはツヅリを見上げ、言い返そうと口を開くが、言葉は出てこない。頭ではなく心が理解していた。自分は完璧に負けたのだと。

 否定の言葉が無いことを、肯定と受け取ったツヅリは、むふっと笑う。

 ちらりと、ざわついている『練金の泉』を見るが、そちらには背を向ける。そのまま、たたっと軽い足取りで、師とティストルが待つ辺りまで向かった。


「お師匠! 勝ちましたよ! ねっ! ねっ!」

「……おう」


 ソウは言葉少なに、小さくだけ頷いてみせた。

 そんな師の態度に、ちょっとだけ不服そうな顔でツヅリは唇を尖らせる。


「……なんか、言葉が足りなくないですか?」


 その表情が、褒めてくれるのを待つ犬のようだった。ティストルが苦笑いを浮かべる横で、ソウは仕方ないとツヅリの頭を撫でる。


「たく。良くやったぞ、ツヅリ」

「へへ。当然です」


 師からの言葉を貰って、一転とても嬉しそうにはにかむツヅリであった。



 それから、ソウは項垂れているリミルを中心とした『練金の泉』の若手たちに、無遠慮に近づいた。

 彼らは、ソウに対してもの申したそうな顔をするが、声を上げるまではしない。

 彼らを押しのけ、ソウはわざわざしゃがみ込んでリミルへと声をかける。


「で、俺の弟子が勝ったわけだが、この場合はどうなるんかね?」


 不敵な笑みを浮かべるソウに、リミルは力無く聞き返す。


「……どうとは、なんだ」

「だから、俺が大したことない奴だって証明したかったらしいが、自分が大したことなかった場合はどうしてくれるのかなってね」


 煽るようなソウの物言いに、リミルだけでなく、若手一同が睨むような視線をソウへと向けた。

 自分に注目が集まっているのを感じて、ソウはニッと笑みを浮かべる。


「良い気迫だ。お前等全員、一回ウチの弟子とやり合ってみるか? 一人でも勝てたんなら、訂正してやっても良いぜ?」


 手を広げて、いつでも来いと態度で示すソウ。その言葉に、声を発さずともたじろぐ若手達。その誘いに、乗ってくる気配がない。

 原因は、最後の【ダイキリ】であろう。

 ソウの見立てでは、この中でツヅリの『三頭』に勝てるものは居ない。というより『三頭』の【ダイキリ】が扱えるくらいなら、既に若手などやっていないだろう。

 技術と心構えが揃うくらいで、ようやく『三頭』が見えてくるのだから。


 それでもかかってくる奴が一人くらい居たら楽しいと、ソウは待ってみるのだが、それくらいの気骨のある者は居なかった。

 ほんの少し残念に思いつつ、ソウは最初から計画していた通りに話を運ぶことにする。


「だいたいだな。お前等、フィアールカに気に入られている俺達が気に食わないらしいが、逆じゃないのか?」

「……逆?」


 自分に注目を集めてからソウは切り返す。ぽかんとした面々の顔を面白そうに眺めて、ソウは提案する。


「俺達が気に入られているから、気に食わない、じゃ意味が無いだろ。それで何が得られるってんだ? そうじゃなく俺達を利用して、自分たちをフィアールカに認めてもらうって考えたらどうだって話よ」

「なっ?」


 目から鱗、というよりは何も考えてもいなかったという反応。

 若手達のざわめきは増す。言葉にはせずとも思い思いの感情が、その息から漏れ出ている。困惑、疑問、そのあたりが多いだろうか。

 ソウはやや芝居がかった口調でもって、彼らの思考を一方に先導する。



「お前達は、かの氷結姫と直接やり合う機会を得たんだぞ? お前達が頑張って活躍すれば、氷結姫は一目置いてくれるかもしれない。あわよくば顔や名前を覚えて貰ってお近づきになれるかもしれない。そうは思わないのか? 取るにたらないと思っていた若手が、一矢報いるようなことがあったら、俺は印象に残ると思うぜ?」



 最後に、どうよ? と問いかけを付け加えてソウは反応を見た。


 自分に対して反抗的な人間を力で従えようなんて非効率的なことは、最初から考えてはいなかった。

 それよりは、適当な餌で釣って、その餌のために働かせるほうが何倍も労力が少なくて済む。

 そしてその餌は、他ならぬ氷結姫。それが見えているのに使わない手はないだろう。


「俺が気に食わないってのは分かる。だがな、俺の言う通りに動けば、あの氷結姫とだってやり合える。お前達は、幸運だと思うぜ? それにもしかしたら、今日が氷結姫とまともに近づける、最後のチャンスかもしれないんだ」


 幸運だとか、最後のチャンスだとか、ソウは適度に言葉を選んで続ける。

 少年少女の意識がぐらりと揺れていた。それが目に見えるようだった。

 そのチャンスを見逃さず、ソウは駄目押しのひと言を述べた。


「頼むよ。俺に力を貸してくれ」


 上から誘っていたスタイルを改めて、下手に出る。

 その方が、こういった手合いに対して要求を通しやすいのだとソウは知っている。

 やがて、ぼそりと一人の少年が反応する。


「……あんたに協力すれば、本当に?」

「ああ。約束する」


 ソウが自信満々に頷けば、最初に動いた一人は、渋々といった様子で言った。


「……だったら、俺は、あんたの指示に従っても、良い」

「ありがとうよ」

「……あんたは気に食わないけど、実力は確かみたいだしな」


 そうやって一人が折れると、後は簡単だった。流れるように、一人また一人とソウの指揮下へと加わって行き、すぐさま残るはリミル一人となっていた。


「…………」


 リミルは、ぐっと下を向いたまま葛藤を繰り広げているようだった。

 ソウはふぅ、と息を吐いて、彼にだけ特別なひと言を告げることにする。


「リミル。見た所、カクテルの技術そのものは、この中でお前が一番だ」

「……今、名前で」

「ああ。だからリミル。俺達が勝つにはお前の力が必要なんだ。力を貸してくれないか?」


 ソウは言いながら、掌を差し伸べた。

 リミルは僅かに逡巡したあと、ふんっと鼻息荒く答える。


「あんたの口車に乗るのは癪だが、良いだろう。ただし、一つ条件がある」

「条件?」


 リミルはソウの手を取って立ち上がる。

 それから、ギロリと遠くのツヅリに視線を送ってから、悔しそうな声で言う。


「今じゃない。俺が実力を付けたら、もう一度あの弟子と戦わせてくれないか」

「おう、良いぞ」


 ソウはツヅリの了承を取ることもなく二つ返事で了承した。あまりにもあっさりとした返答に、リミルの方がやや面食らってしまう。


「良いのか?」

「別に減るもんじゃないしな」


 そう。ツヅリとの決闘にソウは関係ないのである。

 遠くから、ツヅリの抗議の声が聞こえているような気がしたが、ソウは聞こえないことにした。



 こうして『ソウ率いる外道チーム』は、やや不純な動機ながら足並みを揃えることに成功したのであった。


ここまで読んでくださってありがとうございます。


更新が遅れてしまい申し訳ありません。いつもよりかなり長くなってしまいました。


※1012 誤字修正しました。

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