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【ビトウィーン・ザ・シーツ】(2)

 ひんやりと冷えたグラスを持ち、大きく開いたグラスの口から香りを嗅ぐ。

 オレンジの皮を甘く、じっとりと煮詰めたような、くらりとする香りだ。

 するりと液体を含めば、ティストルの口の中でゆっくりと味が広がって行く。

 良く冷やされた液体の入りは、香りに反してずっと滑らか。さしたる抵抗も感じず、強い印象も残さない。


 しかし、舌の熱に溶かされ、徐々に花開く味わいは、第一印象とはまるで違う。

 華やかで甘く、さりとて力強いその味わい。柑橘の甘さと、ブランデーが持つブドウのコク。それらを混じり合わせつつ、グイグイと引っ張って行くサラムの熱量。

 すとんと呑み込めば、お腹の中に溜まり、液体はなお熱を放つ。

 鼻から抜けて行く香りに、クラクラするようなブランデーの余韻が溶けている。

 そこに至って、それがどれだけ強いカクテルだったのか、ようやく脳が認識した。


 相当に強烈でありながら、その飲み口は決して荒くない。

 印象を新たにし、初めて飲んだ味わいに感動し、しばらくティストルは一口の余韻に浸ってぼーっとしていた。


「おい、大丈夫か?」


 ティストルが固まって少し経ち、心配になったソウが声をかける。


「は、はい。ちょっとぐわっと来ただけです」


 言ってティストルが柔らかく微笑む。その笑みに無理をしている様子はなかったので、ソウもとやかく言うのはやめることにした。

 自身に運ばれてきたオールドを口に含み、ふっと短い笑みを漏らす。


「ま、気に入って貰えたんなら良い。味わって飲めよ」

「はい。ありがとうございます」

「……おう」


 ティストルの素直な笑みに、ソウは少し目を逸らしながら小さく頷いたのだった。





「……でだ、そろそろ本題に入るか」


 しばらく雰囲気を楽しみ、ラバテラを交えた会話にも慣れたティストル。

 新しい来客があってラバテラが向かい、二人きりになった頃合いでソウが言った。


「本題、ですか?」

「……あー。でもなぁ。なんて言ったら良いか」


 自分から切り出しておいて、ソウは歯に物が挟まったような曖昧なことを言う。

 ティストルは、ソウにしては珍しい物言いに、少し首を傾げた。


「えっと?」

「いや、先に言っておく。ティスタを責めるような気持ちは一切ないぞ」


 前置きし、グラスから一口含んで喉を潤したあとに、ソウは真っ直ぐティストルを見た。



「お前と、ツヅリ。なんか企んでないか?」



 ティストルは言われた瞬間、体中の筋肉が硬直した。

 自分が今グラスを手にしていなくて良かったと思う。

 もし、手に持っていたとしたら、きっと動揺のあまり落として割っていただろう。

 ソウの表情は、最初に述べたように決して責めている風ではない。しかし、同時に誤摩化しをみすみす見逃すというものでもない。

 見透かすような、ひどく、遠い眼差しだった。


「わ、私は……」

「あー、だから、責めるつもりはない。別に良いんだ。何を企んでたってな」

「え?」


 ティストルの怯えたような震える声音に、ソウは唸ってから改めて言う。


「俺が心配してんのは、あれだ。お前、押しに弱いって自覚あるか?」


 その言葉に、ティストルはほんの少しだけ面白くないものを感じた。

 これでも、自分で決めたことに関しては曲げない強さを持っているつもりである。


「……別に、そのようなことはないと思いますが」

「まぁ、自分で決めたことに関しちゃ頑固だな。だけど、頼まれたら嫌とも言えない性格だろうが」

「……うっ」


 だったのだが、ソウにその心の中まで見透かされた返答をされ、言葉を詰まらせた。

 その反応を図星と取ったソウは、そこでまた心配そうに言う。


「だからだな。ツヅリや、フィアなんかに無理強いされたりしてないか?」


 その心配そうな顔に、ティストルの心は大いに揺れた。

 無理強いという程では決してない。だが、自分たちの計画に、全て賛成というわけでもなかった。嵌めるようなやり方は、気に入らない部分もなくはない。


 しかし、一度決めたことならばやり通すべきという信念もある。

 故に、動揺し話してしまいたくなる自分を律して、静かに答えた。


「……大丈夫ですよ。二人には良くしてもらってます。心配して頂いて、ありがとうございます」

「本当か?」

「はい。無理強いなんてありません。私が、自分で決めたことです」

「……そうか」


 ティストルの言葉を受け取り、ソウはそれまでの探るような視線をやめて穏やかに微笑んだ。


「じゃあ、分かった。お前が自分で決めたことなら俺は口出ししない。何を企んでるのかは知らないが、好きにしろ」


 それだけを言って、ソウは手元のグラスを掴む。少し氷が溶けて、仄かに体積を増しているように見えた。


「はい」


 ティストルもまた静かに笑みを浮かべ、ソウにならってグラスを手に取る。

 しばらく、どちらからも口を出さない沈黙が挟まる。穏やかに、二人はグラスを傾けて行く。



 ややあって、ティストルが少しだけ顔を緊張させた。



 それを見て取ったソウは、少し呆れるが、顔には出さず淡々と告げた。


「化粧直すんなら、あそこだぞ」

「……は、はい」


 ティストルはペコリと頭を下げ、そそくさと化粧室へと向かって行く。

 それを見送ってから、ソウはぼそりと、独り言をこぼした。



「で、企んでることは否定しないんだな」



 気にしないとは言ったが、気にならないとは言っていない。

 疑惑はツヅリが最初に口にしたところからだ。


「なんで、ルールも何も分からない筈の『合同訓練』を、一緒に頑張るなんて約束ができるんだかね」


 ソウが『練金の泉』主催の合同訓練への参加を渋っていたときの話だ。

 あの時、参加へのお誘い以上のことはその場の人間は知り得ないはず。であるならば、ツヅリやティストルも同様。

 ルールも何も知らないはずの話で、一緒に頑張るなんて言葉が出てくる筈が無い。

 つまり、あの段階でツヅリとティストルは、フィアールカ辺りから何らかの話を聞いていないとおかしいというわけだ。


「ま、良いけど。何を企んでようが、それが自分で決めたことならな」


 ふぅ、とため息を吐いてから、ソウは一度だけ店の外に意識を飛ばす。

 そして、自分の持ってきた財布の中身を密かに確認するのであった。




「あれ?」


 ティストルが化粧室から戻ると、ソウの隣に見知った女性の姿があった。

 ニコニコとした笑顔と赤みがかったブラウンの髪。そしてスタイルの良い若い女性。


「ティスタちゃん。こんばんは」

「こんばんは。リナリア先生」


 ティストルが通っている魔術を学習するための機関『シャルト魔道院』

 そこで若手教師として人気の高い女性、リナリア・ダイヤモンドである。

 フレンドリーな態度で親しみやすい彼女は、男女共に慕われている。そんな彼女が時たま、外に飲みにでかけているのをティストルは知っていた。


 しかし、こうやって会うというのは意外だった。

 さりげなくティストルがソウへ視線を向けると、彼はやれやれと仕草で答える。


「たまたま目が合っちまってな。せっかくなんで一緒に飲もうかと思ったんだが、駄目かな?」

「あ、いえ。駄目では、ないです」


 駄目というわけでは決して無い。むしろ、リナリアのこと自体は決して嫌いではない。

 だというのに、ティストルはなんとなくだけ面白くないものを感じてもいた。


「ごめんねぇ。せっかく二人きりだったのに邪魔しちゃって」

「い、いえ、とんでもないです」

「お詫びに、何か聞きたいことあったら何でも答えちゃうわよ。ソウのこととか」


「おいてめえ。馬鹿なこと言ってんじゃねえぞ」


 ソウがジロリとリナリアを睨むと、彼女は愉快そうに笑う。

 その二人のやり取りを見て、ティストルはもう一つの事実を思い出した。

 リナリアの正体は、シャルト魔道院に務める教師──ではなく、どこかに所属するバーテンダーである。

 彼女の目的は、シャルト魔道院が製法を握っている『シャルトリューズ草』を調べることであり、教師はその仮の姿。

 であるならば、自分が出会うずっと前に、ソウと知り合っていてもおかしくはない。


「…………」



 ……それがやっぱり、少しだけ、面白くない。



「ああおい。ティスタ、あんまり気にすんな。こいつのことは喋る観葉植物とでも思って放置してりゃ良い」

「……やっぱり、随分と仲が良いですよね」

「勘弁してくれよ」


 ソウは困ったように言う。

 彼を困らせてしまっていることにティストルは少しだけ罪悪感を覚えた。

 のだが、それ以上に決意を新たにしたこともあった。




 もし、ソウの本心を聞き出すことが出来たのなら。その時は、リナリアとの関係について、聞いてやるのだ。




 それからは、気持ちを切り換えて、三人で色々な話をした。

 そうやって、合同訓練の日は着々と近づいて来ているのだった。


※0930 誤字修正しました。

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