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【ビトウィーン・ザ・シーツ】(1)

「お、いらっしゃいユウギリさん」


 そうにこやかに声をかけたのは、ソウいきつけの店のバーテンダー、ラバテラだ。

 バー『システム・ナイン』

 白を基調とした清潔感のある内装の店で、照明も少し明るめ。バーが初めてという人間でも入りやすい店である。


「繁盛してるか?」

「見ての通り、ガラガラですよ」

「ま、開店すぐだからな」


 ソウとラバテラはジャブのような軽いやり取りをする。

 この店の営業時間は午後六時から午前二時まで。とはいえ終わりに関しては、店のチーフバーテンダーであるラバテラの裁量でかなりどうとでもなる。

 ソウとラバテラは、この店で朝の十時まで一緒に飲んでいた後に、二人で昼飯を食べに行った事もある間柄である。

 しかし、今はその二人きりというわけではない。ラバテラはソウの後ろに隠れるようにしているティストルの姿を認めつつ、ソウに尋ねる。


「カウンターでよろしいですか?」

「あー、まぁ良いか」

「では、こちらへどうぞ」


 ラバテラは、店の入り口から見て奥の方に、二つコースターを並べた。

 内装に合わせた白いカウンターで十席ほど、それとテーブル席が二つ。それがこの店の許容人数であり、ラバテラの管理が行き届く範囲だ。


 彼がソウとティストルを通したのは、カウンターの奥側。

 色んなお客さんとお喋りする場所ではなく、奥まって連れと二人で話をするのに向いた静かな位置。

 ソウは奥にティストルを座らせ、自分を他の客からの盾になるようにした。


「しかしユウギリさん。今日も可愛い女の子を連れてますね」

「変な言い方すんな。ぶっ飛ばされてえのか」

「あはは、冗談通じない人には言いませんってば」


 ニコニコ笑顔を浮かべながらラバテラが言う。

 しかし、そんな適当な口とは裏腹に、彼の手はおしぼりの用意やチャームの準備など、やるべき仕事をテキパキとこなしている。

 この辺りが、ソウがこの適当な男を気に入っている由縁でもあった。


「では、ご注文どうしますか?」


 ラバテラに尋ねられ、ソウはちらりとティストルの様子を窺った。

 この店に来る前に軽く夕食を済ませた。しかし、その時点からティストルはなかなかに緊張している様子だった。

 それでは満足に話もできないと、ソウはそこでお別れせずにこの店まで連れてきた。

 のだが、彼女は今の時分でも緊張が解けていない様子である。むしろ緊張は増したようにも見えた。


 少し悩んでから、ソウは今の状況に合った注文を考えてみる。


「俺は、適当にアイラ系で、ロック。この子には、メニュー貰えるか?」

「かしこまりました」


 ラバテラは慇懃に頷き、カウンターの下からメニューブックを取り出した。


「はい、どうぞ」

「ありがとよ」


 礼を言ってソウが受け取り、ティストルに見せる前に尋ねた。


「ティスタ。今のお前に必要なものをあげよう」

「え? はぁ」


 すぐにメニューが渡されると思っていたティストルは、ややぽかんとしてから言葉を待つ。必要なものと言ったら、当然そのメニューだと思った。

 だが、ソウはメニューではなく、意識を変える言葉を送った。


「バーテンダーの勉強がしたいってんなら、ここで飲む方の『カクテル』を勉強しとくのも良いと思うぞ」

「勉強……」

「この店には、ウチにはない材料もたくさんあるしな」


 ティストルの緊張を、ソウは無理にほぐすことはしない。ただ、その矛先を少し変えて、いつもの土俵に持ち込もうと考えたのだ。

 それから、メニューを渡されたティストルは、一度大きく深呼吸をした。

 今の時間を自分に身のある勉強と思えば、ティストルは緊張よりも集中が勝る。


 果たして、ソウの思惑通りにティストルは広げられた『カクテル』のメニューを食い入るように見つめていた。

 暫く沈黙が挟まるが、ソウもラバテラも彼女に声をかけることはしない。

 途中でティストルは、自分でも無意識に一つの『カクテル』の名前を呟いていた。



「……これ……【ビトウィーン・ザ・シーツ】って」



 メニューに記載されていた一つの名前。それが口から出た時、ティストルはしまったと思った。思ってから、大丈夫だと思い直す。

 そのカクテルの名前を出したところで、まだ、何も繋がりはしないのだと。


「ん? それ、結構強いぞ?」


 ソウは、少しだけ怪訝な表情を浮かべつつ、心配するように言う。

 だが、ティストルは平静を装い答えた。


「あ、いえ、名前がちょっと気になっただけで」

「……名前って」


 ビトウィーン・ザ・シーツ。意味するところは『シーツの中』──転じて『ベッドに入って』といった所だ。

 色々と意味深な名前を持つカクテルの中でも、極めて妖艶なものの一つ。

 それが気になったと言われると──それもフィアールカとかではなくティストルに言われると、ソウは少し返答に困る。


「……あー。ティスタ。そりゃ、どういう意味だ?」

「……意味って……っ!?」


 ソウに問われて、ティストルはしばしの無言の後に、カッと頬を朱に染めた。

 自分の発言が、まるでソウを精一杯誘っているようなものだったと気付いてしまって、そしたら、解れかけていた緊張がまた甦ってくる。


「ち、違うんですただそのあまり聞いたことの無い名前のカクテルだったのでそれだけで、いえ、でも決してソウさんが嫌だとかそういう訳ではなくてですね、むしろソウさんが望むのでしたら心の準備をさせていただければ私はいつでも」


「落ち着けおらっ!」


「いたっ!?」


 熱暴走を起こしたティストルに、ソウは落ち着けとデコピンを放った。

 ティストルは言葉を途切らせ、少し涙目になって額を摩る。

 ソウはやや気まずそうに頭を掻いたあと、ぼそりと言った。


「あー。ウチには確かに『オールド』のレシピは置いてない。それに、こいつは『魔法』って意味じゃ、なかなか難しい。初めて見たってのも分かる」

「えっとはい。だから、たまたま目についただけで、本当に」

「分かってる、分かってるから。もう暴走しなくて良い」


 言いつつ、ソウはポンポンとティストルの頭を撫でる。そうされると、ティストルは条件反射で、すーっと心を落ち着かせることができた。

 そこでようやく、二人の間の空気は普通に戻る。



「それで、ご注文は?」



 しかし、その場に居たもう一人としては、そこでまったりされるのも困りものだ。

 他に客は居ないと言えど、別に慈善事業で場所を提供しているわけではないのだから。


「あ、すみません。すぐに決めます」


 答えたあと、ティストルは慌ててメニューに目を通す。通すのだが、視界に入ってくる【ビトウィーン・ザ・シーツ】の文字が、どうしても他のカクテルの認識を阻む。

 そうやって四苦八苦しているティストルに、ラバテラが助け舟のように声をかけた。


「気になるのでしたら、一度飲んでみるのがオススメですよ」

「……は、はい。そうですよね。お願いします」


 ティストルも観念したように、その一杯を注文していた。

 すでにソウのグラスの準備をほぼ終えていたラバテラは、礼儀正しい自然な笑みで頷いた。


「かしこまりました。少々お待ちください」


 惚れ惚れするような、美しい所作であった。普段の軽薄さとはかけ離れたこの二面性もまた、ソウがなんとなく彼を気に入っているところである。

 ただし、二面性だ。



「……ユウギリさん。彼女大胆ですねぇ。こんな意味深なカクテルを」



 注文を終えてホッと一息ついているティストルに聞こえないように、ラバテラはソウに耳打ちした。

 先程の笑顔が嘘のような、とてつもなくゲスい笑みを浮かべて。


「邪推すんな。さっさと作れボケ」

「手厳しいんですから」


 憎まれ口を叩いてから、ラバテラはまた理想的なバーテンダーに戻り、テキパキとした動作で作業にとりかかったのだった。




【ビトウィーン・ザ・シーツ】の材料は『ブランデー』『サラム』『コアントロー』──そしてスプーン一杯のレモンジュース。

 比率はそれぞれ20mlずつ。作り方としては極めてシンプルなものだ。

 だが、その材料はレモンを除いて、全てが強い。

 それぞれが、アルコールに換算すれば四十度程度の強さを持ったポーションだ。

 故に、この『カクテル』は、ナイトキャップ(寝酒のこと)のような名前を持ちながら、実際にそう飲まれているのかと言うと疑問である。

 とりあえずの一杯目に飲むような飲み方も、あまりされないのだが。




 ラバテラの振るシェイカーの響きが、ゆっくりと収まって行く。

 バーテンダーの音に満たされた空間が徐々に静けさを取り戻し、音の無い動きが鋭く目に焼き付いている。

 ラバテラは冷やしてあったカクテルグラスをさっと冷凍庫から取り出し、それをすっとティストルのコースターへと乗せた。


 薄白く結露したグラスへ、ラバテラはシェイカーから液体を注いだ。

 薄い黄色と橙色の中間のような、穏やかな色合いである。


「お待たせしました。【ビトウィーン・ザ・シーツ】です」



 すっと差し出された逆三角形のグラスに、ティストルの息を飲む音が吸い込まれていった。



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