図上の作戦
秘密の話し合い。この場合は、特にソウには内緒にしなければいけない話し合い。
それを行う場所に『瑠璃色の空』はまずい。
ただでさえ、ツヅリとティストルが気を抜いて話しているのをフリージアに聞かれていた。今後、そのような情報の漏洩は避けなければいけない。
しかし、あまり頻繁にどこかに集まっていては、怪しまれる可能性もある。
となると、できるだけ集合は最小限にしつつ、しかるべき場所で効率的な話し合いを行わなければならない、というわけだ。
そうフィアールカに言われて頷いたのは、確かにツヅリである。
「いらっしゃいませ」
であるのだが、集合場所に指定された店の入り口で、ツヅリはガチガチに緊張してしまっていた。
そこは、ツヅリが今まで入ったことなど一度も無い高級レストランだ。そもそも自分の年齢くらいの人間の姿はなく──というよりも、それぞれが個室のようで人の姿が見えない。
貴族の邸宅をまるごとレストランとして扱っているような、そんな建物に思えた。白く綺麗な壁紙と、所々に飾られた美術品が目に眩しい。
目の前には、バッチリとスーツを着こなした初老の男性。どこかの貴族の執事のようにも見える。しかし、その体格は細身に見えて引き締まっており、相応の実力者であることはツヅリにも感じとれた。
「……お一人ですか?」
ぼさっと突っ立っているツヅリに、男性は怪訝な表情で尋ねる。
ツヅリは慌てて、怪しまれないように言った。
「あ、いえ、待ち合わせで」
「承知致しました。奥へどうぞ」
ツヅリがそれだけ言うと、誰との待ち合わせなのかも聞かず男性はツヅリを案内する。
行儀が悪いと思いつつ個室を覗きながら歩いていると、身なりの良い人々が優雅に食事を楽しんでいる姿が見て取れた。
「こちらになります」
少し歩くと、執事のような男性が案内を終えた。
案内された個室は、薄い青をイメージカラーとした涼しげな部屋だった。それでいて寒々しくならないよう、所々にアクセントを置いているのが印象的である。
その個室の中には、こんな高級店なのに緊張していないどころか、自宅のようにくつろいでいるフィアールカの姿があった。
優雅にティーカップを傾けていた彼女は、ツヅリの姿に気付くと笑みを浮かべる。
「ごきげんようツヅリさん。さぁ、どうぞ」
「ど、どうも」
ツヅリがおずおずと室内に踏み込めば、案内の男性は静かに頭を下げ、姿を消す。
「あれ、あの人、注文とかは」
「心配せずとも、注文の気配があれば現れますわ。ここはそういうお店ですから」
そういうものなのか、高級店とはそういうものだったのか。
と、ツヅリは高級レストランの実力に感心せざるを得なかった。
ツヅリのすぐ後にティストルも姿を見せた。
ティストルを案内しているときは、案内の男性は何故かツヅリのとき以上に緊張しているようだった。しかし、その理由はツヅリには分からない。
三人が集まり、軽く甘いものを注文して落ち着いてからフィアールカが始めた。
「まず、お二人に作戦を説明します」
作戦。つまるところ、来る『合同訓練』において、どうやって三人で協力してソウを倒すのかという話だ。
「といっても、事前に立てられる作戦はそう多くありません。これは戦争ではなく模擬戦ですから、そこまで事前情報が戦況を左右しません。しかし、知っているのと知らないのでは大きく違います」
そう言いつつ、フィアールカはテーブルの上に一枚の紙を広げた。
どこかの屋敷の見取り図のようだ。それなりに大きな邸宅で、二階まであり庭園も付いている。また、地下らしき空間もある様子だ。
「これは?」
「今度の合同訓練で使われる会場です」
あっさりと言ったフィアールカだが、ツヅリは良心の呵責から思わず目を逸らす。
「……それって、私達が今見ても良いものなの?」
「いけないのですか? ここにあるのに」
「…………」
考えてみれば、どんな手段でも使うつもりなのだから、それくらいで怯んでいる暇はない。ツヅリは考え直し、じっとその見取り図に目をやった。
印象としては、典型的なお屋敷のようだ。
正門からまっすぐ入って行くと、庭園を両脇に道が続き正面玄関となる。正面玄関から入って、玄関ホールの左右に廊下が繋がり、その先に様々な部屋。更に真っ直ぐ行くと大きな食堂。ホールの外周には、緩く円を描く二階への階段。
真っ直ぐ行って食堂に向かわず少し横に逸れると、目立たない所に地下への階段がついている。
屋敷は左右に広がっていて、書斎や客間など日中使う部屋は一階。寝室などは二階に存在しているようだ。主人の寝室らしき部屋は、二階の中でも一際大きい。
「コンセプトは、放置された貴族の別宅を『外道』がアジトとして占領し、そこに人質を連れて立てこもった、というものです」
フィアールカは、淡々と模擬戦の概要を説明する。
模擬戦は、人質を巡っての争奪戦。
『外道側』は、制限時間一杯まで人質の逃亡を許さなければ勝利。
反対に『連合側』は、制限時間までに人質の救出に成功すれば勝利となる。
そのため『外道側』はいかに防衛に力を割いて時間を稼ぐかが──『連合側』は力を集中して守りを突破できるかが争点になるだろう。
「もちろん。双方、相手を全滅させればそれも勝利です」
「そりゃ、戦う相手がいなけりゃね」
当然、フィアールカが狙うのもそれだ。ソウを倒さなければソウの意識を奪うことはできない。いくら人質を救出したとしても、それができなければ意味がない。
そして、そう考えるからこそ、人質を守ろうとする配置に対しては、意表を突く事ができるわけだ。
その共通認識を確認した後で、フィアールカは静かに続ける。
「そして、お二人にやってもらうのは、内部からの混乱誘発、です」
「薄々分かってたけど、要するに、私が内側で騒ぎを起こして、その隙を突いて一網打尽ってわけ?」
「簡単に言えばそうですね」
フィアールカは、屋敷の地図の地下を指差す。
「基本的に、人質はこの地下牢に入れられます。守るには不利な場所ですから、外道側が迎撃するのは地上になるでしょう」
ツヅリも見てみるが、確かに地下は隠れる場所がなく、上から攻めてこられると辛いように思える。
「ですが、アジトがある分、地の利は『外道側』にあります。とすれば『連合側』は、戦力を陽動に割きつつ、人質を救出する部隊を派遣する。というのが常道でしょう」
外道側は篭城するだけでよく。それで良くない連合側は少数精鋭で人質を助け出す必要がある。これが普通の考えだ。
「この地図は、当日参加者全員に配られます。その場で作戦を練るとなると、侵入経路は……」
地下牢に置いたフィアールカの指先が、見取り図の上をなぞって行く。
地下からすーっと階段を上がり、一階の食堂からキッチンを通り裏口へ抜ける。
つまりは、その逆が侵入経路ということだ。
「と、これが最も簡単で、同時に最も危険なルートになりますね」
「……どうして?」
「誰が見ても分かるのですから、誰だって警戒するでしょう? 正面玄関より危険なくらい。そこに人員を割かない筈がありまして?」
「…………」
言われてみれば当たり前で、ツヅリはぐうの音も出なくなる。
ツヅリの代わりに、黙って聞いていたティストルが尋ねた。
「ということはそこに人員が固るから、他が手薄になる。ということでしょうか?」
「そう、そうね。そこまで考えるのは当たり前。誰だって、そこまでは考えるはずよ。で、そこから先をソウ様がどう考えるか……が、分からないわね」
そう。それは本番になってみて、ソウの作戦を聞くまでは分からないことだ。まさか、今のうちにこの見取り図を見せて、相談を仰ぐわけにはいかない。
ソウがこのルートをどれだけ警戒し、また、そこ以外にどれだけの備えをするのかが、最大の論点である。
「ですが、予想ならば立てられます。どうにか監視を搔い潜って庭から客室に入り、廊下を少し走るルート。正面玄関を強引に突破するルート。そして裏庭の木の上から二階に入り、出る時も同様に裏から飛び降りるルート。あたりが候補でしょうか」
「となると、そのどれに人員を配置してるのか、分かれば良いってことだよね?」
ツヅリが尋ねるとフィアールカは素直に頷いた。
「ということで、合図を決めましょう」
「……合図?」
ツヅリに向かって、フィアールカはにやりとした氷の微笑を浮かべた。
「先に述べたルートをそれぞれ、ジーニ、ウォッタ、サラム、テイラと関連づけます。ツヅリさんは状況を確認でき次第、ソウ様の優先順位が高いものから順番に、外に向けてカクテルを放ってください。私はそれを参考に、編成を決めます」
「……さっき述べたのの、どれとも違ったら?」
「その場合は無属性のカクテルを。見栄えがするものならなんでも構いません」
「……分かった」
つまり、ツヅリの役割は内部の情報を外へと伝えることが第一。
「そして『連合側』が動いたところで、ツヅリさんは地下へ向かいティスタさんを回収。内部を上手く撹乱しながら、一番の激戦区へ向かってください。そこに私も居るはずです。私達で合流できたら、ソウ様と戦闘できます。それまでソウ様との交戦は絶対に避けてください」
「つまり、三人で力を合わせてお師匠を倒すってこと?」
「端的に言えば」
フィアールカの頷きに、ツヅリの中でぼんやりとしていたイメージが段々形を持ってきていた。
スパイと最初に言われたときは気が乗らなかったが、こうして話していると少し面白そうな気がしてくる。
「……それで、私はその、人質役ということで、大丈夫なんでしょうか?」
実際に作戦を考えているツヅリ、フィアールカに対して、ぼーっと聞いていただけのティストルが控えめに尋ねる。
自分は、何もしなくて良いのだろうか、と。
確かに、ここまで聞いてティストルの特別な仕事は存在しない。
「ええ。ティスタさんには地下牢を出てから活躍してもらいます。それまでゆっくりと英気を養っておいてくださいな」
フィアールカの優しく宥めるような声音に、ティストルは少しだけ複雑そうに頷いた。
自分に出来る事がないのが嫌だというのも、見える。だが、根本的に違う問題を孕んでいる様子だ。
「……ソウさん。こんなことして怒らないでしょうか?」
ティストルの静かな声。
それにツヅリは何も言えない。自身が感じていた形のない罪悪感を、ティストルもまた持っているのだと理解しただけだ。
だが、フィアールカはそんなティストルの言葉に、軽やかな否定を返す。
「なぜ、怒ると思うのでしょうか? 弟子が師を越えるためにこうまで努力している。その結果をあの人が怒るとは思えません。悔しがるかもしれませんけれど」
フィアールカの言も、確かにソウらしいといえばらしいと、ツヅリは思う。
結局、それもまた考えても仕方の無いことだった。
「ここまで来たらやるしかありませんわ。二人とも、覚悟を」
フィアールカの静かな声に、二人は重々しく頷いた。
その様子は、まるでこれから死地に赴く戦死たちのようでもあった。その緊張感に満ちた空間に、一つの音が響く。
ぐぅううううう。
そんな空気の直後に、ツヅリの腹の虫が盛大に鳴いた。
「…………」
「…………」
「だ、だってしょうがないじゃん! ご馳走してくれるって言うから、お腹空かせてきたんだもん!」
それから、作戦会議もそこそこに運ばれてきた甘味を楽しんだ三人。
そして、フィアールカがさらりと払った金額に驚愕するツヅリであった。
※0924 表現を少し修正しました。