弟子の約束
フィアールカにツヅリ達が呼び出されてから暫くして、その知らせは正式に『瑠璃色の空』へと届いた。
『練金の泉』が主催する、合同訓練への参加のお誘いである。
「というわけでソウ、分かってるわよね?」
そう神経質そうに言った、眼鏡をかけた知的な女性。
場所は『瑠璃色の空』本部、談話室。協会の仲間達が集まる時には会議室として扱われることもある、大きな机といくつもの椅子が並んでいる部屋だ。
そこに今居るのはソウと、書類を手に持ち威圧的にソウを睨んでいる女性──アサリナ。そして、ソウの弟子であるツヅリの三人である。
アサリナとソウは対面に座り、ソウの隣で成り行きを見守っているツヅリ、という配置だ。
書類を突きつけられたソウは、その内容にさらりと目を通してから、面倒臭そうな声で言った。
「いや、さっぱり分からん。分からんから俺今日は帰るわ」
「分からないなら、じっくり教えて上げるわよ」
「いや、知りたくもない」
「良いから聞きなさい」
書類を見て──というより、その責任者の名前を見て完全に逃げる態勢に入っているソウを捕まえて、アサリナは言う。
「今回の誘いは、重大なものよ。表向きは自由公募枠だけど、私達が参加の意を示せば優先的に受け入れると『彼女』は言っているわ」
「ふーん」
「それで! かの『練金の泉』主催の会となれば、それなりに取材の目もあるの。そこで一つアピールが出来れば、私達『瑠璃色の空』の大幅な知名度アップに繋がるわけ」
「そうなんだ。すごいね」
「真面目に聞きなさい!」
やる気の欠片も見せないソウに、アサリナは机を叩きながら怒鳴った。
隣で聞いていただけのツヅリも思わずビビる迫力だったが、ソウは相変わらず眠そうな目をしたまま口答えをする。
「落ち着いて良く考えろアサリナ。世の中にそんな上手い話があるわけがないんだ。良いか、俺達みたいな弱小協会は、意気揚々と参加して浮きまくった挙句に赤っ恥をかくのが世の常なんだ」
「……で、本音は?」
「フィア主催の時点で悪い予感しかしねえ。他を当たってくれ」
「……ったく、もぅ」
真顔で至極自分本位なことを言うソウに、アサリナは呆れの声しか出てこない。
その後に大袈裟なため息を吐いてから、事情を語る。
「ソウ、分かってるでしょ? そりゃ、あなたがそこまで嫌がるのならこちらも少しは考えたいけど、ウチも人手不足なのよ。まるで見計らったように、他の人員が出払ってるタイミングなの。だから、あなたしか居ないのよ」
「そのタイミングってのも、怪しいもんだがな」
ソウの低い声に、隣で聞いていたツヅリは内心ビクリとする。『瑠璃色の空』の任務受注状況をフィアールカに伝えたのは、他ならぬツヅリなのだから。
だが、ソウはツヅリの方を向く事もなく、アサリナと話を続けた。
「そもそもがだ。今の時点で人手不足なんだろ? 俺達がやるべきことは知名度を上げる以前に、人を増やすことじゃないのか?」
「……それは確かにそうなんだけど。そのためにも知名度は必要じゃない?」
「そんなミーハー根性で来る人間が本当に必要か? ある程度経験者が来てくれないと、育成するためのコストもゼロじゃないんだぞ。『なんとなく憧れてきましたー』みたいな奴はツヅリだけで充分なんだよ」
「私そんな、ふわっとした理由じゃなかったですけど!?」
師のさらっとした暴言に、ついうっかりツヅリは反応する。
すると、ソウの説得に難航していたアサリナは、キラリと目を輝かせツヅリに向き直った。
「ツヅリ。あなたはどう思う?」
「え?」
「あなたは、この誘いに乗るべきだと思うわよね?」
いきなり意見を言えと言われ、ツヅリは大いに戸惑う。
もちろん、乗るべきかどうかと言われれば、乗るべきだと答えたい。答えたいが、その理由を尋ねられたときに『フィアールカとの計画が』とか、うっかり口走ってしまってはいけない。
だから、何か、真っ当な理由を考えなければいけない。
「わ、私は、そのぉ……」
そうやってしばらく視線をあっちこっちさせ、道に迷った子供のようなか細い声で答えた。
「じ、自分の腕試し、的な感じで、興味があるかなぁ……なんて」
ツヅリの答えに、アサリナは目を丸くする。そんなに驚かれることを言っただろうかとツヅリが不思議に思ったところで、ソウが静かに言った。
「……おまえには、まだ早い」
「……む」
その言い様に、ツヅリは少しむかっとして師を睨む。確かに自分はまだ半人前だが、それでも少しはやれるようになったと自負していた。
師が昔言っていた【ダイキリ】による簡単な実力判定で言っても、頭三つも出せれば『一人前』のはずだ。
だが、その睨みは、すぐに戸惑いに変わった。
ソウは決して意地悪を言っている顔ではなかった。変に苦みばしった、何かを苦悩しつつ答えたような、そんな顔だった。
「とにかく、俺は──」
──出ない、と続きそうなところで、部屋にノックの音が飛び込んでくる。
アサリナが少し間を置いて「どうぞ」と声をかけると「失礼します」という丁寧な声。
それから、応接室の木製のドアが開き、一人の少女が姿を見せた。
「お話し中ごめんなさい」
小さく謝った彼女は、ここ『瑠璃色の空』に住み込んで、色々な雑務をこなしている、十二、三くらいの少女フリージアだ。
「どうしたんだリー?」
リーとフリージアに呼びかけるソウ。フリージアは年齢の割に少しだけ大人びた声で言った。
「今日、ティスタさんが来るって約束だよね? もう玄関まで来てるけど」
「……あー、そういやそうか。入れてやってくれ」
「分かった!」
うんと大きく頷いたフリージア。そのまま出て行くかと思えば、ふとソウ達が話し合いをしていた書類に目を付けた。
「それ。今度フィアさんとか、ティスタさんが出るってやつ?」
「……ん? ティスタも出るってのか?」
「うん。なんだっけ……人質役として、みたいな?」
フリージアの言葉に、ほー、とソウは少し考え込むように俯く。
そこに続けて、フリージアは無邪気に言った。
「ツヅリさんもティスタさんと一緒にね、上手く行くと良いねって言ってた」
「……は?」
「……なっ」
フリージアがさらりと投下したひと言に、ソウの疑問の目はツヅリに向いた。
ツヅリは明らかに焦った表情になりながら、あたふたと口をパクパクさせる。
「どういう意味だツヅリ。何が上手く行くって?」
「え、えー? と、じ、実はそのぉ」
「……その?」
「い、一緒に! その、合同訓練に出て! 良く勉強できたら良いねって言ってたんですよ! ほら、勉強熱心ですから!」
ツヅリの咄嗟に出てきたひと言は、皮肉にもフィアールカが口にした甘言と同じであった。
だが、ソウがそれを知っているわけもなく、深く覗き込むようにツヅリを見ていた。
「……それで。ティスタと二人で、色々約束してたってわけか」
「そ、そうです」
「……約束、ね」
ぼそりと言ってからソウは、あーと呻いて頭をかく。それから深いため息を吐いて、アサリナに向き直った。
「分かった。出るよ」
「……え? なに?」
「だから、出るって言ってんだよ。俺とツヅリが」
聞き返されて少し苛立ちながら、ソウは繰り返す。
突然の心変わりにぽかんとしていたアサリナだが、事態が呑み込めずとも事実は分かる。
すぐにホッとした表情になって、少し唇を尖らせた。
「さ、最初からそう言えば良いじゃない」
「良い男は焦らすのが上手いんだよ」
「それは『悪い男』の間違いでしょ」
じとっとソウを睨みつつ、アサリナは上機嫌を崩さない。
手続きをすると言って立ち上がり、さっさと部屋を後にしてしまった。
対するソウは、あまり機嫌は良くなさそうに苦笑いを浮かべていた。
ふと視線を動かして、その場にポツンと立ち止まっていたフリージアの頭を軽く撫でた。
「ほらリー。お客さん待たせてるんだろ」
「あ、うん!」
ソウの言葉で、フリージアは慌てて玄関へと向かった。
そしてその場に残ったのは、ソウとツヅリの二人。
ツヅリはその場にあって、ついつい尋ねずにはいられない。
「あの、お師匠。なんで急に?」
「……急にってもな」
ソウは、少し恨めしそうにツヅリを見た。
それはたまに見せる意地悪な師の顔であると、ツヅリは遅れて気付く。
ツヅリが嫌な予感を感じた直後には、ソウはツヅリの頭を掴んで思い切り髪の毛をぐしゃぐしゃに掻き乱していた。
「な、やめ! なにするんですか!?」
「憂さ晴らしだ」
「なんのですかぁ!?」
椅子から立ち上がってソウから慌てて距離を取り、ふーふーと荒い息を吐きながら睨みつけるツヅリ。
その視線にはまったく怯まず、ソウは少し恥ずかしそうに目線を逸らす。
「弟子の約束を、師匠の都合でふいにさせるわけにはいかねえだろ」
「……え?」
「……たく。約束があるんなら先に言えってんだよ」
不貞腐れたように、ソウはそっぽを向いてしまった。
その言葉を聞いて、ツヅリの心中は混乱する。
自分の都合を優先してくれた師に対する『嬉しさ』のようなものと、その約束がそもそも師をハメるためのものである『罪悪感』が、複雑に渦巻いていた。
「あ、あの、お師匠?」
「なんだよ」
「い、いえ。やっぱり、なんでもないです」
そっぽを向いたままの師に対して自分が言いたかったのは、感謝か謝罪か。
それはツヅリにも分からなかった。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
更新、大変遅れて申し訳ありません。
一応プロットの見直しまでは済んだのですが、本文を書く作業がまた少し遅れるかもしれません。
その場合改めてご連絡致しますが、次回は二日後更新の予定であります。